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白獣(4)

 武蔵国分寺病院から帰署した石山田と河村は、刑事課室で課長の浦島に報告した。

「課長、印字の鑑定結果を待つ間に、青山が落ちた築山橋(つきやまばし)周辺の防犯カメラを調べてみましょうか。橋の南側に国分寺市の教育委員会が設置した防犯カメラがあるんです」石山田だった。

「自殺か事件かという事か……。いずれにしろカメラは見ておく必要があるだろう。調べてくれ」


 翌日、防犯カメラの記録媒体を入手した石山田と河村は、パソコンの画面に目を凝らしていた。

「河村、課長を呼んで来てくれ」

石山田は画面から目を離すことなく指示した。

「課長、来てください」

 河村の声に椅子を立った浦島が、パソコンを食い入るように見ている石山田の後ろに立った。

「これを見て下さい」

 石山田が静止させた画面には、一台のトラックが暗い橋の真ん中付近に停まっているところが映されていた。

「ここから動かしますから良く見ていて下さい」

 石山田がマウスをクリックした。

 画面には、二人の人間がトラックから降りてきて荷台に上がるところが映された。そして二人は長い大きな物体を担ぎ上げた。

「止めます」石山田が画面を静止させた。

「課長、暗くてはっきりしませんが、この二人が担ぎ上げたのは人間ではないでしょうか。この後、この物体を二人が落とします」

 石山田がクリックすると、その物体を担ぎ上げた二人が、金網の上まで持ち上げてそのまま線路側に投げ落とすところが映された。画面の時刻は、七月二十三日土曜日午後八時五十三分と表示されていた。

「係長、署長に相談してくるが、捜査本部を立ち上げることになるかも知れん」

 浦島は、刑事課室を足早に出て行った。


 京浜調剤町田店で横山由紀との面会を終えた空木は、JR町田駅に向かった。

 横山由紀から得られた情報は、武蔵国分寺病院の敷地内薬局の契約金額を三社同一金額にしたのは、京浜調剤から提案した話で、それは大東京調剤の無茶な金額提示を恐れたためで、提案に大東京調剤は同意した。萩山ファーマシーへの調整も京浜調剤が行い、合意したとの事だった。植草院長には、コンペまでに二回ほど面会した。選定メンバーに入らない事は直前に知ったが、最後の面会の時まで自分に決定権があると言っていただけに意外だったと話した。

 町田駅に着いた頃、スマホが鳴った。石山田からだった。

「捜査本部を設置する事になったよ」

 石山田のその一言を聞いた空木は、青山の転落は自殺ではなく、事件扱いになったのだと察した。

 石山田によれば、防犯カメラに写っていた軽トラックから降りた二人の男が、青山と思われる物体を築山橋から投げ落とす映像から、殺人未遂事件として捜査本部を設置する事になった。但し、被害者が生存している事もあって、警視庁や近隣警察署からの応援は無く、国分寺署単独での設置となったとの事だった。

