アレックス、十一歳の記憶
王都で暮らして一年になる。基本は騎士団の宿舎で寝泊まりし、午前中は騎士団の訓練に参加している。
そして、午後からは白神教の総本山で魔術の訓練。それに合わせて、白神教の教義を叩き込まれている。
環境は恵まれており、生活面も貴族並みに好待遇。教育係も優秀な人達で、とても好意的に接してくれている。
――けれど、それでも僕の中には疑念が生まれていた。
白神教は白の神様を祀る国。白色を最も尊い色とし、誰もが篤い信仰心を持っている。
この国で過ごす以上、僕の中にもそういう感覚はある。それを疑問に思った事も無かった。
しかし、王宮や教会本山に出入りする中で、その考えが正しいのかと疑問に思う様になった。
「――全ては白の神の御意思。人族はその教えに殉ずるべきなのです」
「――白の神に選ばれた存在。それは至高の存在であり、尊ばれる者」
「――白にあらねば人に非ず。黒を崇拝する者とは相いれないのです」
教会内でも高位の者にその思想は強い。魔族や黒色に対して、差別的な意見が目立つのだ。
そして、それは神官に限った話ではない。王侯貴族でも高位の者は、同様の思想が色濃かった。
僕を丁寧に遇するのは、白神教の教えに従うから。だからこそ、農民の子であろうとも王族並みの待遇が約束されている。
しかし、それは逆に冷遇される存在が居る事も意味する。黒目黒髪のソリッドなんて、その最たる存在であろう。
ソリッドの存在を知る教会は、彼の存在を隠したがっている。僕と彼が兄弟である事で、『勇者』の存在が汚れると言わんばかりに……。
「気持ち悪い……。何なんだこれは……」
今の僕は騎士団の訓練を終え、訓練所脇で休憩を取っていた。床に座り込みながら、一人で不満を零していたのだ。
僕が一人になりたがると、騎士団の皆が気を使ってくれる。こういう時の僕には、誰も近寄らない様にしてくれていた。
――なのに、背後から不意に声が掛かる。
「うん、そうだよね。みんな、気持ち悪いよね」
「え……?」
独り言が聞かれていた。その事に慌てて振り向くと、そこには一人の女の子が立っていた。
年齢は恐らくパッフェルと同じくらい。腰まで伸びた黄金の髪と、青い瞳を持つ少女。
パッフェルより大人びていて、綺麗な顔をしている子だ。だけど、その微笑みは何故か僕の胸を不安にさせる。
「同じ言葉に、同じ考え。どうしてこの世界は真っ白なんだろうね?」
「この世界が、真っ白だって?」
この世界は真っ白なんだろうか? 僕が知る世界は、もっと色とりどりだと思うんだけど……。
けれど、ふと彼女の姿に気付く。高級そうな真っ白なドレス姿。彼女は貴族の家の娘かもしれない。
だとしたら、彼女にとって世界は真っ白なのだろう。真っ白に染まった、貴族の世界しか知らないのだから。
「……どうして君は、ここに居るの?」
ここは騎士団の訓練所だ。貴族の娘であっても、無関係な人が入れる場所では無い。
ましてや今は僕が居るのだ。城の警備は通常より厳しくしていると聞いているしね。
そして、彼女は僕の問い掛けに対して、スカートの端を摘まんで綺麗な一礼を見せた。
「アレックス様、お初にお目にかかります。私はエリス=クリストフ。クリストフ家の長女です」
「クリストフ家……?」
その名で僕は気付く。彼女は騎士団長の娘さん。だからこそ、ここに出入りが出来るのだと。
しかし、出入り出来るとは言え、ここに居る理由にはならない。僕が首を傾げていると、彼女は微笑みながらこう告げた。
「父の言い付けでこんな姿ですが……。実はアレックス様にお願いがあって参りました」
「僕にお願い?」
何のお願いかと不思議に思っていると、彼女はパンパンと手を叩く。そして、離れた場所から使用人の男性が駆けてくる。
