白獣(3)
理事長室と同じ六階にある管理部の小会議室で、空木は事務部長の寺田と面会した。
「理事長から連絡がありましたが、探偵だったとは驚きました」
寺田は、空木から渡された『スカイツリー万相談探偵事務所所長』の名刺を、まじまじと見ながら言った。
「それで私に何をお聞きになりたいんでしょう」
空木は、四年前の敷地内院外薬局の選定の経緯と決定までのプロセスに、問題となるようなことは無かったか聞きたいと説明した。
「理事長からは、理由は聞かずに空木さんの調査に協力してくれと言われましたが、今になって四年前の選定に何があったのかを調べるという事が、どういう事なのか聞きたくなります」
「聞かないで下さい。確認したいだけなんです」
「理事長からも言われている事ですから、分かりました」
寺田はそう言うとファイルを広げ、当時の敷地内院外薬局の応募業者の三社を上げた。三社のうちの一社は、地元業者の萩山ファーマシー、代表者は萩山聖、後の二社は大手業者で、一つは大東京調剤、もう一つは京浜調剤だった。当日のプレゼンは、萩山ファーマシーは萩山聖が、大東京調剤は現在の店長の上阪久幸が、そして京浜調剤は横山由紀という女性が行った。契約料の入札も同日に行われ、三社が全く同じ金額だったと話した。
「それで大東京に決まったんですか」
「四人の未記名投票で決まったんです。三人が大東京でした」
「三人が大東京ですか。残り一人は?」
「萩山ファーマシーでした。実は私が入れました。先生方は全員大東京でしたから文句なしに決まりました。不正は一切ありません」
「そうですか。寺田さんは何故萩山に入れたんですか。差支えがなかったら教えていただけますか」
「私は、薬に関しては素人ですから、契約金額だけで決めようと思っていました。それが全くの同一金額でしたから、地元の萩山ファーマシーに入れただけです」
「三社の金額が一緒だったんですか」
「ええ、この業界では病院の規模によって、相場というものがあるらしくて全く同じ金額でした。際限なく高額になることを防ぐための談合のようなものでしょうが、本当の所はわかりませんね」
「なるほど、談合ですか。談合で同じ金額ですか」
空木は、契約金が青天井の競争になる事を防ぐ為、契約金額以外で決まる事を前提に同じ金額にしたのだろうと推測した。もし空木の推測通りだとしたら、契約金以外の事とは、何か?金、所謂賄賂ではないかと。
空木は寺田に礼を言って管理部を出ると、同じ六階にある外科の梶本副院長の部屋をノックした。幸いに梶本は在室だった。
「理事長から聞いています。水原先生からもあなたの話は耳に入っていました。岩松さんの件では色々ご協力いただいたそうで、私からもお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました。それで今日はどんな用件なんでしょう」
空木は自分の話をどういう様に水原が伝えているのか気にはなったが、今日の訪問の目的である四年前の薬局選定の経緯と、その前後に記憶に残っている事があれば聞きたい旨を伝えた。
梶本の話は、空木が麻倉から聞いていた話と同じで、梶本と青山は、選定コンペの行われる一、二週間前位に突然院長の植草から指名され、選定メンバーとして参加することになったと話した。そして三社から挨拶を受けたのは、コンペ当日で、その日が初対面だったと言った。ただ、三人のうちの一人は、隣の院長室の前に立っている姿を何度か見かけたように思うとも話した。
「それが誰だったのかは覚えていませんか」
「多分、選定された業者だったように思いますが、はっきりとは覚えていないですね」
「院長は、何故選定メンバーから外れたんでしょう」
「当時、院長が私に言っていたのは、「自分の所には業者が頻繁に来るので癒着を疑われかねない。自分はメンバーから外れた方が良い」と言って、副院長の私と青山先生にメンバーに入るようにと指示されたようです」
「つまりメンバーは院長が選んだという事ですか」
「そうだと思います」
「先生は、選定コンペで大東京調剤に票を入れたと思いますが、宜しければその理由をお聞かせいだけないでしょうか」
「……もうそれを知っているんですか。隠すような事でもありませんからお話ししますが、私にはコンペに興味も知識もありませんでしたから、青山先生にその場で相談して大東京に入れたんです」
「青山先生が、大東京が良いと言ったんですか」