「それで前日に誰と一緒だったのか掴めそうなのかい」

「いや、地取りも鑑取りも、捜査はこれからなんだ。それで今日の夕方にでも署に来てくれないか。空木からも青山の周辺情報を聞いておきたいんだ。頼むよ」

「分かった、行くよ。ところで例の告発文の印字鑑定の結果は出たの?」

「いや、それもまだだ。一日二日のうちに結果は出ると思う。その結果次第で犯人が絞れるかも知れないな」

 電話を切った空木は、JR町田駅から立川駅に向かった。向かったのは、上阪(こうさか)と植草が二カ月に一回のペースで会食しているという割烹料理屋『まさむね』だった。


 『まさむね』は昼時が過ぎていたためか、客はいなかった。

 店のオーナーは不在だったが、ランチを注文した空木は、店長と呼ばれている接客責任者と話が出来た。

 武蔵国分寺病院の関係者と名乗った空木が、植草院長はここに良く来るのかと尋ねると、その店長は「良くいらっしゃいますよ」と答えた。空木はさらに話を続けた。

「大東京調剤の方と良く来ていると聞きましたが……」

「ええ、上阪さんですね」

「院長一人でも来ているんですか」

「いえ、院長先生お一人でお見えになった事は一度もありません。必ず上阪さんと一緒です。上阪さんは別の方ともお見えになりますね。つい先日もお見えになりましたよ」

「先日ですか……、それは何時(いつ)のことですか」

 店長は少し考えて「先週の土曜日でしたね」と答えた。

「土曜日に……お一人で?」

「いえ、お二人でしたね。いつものお部屋での食事でした」

「院長ではなく、別の方ですか」

「ええ、院長先生ではなくて、副院長と云われる先生とご一緒でした」

 思いがけない情報に、胸が高鳴るのを感じた空木は、一呼吸おいて

「……副院長ですか、もしかしたら青山先生ですか」とゆっくりした口調で訊いた。

「私は副院長先生のお名前は存じ上げませんので分かりませんが、上阪さんは副院長と呼んでいましたよ」

 副院長は梶本もいるが、恐らくは青山だろうと空木は直感した。警察による顔写真での確認が必須だが、青山が土曜の夜一緒だったのは上阪だったのだ。この事を上阪が口にしなかったのは、自分とは初対面であり、話す必要もなかったからだろうが、驚きを見せたのはこれが理由だったからなのだろうか、それとも……、と空木は想像した。

 食事を終えた空木は、支払いをしながら最も知りたい事を店長に聞いた。

「上阪さんと植草院長は、定期的にここで会食していたそうですが、打合せか何かにここを使っていたんですかね」

「さあそれは私には分かりません。いつも同じ部屋をお取りしていました。もう四年ぐらいになるんじゃないでしょうか」

「へえーそんなに長く来ているんですか。一度も他の人が一緒になることは無かった訳ですか」

「ええ、私の知る限りでは一度もありません。以前には、間違って部屋に入って来た他のお客さんにさえも随分怒っていましたよ」

「部屋を間違える事もありますよね。それほど二人の時間を邪魔されたくないって事なんですね」

「その時は、院長先生がかなり怒っていたらしくて、上阪さんがそのお客の素性とか名前を聞きにきたぐらいです。その方は岩松さんと云う常連さんのお父さんだったんですが、私も岩松さんと一緒に謝りましたよ。それにしてもあんなに怒るとは思いませんでした。だから良く憶えているんですけどね」

「岩松さん……」空木は聞き覚えのある名前に思わず呟いた。

「大事な話をしていた所に入って来たという事でしょうが、人間誰でもミスはしますからそんなに怒るのは大人気(おとなげ)ないですね」

「とは言え大事なお客様ですから失礼はいけません」店長は店の立場をキッパリ口にした。

 支払いを済ませた空木は、長話をした事を詫びて店を出た。

 エアコンの効いていた店内から外に出た空木は、猛烈な暑さに一瞬めまいがしたかのようにクラっとした。その暑さの中でも、店長から聞いた話によって、空木が確認すべき事だけははっきり認識していた。

 土曜の夜、青山と上阪が一緒だった事の確認は、警察に委ねるとして、事件とは無関係ながらも、岩松の息子が『まさむね』の常連なのかは調べておきたかった。それは、空木の勘のようなものだったが、もし常連の岩松という客が、武蔵国分寺病院で死んだ岩松兼男の息子だとしたら、誤って部屋に入って来た客、つまり岩松兼男に対する植草の異常な怒りと、岩松の死が繋がるように思えたからだった。


 事務所兼自宅に戻った空木が、国分寺署に向かう支度をしていると、またスマホが鳴った。画面の表示は、『麻倉理事長』と表示されていた。

 麻倉は、警察が青山は何者かに投げ落とされたと考えていることから、土曜の夜、青山が一緒だった人物に心当たりが無いか聞きに来た事を空木に伝え、空木がこの件を知っているのか確認した。麻倉は、事態の変化を空木に伝える為に連絡して来たのだった。

 空木は、石山田から既に伝えられている事を話した上で、麻倉にある事を確認した。それは、『薬局を強請っている幹部がいる』という告発文のことを植草に話したのかどうかだった。麻倉は一言も話していないと答えた。


