教皇
白神教の総本山たる大聖堂。そことはいくつもの建物が連なる集合体として形成されている。
そして、大聖堂の中心部に位置するのが礼拝堂である。白の神ブロンシュ様の石像が祀られており、祭事の際等に利用される大部屋となっている。
そんな礼拝堂へと、マリーさんは堂々と踏み込んでいく。ノックも何もなく、バタンと勢いよく扉を開きながら。
「親父殿! 待たせたね!」
突き進むマリーさんに従い、私達も中へと踏み込む。そして、礼拝堂の奥にお爺様の姿を確認した。
深く皺の刻まれた厳めしい顔。齢六十を超えても真っ直ぐな姿勢。豪華な白い法衣を纏う、威厳溢れるその姿。
彼こそが教皇アルフレッド=ホーネスト。白神教の最高権力者である。
「……マリーか。待っていた」
お爺様がじっと私達を見つめていた。例え私が身内と言えども、その鋭い眼差しには緊張感で背筋が伸びる。
しかし、マリー様は動じた様子が無い。ズンズンと突き進むその後ろ姿に、私達は冷や冷やしながら付き従った。
「約束通り、戻って来たよ!」
「ああ、私の『目』から報告は受けている」
お爺様の『目』とは、お爺様が子飼いにしている諜報部隊の事だろう。白神教の組織とは別に、数名のエリートだけで構成された部隊があると聞いた事がある。
勿論、それは公にはされていない部隊である。先日潰れた『死の番人』とは違い、市井では噂にすら囁かれていない本当の裏組織というやつだ。
人数が少ないので、本当に重要は場所にしか配置されていない。その内の一部が、マリーさんの行動を監視していたと言う事なのか……。
「ふむ、関係者は揃っているか。ならば、全てをここで話すのだな?」
「そういうことだね。ちゃんと人払いはしてくれてるみたいだしね!」
マリーさんの言葉でハッと気付く。礼拝堂の中には人の気配が無かった。
お爺様は最高権力者である。例え礼拝堂の中とはいえ、従者の一人も居ないのは不自然だ。
恐らく、マリーさんの来訪を知って、状況を整えたのだ。他の人には聞かせられない、極秘の話をする為に…。
――そこで私はふと気付く。
この場にはお爺様とマリーさん。それにプルート伯父様とお父様。それから『聖女』たる私。
教皇一族である人間は居て良いのだろう。しかし、そうでないライトとレフィーナは、この場に居ても良いのだろうか?
私が不安にソワソワしていると、お爺様の視線が背後の二人に向けられた。
「……アルフォート家の子達だな。お前達はローラの為に、その命を捧げられるか?」
「――勿論で御座います! 聖下!」
「我々の命はローラ様の為にあり!」
その問いに、即座に応える二人。教皇であるお爺様への言葉は、神への宣誓にも似た者のはず。
破ったからと神罰は下らないだろう。しかし、その言葉を違えれば、今度こそ白神教での地位を失う。
そんな二人の覚悟を知り、お爺様は小さく頷く。そして、話は終わったとばかりに、マリーさんへと視線を戻した。
「マリー、何から話せば良い?」
「う~ん、そうだね~。まずは『強欲の厄災』の正体からかな?」
その言葉に、お爺様は頷いた。そして、マリーさんの指示に従い、私達への説明を始めた。
「ここに居る者ならば『呪いの厄災』は知っているな? 五百年前にこの国を滅ぼさんとした、人類の天敵とも言うべき存在について」
教皇の一族ならば、当然ながら知っている。私達の祖先が討伐を指揮した教皇であるのだから。
そして、ライトとレフィーナも知っている。私の熱心なファンである彼等は、私に関わる知識は何でも知りたがるからだ。
「今から六十年程前に、この国に再び『厄災』が生まれた。人々の『欲望』を肥大化させ、自らの眷属とする力を持った者だ。この者が力を振るっていれば、この国は五十年程前に滅んでいただろう」
「「「――っ……?!」」」
マリーさん、お父様、私は事前に聞かされている。なので、その説明に驚く事は無かった。
しかし、プルート伯父様、ライト、レフィーナは息を飲む。驚きのあまり言葉も出ない様子であった。
