アレックス、十歳の記憶
花祭りに参加した結果、やはり僕は勇者に選ばれた。それは半ば予想していたし、期待通りで良かったと思っている。
ただ、想定外の展開もあった。それが王都で生活し、勇者として修行しないといけない事だ。いきなり家を出る羽目になるとはね……。
両親は話したら、好きにして良い言われた。勇者になりたいなら成れば良い。成りたくないなら、成らないで済む手段を探してくれるらしい。
……とはいえ、成らないと言う選択肢は難しいだろうね。王様と教皇様からの要請なのだ。断ると後が怖い事になりそうだ。
それに、ソリッドが望んでいるんだよね。僕が人族の希望として、皆の期待する勇者になる事をさ。
「――という訳なんだ。パッフェルはどう思うかな?」
今の僕は実家のリビングに立っている。目の前にはソファーに寝転ぶ妹のパッフェル。
ダラダラとしていた妹に、僕は花祭りの経緯を説明したのだ。けれど、妹はこちらを向きもせずに返事を返す。
「お兄ちゃんの好きにしたら?」
意見を聞いたら冷たく返された。言葉は似ていても、両親の台詞とは真逆の無関心さだ。
僕はガックリと肩を肩を落とす。するとパッフェルは、溜息を吐いて僕に視線を向けた。
「お兄ちゃんは王都に行くって、内心では決めてるんでしょ? ただ誰も引き留めてくれないから、寂しくて私にも声掛けただけで」
「うわ、そんな身も蓋もない……」
パッフェルの言葉にグサッと来た。モヤモヤした気持ちを抱えていたが、まさか妹に確信を突かれるとはね……。
うん、僕は引き留めて欲しかったんだ。誰もが僕が勇者になる事を祝ってくれる。喜びはしても、家を出る事を悲しんでくれないのだ。
それを寂しく思うなんて我ながら情けない。そして、八歳の妹にそれを指摘されるのもね……。
「一応、言っておくね。私は約束を忘れてないよ。三人で旅に出るって約束」
「それって四年前の? 僕が旅立つとしたら、魔族との戦いになるんだよ?」
僕が六歳で、パッフェルが四歳の時の約束だ。その時は勇者の旅が、魔族の戦いになるとは考えていなかった。
けれど、十歳になった今なら、それが戦争を意味するとわかる。子供の時に考えていた、楽しいだけの旅では無いって事をね。
それだと言うのに、パッフェルは姿勢を正して座り直し、僕に向かって真っすぐ告げる。
「ソリッドはわかってる。それでも付いて行く気でいる。だから、私も付いて行く。二人みたいには戦えないだろうけど、私にしかできない戦い方をするつもりだから」
「それって村長から学んでる商売の事かな?」
僕が問いかけると、パッフェルはコクリと頷いた。その顔は真剣であり、冗談で言っている訳では無いとわかる。
この時の僕は、パッフェルの才能に気付いていなかった。だから、内心ではそれでは無理だと思っていた。
けれど、パッフェルは一度言い出したら聞かない子だ。僕が無理だと言っても、それで諦めたりはしないと思ったんだ。
「うん、そっか。なら頑張って、しっかり勉強するんだよ?」
「…………うん」
パッフェルはじっと僕の瞳を見つめ、しばらくしてから小さく返事をした。妹はソリッド以上に感情を表に出さないタイプなので、僕では何を考えているかわからない。
その点、ソリッドは凄いと思う。パッフェルの考えを全て把握している。言葉も表情も不要で、妹の全てを理解してしまうのである。
たまに心を読んでいるのかと思う時もある。ただ、本人が言うには普段から観察していれば、家族の感情くらいはすぐわかるとの事だ。
まったく、凄い才能の持ち主だよね。花祭りで才能無しって言われたのが、嘘では無いかと思える程にさ……。
「――っと、そういえば。今更だけど聞きたい事があるんだ」
「うん? 聞きたい事ってなに?」
僕の言葉にパッフェルが首を傾げる。こういう時のパッフェルは、無表情じっと見つめてくる。
顔立ちは可愛らしいんだけど、人形でみたいで少し怖い。勿論、本人に言ったりはしないけどね。
「僕の事はお兄ちゃんって呼ぶよね。けど、どうしてソリッドは呼び捨てなんだい?」
「本当に今更だね……」
パッフェルが呆れた表情を浮かべている。ソリッドと生活して五年になるので、そう言いたい気持ちはわかる。
けれど、これまで聞く機会が無かったのだ。そして、僕が家を出てしまうと、その機会は更に減ってしまうと思ったんだ。
だから、この機会に聞いてみようと思った。そんな僕の問いに対して、パッフェルは当たり前という感じで軽く答えた。
「私のお兄ちゃんは、アレックスお兄ちゃんだけ。ソリッドはお兄ちゃんじゃないから」
「え? ソリッドが拾われた子だから、家族と思って無いってこと……?」
ソリッドが家に来たのは、パッフェルが三歳の時だ。森で一人だったソリッドを、僕の母さんが保護して家族に迎え入れた。
僕も両親も、それ以降はソリッドを家族として扱っている。僕達は兄弟として育って来たはずなのだ。
しかし、パッフェルはソリッドを兄と思っていなかった? そうショックを受ける僕に、パッフェルは眉を吊り上げた。
「怒るよ? ソリッドは大切な家族。お兄ちゃんよりも大切な家族だからね?」
「いや、ちょっと待って。そこで僕よりって、言う必要あった?」
怒らせてしまったからかな? 僕の反論も冷たい視線で睨み返されるだけだった……。
ただ、パッフェルが何を言いたいの、僕にはかわからない。僕が首を捻っていると、パッフェルは溜息とともに告げた。
「ソリッドはソリッド。家族だけどお兄ちゃんじゃない。普通の家とかは関係ない。私はソリッドをそういう存在と思ってるってだけ」
「うぅん……。まあ、大切な家族と思ってるなら、それで良いのかな?」
パッフェルの考えは良くわからない。理解出来るの何て、ソリッドくらいのものだろう。
なので、僕には理解出来ないと判断した。まあ、妹がソリッドを大好きなのは間違いない。それで良いかというのが、僕の正直な意見だった。
僕は肩をすくめ、荷造りの為に部屋に向かう。しかし、僕の背中に向けて、パッフェルから声が掛かった。
「……小まめに手紙出してよ」
「え……?」
何の事か理解出来ず、僕はパッフェルの方へと振り返る。すると、パッフェルはそっぽを向いて、小さな声で呟いた。
「……じゃないと、ソリッドが寂しがるでしょ」
「……ああ、うん。王都に着いたらすぐ出すよ」
少し遅れて理解した。僕が王都で生活したら、連絡もろくによこさないと思ったのだろう。
だから、僕に釘を刺したのだ。恥ずかしそうに頬を染め、気まずそうに視線を逸らしながら。
「約束する。出来るだけ沢山手紙を出すって」
「……私からソリッドに、そう伝えておくから」
そう言うとパッフェルは、ソファーにうつ伏せに寝転んだ。話は終わったとばかりに、顔を完全に隠してしまう。
僕はその姿を見て、少しだけパッフェルの気持ちがわかった。どうやら僕は、思ったより妹から嫌われていなかったらしい。
「ははは、ちょっとだけ気持ちが軽くなったね」
我ながら現金だと思う。けれど、僕が家を出ると、寂しく思う人が居てくれる。そうわかると嬉しくなるものなんだ。
僕は王都での生活に対して、少しだけ不安が晴れた。そして、頑張って家族が誇れる勇者を目指そうって思えたんだ。