 空木が国分寺署に入ったのは、午後四時過ぎだった。捜査本部が置かれた二階の会議室に案内された。

 会議室の入口には、『築山橋跨線橋転落事件捜査本部』という戒名が貼られていた。空木は、課長の浦島、石山田、河村の三人と向かい合う形で座った。

「警察に確認して欲しい事があるんです」

空木は座るや否や、口を開いた。

「申し訳ないけど、先にこっちからの話をさせてもらうよ」

石山田が空木の言葉を制した。

「係長、構わないから先に空木さんの話を聞いてからにしよう」と浦島が眼鏡を掛け直して空木に目をやった。

「すみません。実は今日、立川のある割烹料理屋に別件で行ったんですが、そこで先週の土曜日の夜に青山さんが上阪という人物と一緒に来ていた、という話を聞いたんですが、顔写真で確認して欲しいんです」

「なに、空木それは本当か」

 石山田は、空木に料理屋の場所、名前を確認すると、横に座る河村に直ぐに確認に行くよう指示した。

「何故、その料理屋に行ったんだ。偶然かい」

 当然の疑問を石山田は空木に聞いたが、その口調は何故か怒ったような口調になっていた。もっと早く言え、という思いがこもっているようだった。

「話は少し長くなる」と前置きした空木は、武蔵国分寺病院の理事長から依頼された調査の説明から始め、四年前の選定コンペの関係者から話を聞く中で、不正の疑いを持った。さらに大東京調剤の上阪と植草院長の関係が深いという情報も得た中で、定期的にある料理屋で会っているという情報も掴んだ。それでその事を確かめようと、今日その料理屋である立川の『まさむね』に行った。そこで情報を探っている最中に、店長から偶然先週の土曜日の話が出て来た、という説明をした。

「偶然だったのか」石山田が何故かがっかりしたように呟いた。

「……いや偶然じゃない。必然だ、係長。空木さんだからこそ辿り着いた情報だ。偶然じゃない」浦島は腕組みをしながら静かに言った。

「私の話は済みましたから、そちらの話をしてください」

 空木の言葉に浦島は、石山田を促す様に「係長」と声を掛けた。石山田は頷いた。

「青山の事件は事件として捜査が始まったところなんだけど、岩松兼男の死亡から今回の青山の件と言い、武蔵国分寺病院に関係した事件が続いた事に、俺たちも不思議に思っているんだ。それで空木に、いや空木さんに聞きたい事というのは、知り得る限りで良いからあの病院の人間関係を話して欲しいんだ」

「………」

 何から話すべきか暫く考えた空木は、病院の外科、内科の系列大学から話を始め、院長、副院長の関係、更には医療法人(みなもと)会の理事選定争いの噂もある事、そして看護部長の空席が続いた事が岩松兼男の死亡の遠因になった事、その事件の際、理事長が中心となって調査に動いているのを見て空木が感じた事、それは理事長の麻倉の植草への信頼が薄いと感じた事まで話した。

「麻倉さんの信頼が薄いのは何故なのか、ご存知ですか」浦島が興味深げに聞いた。

「……それはあくまでも私の印象だけですから、理由がある訳ではありません」

「俺からも聞きたい事がある。院長と青山副院長の関係からすると青山の部屋から見つかった辞表なんだけど、あれは院長に出すつもりだったんだろうか」石山田は首を捻った。

「俺もそこが疑問なんだ。師弟関係にある二人の間でのあの辞表は不自然な気がする。あれは理事長に出すつもりだったのかも知れないと思っているんだ。退職届とせずに、辞表としているのは、副院長という役職者として、直接の任命者に出すという意味があるんじゃないだろうか」」

