降り掛かる厄災(前編)
馬車の旅も今日で三日目。旅は順調であり、既に俺達はガーネット王国の領内へと入っていた。
しかし、アレックスとはずっと一緒だったが、彼におかしな様子は見られなかった。彼の正体不明な精神異常は、鳴りを潜め続けていた。
むしろ、目に見える異常といえば兄嫁だろう。発作的に狂気が暴発し、それを宥めるアレックスの姿ばかりを目にしている。
「どうかしたかな、ソリッド?」
チェスの駒を動かしつつ、アレックスが問いかけてくる。考え込む俺の態度に、何かを感じているらしかった。
「……いや、大した事ではない」
俺はゆっくり首を振る。彼に異常が無いなら、それに越した事は無い。アレが何かの勘違いである方が、全て丸く収まるのではと俺は思い始めていた。
ふうっと息を吐き、俺は盤上に視線を向ける。彼の打ち筋はわかって来たので、この先の展開も読めて来たのだが……。
――ゾワリ……。
「――止まれ、マッシュ! 急いで馬車を止めろ!」
俺は御者台に座るマッシュに向かい、大声を張り上げた。俺の声が届いたらしく、すぐに馬車は急速な減速が始まった。
「どうしたんだい、ソリッド?」
アレックスは真剣な眼差しで、俺に対して問い掛けて来る。俺の態度から、ただ事ではないと察しているらしかった。
俺は馬車の停止と同時にドアを開け放つ。そして、飛び出しながら、彼の問いに答えた。
「『降り掛かる厄災』だ! 真っ直ぐこちらに向かっている!」
「そんな馬鹿な……。ここは人族の領地なのに、どうして……?」
戸惑いながらも、アレックスは俺に続く。腰の剣を引き抜きつつ、駆け出す俺の後に続く。
そして、俺はすれ違いざまに、御者台のマッシュとエレナに指示を出す。
「馬車ごと森の中に身を隠せ! 決して俺達に近寄るな!」
「ソリッド様? 一体、何が起きているので……」
御者台の上で、マッシュとエレナが戸惑っている。しかし、それに構う余裕は無かった。
俺とアレックスは二人を巻き込まぬ様に、急いで馬車から距離を取らねばならないからだ。
「――っ……?! 流石に早い……!」
俺は西の空に黒い影を目視にて確認する。あの距離だと、数分で戦闘が始まるはずだ。
俺はチラリと背後に視線を向ける。馬車と二人の姿は見えない。指示通りに森に身を隠してくれたらしい。
そして、俺に続くアレックスの姿に眉を寄せる。今のアレックスは万全ではない。精霊の鎧無しでは、『降り掛かる』の一撃で致命傷に成りかねなかった。
「俺が前に出る! アレックスは隙を突いて、奴に奥義を叩き込め!」
「くっ……! 今の状況だと、そうするしかないか……」
悔しそうなにアレックスが呻く。『降り掛かる』相手に単独で相対する、俺の身を案じての事だろう。
しかし、そうするしか手が無い事も理解している。パッフェルもローラも居ない今、俺達に取れる手はそれしか無いのだ。
――ヒュー……ゴォォォンンン!!!
上空から落下した『降り注ぐ厄災』は、着地と同時に大地にクレーターを作る。
そして、舞い散る土煙の中、『降り掛かる厄災』はすっくと立つ。そして、ニヤリと笑うと俺達を睨み付けた。
「――くっ、くくく……。くははははは……!!!」
血の様に赤い瞳がギラギラと輝いている。そして、何がおかしいのか、大声で笑い続けていた。
俺は短剣を手にして腰を落とす。その背後では、アレックスが奥義の準備を始めているはずだ。
いつでも始められる様にと準備を整えると、意外な事に『降り掛かる厄災』が、こちらに話し掛けて来た。
「こんな所にいたとはな。随分と探す事になったぞ?」
「……探していた? 俺達の事をか?」
もしかすると、何か目的があるのだろうか? あの『降り掛かる厄災』が、破壊を巻き散らす以外に?
