5 全ては目的のため
――1日後。
「ふわぁ~っ」
あまりの眠さに耐えきれなかった私は、特大のあくびをクラスメイトたちに見せることになった。
クラスメイトたちが苦笑いを浮かべ、教室が静まり返る。そんな中、クロスくんが私に、そっと話しかけた。
「……大丈夫か? ……朝の会、もうすぐ始まるけど……」
「ん~? 寝ればいいし、大丈夫だと思うよ~? 平気平気~」
「……ヒカリらしい考え……。でも、今日って確か――」
クロスくんの言葉は続かなかった。
扉の開く音がして、先生が教室に足を踏み入れたからだ。とたんに、クラスメイトたちが話をやめて、席に座っていく。
そのとき、誰かがささやく声がした。
「おい、見ろよ……! 先生と一緒に、誰かいるぞ……!」
とたんに、教室がざわついた。
先生の後ろに続くように、ピカピカのローファーが一歩一歩を刻んでいく。
歩くたびに揺れる髪は、赤のメッシュが入った灰色をしている。毛先がふわっとしたウェーブヘアは、動くたびに、クラスメイトたちの視線を釘付けにしていく。
やがて足を止め、顔を上げると、夕焼け色の瞳が私たちに向けられた。
端正な微笑みを浮かべ続ける彼女は、言葉が出ないほどに美しかった。
「今日から、この2年B組に新しい仲間が加わります」
先生の言葉で、私はやっと納得できた。彼女は、この学校に転校してきたのか。
それと同時に疑問も生まれる。
(あれ、今日って、まだ四月だよね……? 一週間前に始業式があったばかりのはずだけど……)
「四月なのに、って思う人もいるかもしれないですね」
(はい、思いました)
「本当は始業式の日に来るはずだったのですが、色々と事情があって遅れてしまったらしくて……では、マリットさん、一言どうぞ」
黒板に「糸宮 マリット」と書いて、先生はにこっと振り返る。
転校生は、先生を宝石のような瞳で見上げると、ずっと動かなかったツヤツヤの唇を、わずかに動かした。
「……はじめまして。糸宮マリット、です。仲良くしていただけたら、とても、嬉しいです」
彼女は、雪の妖精のような声で言葉を紡ぐと、可愛らしくはにかんだ。
誰もが、あまりの美しさに言葉を失った。
教室にいる全員が、彼女にうっとりと見とれて――
「――あ、というわけで、今日から糸宮マリットさんは2のBの仲間になります。〈ヒーロー〉を目指す者として、皆で頑張っていきましょう! それで、マリットさんの席は――」
先生の声で、私は我に返った。
いけない、ついボーっとしていた。慌てて先生の声に集中する。
「では、ひとりひとり、自己紹介のほうを――」
すると、そんな先生の声を遮って、教室のドアが開いた。
「――すみません、遅刻しました……!」
教室に入ってくる人物を見て、私は思わず目を丸くした。
次の瞬間には、彼の髪の毛がサラリと流れる。
昨日は影になっていたせいで灰色に見えた――銀色が、黒い髪に混じっている。
淡い青色の目を伏せがちにして、彼は口を開いた。
「……おはようございます……。昨日はご迷惑をお掛けしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「「「「「「「「ラプト……!」」」」」」」」
視線が集まる中で、ラプトくんは自分の席に向かって歩いていく。その足取りには元気がない。
(でも、昨日よりかはマシかな)
昨日の彼の怪我は酷かった。昨日あった傷が全て治ったラプトくんを見て、少しホッとする。
彼が座ったのを見て、先生も話を続ける。
「ラプトさん。この学園の2のBに転校してきた、糸宮マリットさんです。今から、ひとりひとり自己紹介をするところで――あ、では、ラプトさんから自己紹介をお願いしても?」
先生の言葉に、ラプトくんは丁寧にうなづき、机から立ち上がった。
「はい。……僕は忍霧ラプトです。ヒーローチーム〈H.A〉に所属していて、副隊長をやらせてもらっています。これから宜しくお願い致します」
彼は、迷いなくスラスラと述べたかと思えば、これ以上ないと思うほどに美しいお辞儀を見せた。そんな彼に、転校生の彼女――マリットちゃんもまた、作り物かと疑うほどに美しい微笑みを返した。
輝くオーラをまとった二人に圧倒されて、クラスメイトたちはため息を漏らす。
「じゃあ、次は、ラプトさんの後ろの席の……ヒカリさんですね」
「ひゃ……わ、私!?」
「はい。どうぞ」
(え、いやいやいや、自己紹介の言葉なんて考えてないって!)
