アレックス、十五歳の記憶
人族と魔族の戦争は激化していた。魔族の侵攻が激しく、ガーネット王国は苦戦している状況らしい。
その為、僕が十五歳の誕生日を迎えると、パール王国は軍の派遣を決定した。その決定には『勇者』である僕の参戦も含まれていた。
「アレックス様、ご武運をお祈りしております」
王都を発つ前日、僕はエリスの元を訪れていた。そして、今は他愛ない話で時間を潰した後、早めに宿舎へと戻る所だった。
見送るエリスの顔に不安は無い。僕の事を信頼しており、全てが上手く行くと信じている様子だった。
そして、そのすぐ傍に控えるマッシュも同様だ。ちなみに、彼は僕――いや、エリスの従者に相応しい様にと、その髪を赤く染めている。
その処置は魔族交じりと、周囲から余計な軋轢を生まないため。僕へと迷惑を掛けない為に、彼が決めた事である。
「うん、ありがとう。それと、後の事は二人に任せるね」
僕の言葉により、二人は深々と頭を下げる。二人には後の事が何かとは、今更言うまでも無くわかっている。
これまでの二年間、僕達は行動を供にした。パール王国に不満を持つ者達を見つけ、繋がり、この国の未来を語り合ってきた。
そして、僕達は反王国派の中核を担う存在となった。当面はリーダーである僕が不在になるが、その間の代理は二人がしっかりと務めてくれる事だろう。
「その代わり、僕はしっかりと名声を得て来るよ。この戦争に終わりが見えた時――それが、僕達が行動を起こす時になる」
「ああ、本当に待ち遠しいわ……。私、楽しみでもう……」
「エリス様、仮面が剥がれてます。今は私達だけですが」
エリスが時折見せる、歪んだ笑みを浮かべていた。僕とマッシュにだけ見せる、彼女の本当に素顔である。
この笑顔は慣れない者に恐怖を植え付ける。エリス自身もそれを知るが故に、幼少期より誰にも見せなくなった本当の素顔だ。
幼い頃は両親すらも恐怖したらしい。エリスがその笑みを隠し、周囲に見せなくなった事で、両親は心底安堵したと聞いている。
その笑みが復活したと知れると、何かと面倒が起きる。だからこそ、エリスは自分の部屋であろうと、滅多にこの笑みを見せない様にしていたんだけどね。
「まあ、仕方が無いさ。練りに練った計画が、ようやく動き出すんだからね」
「あっ……。アレックス様……」
僕はエリスを抱き寄せ、その頭を優しく撫でる。そうする事で、彼女の笑みは収まり、うっとりとした少女の顔に変わる。
エリスは狂気という特殊な資質を備えている。それが原因で、常人には理解出来ない行動を取るらしいのだ。
しかし、僕からの愛を感じる時は、その狂気が引っ込むらしい。エリスの証言では、愛は全てを凌駕するらしい。
僕とエリスはしばらく、恋人らしく抱き合っていた。そして、タイミングを見計らって、マッシュが僕へと報告を行う。
「頼まれていた件です。『ホープ』の実態は、アレックス様の読み通りでした」
「ああ、やはりそうだったか! うんうん、やっぱりソリッドは優秀だからね」
僕がマッシュに調べさせたのは、『ホープ』の活動実績について。冒険者間での噂が事実か、その裏取りをお願いしていたのだ。
妹のパッフェルは『大魔導士の才』という加護を持つ。その力によって、『ホープ』は短期間でB級冒険者へと成り上がったと噂されている。
しかし、僕はそんな訳が無いと考えていた。基本的に面倒くさがりで、争い事が嫌いな妹である。冒険者の資質なんてある訳がない。
恐らくは裏でソリッドが動いたのだ。自分が目立たぬ陰に隠れ、全ての功績はパッフェルに譲る。そうする事で、パッフェルが優遇される立ち回りをしている。
その考えをマッシュに伝えて調べさせた。その調査結果が、僕の想像通りと裏取りが取れたという訳である。
「今後は共に行動するからね。二人の実態を正しく把握出来て良かった」
王国としては、パッフェルの魔法が欲しかった。王国で最大規模の大魔法を扱える存在。その軍事利用が、どれ程の価値を持つか気付いていたから。
しかし、これまでパッフェルは王国の要請を断り続けた。そこで王国が考えたのが、兄である僕の力になって欲しいと言う搦手の要請である。
これにはパッフェルもノーとは言わなかった。ただし、要請に応じる条件として、ソリッドを傍に付ける事を提示した。これは素晴らしい判断だったと僕は絶賛している。
なお、教会側はかなり難色を示したらしい。僕とソリッドの関係を、教会は隠したがっているからね。
