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死者のアベンジ(2)

 桑田弘が保釈となった事を、河村刑事からの連絡で知った空木は、千葉県習志野市の桑田のマンションを、事前に連絡する事なくいきなり訪問した。

 エントランスのインターフォンの向こう側の声は桑田の妻だろうか、女性らしい細く高い声だった。

 空木は名前を名乗り、木内範夫の妻、香織からの依頼を受けて訪問した事を告げると、女性は、空木にそこで待つように伝えた。

 暫くすると、エレベーターから一人の女性が降りて来た。その女性はエントランスで立っている空木を見ると、「空木さんですか」と訊いた。

 桑田本人が来ると思っていた空木は、「え」と小さな声を上げた。

「申し訳ありません。主人は疲れていて会える状態ではないと言っています。木内さんの奥様からのご依頼でいらっしゃったという事ですが、もし私が主人に取り次げる事でしたらお聞きしますが……」

 やはり桑田の妻だった。空木は、残念な素振りを見せることなく、バッグの中から一通の封書を取り出した。それは、(あらかじ)め用意しておいた香織の名前で作っておいた桑田宛の手紙だった。空木が探偵であることを知っている桑田が、面会を拒否することは想定していた。その時の為に空木が考え作った手紙だった。これを桑田が読むのかどうかは分からないが、郵送ではなく、直接訪ねて渡すことに意味があると空木は考えていた。桑田に精神的圧力をかけるには十分意味があると考えたのだ。

「奥様ですか。これをご主人にお渡し下さい。木内香織さんの想いが書かれています」

 空木はメールポストに入れる事を思えば、こうして妻に渡せたことも習志野まで来た甲斐はあったと自分に言い聞かせた。


 空木と木内香織は八月六日土曜日の午後四時、吉祥寺駅で熊川貞道(くまかわさだみち)を待った。

 待つ間に、空木が昨日、桑田の妻に渡した手紙と同じ物を香織に渡した。それには、書類を盗る事を考えたのは本当に桑田自身なのか?主人と一緒に山に行きながら何故救助要請してくれなかったのか?葬儀の時、山で一緒だった事を言ってくれなかったのは何故なのか?亡夫の事を想うと、悲しさと同時に悔しさで胸が塞がる思いでいる。私は妻として真実を知りたいだけなのです。と書かれていた。

「空木さん、ありがとうございました。桑田さんが会う事を拒んだ時の事も考えて下さっていたんですね。私の想いをちゃんと書いてくださっています。……でも桑田さんは読んでくれたんでしょうか」

 香織は手紙を読み終わって顔を上げると、「熊川さんが……」と呟いた。

 香織が見つめるその男は、真っ直ぐ香織に向かって歩いて来た。

「久し振りだね、吉野さん」とその男は微笑んだ。その顔は、余裕と自信に満ちた中年の絶頂期にいる男の顔だった。

「吉野さん?……」空木は香織を見た。

「私の旧姓です。十年前まで恒洋(こうよう)薬品に勤めていたんです。熊川さんが当時営業部長で上司でした」

 熊川は、香織の横に立っている空木をチラッと見た後、誰?とでも言うように香織に視線を戻した。

「私の知り合いの探偵さんです」

 空木は、名刺を熊川に渡し、自己紹介した。

「探偵……。熊川です」

熊川はプライベートで持ち合わせていなかったのか、名刺は出さなかった。

「こんな所では何だから、近くのコーヒーショップで話しましょう」

熊川はそう言うと、駅の西側にあるコーヒーショップに案内した。

「木内君の突然の不幸には驚いたよ。私に出来る事があれば、力になるつもりでいるけど、今日の話というのはそういう話かな」

 足を組みながらアイスコーヒーに口を付ける熊川の高慢とも思える態度を見た空木は、前職の会社で支店長から「所長に抜擢するから、以後上司と会社に楯突(たてつく)くな」と言われた時と同じ様な嫌な気分になった。

