光の勇者
ガーネット王国での四日間は実に有意義だった。ソリッドと過ごす穏やかな日々は、何物にも代えられない時間だったと思う。
けれど、楽しい時間にも終わりはある。僕とソリッドはパール王国へ帰るべく、馬車の停まる城門へと向かっていた。
「本当に名残惜しいね。また、こういう旅が出来たら良いんだけどね」
勿論、僕にだってわかっている。僕がクーデターを起こせば、そんな機会は二度と来ない事は。
勝てば僕は救国の英雄となる。今回みたいに自由な旅なんて、ソリッドと一緒に出来る訳が無い。
逆に負ければ国家転覆を狙う逆賊となる。生きていられるかも怪しいものだね……。
そんな内心は隠し、僕はソリッドに視線を向ける。すると、彼は沈痛な面持ちで僕へと尋ねて来た。
「……なあ、アレックス。今のままでは駄目なのか?」
その問い掛けに、僕は思わず足を止める。そして、ソリッドと真っ直ぐ向かい合う。
この四日間、ソリッドが思い悩んでいた事は知っている。けれど、この問いかけは、最後まで行われないのではと期待していた。
僕は期待が外れて内心でガッカリする。出来る事なら、最後まで楽しい旅で終わらせたかったんだけどね。
「うん、駄目だよ。今のままでは、この苦しみはずっと続いてしまう」
白を崇めて黒を貶める。それに伴って、ソリッドが虐げられる。僕はそんな環境を認める訳には行かない。
ソリッドは口では平気だと言うだろう。けれど、彼が実は傷付きやすい性格だって、僕は良く知っているんだ。
弟が内心で悲しい思いをしている。そんな状況を見て、僕の心も苦しくなる。何もしなければ、この状況はずっと続いてしまうんだ。
だから、僕は止まれない。僕はこれからも大切な弟の為に、戦いを続けなければならないんだ。
「……けれど、俺はアレックスの傷付く姿を見たくない。お前には幸せで居て欲しいんだ」
ああ、やはりソリッドは優しいな。僕が幸せでいられるなら、自分が傷付いたままで良いって考えているんだろうね。
けれど、その気持ちは僕も同じなんだ。ソリッドが幸せになる為なら、僕は血塗られた道を望んで付き進んで行けるんだよ?
「まるで、僕が不幸になるみたいな言い方だね? 僕としては、そんな予定は無いんだけど?」
爽やかな表情でソリッドに微笑みかける。多くの人達から望まれる『勇者』としての笑みを。
けれど、それを見たソリッドは、グッと拳を握り締めた。無表情なはずなのに、何故か泣きそうな雰囲気で僕を見つめる。
「……俺では、駄目なのか? お前の力になれないのか?」
魔王軍との戦いの中で、ソリッドの事は良く理解した。僕が何かを思い、その素振りを僅かでも見せると、彼は全てを察して行動する。
ほんの僅かでも感情を見せれば、僕が望む様に動いてくれる……。
――だから、彼にはこれ以上、何も見せてはいけないんだ。
きっと彼なら、僕の計画を阻止しようとする。そして、彼なら僕の行動を阻止出来てしまうはずだ。
悲しそうな彼の姿に、僕の胸が締め付けられる。それでも僕は、変わらぬ笑みで彼に告げる。
「うん、今は必要ないんだ。けれど全てが終わったら、その時は全てを話すからさ?」
僕のこの行いを、君は悪と断じるだろうか? 僕を糾弾する日が来るのだろうか?
もしそうなら、僕は全てを受け入れよう。他の誰でも無い、君からの罰なら喜んで受け入れよう。
だから、今は耐えて欲しい。何も話せない僕の事を、どうか許して貰えないだろうか……。
「お前の力になるため……。お前を守る為に、俺は強くなったんだ……」
悔しそうに絞り出すその声に、僕の心が揺れるのを感じた。彼をここまで悲しませて、それでもこの行いは正しいのだろうか?