「そうです。私はどこでも良かったので何も考えずに大東京に入れました」
空木は、(やはり青山がカギを握っていたのか)と心の内で呟いた。しかし、青山をコントロール出来る人間が存在している事も同時に過った。
梶本の部屋を出た空木は、次に隣の院長室をノックした。反応は無かった。
管理部に再び向かった空木は、植草院長に面会したい旨を女性事務員に伝えた。
「院長は、青山副院長のお見舞いに出かけて、今日は病院には戻らない予定です」
事務員は淡々とした口調で空木に応えた。
空木は一階の薬剤部長室へ向かった。
空木がドアをノックしようとした瞬間、ドアが開き見覚えのある顔の男が出て来た。その男はオーシャン製薬のMRの堀井文彦だった。
空木も驚いたが、堀井は空木以上に驚いたようで、「ワオ」と声を上げた。
堀井と入れ替わりに部屋に入った空木に、薬剤部長の小村が、寺田と梶本と同様に麻倉理事長から連絡を受けていると言うと、空木は、四年前の薬局選定コンペについて尋ねた。
小村は、大東京調剤を選定した理由については、当日のプレゼンの内容には三社遜色はなかったが、大東京調剤から事前に聞いていた、薬剤師の為の調剤業務のレベルアップ研修制度や、薬剤師の為の講演会の企画などを評価して大東京に決めたと説明した。
小村の話に、空木は疑問なところは感じられなかった。
薬剤部長室を出た空木は、病院の待合ロビーの椅子に座り、スマホを取り出して萩山ファーマシーと京浜調剤を検索していた。四年前に麻倉宛に届いた手書きの告発文を出した可能性が高いのは、選定コンペで選定されなかった二つの業者のうちのどちらかだろうと思いながら検索していた。
二つの業者の連絡先を手帳に控えた空木は、先ずは選定された大東京調剤の上阪という店長に会ってみようと思い椅子から立ち上がった。その時、後から「空木さん」と声を掛けられた。振り向くとオーシャン製薬の堀井が立っていた。堀井は空木を待っていたようだった。
「お待ちしていました。お会い出来て良かったです。お伝えしたい事があって連絡しようと思っていた所なんです」
空木は、堀井とともに椅子に座り直した。
「本社から今日連絡があって、(本社の臨時執行会議で制吐剤セロンの緊急安全情報は当面出さず、情報収集に注力する)という結論になったという事です。本社から空木さんに連絡があるかも知れませんが、連絡しておいて欲しいと言われましたのでここで会えて良かったです」
「そうですか、当然の結論だと思いますが、良かったです」空木に驚きは無かった。
「ところで空木さん、セロンの緊急安全情報の話を植草院長から「いつ出るんだ」と聞かれたんですが、誰からその話を聞いたのか不思議なんですよ。水原先生が話したんですかね。まさか空木さんじゃないですよね」
「私が……、とんでもない、会ってもいませんよ。さっきも別件で会おうとしましたが不在でした」
「そうですか、私もセロンの件で院長に午後三時に会う約束だったのにすっぽかされました」
「青山副院長の見舞いに行かれたそうですよ」
「え、青山先生がどうかしたんですか」
堀井の驚いた反応に、空木は一瞬(口が滑ったか)、と慌てた。
「私も事務の女性にそう言われただけですから詳しい事は知りません」と逃げた。
「堀井さんは、植草院長には良く会っているんですか」空木は話を変えた。
「いえいえ、院長が我々に用事がある時だけ呼ばれるんです。私は先週セロンの件で呼ばれて、さっきお話しした緊急安全情報の件で呼ばれたんです。その返事に今日来たんですが……。その時、レンタカーの手配も頼まれました」
「レンタカーですか」
「ええ、小さいトラックを借りてきて欲しいって頼まれたんです。何でもお嬢さんの所に大きな荷物を運ぶのに使うと言っていましたが、土曜日は私の都合が悪かったので、別のMRに頼みました」
「役務の提供ですね。それ引き受けても良いんですか」
「空木さん、製薬業界を知っているだけに厳しいですね。厳密には役務の提供は違反行為ですけど、大目に見て下さい。MRはつらいんです」堀井は笑った。
空木も、目、口、耳を順に両手で塞いだ。
「ところで堀井さんは、大東京調剤の店長はご存知ですか。今から会おうと思っているんですが……」
「何度か添付文書の改訂の案内に行っているだけですから、顔を知っている程度です。卸のMS(メディカル スペシャリストの略、営業担当者)の話では、院長と懇意らしいですね」
「植草院長と懇意ですか……」
「私は知りませんけど……、卸のMSの話ですよ」
