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死者のアベンジ(4)

 八月の民族大移動が始まった十三日土曜日の朝、空木の携帯に石山田から電話が入った。

「武蔵野東署から問い合わせで、木内香織はどういう女性か教えて欲しいと訊いて来たぞ。亡くなった強盗傷害犯の奥さんだという事しか情報は無いと答えておいたよ。何でも、桑田が預けた新習志野駅のコインロッカーの中に、木内香織宛の封書があったらしい」

「封書?内容は?」

「本人に連絡が取れたそうで、本人に開封してもらうまで内容は分からないと言っているが、内容次第ではまた連絡が来るだろう。俺と河村は、今から地検の立川支部に行って、植草に会って来る」

 石山田からの電話を終えた空木は、その携帯でオーシャン製薬の竜野部長の携帯に電話した。強盗教唆、強盗幇助の罪で逮捕、起訴された桑田弘の社内処分の経過(もしかしたら既に結果かも知れない)を知っておきたかった。合併会社であるオーシャン製薬が、どういう姿勢を示すのか。単なる強盗教唆ではない、自社の機密書類を理由はどうあれ盗めと指示した事を、社内でどう判断し処分するのか。そして弁明の機会を与えるのだろうか。好奇心もあるが、それよりも処分内容によっては、桑田の熊川への対応は大きく変わる筈だと思うからだった。

 竜野は、桑田弘の轢死を聞いてひどく驚いた。

「中央線で死亡事故があった事はニュースで聞いていましたが、まさか桑田GMだったとは驚きました。会社は休みに入っていることもあってその情報は入っていないかも知れません。飛び込みでしょうか……」

 やはりそこが気になるのだろう。罪を悔い、将来への絶望感から自死を選択したのではないかと考える。特別おかしな想像ではない。

「それが事故なのか、飛び込みなのか分からないそうです」

 空木は、さすがに、誰かに押されたかも知れないとは口にしなかった。突然、休み中を承知で電話をした理由を、桑田が自死を選んだとしたら会社の処分結果が影響したのではないかと思い、調査を請け負った人間として知りたくて電話をした、と説明した。

「社外にはまだオープンにはなっていません。お世話になった空木さんだけにお話ししますが、懲戒解雇に決まったようです」竜野の声は、近くに誰かがいるのか、低く抑えた声になった。

「それは何時(いつ)決まったのかご存知ですか」

「今週の月曜日、八日だと思います。桑田GMには、即日内容証明付きの速達で通知されていると聞きました」

「即日解雇ですか」

「そう聞きました」

「懲戒解雇ですか……、厳しい処分ですね」

「合併会社だけに、社内統合面から考えても厳しくせざるを得なかったんじゃないでしょうか。退職金も出ませんからね。確かに厳しいですよ。桑田GMもこんな事になるとは思ってもいなかったのではないでしょうか」

 空木は、社内情報を教えてくれた礼を言って電話を切り、ベランダへ出た。今日も暑かった。

 桑田は九日か遅くても十日には、処分を知ったことだろう。どんな思いになっただろう。罪を悔いたのか、恨みは、悔しさは無かったのか。絶望感は抱かなかったのか。その通知で処分を知った後の十一日に、熊川に処分の件で会ったとしたら、どんな話をしたのだろう。何とか処分を軽く出来ないか頼んだのか、それとも退職金と同様の金を出して欲しいとでも言ったのだろうか。口止めの交換条件を出しながら交渉?いや脅したのかも知れない。そんな雰囲気の中で酒を飲んで酔えるのか。熊川は酔ったという。もしかしたら熊川は、酔った勢いで俺に任せろ、心配するなとでも言って桑田に酒を勧めたのではないか。

 これから桑田の家族はどうするのか。空木の目に、習志野のマンションのエントランスで、木内香織からの手紙と云って渡した時の、桑田の妻の不安げな顔が浮かんだ。

 部屋に戻ると、テーブルの上のスマホがまた鳴った。画面には木内香織と表示された。

「やっと繋がりました。良かったです」

 香織は何度も電話をしたが、話し中で繋がらなかったと言った。

 空木は、香織の声を聞き、僅かに身構えるような緊張感を持った。それは(もしや)という香織への疑念の所為だった。

「空木さん、警察から連絡があって、桑田さんが電車事故で亡くなったそうです。それで、桑田さんが私に宛てた手紙を残していたそうで、警察まで来て欲しいと言われたんです。急なお願いで申し訳ないのですが、一緒に来ていただけないでしょうか」香織は心細げな声ではあったが、一気に話した。