「植草は青山の辞職の意思を知らなかった?」

「……知っていたが、許さなかったのではないかと……」

「それで理事長に直接出そうとして机の中に入れていたということか。辞める理由は、やっぱりあの遺書めいた印刷物の通りだと思うかい」

「いや違うだろう。辞める理由は別にあるように思う。あの遺書めいた物は、誰か別人が作ったような気がする。それも、もしかしたら印字の鑑定結果で分かるかも知れない」

「別人が作ったとなれば、作った理由は一つしか考えられないな」

「青山を殺害する為ということですか」浦島だった。

「作った人間は、青山を恨んでいる人間ということか」

「恨みではないような気がする」空木は珍しく眉間に皺を作っていた。

「金銭か、理事争いか」

「それもどうかな、先週麻倉さんに届いた匿名の告発文が、青山さんを指しているのだったら金銭の可能性もあるけど、青山さんが金目当てで強請るとは思えない。理事争いだとしたら、告発文に中傷相手を名指ししないと意味がない。そう考えると、あの告発文も誰が作ったのか分かれば意図が見えて来るかも知れない」

「強請られている薬局というのは、大東京調剤の事だろうが、そうだとしたら強請られている人間は、強請っている人間を殺したいと思う。つまり動機にはなるな」

「大東京の上阪は、全否定だった……」と空木は上阪の顔を思い出していた。

 空木はその時、(もしかしたら)とある推理が浮かんだ。あの告発文は、青山が自殺ではなく何者かに落とされた、と警察が判断した時を想定していたのではないかと。そして警察の目を上阪に向けさせるための物なのではないか。そうだとしたら告発文を作った人間こそが青山を殺害しようとした張本人、犯人だ。つまり、その犯人はいざとなったら上阪も切り捨てるつもりだろう。

 空木はその推理を浦島と、石山田に話した。

「……青山の意識が戻れば良いんだが」

「犯人たちは、それを一番恐れている筈です。(がん)、岩松さんの件にしても、今回の件にしても青山さんがカギだ。万が一を考えてガードした方が良いんじゃないか」

「犯人が口封じに青山を殺害すると……。まさかの話に人は割けない」

「係長、捜査本部を置く二週間だけ、家族のいない夜間だけでも人を張り付けたらどうだ」

空木の提案に反応する浦島の横顔を、石山田は見ていた。浦島の眉間に皺が寄った。

「課長がそう言うのでしたら、何とか手配してみます」

「空木さんの話からすれば、印字の鑑定結果によっては、犯人はかなり絞り込まれるということですね。それ以外に空木さんが気になっているような事はありませんか」と浦島は時計を見た。捜査員たちが、ポツポツと会議室に戻って来ていた。どうやらこの後、捜査会議が始まる気配だった。

「一つ教えて欲しいのですが、防犯カメラに写った軽トラックのナンバーとかは判明しているのですか」

「いえ、ただナンバーのひらがな文字が『わ』か『れ』のようだという事は読めるので、レンタカーを当たるつもりでいます」

「レンタカーですか……」と呟いた。

 空木はレンタカーと聞いて、堀井と飯豊(いいで)の顔が浮かんだ。そして二人の顔の向こうには、白いフレームの眼鏡を掛けた植草が浮かんだ。

「少しだけ時間をいただけませんか、十分程で済むと思います」空木は席を立った。

「あと三十分程で会議が始まりますから、それまでならどうぞ」

 空木は、スマホを取り出して会議室を出た。

 暫くして戻った空木は、一枚のメモを二人の前に置いた。そのメモには『Tレンタカー小平駅前店、飯豊昇』と書かれていた。

「この男は、私の前職の会社の後輩です。信用出来る人間ですから話を聞いてみて下さい。ある人から頼まれて土曜日に軽トラックをレンタルしています」

 メモを見た石山田は浦島と顔を会わせ、そして空木に目をやった。

「ある人というのは、空木の知っている人間なのか」

(がん)も知っているよ。植草院長だ」

「植草……」

「そういう事実があるというだけで、その車が犯行に使われたかどうかは分からないよ。後は巌たちの仕事だ」

 その時、石山田の携帯が鳴り、河村からの連絡が入った。

 立川の割烹料理屋『まさむね』で確認が取れた。上阪と一緒だったのは青山だった。


 国分寺署を空木が出た後、捜査会議が開かれた。

 捜査本部は、空木の情報を基に、青山が『まさむね』を出た後の足取り、軽トラックの追跡、レンタカー使用者からの聴取、そして上阪を重要参考人として任意の聴取をすることとした。



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