その使用人の男性は何故だか、布にくるまれた巨大な荷物を抱えていた。彼女はその荷を受け取ると、その布を解きながら僕へと向き直る。
「私とお手合わせ頂けませんか?」
「は……?」
目の前の少女は、巨大な剣を手にしていた。自分の身長よりも長い剣を、片手で軽々と構えていた。
余りにもアンバランスな姿。そして、彼女の顔には猟奇的で、挑戦的な笑みまで浮かんでいた。
その奇妙な存在に、僕の背中はゾクリと震える。けれど、それは恐怖等ではなく、彼女に対する強い興味だったんだ。
「うん、わかった。それじゃあ、手合わせしようか」
「本当ですか! お受け頂いた殿方は初めてです!」
彼女はパッと明るい笑みを浮かべる。先程の猟奇的な笑みでは無い。年頃の娘さんが浮かべる笑みだ。
僕は剣を手に取ると、訓練場へと足を向ける。ニコニコと笑みを浮かべる彼女と、二人で並んで開けた場所で対峙した。
周囲の騎士達がざわついている。止めるべきか、判断に困っている感じだった。なので僕は、微笑みながら彼女に告げた。
「時間は無さそうだね。手早く済ませてしまおう」
「ええ、承知しました。それでは参りますわね?」
彼女は合図も無く、唐突に飛び出した。巨大な剣の重さも気にせず、軽やかなステップで踏み込んでくる。
しかし、彼女の動き自体は決して早くない。それに巨大な剣故に大ぶりな動作で、その軌道も読みやすい。
僕は彼女の方へと踏み込むと、位置を入れ替える様に彼女の背中に回り込んだ。
――ゴッ、ガァァァン!!!
振り下ろされた剣は、大地にぶつかり爆発を産む。僕の立っていた場所は、巨大な剣がめり込んでいた。
当たれば一撃必殺と言える威力だ。通常の感覚であれば、彼女と手合わせしたい者はいないだろう。
けれど、僕はソリッドと一緒に育った。仲間の居ない悲しみを知っている。僕には彼女を放っておくなんて出来なかったんだ。
「――まあ、それはそれとしてだ」
僕は手にした剣を軽く振り下ろす。そして、彼女の肩の上にそっと置いた。
彼女は己の剣を大地から引き抜くと、ゆっくりと振り返りながら微笑んだ。
「私の負け、という事ですわね?」
「うん、そう思って貰えるかな?」
お互いに全力では無いし、納得して貰えるか不安はあった。けれど、その心配は杞憂に終わる。
彼女は手にした剣を地面に刺し、僕へと恭しく一礼して来た。
「アレックス様は私の見込んだ通りの御方でした。本日はお付き合いありがとう御座います」
「この程度はお安い御用さ。僕で良ければいつでも付き合うよ」
まあ、周りがそれを認めるかは別問題なんだけどね。それでも僕は彼女を受け入れると、その意志は示せたんじゃないかな?
実際に彼女はクスクスと笑うと、上目遣いにこんな事を言ってきた。
「後ほど、お父様から話があるはずです。前向きにご検討頂ける事を祈っておりますわ」
「騎士団長から? 何の話だろう?」
何の話かは予想も出来ない。僕は首を捻るが、彼女は悪戯っぽく微笑むだけだった。
そして、彼女は爽やかな笑みを浮かべて去っていく。少し前に見せた、猟奇的な笑みが嘘みたいだった。
「うーん、中々に個性的な子だったな」
訓練場には大きな穴が残されていた。非現実的な怪力だったけど、あれが現実なのは間違いない。
奇妙な令嬢だったけど、これまで出会ったどんな子より面白い。機会があれば、今度はゆっくり話してみたいなと思った。
――なお、この少し後に騎士団長が慌てて駆け込んでくる。
騎士団長は娘の事で頭を下げる。そして、内緒の話があると、僕は彼の執務室へと引っ張られて行く。
そして、僕は騎士団長から、エリスとの婚約について打診された。答えは急ぐ必要が無いと添えられた上で……。