「そうですか……そのMSさんの名前は分かりますか。分かったら教えていただけませんか」
「ウェルフネット小平営業所の高梨というMSですが、空木さん何か調べているんですか」
「まあそんなところです。ありがとうございました。私はここで失礼します。本社の皆さんに宜しくお伝えください」
堀井と別れた空木は、敷地内薬局の大東京調剤武蔵国分寺病院店に向かった。
午後四時を回った店内で薬を待つ患者の数は僅かだった。医療コンサルタントの名刺を使って、空木は店長の上阪との面会を依頼したが、上阪は私用のため退店したとのことだった。
翌日の朝八時半、空木は堀井とともに、ウェルフネット小平営業所で朝礼が終わるのを待った。昨日、堀井から聞いたMSの高梨に面会するために、堀井に同行を依頼していた。
朝から快晴の青空とセミの鳴き声は、今日の暑さを予告しているようだった。
高梨は、身長はさほど高くはなかったが、がっちりした体躯はいかにも体育会系という雰囲気を漂わせていた。
その高梨は、堀井と同じ三十三歳で、堀井には仕事上随分世話になっていると言って、詳しい理由を聞く事も無く、堀井の求めに応じて上阪と院長との関係を話してくれた。
それによれば、上阪と植草は二カ月に一回、立川の料理屋で飲んでいるとの事だった。高梨は、毎回ではないが上阪に頼まれて、その料理屋まで車で送る事があって、それは偶数月の第二週の金曜日に決まっていると話した。
「お店の名前はご存知ですか」空木が訊いた。
「立川の駅前のシネマシティの『まさむね』という割烹料理屋です。私は行った事はないですけどね」
空木は高梨に丁重に礼を言って、堀井とともに営業所を出た。
「お、飯豊だ。おはよう」堀井が挨拶した男は、空木を見て「あ、空木さん」と声を上げた。
「飯豊、空木さんを知っているんだ。そうか、万永製薬の先輩、後輩の関係だからね」
「ええ、確かに元の会社の後輩なんですが、飯豊さんとは一か月ほど前にお会いしてからの知り合いなんです」
空木は飯豊に代わって堀井に説明すると、「久し振りです。その節はありがとうございました」と飯豊に頭を下げて挨拶した。
「空木さん、この飯豊に植草院長に頼まれたレンタカーの手配を頼んだんです」
「そうだったんですか。飯豊さんに肩代わりしてもらったという事ですね」
「そうなんです。飯豊、面倒な事を頼んですまなかったね。ありがとう」
「どういたしまして、無事済みました」
「院長からレンタカー代はもらった?」
「まだなんです。約束していた昨日の午後、病院に行ったんですが不在で会えなかったんです。もらえないと自腹ですからね。今日行こうと思います」
「今日行かれるんでしたら、私も一緒に行かせてもらえませんか。私は別件ですけど院長にお会いして聞きたい話があるんです」
二人の話を聞いていた空木が口を挿んだ。
「良いですよ」飯豊は二つ返事で答えた。
「アポイントを取りますから、空木さんには改めて連絡します」
空木は、堀井と飯豊に礼を言いウェルフネット小平営業所を後にした。
二人と別れた空木は、その足で青梅街道沿いにある萩山ファーマシーに向かった。
薬を待つ患者は少なかったが、代表者の萩山聖が出てくるまでには五分程待たされた。
萩山聖は五十歳前後に見えた。空木は、まず医療コンサルタントの名刺を使い、萩山に、四年前の武蔵国分寺病院での選定コンペについて話を聞きたいと、用件を告げた。訝し気な萩山に、空木はもう一枚の名刺、探偵の名刺を差し出した。そして武蔵国分寺病院の麻倉理事長から改めて調査依頼があった事を話した。
萩山は受け取った名刺を手に、暫く考えて、空木を奥の部屋に案内した。
「それで私に聞きたい事というのは?」
「四年前の武蔵国分寺病院の敷地内薬局の選定コンペに参加されたと思いますが、そのコンペで不正が行われたという告発文が、四年前に麻倉理事長宛に届きました。その差出人が誰なのかは分かりませんが、応募者の一人であるあなたなら何かを知っているのではないかと思ってお邪魔させていただいたのですが、いかがですか」
「……今更ですか。あの時来てくれれば良かったんですがね」
「では、あの告発文はやっぱりあなたが出したんですか」
「そうです」
萩山は空木が拍子抜けする位あっさりと認めた。
「あのコンペは、表面上は公正に実施されたように見えますが、実際は出来レースでした」
「出来レース?」
「出来レースです。大東京の上阪と植草院長との間に何らかの約束があったんです」