「そう言っていただけるのは大変ありがたいのですが、今日は、主人が何故強盗という罪を犯してしまったのかをお聞きしたくて面会をお願いしました」

香織の毅然とした姿は、空木には嬉しかった。

「それを僕に聞くのは、お門違い、筋違いでしょ。何故、木内君が強盗をしたのかを、僕が知る筈がないでしょ。そんな事の為に僕を呼び出したんですか。探偵さんが一緒に来たのもそのためだったんでしょうが、残念ながら僕には見当もつきませんよ」

「……」香織は無言で、隣に座る空木に顔を向けた。

 空木はゆっくりとアイスコーヒーに口をつけ、(おもむろ)に手帳を広げた。

「折角の休日にお時間を取っていただいた訳ですから、時間の無駄は止めましょう。木内さんにご一緒させていただいた()()の私から単刀直入にお伺いします。桑田弘さんはあなたの大学の後輩でもあり、よくご存知だと思いますが、強盗教唆、幇助の罪で起訴されました。桑田さんは、セロンの緊急安全情報を出すために書類を盗むよう、木内さんに頼んだ事を認めました。そしてそれは自分自身で考えた事だと話しているそうですが、本当はあなたからの指示を受けての事で、それを木内さんにやらせた。違いますか」

「ハハハ、馬鹿な事を。そんな話、笑うしかないですね」熊川は鼻で笑った。

「あなたは、武蔵国分寺病院の植草院長と昔から懇意にしていますね。あなたの息子さんは、植草院長のお嬢さんと付き合ってもいるそうですね。その植草さんは、オーシャン製薬にセロンの緊急安全情報を出して欲しかった。それで懇意にしているあなたに早く出すように頼んだ。あなたはそれを引き受けた。しかし、御社の執行会議では、結論は先延ばしになり、セロンの承認申請時のデータを使って、武蔵国分寺病院に再度説明し、その結果を待つ事になった。あなたは、これを阻止する事を考えた。それは二つの理由からです。一つは当然、セロンの副作用で押し通して緊急安全情報を出す事によって、植草さんの期待に応える為です。そしてもう一つは、執行役員の競争から研究開発部長を追い落とす為、そうですね」

「さっきから何度バカな話をするんですか。いい加減にしなさい。たかが探偵のあなたに……。そんな話をする以上、何か根拠、証拠でもあって言うんでしょうね」

 鼻で笑っていた熊川の顔は、真っ赤になっていた。怒りなのか、興奮して指先が震え始めていた。

「根拠ですか、植草院長が入院患者さんにKCLを混入させて逮捕された事はご存知ですね。植草院長は、入院患者の死亡をセロンの副作用に見せかけようとしたんです。あなたが懇意にしていた植草院長が、全て話すでしょう。それから、桑田さんが、裁判になっても一人で罪を被り続けるのか、見ものですね。私からお話しする事はこれ以上ありません。木内さん、話しておきたい事があれば話しておいた方が良いですよ。熊川さんは、あなたの力になると言ってくれていますしね」

 空木は手帳を閉じて、熊川を睨み続けている香織に顔を向けた。

「たかが探偵」と言われた空木の反撃の一撃に、熊川は、顔を真っ赤にしたまま言葉を発しなかった。

「私は主人の為に真実を知りたいだけなんです。主人は家族思いなだけでなく、先輩方も大事に思っていました。裏切られたんです。主人が可哀そうです」

 香織の目から涙が(こぼ)れた。


 熊川をコーヒーショップに残して、吉祥寺駅に二人は歩いた。香織が立ち止まった。

「空木さん、ありがとうございました。空木さんがあんなに詳しくご存知だったなんて驚きました。もう私には、熊川さんが桑田さんに指示した事を認めるかどうかなんて、どうでもよくなりました。空木さんの言われた事が真実だと思います。主人もきっとそう思っているでしょう。熊川と桑田には天罰が下りますね」

 先輩に忠実であろうとする後輩と、その後輩を利用する先輩がいる。頼れる先輩と、その先輩を慕う後輩もいるだろう。熊川も桑田も木内にとって頼れる先輩だったのだろうか。そんな事を考えて、空木は香織に別れを告げた。



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