陰る行き先
星あかりも僅かな夜空の下、闇を隠れ蓑に人の像が崖を登る。
鈍い光沢を帯びた全身スーツを身にまとい、ライフルを背負った銀髪の女。
彼女───ミラージュが崖を上りきると、直後やってきたサーチライトの閃光が迫る。
すぐさまその場に臥せると、光をやり過ごしたミラージュはおもむろに姿勢を起こし、まばゆい光源のある方向を双眼鏡越しに見やった。
分厚いコンクリート壁に囲まれた巨大な施設。
いや、人間の目線では巨大なだけだ。
荒野での活動のほとんどがトレーサーかMHで行われる現代において、二十メートルサイズの壁は巨大の範疇に含まれない。
そんな壁───には向かわず、左手の方に見える切り立った高い崖へ匍匐前進で向かう。
時には四足の獣のように、あるいは尺取り虫。壁上からの目線を伺いつつ匍匐の種類を使い分ける。
道中差し掛かった地雷原を横切り、とサーチライトの目を掻い潜って崖にたどり着いたのが三時間後。
ミラージュは一番高い崖際より、すこし隣にある窪地に身を埋める。
壁には外との出入り口として巨大なシャッターが設けられているが、双眼鏡で見た限り長い間、開閉された形跡がない。そもそも電源が入っているかも怪しいほどだ。
そんな防壁のてっぺんには黒いマッスルスーツに身を包んだ戦闘員が見張りとして立っている。
全員が均等に並んでいて、微動だにしない。
戦闘員がレザレクション・スペルの工房へ突入してきた連中と同じ装備をしていることに気付いたミラージュは、あれもレプリカントだろうと察して一切の動きを止めた。
殆ど光源が無い環境下でもレプリカントの視覚と聴覚を欺くことは難しい。
現にミラージュは、星明りの無い闇の中で周囲の状況をハッキリと認識している。
岩の起伏と一体化したミラージュが、双眼鏡越しに防壁の内部を見下ろす。
いくつかの建物と、その奥に見える地下へのシャッター。
防壁内の宇宙港に着陸した宇宙船が貨物室のハッチを開くと、分割されたマシーネ・ヘッドのようなものがフローターの荷台に乗せられて地下に繋がるシャッターへ吸いこまれていく。
「ここですね。ミコノ様が連れてこられる予定だった施設は......」
ミラージュが独自の情報源を通じて得た話によれば、誘拐されたミコノの同胞たちはこの場所へ輸送される手筈だった。
ここに連行される直前に、ミコノは機関の手から脱出したのだ。
脱走は間違いなく英断だった。この星はハビタブルゾーンではないからだ。
気圧はあるが、酸素がない。そのことを思い出して、ミラージュはマスクの酸素残量を確認する。
きっとこの施設にはミコノの同胞たちが囚われている。
あわよくば内部に潜り込みたかったミラージュだが、あの警備の中を突っ切るのは自殺行為だ。
酸素残量も折り返し。
引き際を自覚したミラージュはそろそろと撤退しようとした。
だが、その時である。
手元に小さな蟹を見たのだ。
その瞬間、悪寒が全身を貫いた。
アルゴンとヘリウムが大気のほとんどを占めるこの環境で蟹などいるわけがない。
蟹の目が赤色に鈍く光っている。
それが侵入者を監視する小型ドローンだと気づいたときには、すでにサーチライトの光源がミラージュの姿を照らしていた。
「くッ! ご当主に伝えなければ!」
すぐに立ち上がって脱出用MHを隠している場所に駆け出そうとしたミラージュだったが、拠点内部から飛び出してきた三機のトレーサーが放つブースターの爆風に煽られてその場に突っ伏してしまう。
≪登録外のレプリカントを制圧。了解、捕縛します≫
爆風に倒されたミラージュは何とか立ち上がろうとしていたが、すぐに巨大な鋼の手が彼女を覆った。
* * *
惑星シュターデ、スフォルツァ・セキュリティ社の会議室でノエルは屈強な社員たちを前に、モニターに映し出された情報について説明していた。
「ミラージュが偵察した情報によれば、インフォーリング機関の拠点はこの惑星ネアンに置かれている。ここには依頼人の提示する目標が囚われていると推測される」
大きな画面に映し出されているのは、惑星ネアンと呼ばれる岩ばかりの星の、北極地点である。
ソレスは存在せず、機関の拠点は防壁を境に地上設置型携帯ソレスによって部分的な活動圏が構築されているのみ。
拠点を囲う壁を出るには持続的な酸素の供給が必要である。
防壁の構造は、徹底して内から外への逃走を阻止する形態をとっていた。
ノエルによって説明される内部の構造や敵戦力についての詳細は世辞にも具体性があるとは言えず、眉をしかめた赤髪のジェフは全員の意見を代表する形で訊ねた。
「ちょっと待ってください? この段階で襲撃を仕掛けるんですか? もう少し偵察を重ねた方が───」
同じ意見だったミラベル・スフォルツァは腕を組んでノエルを睨んでいたが、彼の顔面が蒼白に見えるのは部屋の明かりを落としているせいではないと気づく。
「グレイ伯爵。何があった」
ノエルとミラベルは幼馴染だが、仕事として接するときの彼女はノエルをグレイ伯爵と呼ぶ。
彼女の家系もヘルネハイムに由来するというが、スフォルツァは代々グレイ家に仕えてきた騎士階級であったからだ。
そのミラベルに焦りを見抜かれたと思ったノエルは、作戦を急かす理由を吐き出した。