私の額から、冷や汗が流れ落ちる。
慌てて椅子から立ち上がるものの、言葉はまだ決まっていない。
周りから集まる視線。バクバクと音を立てる心臓。それらをつい気にして、一気に冷えていく私の体。
「ヒカリさん? どうぞ?」
「あ、え、え~っと、私は輝光ヒカリです! 昼寝…とチョコが好きで、最短4秒で眠れます! ……えっと、よ、よろしくお願いします……!」
そうやって、ぎこちなく頭を下げる。顔を上げると、にこり、と微笑んでくれるマリットちゃんが見えた。
(良かった……なんとか終わった……)
「じゃあ、次は……ヒカリさんの後ろはいないので、隣のクロスさん、どうぞ」
「えっ、はい……。僕は公亜クロス……。得意武器は――」
自分の自己紹介が終わった安心感で、また眠くなる。
意識を手放す前、私は、昨日のことをぼんやりと思い出していた。
〈H.S〉の仲間たちと開いた、チョコパーティのこと――。
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『ん~絶品~! これ全部私が食べる~っ!』
『うわっ、美味そ……1号だけずるいぞ! 隊長にも食わせろ~っ!』
司令が手作りしたミニチョコを、隊長たちが食べる前に全滅させて、私は感動の声を上げた。
その光景を見守っていた司令は、口元に手を当て、上品に微笑んだ。その拍子に、彼女の水色に輝く長い髪の毛が、美しく揺れる。
『ふふ、嬉しいですわ。わたくし、お菓子作りには少し自信があるんです』
そんな司令を見て、私はあることを思い出す。
――〈H.A〉を助けて戻って来るまでに、時間が全く進んでいなかったこと。
私は『そういえば』と司令に話しかけた。
『あの……司令。……この世界に、”時を操る魔法”って存在しますか?』
『……ん~、”あった”としても、”使えない”って感じですかね。膨大な魔力量を持っていることはもちろん、魔法の発動中は、溢れる精密な魔力を一定の間隔で出し続け、本来の時間に支障を与えないように、完璧で正確に制御しないといけませんから』
『そうなんだ……』
司令に気付かれないように、私は小さくため息をつく。
時間に関わる魔法を使える人なんて、そうそういない。
(やっぱり、気のせいだよね……)
そう思ったときには、視界が白くかすみ始めていた。
『――まあ、世界に一人だけいますけどね。時魔法を使う人』
私に司令のつぶやきは届かないまま、夢は終わった。
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ベチッ!
「痛っ! な、なに!?」
「……起きろって何回言っても起きないから……」
突然の痛みに、バッと起き上がると、いつも通り無表情のクロスくんがため息をついていた。
(……私、いつの間にか寝ちゃってたみたい……)
「クロスくん、私を起こすとき何したの? さっきからずっ~と、おでこの辺りがジンジンして痛いんだけど……」
「……デコピン」
「ええ……? デコピンって、こんな痛かったっけ?」
「輝光ヒカリ、公亜クロス。うるさいですよ」
「へっ? あ、はい」
「……はい」
先生に注意されてしまて、変な声が出てしまった。
小声で、クロスくんに不満をぶつける。
「……もう……クロスくんがデコピンで起こすから……怒られちゃったじゃん……」
「……そもそもの話、ヒカリが寝たのを起こそうとしただけだし……。僕は、ヒカリの言葉に答えてただけ……話しかけてはない……」
「うっ……」
反論された私は、クロスくんから逃げるように視線を外した。
そのまま周りを少し見渡してみる。ちょうど自己紹介が終わったみたいだ。
「マリットさんが前にいた学校は、魔法英雄科専門の場所ではなかったのですよね?」
「……はい。それで、はずかしながら、〈ヒーロー〉についての専門的なことは分からなくて……」
「大丈夫ですよ、これから少しずつ学んでいきましょう。基本的なところだけ説明しますね。他の皆さんも、おさらいだと思って一緒に聞いていてください」
(説明か……途中から眠ってても良いかな……)
周りの人にバレないように気を使いながら、私は小さくあくびをした。
「ここ、マジャルティ学園は、魔法英雄科専門中学校――魔王を討伐する〈ヒーロー〉を、三年間で育てる学園です。皆さんは、英雄科第一試験に合格して、ここに来ていますね。英雄科第一試験に合格すると、半人前の〈ヒーロー〉として現場に出ることができ、英雄科第二試験にも合格すれば、プロの〈ヒーロー〉として正式に認められます」
そこで一旦、先生は言葉を区切り、マリットちゃんに視線を注いだ。
マリットちゃんは、それを察して、大きくうなづく。
「そして、英雄科第一試験を合格した人には、強さによって”ランク”というものが与えられます。ランクは大きくD~Aまであり、D-からスタートし、D、D+、C-……と上がっていきます」
先生がそう言うと、一人の生徒が手を上げた。
「先生! Sランクを忘れています!」
「……Sランクは常設のものではないですよ、ハルトさん」
「で、でも……噂では、”Sランク昇格試験”というものがあって、そこで頑張れば、Sランクや、最高ランクS+にもなれるかもしれない、って……」
「ですが、Sランクは、A+ランクの遥か上の実力を持つ――特に飛び抜けた一握りしか、なることはできませんよ。憧れるのは良いですけど、Sランクになることが終わりではなく、魔王を討伐することが〈ヒーロー〉の一番の目的であること、忘れないように」
「……はい!」
先生とクラスメイトとの話を聞き流しながら、私は目をこする。
私は現在、強い眠気に襲われている。あくびを我慢するのも、そろそろ限界だ。
そのとき。
「大変だ! 国王陛下がお見えだぞ!」
その叫び声で、私の眠気は完全に飛んでいった。