アレックス、十八歳の記憶
僕の参戦から三年が経った。劣勢だった状況は逆転し、今では人族が逆に魔王領へと進軍を開始している。
当然ながら、それは僕達の活躍によるものである。それと同時に、活躍を続ける僕はその地位が向上し続ける訳で……。
「ああ、忙しい……。ソリッド達と冒険がしたい……」
「そうですね……。ここ最近は籠りっきりですし……」
とある拠点の執務室内。僕とローラは並んで事務仕事に従事していた。
僕は戦地では将軍の代理的な位置にいる。それもあって、嘆願書や決済等の事務仕事を処理せねばならなかった。
ローラはローラで白神教の高僧である。神官関連の仕事は全て彼女に裁量が委ねられる。詳しくはわからないが、いつも書類を前に顔を顰めているね。
僕が望んだ事ではあるけど、偉くなると自由が利かなくなる。書類仕事だけでなく、会議やパーティーへの参加等、顔を出す場所も多くなる。
そういう意味ではローラの存在はありがたかった。常に僕の傍に付いて、僕のサポートをしてくれる。彼女が居なければ、どこかで行き詰っていたかもしれないね。
「ふう……。少し休憩にしようか……」
「承知しました。お茶を用意しますね」
ローラも疲れていたのか、ホッとした表情で頷く。そして、いそいそとお茶の用意を始める。
お茶くらいは僕が淹れても良いし、人を使っても良いんだけどね。それは自分の役目だと、ローラ自身が望むので好きにして貰っているんだよね。
「今日のソリッドは何をしてるのかな……? また、ドラゴン狩りとかかな……」
「案外、薬草採取かもしれませんよ? 人助けをしている方が多い方ですから」
僕の呟きにローラが反応する。その表情は穏やかで、ソリッドに対する信頼が伺えた。
それもそのはずで、僕達四人は二年前に勇者パーティー『ホープレイ』を結成したのだ。お互いの親睦を深める意味でも、これは実に良い取り組みだと自負している。
妹のパッフェルが羨ましいとか、僕が冒険をしてみたかったとか、そういう理由で提案した訳では無い。互いを知る為に必要と思い、僕から皆に提案したのである。
それに冒険者としての活動は、僕とローラにとっては癒しの時間でもあった。殺伐とした戦場と、ドロドロした人間関係に荒れた心を、のびのびとした慈善活動で癒すのだ。
ただ、最近は忙しくなり過ぎて、その時間も中々に取れないんだけどね……。
「ああ、僕も冒険したいなぁ……。この戦争が早く終わればなぁ……」
「……そうですね。平和な時代となれば、叶う願いかもしれませんね」
回答まで僅かな間があった。ローラの表情は笑顔だが、それは無理して作ったものに見えた。
恐らく彼女も気付いているのだろう。戦争が終わっても、僕達が自由に冒険出来る日は来ないと。
戦争が終われば、僕達は更に忙しくなる。勇者である僕と、聖女であるローラは、この先も自由な日々などやって来る事が無いのだと……。
僕は差し出されたお茶を手に取る。そして、静かにカップへ口を付け、お茶の香りを楽しんだ。
「……うん。それでも、正しい世界の為だからね」
僕は小さな声で呟く。ローラに聞こえるかどうかという程度の小さな声で。
何せその意味が、僕と彼女では違う。彼女の戦う理由は、戦争を終わらせ、人族にとっての平和な世を迎える事にある。
しかし、僕は戦争が終わった後、もう一つの戦争を始める予定なのだ。パール王国の腐敗を正す、革命と言う名の戦いを。
そう思っていたのだが、ローラから想定外の質問が飛んできた。
「もしかして、アレックスは原点回帰をお望みなのですか?」
「原点回帰……?」
聞きなれない言葉に、僕はローラへ問い返す。するとローラは意外そうな表情を浮かべた。
「アレックスの行動は、白の神ブロンシュ様の言葉を元にしている様です。これは白神教の中でも少数派の、原点回帰派の考えに近いと思うのですが……」
「ああ、白神教内の派閥の話か」
白神教は千年を超える歴史ある宗教である。それ故に考え方も派生し、今では大きく三つに分かれている。