「ちょっと待って下さい。奥さんは、桑田さんの事故は知らなかったんですか」

「はい、全く知りませんでした。さっき警察からの電話で初めて知りました。空木さんはご存知だったんですか」

「私は警察に知り合いもいることもあって、昨日知らされました。……ところで、奥さんは、桑田さんと熊川さんが吉祥寺で会う事を聞いていませんでしたか」

空木は、モヤモヤした気持ちで話し続ける事が出来なかった。

「……何です?桑田さんと熊川さんが会っていたなんて私知りませんよ。お二人は会っていたんですか」

 (知っていました)と答えるとは思っていない空木だったが、香織の驚いた反応を感じさせる声は、空木にいくらかの安堵感を与えた。

「会っていたと聞きました。桑田さんはその後、ホームから転落して電車に轢かれてしまったようです。奥さんは本当に知らなかったんですね」

「ええ、知りませんでした。二人は何を話していたんでしょう」

「会社の懲戒処分の話だったと聞きましたが……」

「会社の処分ですか?」

 空木は(そうだった)と。香織の亡夫の木内範夫も亡くなったとはいえ、強盗という罪を犯していたのだと。会社の処分は、桑田同様に通知されているのかも知れないと改めて思った。

「お聞きし難い事なんですが……、木内さんには会社から、何らかの通知はありましたか?」

「いいえ、何も。桑田さんには届いたんでしょうか」

 伝えて良いものかどうか、空木は躊躇(ためら)ったが、木内範夫が被害者である片倉隆文に宛てた手紙の存在、つまり罪を悔い、行為を詫びた手紙の存在が会社に伝わり、それで処分の差が生じたと考えれば、伝えるべきだと決めた。

「口外しないで下さい。特に会社には問い合わせなどしないで下さい。桑田さんは、懲戒解雇の処分に決まったそうです」

「懲戒解雇……。主人の所には、(うち)には何も連絡が無いのに……。主人が亡くなったからでしょうか」

「分かりませんが、ご主人が罪を悔いて、ご家族を想う気持ちが会社に伝わったのかも知れませんね」

「……もしかしたら、桑田さんは自殺したのでは……」

 香織の不安げな声を聞いた空木は、武蔵野東署に同行する事を承知した。


 二人が、武蔵野東署に着いたのは、午後一時過ぎだった。

 空木の差し出す名刺を見た松屋刑事は怪訝な顔をしたが、桑田を良く知っている人物だという香織の説明と、空木の口から石山田と河村の名前を出したことで、同席を了承した。

 松屋刑事は会議室に案内した二人の前で、一通の封筒にはさみを入れ開封した。その封筒には、木内香織の住所と名前が書かれ、切手も貼られていた。これが新習志野駅のコインロッカーに残されていた物かと、空木は身を乗り出すように覗き込んだ。

 桑田は一体何の為にこの手紙をロッカーに残しておいたのか。切手を貼っているという事は、投函する準備をして熊川に会いに行った。何故、持って行かずにロッカーに残したのか。

 香織は、手紙を抜き出し読み始めた。読み始めて直ぐにその顔が強張り、眉間に皺が寄った。そして、読み終わると、松屋刑事に戻さずに、空木に「空木さんが渡してくれた手紙に桑田さんは答えてくれました」と言って手紙を渡した。

 その手紙にはこう書かれていた。


 木内香織様


 貴女がこれを読んでくださっている頃には、私はもうこの世界にはいないかも知れません。この手紙は、貴女の私への不信と疑問に答えなければならないと思い、書くことにしました。それが死んだ木内君への償いだと思っています。


 一 データを盗る事を考え指示したのは熊川営業本部長です。病院薬剤師である息子に眠剤を用意させ、私に渡しました。私はその眠剤を使い、木内君がデータを盗る手助けをし、木内君に実行させました。

 一 本社ヶ丸で木内君を助けなかった事は、心の底から後悔しています。木内君は、先輩の私からの頼みを断れず、書類をひったくった事を後悔し、そして警察に申し出て、被害者の片倉に謝罪した上でデータを会社に返すと言い、私の説得に耳を貸しませんでした。木内君の行動は、今から思えば人間として当然の事だったと思います。山に登ったあの日、山頂での私の説得に嫌気がさしたのか、木内君は私から離れたかったのか凄いスピードで下り始めました。そして岩場で足を踏み外し滑落してしまったのです。私は助けようと滑落した場所まで下りました。木内君はその時、息はありましたが意識はありませんでした。私は尾根まで登り返して携帯で救助要請しようとしましたが、このままにしておけば木内は必ず死ぬという考えが浮かび、木内君一人の犯行にして責任を負わせようとしました。木内君には心からすまない事をしたと悔やみます。

