旅行2日目
昨晩は良い宿に泊まる事が出来た。食事は上手いし風呂も大きい。最高級のもてなしというものを体験できた。
従業員の教育も行き届いているのだろう。俺を見ても僅かに目を見開く程度。それ以外は笑顔を向けられるという、貴重な体験をさせて貰った。
そして、俺達は朝食を食べたら再び出発する。スレイプニルによる弾丸特級での移動である。
改めて見ると、窓から流れる景色は凄まじいの一言。俺が全力で走ったとしても、直進ではこの足に勝つのは難しいかもしれない。
それはさて置き、午前は昨日同様に、アレックスとのチェストや談話だ。それらで時間を潰していると、馬車は停まってランチの準備が開始された。
「さあ、準備が整いました。どうぞ、こちらでおくつろぎ下さい」
……開始されたと思ったら終わっていた。組み立て式のテーブル上に、ランチボックスが置かれた状態だった。
そして、マッシュがアレックスと俺にドリンクを用意する。エレナはアレックスの背後で、腕を後ろに組んで直立不動の姿勢だった。
「うん、ありがとう。それじゃあ食べようか、ソリッド」
アレックスはテーブルに座り、ランチボックスの蓋を開く。中身は色鮮やかなサンドイッチらしい。
俺は戸惑いながらアレックスの向かいに座る。そして、背後の義姉を見ながら彼に尋ねる。
「……なあ、アレックス。婚約者は良いのか?」
「勿論だとも。エレナは従騎士として同行してるからね。同じ席に着かせる訳にはいかないんだ」
アレックスは当然とばかりに頷く。そして、エレナに視線を向けると、こちらも同じく頷いていた。
何というか、公私の区別がややこしいな。そういう物と言うなら仕方が無いので、俺は渋々と食事を開始した。
「……この味は、黄金の林檎亭か?」
「流石はソリッド。出発に合わせて用意して貰ったんだ」
パッと見はシンプルなサンドイッチ。見た目だけなら、何の変哲もない品である。
しかし、いずれも具材はバラバラ。更にはいずれも隠し味が仕込んである。香草の扱いが実に巧みだ。
俺はゆっくり慎重に味わっていく。その味を少しでも盗もうと探っていると、アレックスから意外な誘いがかかる。
「所で、そろそろ体が鈍ってるんじゃないかな? 食事が終わったら、軽く運動なんてどうだい?」
「ふむ……?」
アレックスは腰の剣に手を置いている。どうやら俺を相手に、手合わせをと考えているのだろう。
彼はこの国でトップクラスの実力者。訓練の相手としてはこの上ない存在である。
しかし、俺は少し考えた後に、首を横に振った。
「いや、折角なので先に約束を果たそう。マッシュ、この後にどうだ?」
「……よろしいのですか、ソリッド様?」
俺が背後に視線を向けると、マッシュが俺に伺いを立てる。アレックスを差し置いて、自分で良いのかと問うているのだ。
しかし、その目の奥には強い光が感じられる。本心ではこの機会を逃してたまるかとでも考えているのだろうな。
「アレックスとは、また次の機会だ。別に構わないだろう?」
「やれやれ、振られたか。まあ、次の機会はあるだろうしね」
アレックスは肩を竦めると諦めてくれた。彼の言う通り、機会がこれっきりと言う訳ではないからな。
そして、俺は手早くランチを済ませると、席を立って草原に向かう。十分な広さが確認出来ると、背後のマッシュへと振り返った。
「……さあ、いつでも良いぞ。掛かってこい」
「私は武闘家ですよ。素手で良いのですか?」
俺が自然体で立っていると、マッシュの眉間に皺が寄る。侮られたと感じたのだろう。
彼は血の気の多い男なのだろう。ただ、俺はそんな男は嫌いでは無いがな。
「そう思うなら、俺に武器を取らせてみせろ」
俺の言葉にマッシュはニヤリと笑う。そして、自らの赤髪をかき上げた後、俺に対して構えを取る。
「ふっ、言いますね……。それでは遠慮無く!」