警戒を解くわけにはいかない。しかし、戦闘を回避出来るなら、それに越した事はない。
俺が会話に応じすると、『降り掛かる厄災』は土煙の中から一歩踏み出した。
「お前達は大きな戦場に必ず居た。なのに、最近は戦場自体が無くなってしまった。これはどういう事なのだ?」
土煙から現れたのは、黒い髪をなびかせた女性。見た目としては俺達同様、二十歳程に見える美女である。
しかし、その頭部には漆黒の双角。その背には漆黒の翼。更には腰から伸びる漆黒の尻尾。
彼女は魔族で最強と名高い竜人族の一人。その中でも数百年に一度現れるという『覚醒者』である。
例え美人に見えたとしても、彼女は神龍等の領域守護者にも匹敵する。誰にも手が付けられない正真正銘の化け物なのである。
「……知らないのか? 人族と魔王軍の戦争は、既に終わっている」
「戦争だと? ああ、お前達は戦争をしていたのか」
戦争をしていた事すら知らなかったのか? 戦場に度々現れては人族も魔族も関係無く、ただ破壊を振りまき続けておいて?
口調は穏やかだが、戦争自体に関心は無いらしい。彼女はニヤニヤと笑いながら、俺達を舐めまわす様に眺めてこう告げた。
「きっとお前達は、それが楽しいのだろうな。私にはさっぱり理解出来んが」
「いや、楽しくて戦争をしている訳では無いのだが……」
俺の返事が意外だったのか、彼女はキョトンと目を丸くしている。そして、首を傾げながら問い掛けて来た。
「腕試しでは無いのか? お前達は弱いから、訓練して強くなろうとするのだろう?」
「訓練をするのは死なずに済む様にだ。その腕試しで死んでは本末転倒ではないか……」
俺は至極当然の答えを述べたつもりだ。誰も好き好んで戦場に出ている訳では無い。
しかし、『降り掛かる厄災』には理解出来なかったらしい。彼女はつまらなそうに肩を竦めた。
「お前達の考えは、私には良くわからん。理解出来んし、それ以上に興味が無い」
「……なら、どうして質問した? そして、お前は何に興味を示すと言うのだ?」
理不尽な受け答えだが、彼女自身がそういう存在である。彼女は『降り掛かる厄災』という、ただ破壊を巻き散らすだけの存在なのだから。
だから、大して期待した訳では無い。厄災から逃れるヒントが、何か少しでもわかればと考えての問いであった。
――だが、彼女は輝く笑顔でこう答えた。
「決まってるだろう! 私が興味を持つのはお前だけだ!」
「……何だと?」
想定外の返答に、俺はただ戸惑ってしまう。『降り掛かる厄災』に興味を持たれている等、流石に考えた事も無かった。
しかし、俺の反応等には興味を示さず、彼女は楽しそうに語り続けた。
「私がちょっと遊ぶと、普通はすぐに壊れてしまう! だけど、お前は全然壊れない! 遊べば遊んだだけ、前よりずっと強くなる!」
「……まさか、俺を玩具と思っているのか?」
俺は厄災の回避を目的に、ヒントを得ようと会話を試みた。しかし、その結果は回避不可という、最悪な結果が待っていた……。
彼女の攻撃は当たれば即死級の威力を持つ。防具を固めたアレックスでも、ローラの支援があって何とか一撃耐えれる程度である。
必然的にその攻撃は回避が主軸になって行く。俺が囮となって避け続けたのだが、彼女にはそれが楽しかったらしい……。
「なあ、また強くなったのか? 前よりも強くなったんだよな! その力を私に見せてみろ!」
――ゴウッ……!!!
「――くっ……!」
彼女は両手と羽を広げ、自らの魔力を周囲へと解き放つ。彼女の持つ破壊のオーラが、俺の肌をビリビリと震わせていた。
しかし、これは攻撃でも何でもない。ただ彼女が戦闘態勢に入ったというだけのことでしかないのだ。
やはり、戦闘は回避出来ないらしい。そう諦めた俺は、致死の一撃に備えて集中力を高めていく。
「出し惜しみなんてするなよ? そんなつまらん真似をしたら……」
彼女の目は真っ直ぐに俺を見つめていた。その真っ赤な瞳を、ギラギラと輝かせていた。
そして、恐怖すら感じるオーラを纏い、彼女は前のめりにこう忠告した。
「――殺すぞ?」
どうやら今回もやるしかないらしい。命を懸けた必死の戦いが、こうして再び始まった。