ダンジョンに消えたうちの犬が、なぜか最強ケルベロスになって帰ってきた件
あの日、世界は突然変わった。
ある日を境に、世界各地に「ダンジョン」と呼ばれる異界の穴が現れ、地表がごっそりと抉れた。
ビルの地下からも、山の中腹からも、そしてなぜか俺の住む住宅街の近くにも——まるで地獄の門のように黒く深い裂け目が姿を見せた。
そして、俺の愛犬・モカが消えたのも、その日だった。
「……モカ、帰ってこなかったな。」
モカはメスの柴犬で、人懐っこくて、よく舌を出して笑っていた。
あの裂け目の近くで散歩していたとき、突然モカが吠えながら飛び出し、そのまま深淵の闇へと飲まれていったのだ。
警察も自衛隊も手を出せず、ダンジョンはその後、立入禁止区域となった。
俺はその時、高校生だったが、あれ以来、毎日が少しだけ色褪せて見えるようになった。
それから五年が経った。
日本では「ダンジョン適応者」と呼ばれる存在が現れ、異界のモンスターと戦う人間たちが日常に入り込んでいた。
俺はそんな特別な力もなく、ただの大学生として静かに暮らしていた。
——その日までは。
「……なんだ、あれ……?」
夕方、アパートの前の道路に、異様な“何か”が立っていた。
全身が黒曜石のように光る漆黒の毛並み。
肩まで届く巨大な体。頭が三つ、目が赤く輝き、口元からは青白い火を漏らしている。
誰がどう見ても“魔獣”だった。
「……えっ……ちょ……」
心臓が音を立てる。
逃げようとしたが、脚が動かなかった。
目の前の“それ”は、まるで処刑を告げる使者のように、ゆっくりと、しかし確実に歩み寄ってくる。
そして——
「うわっ!?」
ものすごい勢いで跳躍し、俺に向かって飛びかかってきた。
ドスンッ!!
「がはっ……!?」
地面に押し倒され、息が止まった。
三つの顔が、すぐそこにある。
今にも喉を食いちぎられると思った。死ぬ、殺される、これが最後だ——!
そう思った、その瞬間。
「……え?」
ケルベロスの一つの頭が、俺の首元に顔を寄せ——ぺろ、と舐めた。
そして次の瞬間、もう一つの頭が額をこすりつけてきて、最後の一つが俺の頬に甘噛みのような動作を繰り返す。
「……うそ、だろ……お前……」
その動き。その匂い。体温。尻尾の振動が、地面を叩いていた。
——知ってる。全部、知ってる。
毎朝、一緒に散歩したときの癖。
眠るとき、布団の上でぐるぐる回ってから寝転がる仕草。
そして、喜んだとき、こうやって顔を擦り付ける——
「モカ……?」
右の頭が、嬉しそうに吠えた。
「……嘘だろ……お前……五年も……」
全身が震えた。生きていた。
どころか、ダンジョンでレベリングしたからなのか進化してた。
最強の魔獣になって。
「なんでそんな姿になって帰ってきてんだよバカッ……!」
頬を涙が伝った。
でも、嬉しかった。
もう一度、こいつに会うことができて……。
モカ(ケルベロスVer)は確かにモカだった。
だが、いろいろと問題があった。
・散歩中に近づく野良猫が全滅(吠え声だけで逃げていく)
・宅配便が来るたびに火を吹く(軽く発火)
・夜な夜な家の前をうろつく不審者を“転送魔法”でダンジョンに送る(ニュース沙汰になった)
挙げ句の果てに——
「ちょ、モカ! お前、近所の女の子に“彼女候補では?”ってマーキングするのやめろ! 警察呼ばれたんだぞ!」
三つの頭が「反省してるよ!」「してないけど!」「お前が独占するな!」と、勝手に自己主張を始める始末。
まるで兄弟ゲンカだ。
ちなみに大学のゼミでは「最近、〇〇くんの後ろに“魔獣の影”が見える」と噂され、ついに教授から“祓ってくるか精神科に行け”と助言された。
もう生活はめちゃくちゃだ。
けれど、夜。風呂上がりの俺の隣に静かに横たわって眠るモカを見ると、やっぱり思ってしまう。
——帰ってきてくれて、ありがとう。
「モカ、お前さ……またいなくなったら、俺たぶん立ち直れないぞ。」
「ワゥ」
右の頭が、静かに鳴いた。
三つになっても、最強になっても、お前はモカだ。俺の、家族だ。
ただし。
「だから、お願いだから明日から——人間の言葉は学ぶな。ゼミでお前が代わりに発表したときの地獄、俺まだトラウマだからな!」
「……ワウ?」
「ごまかすなッ!!」
——今日も我が家は、世界で一番騒がしい。