しかし、その疑念はすぐに振り払う。これは僕が決めた事だ。何があっても成し遂げると誓ったんだ。
「うん、知っている。僕はソリッドに、とても感謝しているよ」
誰よりも大切な弟だと思っている。戸籍が違おうとも、血の繋がりが無かろうとも、それでも大切な弟なんだ。
そして、僕の心が弱いからだろう。どんな些細なものであっても、彼との繋がりを求めてしまうのは……。
勇者パーティー『ホープレイ』。それは、ほんの思い付きで始めた活動だった。
けれど、あの過ごした日々が、僕には掛け替えのない思い出となった。あの黄金の日々だけは、どうしても手放したくなかったんだ。
だから、無意味な事だとわかっていた。それでも僕は、『ホープレイ』の解散も、彼の脱退も認める事が出来なかったんだ……。
僕とソリッドは互いに掛ける言葉を失う。そして、静かに向かい合っていると、不意に微かな風が頬を撫でた。
――ゾクリ……。
奇妙な悪寒が背中を走る。そして、戸惑う僕はすぐに気付く。ソリッドも同じような戸惑いを感じていることに。
初めての感覚に僕達は顔を見合わせる。すると、城門から向かってくる人影が、こちらに声を掛けて来た。
「――ふふふ、心配は無用です。アレックス様は私が守ります」
僕とソリッドが声の方へと視線を向ける。歩み寄る人物はエリスで合った。銀の鎧に身を包んだ、従騎士姿の彼女が微笑んでいた。
「必ずお守り致します。何が来ようとも、私の命に代えてでも」
エリスは胸に手を当て頭を下げる。それは主君に対する、騎士としての礼であった。
騎士団長の娘であり、侯爵家の令嬢でもある。その礼は姿勢も良く、実に美しい所作であった。
「例えそれが、あの『厄災』であろうとも、次は必ず……」
頭を下げているので顔は見えない。しかし、今の彼女は笑っているのだろうか?
これまでに感じた事が無い程に、不気味な気配が滲み出ている。これまでの狂気とは、似て非なる気配だと感じるのだが……。
――ピピ、ピピピ!
唐突に鳴り響く音に、僕の心臓がドキリと跳ねる。しかし、それがすぐに魔導デバイスの呼び出し音だと気付く。
ポケットから魔導デバイスを取り出すと、掛けて来た相手はパッフェルだった。普段はメールが多いのだが、もしかすると緊急の要件だろうか?
「――もしもし、パッフェル?」
『ああ、よかった! 繋がった!』
声の様子からは安堵の気配が伝わって来た。やはり、どうも緊急の要件みたいだね。
チラッと視線を向けると、エリスは顔を上げていた。狂気を感じない、普通の状態みたいだ。こちらはどうも、急ぎの対処は不要らしい。
「どうかしたのかな? 通話は珍しいけど……」
『ソリッドは一緒だよね! 急いで伝えて欲しいんだけど!』
どうも、ソリッド宛の内容らしい。ソリッドとの旅は伝えていたので、それで僕に掛けて来たみたいだね。
そして、僕は魔導デバイスをスピーカーモードに切り替える。その事をパッフェルに伝えると、彼女は深刻そうな声でこう叫んだ。
『ソリッドの弟子の半獣人の子! あの子の命が狙われてるの! 一刻も早く戻って来て!』
「何だと……?」
ソリッドの弟子? 半獣人の子? それはとても興味深い話だね……。
ただ、話の内容は穏やかでは無い。今はそれを詳しく聞ける状況でも無さそうである。
ソリッドは目の色を変える。ピリリとして空気を纏わせると、パッフェルに向かってこう答えた。
「わかった。今すぐ王都へ戻ろう」
僕はやれやれと肩を竦める。久々に見た、本気モードのソリッドである。
こうなる様にパッフェルが焚きつけた。ならば後は、ソリッドが何とか出来るのだろう。
この後の彼の活躍には興味を引かれる。しかし、それは僕とは関係が無い物語だ。
僕に出来ることは、ただソリッドの健闘を祈るのみだった。