 一 葬儀の時、何喰わぬ顔で奥様にお会いしました。もう後には引けませんでした。木内君一人に罪を負わせることしか考えていなかったからです。


 改めて、深く、深くお詫び申し上げます。


 最後に、この手紙を空木という探偵に渡し、熊川貞道に罰を与えてくれるように依頼して下さい。お願い出来る立場にない事は重々承知していますが、お願いします。


 読み終わった空木は、手紙を松屋刑事に渡して考えた。

 桑田はある覚悟を持って熊川に会いに行ったのではないか。懲戒解雇を諭旨退職、悪くても諭旨解雇にしてくれないかと頼みに行ったのではないか。既に処分は出ているが、指示をしたのは熊川であり、納得出来なかった。退職は受け入れても、家族の為にはせめて退職金は手にしたかったのではないか。このままでは退職金も出ずに退職することになる。それが叶わなければ退職金に見合う金銭を要求したのかも知れない。桑田は要求が通らなければ、警察に、若しくは裁判で、熊川の強盗教唆と、息子が眠剤を用意した事を証言する、とでも言ったに違いない。熊川が要求を受け入れれば、この手紙を没にする。受け入れなければ、木内香織宛に投函し、自死する事を考えていたのではないか。せめて生命保険金を家族に残す為に。吉祥寺までこの手紙を所持して来なかったのは、万が一を考えたのではないか。万が一熊川に殺害されれば、この手紙は熊川の手に渡ってしまう事を考えたのだ。いずれにしろこの手紙を木内香織が読む時には、桑田は死んでいる事を想定した手紙だ。

 空木はそんな推理をしたが、桑田は推理通り死を覚悟したなら、生きて全てを証言すべきだったのに、それをしなかった。真に家族を想う気持ちがあったら、生きなければならなかった筈だ。やはり桑田は独りよがりの人間なのだと。

 そして空木には、もう一つこの手紙に、ある推理を呼び起こさせる記述があった。


 手紙を読み終えた松屋刑事は「自殺なのか……」と呟いた後、「国分寺署に連絡して熊川を引っ張ってもらおう」と隣の刑事に指示した。

 刑事は席を立ち、暫くして戻った。

「国分寺署は、既に熊川を任意で引っ張ったそうです」

「早いな……」松屋は不思議そうな顔をした。

「国分寺署の扱っている別の事件の容疑者からの証言で、強盗教唆容疑だそうですが、手紙を国分寺署に送って欲しいそうです」

 刑事の報告に、松屋は「ほー」と言って頷いた。

 二人のやり取りを聞いた空木は、石山田と河村は植草か青山のどちらからか、証言を得たのだと確信した。

 手紙を読んだ空木には、新たな仕事を請け負った感があった。それは、熊川貞道に罰を与えて欲しいという桑田の手紙文末の依頼よりも、熊川父子に罪を償わせなければならないという思いがより強くなっていた。


 武蔵野東署を出た空木と香織は、JR三鷹駅に向かい歩き始めた。

「桑田さんも被害者だったのですね」

日傘を差して歩く香織は、前を向いたままポツリと言った。

「桑田さんを恨みませんか?」

空木は、口にしたかった事を訊いた。

「……分かりません。でも恨みを抱えたまま生きて行くのは、つまらない人生になりそうな気がします。許せませんが、恨みはしたくないです」

 二人は三鷹駅で別れた。香織は別れ際に再び、「ありがとうございました」と深々と体を折った。


 その夜、空木は石山田の携帯に電話を入れた。武蔵野東署に木内香織に同行して桑田が香織宛に書いた手紙を読んだ事を伝え、石山田たち国分寺署が、熊川貞道を任意同行した事も、武蔵野東署で知った事も話した。石山田は、武蔵野東署から連絡を受けた際に、空木の身元確認を受けたことから木内香織と署にいる事は承知していたが、空木がいつも自分たちより一歩先の情報を掴んでいる事が不思議だと言った。

 空木は、ひったくり事件の参考人として熊川貞道の息子を聴取するつもりはないか、石山田に訊いた。

「武蔵野東署が送ってくれたその手紙で、息子も強盗幇助の疑いで聴取する事になったよ」と石山田は答えた。

「その息子の写真を武蔵野東署に送って、吉祥寺駅で桑田にぶつかったという男と照合してみたらどうかと思うんだ。探偵の俺が差し出がましい事だとは思うけど、熊川父子(おやこ)にとって桑田は共通の不利益を生じる邪魔な人間で、熊川にとって息子は最も従わせ易い存在のような気がするんだ」

「つまり、親父(おやじ)が指示して息子が桑田を転落させたって事か?」

「その可能性を疑ってみるという事だけど、どう?」

「分かった。向こうに話してみる」



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