一つが穏健派。これは全体の六割程の派閥で、教皇を中心とした一派。現状維持を良しとする考え方をしている。
もう一つが革新派。これは三割ほどの小さな派閥である。教義の理解を深め、世界をより良くして行こうという考え方をしている。
最後が原点回帰派。一割程が居るらしいが、人前に現れる事は稀だ。これまでの教義を否定し、聖典の言葉に立ち返ろうという考え方である。
「意識した訳ではないけど、確かに行動は近いのかもね」
「意識した訳では無かったのですか……」
ローラが微妙な表情を浮かべる。原点回帰派であっても困るが、そうで無いのも反応に困るらしい。
何せ僕が原点回帰派だと、白神教内の勢力図が変わりかねない。ローラの一家が所属するのは革新派だ。その勢力が大きく落ち込む可能性があるからね。
なので原点回帰派で無いのは望ましい事だと思う。とはいえ、それだと僕の行動が良くわからないと言った所だろう。
なので、ローラへと僕の考え方を説明する事にした。これは僕自身も、自分の考えを整理する意味もあった。
「原点回帰派は、聖典に書かれてる内容に従う人達だよね? でも、僕はその考えに共感はしても、聖典に書かれているから正しいとは思っていないんだ」
「……それは、どういう意味でしょうか?」
僕の説明にローラが首を傾ける。その違いが良くわかっていないのだろう。
僕はこれまで何となく感じていた思いを、頭の中で整理しながら言葉にする。
「目の前で虐げられている人とするでしょ? それを助ける理由は、聖典にそう書かれているから? 原点回帰派の人達なら、それを正当な理由とするよね?」
「恐らくは、その通りかと」
ローラは何の疑いも無く頷く。それが当然の事だと考えているみたいだね。
「だけど、僕はそうじゃないと思うんだ。目の前で悲しんでいる人がいる。それを助けたいと思うのは、心の奥底から湧き上がる思いなんだ」
「心の奥底から、湧き上がる思い……?」
僕の言葉にローラが動揺を見せる。何やら心の内側で、葛藤が起きているみたいだった。
彼女が何を感じたのかは、僕にはわからない。だけど、僕は自分の思いを最後まで言い切る事にした。
「神様に言われたから、僕は人を助けるんじゃない。僕自身がそうしたいと思うから、困っている人達を助けるんだ。きっとそれが、僕と原点回帰派の違いだと思うよ」
「…………」
原点回帰派の人達が聞いたら怒りそうな内容だね。白神教の神官とはいえ、相手がローラだからこそ話せた内容だと思う。
もし、他の白神教徒が聞けば、神を愚弄する発言と取る人も居るだろう。それぐらいに危険な発言だと言う自覚はあった。
ただ、ローラは僕へと叱る訳でも、苦言を呈するでもなく、ショックを受けた表情でこう告げた。
「アレックスは……。自らの正義の為に、戦っているのですね……」
「うーん、そういう言い方も出来るのかな?」
僕の思いは、世界にとっての正義ではない。それでも、確かに僕にとっては正義なのだ。
だから普段から僕自身は、人々が望む偽りの正義を装っている。世の正義の為に戦う姿を、人々に対して示しているのだ。
僕は自分の事を、勇者を装る者だと自覚している。それでも、世の人々は僕を『真の勇者』と認識しているんだ。
「少し、頭を冷やしてきます……」
「うん、わかったよ」
ローラは思い悩んだ様子で席を立つ。そして、呆然とした姿で、部屋の外へ出て行った。
僕はその姿を見送り、懐から一通の手紙を取り出す。それはエリスから届いた報告書である。
「あちらも上手くやっているみたいだ。世界を正す日は、それ程遠くないのだろうね……」
この戦争にも終わりが見え始めて来た。この調子であれば、数年以内には決着がつくのだろう。
――その時、僕はこの世界の正義を壊す。
不平等なあり方を僕は認めない。歪んだ正義を押し付ける者達を、僕達で排除するのだ。
その望みを叶える為に、僕はずっと戦い続けているのだから……。