「どんな約束だったんですか」
「実はそれを調べて欲しくてあの告発文を出したんです」
「じゃあ、確かな証拠があった訳ではなかったんですか」
「確かな証拠があったら、はっきり書きますよ。そうすれば不正をした大東京も院長も排除出来ますからね。でも絶対にあの二人の間には密約みたいな何かがあったに違いありません。でなければあの結果になる筈がありません」
その当時の思いが込み上げてきたのか、萩山の口調はかなり興奮していた。
「……萩山さん、もしかしたらあなた、植草院長にお金を渡したんじゃありませんか」
「……それはご想像にお任せします。私から話す事はこれだけです」
「もう一つ聞かせて欲しいのですが、契約金額が同一金額だったのは、三社の話し合いがあったんですか」
「まあ、それもご想像にお任せしますが、京浜調剤から連絡があって契約金額での競争は止めようという提案を受けたのは事実です」
萩山聖は、思いを晴らしたようなスッキリした顔で、空木を店の外まで見送った。
空木は、萩山が植草に金を渡したのは間違いないと思った。しかし、萩山ファーマシーが選定されることは無かった。騙し取られたという思いだったのだろう。その腹立たしさをあの告発文で表したのだと想像した。しかし、萩山の言う通り、やはり上阪と植草の間には、萩山が渡した金以上の何かがあったと考えるのも不自然ではないだろうとも空木は考えた。
バイクに跨った空木は、大東京調剤の上阪にどうアプローチするのか考えながら武蔵国分寺病院に向かった。暑さは感じなかったが、思わず信号無視をする所だった。
大東京調剤武蔵国分寺病院店の薬を待つ患者は、昨日より随分多かった。
「昨日も来ていただいたようですが、どんなご用件でしょう」
上阪はいかにも忙しそうに名刺は出さずに聞いた。
空木は『スカイツリー万相談探偵事務所所長』の名刺を出し、麻倉理事長からの依頼で調べている事があり、話を聞かせて欲しいと話した。それは、告発文の一つである『強請られている薬局』というのは、この大東京調剤を指しているという確信からのアプローチで、四年前の選定コンペの件は切り出さない事にした。
空木から受け取った名刺を見た上阪は、さらに麻倉の名前を聞いて態度を変えた。空木を奥の部屋に案内して、名刺を渡した。
「調べ事というのは何ですか。私に聞きたい事というのは一体何でしょうか」
「麻倉理事長のところに、『病院の幹部にあなたの店を強請っている人間がいる』という告発文が届きました。その幹部が一体誰なのか、内密に調べるように頼まれたんです。単刀直入に伺いますが、覚えはありますか」
空木は上阪の表情に一ミリでも変化が無いか凝視した。
「強請りですか………。私には全く覚えがない話です。うちの職員からもそんな話は聞いていません。そもそも強請られるという事は、うちが強請られるような事をしているという事を意味している訳で、うちはそんな事はしていません」
上阪は声を荒げる事も無く、淡々とした口調で否定した。
「上阪さんのおっしゃる事は尤もです。告発文の真偽も定かでない中ですから、気を悪くしないで下さい」
「……その告発文はもしかしたら院内の権力争いというか、政争かも知れませんよ」
「政争ですか」
「あ、いや、あまりいい加減な事は言えませんが、理事のポスト争いに絡んだ、嫌がらせ、中傷かも知れません」
「理事のポスト争い?」
「一人空席になっているんだそうです。二人の副院長のどちらかが理事になるのではないかと噂されているんです」
「梶本先生と青山先生ですか」
「そうです。あくまでも噂ですが」
「青山先生と言えば入院されているそうですが、聞いていますか」
空木は、上阪が植草から聞いて知っているだろうと推測して敢えて聞いてみた。
「えー、本当ですか。初耳です。何が原因で入院されたんですか」
「私も詳しい事は知りません」
冷静に淡々と話していた上阪の驚き振りに、空木は意外だったが、植草の腹心ともいうべき青山の入院を初めて聞いた事がショックなのかと想像した。きっとこの後、植草に確認をするのだろうとも推測した。
「……上阪さん、最後に大変不躾な事をお聞きしますが、過去に植草院長に現金を渡した事はありませんか」
「はあー」上阪は信じられないという顔で、空木を凝視した。空木は、
「ある人からそんな噂があると聞きました。中傷だと思いますが」と続けた。