けれど戦争に負けては意味が無いと、王国側が押し切ったらしい。その代わりとして、教皇の孫娘を僕の傍付きに捻じ込んで来たらしいけど。
「あの、アレックス様……」
「ん? どうかしたかい?」
マッシュが真剣な瞳で僕を見つめていた。彼の躊躇う様子に首を傾げていると、彼は悩んだ末にこう尋ねて来た。
「ソリッド様は何者なのでしょうか?」
「何者って……。僕の頼れる弟だけど?」
僕には質問の意図がわからなかった。血が繋がらないけど、兄弟として育った存在。二人にはそう伝えている。
けれど、マッシュが聞きたかったのはそういう意味ではないのだろう。彼は悩みながらも、自らの疑念を語り始める。
「……私はあの方を調べる内に畏怖しました。何の加護も持たず、マナすら持たない。到底、冒険者に向いているとは思えない方でした」
「……うん、そういう話も知っているよ」
花祭りで出た鑑定結果は知っている。そして、その後に彼が冒険者を目指した事も。
それが茨の道である事は僕にも想像できた。しかし、彼が望むならばと、僕はただ頑張れと彼に伝えていた。
「けれど、十歳から十二歳までの二年間。単独であり得ない程の依頼をこなし、信じられない程にレベルを上げています。調べましたが、彼を支援する存在も確認出来ませんでした」
「ふむふむ、それは凄いね」
僕の素っ気ない反応に、マッシュが顔を顰める。もっと違う反応を期待していたんだろうね。
「更に十二歳から十五歳までの三年間。パッフェル様との実績は、全てソリッド様の支援在りきです。全てのお膳立てを行う事で、パッフェル様が最大限に活躍できる状況を生み出していました」
「ああ、ソリッドならやりそうだ」
状況が想像出来て、僕は笑みを零す。いつも通りのソリッドだなと思った。
けれど、マッシュは大きなため息を吐く。そして、疲れた表情でこう告げた。
「私も死に物狂いで力を付けました。エリス様の従者として、サポート出来るスキルも磨きました。――けれど、全てにおいてソリッド様に勝てる気がしません!」
マッシュが頑張っている事は知っている。出来損ないと呼ばれた彼が、アレイン家で最も優れた執事であると噂されるまでになったのだ。
今や彼を馬鹿にする者はいない。誰もが認める実力を得た今だからこそ、ソリッドの凄さが良くわかるのだろう。
しかし、尚も続けようとする彼を、エリスが冷たい声で窘めた。
「そんなつまらない事で、アレックス様の御耳を汚さないで」
「なっ……!」
マッシュは驚きの後に、グッと歯を食いしばる。喉から出かかった言葉が、従者に相応しい物ではなかったのだろう。
そして、そんなマッシュに対して、エリスは彼の核心を突く言葉を放った。
「誰が一番役立つか何て、本当にくだらないわ。それがアレックス様の為になるなら、誰がやるか何てどうでも良いでしょう?」
「それ、は……」
ああ、なるほどね。マッシュは自信を付けた。けれど、ソリッドは彼にとって、その自信を揺るがす存在だった。
彼は悔しく思ったのだろう。けれど、それは確かにエリスの言う通り、彼のつまらないプライドだと言える。
「大切なのは一つだけ。ソリッド様がアレックス様にとって、大切なお方と言うことだけ。あのお方はアレックス様にとって、魂の片割れなのだから」
「魂の片割れか。中々に良い表現だね」
僕にはその言葉がとてもしっくり来た。ソリッドは僕にとって、自らの命と同じ位に大切な存在だからね。
その事を理解してくれるエリカを、僕はとても嬉しく思った。そして、ニコリと微笑みながら、彼女に対してこう告げた。
「まさにその通りだ。もし彼に万が一の事があれば、きっと僕は僕で居られなくなってしまう」
「存じております。ソリッド様の事は、必ずお守りします。どのような手段を使おうとも必ず」
僕はエリスを抱き寄せ、その額に口付けを行う。僕の事を最も理解する恋人に、僕は心の底から感謝していた。
見下ろす彼女の表情は、とろんと蕩けたものだった。彼女は瞳に狂気を宿しながら、僕への想いを口にする。
「愛しております。全てはアレックス様の望む世界の為に……」
「ありがとう、エリス。君が僕の恋人で、本当に良かった……」
僕らは互いに抱きしめ合う。しかし、それ以上の好意は決して行わない。
僕達が本当の意味で恋人になるのは、僕達の願いが叶ってからだ。それが、僕とエリスが互いに望んだ誓約なのだから……。