マッシュは大地を蹴り、疾風の突きを放ってくる。その速度からして、当たれば岩をも砕く威力となるのだろう。
しかし、俺は半歩下がって身を捻る。彼の突きをギリギリのところで回避した。
「――まだまだ!」
マッシュはその柔軟な体を駆使し、かわされた直後に回し蹴りを放つ。死角からの一撃であり、並みの相手なら必殺の一撃なのかもしれない。
「だが、甘いな……」
俺は一歩前に進むと、彼の体にピタリと寄り添う距離で止まる。そして、そのがら空きとなった脇腹へと、俺の肘鉄を食らわせた。
「――がっ……?!」
今の一撃に手加減は無い。吹き飛んだマッシュは、地に片膝を突きながら痛みに耐えていた。
骨にヒビが入る程では無かったはずだ。それでも額に脂汗をかき、苦悶の表情で俺の事を見上げ続けていた。
「……お前は強い。しかし、技が荒いな。格上との戦闘経験が少ないのではないか?」
マッシュの攻撃は早く鋭い。これを回避できる者は、そう多く存在しないだろう。
それ故だろう。一撃で決める事に拘り過ぎている。避けられた後を、まったく考えていないのだ。
「……確かに、私より強い者は多くありませんので」
マッシュはふうふうと息を吐き、何とか必死に立ち上がる。呼吸を整えながらも、ニヤリと野性味あふれる笑みを浮かべる。
まだ負けていないと言いたいのだろう。そして、この勝負をこれで終わりにはしたくないのだろう。
高価そうなスーツが土に汚れても、そんな事すら気にしていない。こういう真っ直ぐな相手は、やはり嫌いにはなれないな。
「良いだろう。いくらでも付き合って……」
――ドッゴォォォン!!!
俺の言葉を遮るように、少し離れた場所で爆発が起こった。もくもくと土煙が上がり、パラパラと小石が舞い落ちてくる。
何事かと様子を見守っていると、やがて土煙が晴れて行く。そして、その中から姿を見せたのは、興奮した様子のエリスであった。
「あははっ! アレックス様、まだまだ行きますよ!」
「ああ、良いとも! いくらでも掛かって来なさい!」
ショートソードを片手に、余裕の笑みでアレックスが構えている。こちらは真っ白なスーツに、埃一つ付いていない。
対して、エリスは白銀の鎧が土塗れである。だが、そんな事は気にせず、手にした大剣で婚約者に切りかかって行く。
「あれは……。まさか、竜殺しの剣……?」
身の丈を超える巨大な剣。その刀身は非常に分厚く、頑丈さを優先して造られているとわかる。
そして、何よりもあの剣は非常に重い。斬るための剣では無く、重さで断つ剣なのである。
余りに重くて誰にも扱う事が出来ない。ネタ装備として冒険者の中で有名な剣でもある。
それと同時に、もし扱う事が出来れば、ドラゴンにすら勝てるだろうとも噂されているのだが……。
「あの剣を扱える者が実在するとは……」
「ええ、エリス様は力に全振りですので」
気付くとマッシュが俺の隣に立っていた。そして、主の雄姿に呆れた視線を送っている。
どうやら、あの姿に気勢が削がれたらしい。今の彼からは、とても疲れた気配だけが感じられた。
「エリカ様は暴走しがちですからね。あの様にあしらえるのは、アレックス様以外におりません……」
エリカは楽しそうに剣を振りかぶる。そして、剣が地面に当たると大地が爆ぜた。
アレックスはそんな攻撃を軽々とかわす。土煙の届かぬ位置で、冷静に次の一撃へと備えていた。
「あははっ! 楽しいですね、アレックス様!」
「ははは! エリカが楽しいのなら何よりだ!」
確かにあんな真似はアレックスにしか出来ない。並みの男では一刀両断されるか、恐怖で逃げ出すはずである。
二人だけの空間――暴力が支配する世界を目にし、俺はただ戦慄していた。
あの狂気を受け入れられるアレックスは、俺が思う以上に大きな器なのだろうな……。