「馬鹿な事を聞かないで下さい。そんな事がある筈がありません。たとえあったとしても、ありますと答える人間がいると思いますか。一体誰から聞いたんですか、完全な中傷ですよ」
「誰からとは言う訳にはいきませんが、上阪さんのおっしゃる通りなのでしょう。しかし、火の無いところに煙は立たず、とも云いますからあなたも他人の目を気にした方が良いかも知れませんね」
空木はある確信を持って薬局を出た。間違いなく上阪は植草に何らかの事をしているという確信だった。金銭なのかどうかは分からないが、植草の個人的利益に関わる何かをしていると。
武蔵国分寺病院の玄関で、飯豊昇と待ち合わせた空木は、院長室に向かった。面会の約束の時間の午後二時に部屋に入った飯豊を待つ間、空木は植草へのアプローチを頭の中で
再確認した。昨日までは、四年前の選定メンバーに二人の副院長を指名した理由だけを聞くつもりだったが、今日はそれに加えて、金銭の授受の有無を否定される事を承知の上で訊く事にしようと考えた。それを訊く以上、理事長から調査依頼を受けた探偵であることを明かすつもりだった。
飯豊が部屋から出て来た。
「空木さんの事を院長に話しておきました。医療コンサルタントの方ですねって言っていましたけど、空木さんはここでは医療コンサルタントもやっているんですか」
「ああ、そうなんです。それよりレンタカー代はもらえたんですか」
飯豊は空木の問いに掛けに、右手でOKサインを出した。
飯豊と入れ替わりで院長室に入った空木は、スカイツリー万相談探偵事務所所長の名刺を渡した。
受け取った植草は、白いフレームの眼鏡を外して名刺に見入った。
「コンサルではなく、探偵ですか……」
空木は、今回理事長から依頼を受け、四年前の敷地内薬局の選定コンペでの不正の有無を調べ直している。ついては、あなたが選定メンバーに自分ではなく二人の副院長を指名した理由を説明して欲しいと話した。
暫く考えていた植草は、空木が昨日副院長の梶本から聞いた事と全く同じ理由を話し、不正や癒着を疑われる事を懸念してメンバーから外れた、と説明した。
「二人の副院長を選んだ理由は特になかったんですか」
「理由は単純です。院長の私の次に決定権を持っているのは副院長の二人だからです」
「その副院長に業者選定の指示とかアドバイスはされなかったのですか。特に青山副院長は先生の大学の後輩でもありますから指示には従うのではありませんか」
「とんでもありません。それを疑われるのが嫌でメンバーを外れたんですよ。そんな事は絶対にありません」
「しかし、フィクサーとして業者を選定するという方法もあるのではありませんか」
「あなたが何を言いたいのか分かりませんが、私は全くの部外者です」
植草の白いフレームの眼鏡の目尻の辺りが赤くなってきたように空木には見えた。
「その選定には三社の業者が応募したと聞いています。その三社は先生の所に何度も面会に来ていたそうですが、その時に……」
「その時に何でしょう」
「大変失礼な事をお聞きしますが、その時に金銭を受け取っていませんか」
その瞬間、植草の顔が目尻から顔全体に真っ赤になり、白いフレームが浮き立った。
「なんと……、失礼どころの話ではありませんね。何の根拠があって、病院を預かる立場の私にそんな無礼な質問が出来るのか、あなたの人間性を疑いますね」
植草の眼鏡の奥の目は真っ赤に充血していた。そして独り言のように小声で「たかが探偵が」と呟いた。それは空木にははっきり聞こえていた。
「お腹立ちになる先生の気持ちも分かりますが、私も依頼された仕事ですからご容赦ください。選定から外れた業者の言う話ですから、嫌がらせの中傷かも知れませんね」
植草の怒りに対し、冷静に応じる空木だったが、その怒り方に、萩山ファーマシーの萩山から金銭を受け取ったのは間違いないと確信した。そして、大東京調剤の上阪からはそれ以上の何かを受け取っていると。
「中傷以外の何物でもない話です。誰がそんな事を言っているのかはともかくとして、あなたの仕事はそんな事よりも、この病院の誰かが犯罪めいた事をしているのかを調べる事でしょう。しっかりやって下さい」
「………」
冷静に応じていた空木も、植草の言い方に無性に腹立たしく、この男の真の姿を明らかにしてやりたいという思いが、津波のように押し寄せた。
院長室を出た空木は、息を整えるように「ふー」と息を吐いた。そして、立ち止まった。まてよ、植草は「犯罪めいた事をしている」と言っていたが、それをどこで知ったのか、麻倉から聞いたのか……。