「この情報を収集していたミラージュが連中に捕らえられた。いま表示している情報は、彼女が捕らえられる寸前に送ってきたものだ」
そう説明すると、会議室の空気がシビアになった。
誰も声には出さなかったが、これまで微動だにしなかった筋骨隆々の男たちが身じろぎしたから、そういう空気に切り替わった。
ノエルが外出するときは、その護衛としていつもミラージュが傍についていた。
だからスフォルツァ・セキュリティ社の連中にも面識があるが、それ以上に惑星シュターデに住む人々は狭いコミュニティで結束されている。
特に旧国家跡の惑星ではその傾向が強い。
「僕としても完全な情報を得たいが、そういう状況ではなくなってしまった。そこで僕からあなた方へ依頼を出す」
「了承した。それでウチは何を出せばいい」
「そちらからはヘリボーン部隊を二つとマシーネ・ヘッドを二機使いたい。それぞれの戦力を扱う想定について、これから説明する」
焦る気持ちが心臓を縛るストレスに変わるが、ノエルは冷静なフリをしながら何とか作戦会議を推し進めた。
* * *
インフォーリング機関に捕らえられてから五時間後───。
尋問室の内部は銀色をしたコンソール台と強化ガラスの窓ばかりで、まるでひと昔前の宇宙船のような意匠をしている。
目が覚めた時には隣にある強化ガラスの檻に入れられていて、施設内部の様子を確認することは叶わなかった。
そんな場所に投獄されていたミラージュは、その後やってきた尋問官を名乗る黒いマスクの男によって電撃台に磔にされていた。
すでに何度か電撃を用いた尋問に耐えた後である。
悪趣味なのは、台を天井から照らす巨大な無影灯だ。
台が倒されるたびに、無影灯のまばゆい輝きに視界が潰される。
「いいか~い? 君がミラージュタイプのレプリだということは把握しているのだよ。民生用の痛覚系は人間と大差ないってことは、君が一番よ~く理解しているはずだがね」
それが意味すること。
つまり、電撃はウォーミングアップに過ぎない。
ここで吐かなければ、本格的な趣向に移るという脅しである。
本来、レプリカントには外部から記憶にアクセスする方法が用意されているものだ。
だが、ミラージュのような高級モデルの場合はその限りではなく、高度な精神プロテクトが施されている。
故に、高級レプリカントへの尋問は人間と同じ方法が用いられる。
電撃台の右後方、尋問室には一つだけ開いたことがないスライドドアがある。
痛めつけはあっちで行われるのだろう。
ここで見たこと聞いたこと、あるいは脱出のための小道具を隠し持てないよう、服と下着はすべて脱がされていた。
だから意識を保ち続け、尋問官が有益な情報を溢せば聞き逃さない。
「話を戻すが、君のご主人様は誰だね。次がラストチャンスだと思ってくれていい」
その話で言えば、尋問官はさっそく情報を提供してくれている。
彼は自分の雇い主が企業であることを想定していない。
なんらかの怪しい実験をしているマッドサイエンティスト集団ともなれば、企業たちはその成果を横取りすべく躍起になるものだ。
そういう事例は、国家残党狩りとしてさんざん行われてきたことだ。
だから、彼らが警戒するとしたら企業勢力の目である。
にもかかわらず、尋問官はそういう聞き方を全くしてこない。
企業をご主人様という表現に変換しているわけでないことは話しぶりからわかる。
では、彼らは何を警戒しているのか?
それが掴めたなら、インフォーリング機関の正体についてもわかるはずだ。
「しかしミラージュタイプは美しい身体をしている。素晴らしいデザインだ。君、股下は何センチかな?」
ミラージュが顔を背けていると、尋問官は彼女の股間をまさぐった。
いやらしい手つきに撫でまわされる感触を無視していると、そういう方向性も通用しないかと諦めた尋問官はコンソールへ向かう。
「さーて通告通りの四回目、これが最後の電撃だ! 行くぞぉ~!」
ミラージュの身体を再び電撃が襲う。
ブラックアウトを駆るノエルの姿を脳裏に浮かべ、それを精神の拠り所に今はただ耐え続けた。
世界観小話
『ブラックアウトの頭部デザイン』
ブラックアウトに限らずヘルネハイム系列マシーネ・ヘッドは、センサーアイが左側に限定され、一つの眼孔に複数のセンサーが搭載された複眼である。
複数のセンサーは周囲の状況を立体的に認識するためのもので、ほとんどのマシーネ・ヘッドがこの方式を採用し、視差によって敵機との距離を測る。
では、ブラックアウトの右側頭には何が搭載されているのかという疑問だが、ここはエネルギー計測器が占有している。
これは対消滅バリアで発生したエネルギー量を測るための装置であり、ヘルネハイム系列機体はこの装置の搭載によって同時代の機種と比較するとバリア強度が高かったとされる。
本来、このようなエネルギー計測装置は武装の枠を一つ潰して搭載するのが基本だが、王国騎士団は設計を徹底的に見直して頭部パーツ内に組み込んだ。
騎士団の基本戦術は高機動と瞬間火力である。
機動性を確保したことによる軽量化で弱体した装甲強度を補うべくバリアを強化する必要に迫られたが、武装枠を一つ潰すことで低下する火力を嫌った騎士団は、最終的にこのような設計思想に行き着いた。
この構造は赤白黒の三騎士団、ひいては一般兵用の量産型マシーネ・ヘッド、ブラウンアウトにも用いられた。