「しかし、それにいち早く気付いたのが、この地で祀られる光の精霊王様であった。精霊王様はその者の力を封じ、『厄災の芽』が育たぬ様になされた。それと同時に、私へと『光の代行者』という加護を与え、『厄災』討伐の準備を進める様にお命じになられたのだ」
マリーさんとお父様が頷いている。その話を知り、準備に協力していたからだ。
しかし、その姿を見たプルート伯父様が呆然となる。三兄妹の中で自分だけが知らされていなかったからだろう。
「『厄災』の力は封じされていても、力は緩やかに成長していた。更に厄介な事に、彼女は教皇以上の地位にいた。それ故に、私は自らの加護を隠し、『厄災』討伐の準備を隠し続けねばならなかったのだ」
「ち、父上……。その、彼女というのは一体……?」
プルート伯父様がお爺様へと尋ねる。その表情は、信じられないと言わんばかりだった。
私達はマリーさんから既に聞かされている。そして、お爺様の告げた、その人物とは……。
「元リーンフォース家の公爵令嬢。そして、現国王の生みの親。『国母』グリ―ディア=フォン=パールこそが、『強欲の厄災』なのだ」
「そんな、まさか……」
プルート伯父様の顔が蒼白となる。そして、最悪の事実にガタガタと身を震わせていた。
プルート伯父様の気持ちは私にもわかる。『国母』グリ―ディア様が『厄災』等、本当に最悪以外の何ものでもない。
王侯貴族の全てと繋がり、国王すら傀儡とする人物。表立って活動する事は無いが、この国でその恐ろしさを知らぬ者等居ないのだから。
お爺様はプルート伯父様を見つめる。悲しそうに眼を伏せると、彼に対して頭を下げた。
「許せ、プルート。彼女を欺き、我々を取るに足らない組織と思わせる為に、お前にも道化を演じさせた。お前が増長したと思わせ、『強欲の厄災』に御しやすい存在と思わせる必要があったのだ。私がそうなる様に、周囲に指示を出していた」
「「「…………」」」
プルート伯父様、マリーさん、お父様は沈痛な面持ちだった。例え必要があったからと言え、それが伯父様の人生を狂わせたのは確かだ。
狂わせたお爺様を責める訳にも行かない。誘導されたからとて、横暴な振る舞いを行ったのは伯父様自身の責任でもある。
とはいえ、強いて言うなら悪いのは『強欲の厄災』だ。そう思うからこそ、この場の誰もが何も言えなかった。
「――そして、アルフォート家の子等よ」
「「――あ、はい……!」」
お爺様の視線がライトとレフィーナに向く。他人事だと思っていた二人は、さぞかし慌てた事だろう。
お爺様はそんな二人を咎めるでもなく、ただ真摯に頭を下げた。
「アルフォート家を潰した事を謝罪する。あの時は『強欲の厄災』が、アルフォート家を面倒な存在と認識していた。そのままにしていれば、彼女の手が白神教内に伸びる可能性があった。それを未然に防ぐ為とは言え、本当に済まない事をした」
「なるほど……。そういう事情でしたか……」
ライトがポツリと呟いた。事情を知った彼は、怒る所か安堵の笑みを浮かべていた。
それは自分達が冤罪だと、教皇自身が知っていたから。お爺様が頭を下げた事で、彼等の誇りが守られたからなのだろう。
そう思っていたら、レフィーナが微笑みながらこう告げた。
「我らが神の思し召しです。それに我々は既に、ローラ様に救われております」
「そうか……。そう言って貰えると、私の心も軽くなるというものだ……」
お爺様がニコリと微笑む。そして、その笑みを見た一同がギョッと目を剥く。
教皇としての威厳があり、誰よりも我欲の強い人物と思われていた。誰かに優しく微笑むなんて、白神教徒の誰もが信じられない光景だったのだ。
けれど、お爺様に対する私のイメージは粉々になった。その笑みを見れば、本当は心優しい人なのだと一目瞭然だったからだ。
そして、私はふとマリーさんの視線に気付く。彼女は父親を自慢するかの様に、胸を張って満面の笑みを浮かべていた。
私はその姿にくすりと笑い、私のお爺様でもあるのですよ、と視線と微笑みで返してみせた。