旅行1日目
馬車に揺られて丸一日。途中の昼休憩等を除けば、ずっとアレックスと車内で過ごした。
魔道具が仕込まれているのか、座りっぱなしでも苦にならない。揺れがまったく無かったので、車体を浮遊させる効果でもあるのだろう。
そして、車内には遊具も備えられていた。俺達はチェスを指しながら、他愛ない話を交えて時間を潰した。
「ふむ、これで僕の負けか。あっという間に強くなったね」
「ああ、ルールは把握した。これでようやく勝負になるな」
ルールを教わり、ハンデ有の勝負で五連敗。しかし、六戦目にして勝利を掴む事が出来た。
アレックスの打ち手を見ながら、打ち方を研究した結果だ。もう少し打てば、ハンデが無くても勝負になるだろう。
しかし、アレックスは窓を見つめて首を振る。窓の外を指さしながら、俺に対してこう告げた。
「今日はここまでだ。一日目の街に到着したからね」
俺は窓の外に視線を移す。アレックスの指さす先には、大きな街が姿を見せていた。
「……まさか、ここはツヴァイタウンか?」
「そうだよ。ソリッドは来た事あった?」
来た事はあるが、それは十二歳の時だ。冒険者としての活動時に、修行の一環で立ち寄った事がある。
ここはダンジョンがあり、一時期はレベル上げに利用していた。とはいえ、経験値効率が落ちたので、半年経たずに別の街に移動したのだ。
「王都からは距離があったはず。半日程度で着く距離では無いと思ったが……」
「あれ、出発時に見てなかった? この馬車を引いてるのはスレイプニルだよ」
スレイプニルだと? 八本足を持つという、あの凶暴な魔獣のことか?
討伐依頼としてはCランク。かなりの速度を有し、中堅の冒険者でも手を焼くと言う。
それを調教したと言うのだろうか? 下手に暴走したりしなければ良いが……。
「もしかして、心配してる? それなら大丈夫だよ。マッシュは調教のスキルも習得している。彼が御者を務める限り、スレイプニルが暴れる事は無いからね」
「ほう、調教を習得しているのか?」
調教師という職があり、腕の立つ者は魔獣を使役する。そして、魔獣を使役する調教師の多くは冒険者である。
調教した魔獣が調教師の強さとなる。つまり、マッシュは調教師としても、最低でもC級相当の腕を持つ事を意味する。
とはいえ、俺の勘が調教師は本職では無いと告げている。恐らくは武闘家が本職であり、そちらはB級以上の実力を備えているはずだ。
「さて、それじゃあ降りようか。街中にスレイプニルは入れないからね」
馬車が停車すると、アレックスは扉を開いて降り始めた。俺もそれに続いて馬車を降りる。
すると、馬車の外では既にエリスが待ち構えていた。俺達に一礼すると、笑顔で俺達の先導を始めた。
「本日は黄金の林檎亭で宿泊となります。宿までは私が案内させて頂きます」
「宜しく頼む。僕はこの街が初めてだからね。ソリッドは宿を知ってるかな?」
黄金の林檎亭だと? 知ってはいるが、利用した事はない。何せこの街で最上級の宿だからな……。
「街の中心部辺りだったか? 使った事は無いので、詳しい道まではわからないな……」
「ご安心ください。私は何度か利用した事があります。しっかり案内させて頂きます」
流石はクリストフ家のご令嬢。侯爵家の出自ともなると、当然のように泊るものなんだな。
俺は内心で感嘆の息を漏らす。そして、先行するエリスの背を追い、街の中へと足を向ける。
「……ん?」
馬車から少し離れ、俺は違和感に気付く。すぐ隣には街への入場待ちの列がある。しかし、俺達はそれを無視して、門へと向かっているのだ。
そして、入場の列を整理する兵士に対して、エリスはペンダントを掲げながら声を掛けた。
「私はクリストフ家の長女エリス。勇者様を宿にお連れする為、通らせて貰うぞ」
「こ、これはエリス様! 勇者様もご一緒なんですね! どうぞお通り下さい!」
声を掛けられた兵士は、慌てて頭を下げる。その様子を見て、エリスは満足げに頷いた。
そして、彼女は俺達に笑顔を向けると、再び前を歩き出した。アレックスがそれに続いたので、俺も慌ててその後を追う。
――しかし、その直後にざわめきが起きた。
「おい、見てみろよ……。あれ、勇者様だってよ……」
「うそ? 勇者様がこの街に来てるの? 本当に?」
「うおぉぉぉ! マジだ! 勇者様が来てるぞっ!」
列を待つ人々がアレックスの存在に気付いたらしい。皆がこちらに注目している。
その視線と声に気付いたアレックスは、爽やかな笑みで周りに対して手を振っていた。
「ははは、済まないね皆さん。先を進ませて貰いますよ」
アレックスに手を振られ、皆が嬉しそうな笑みを浮かべる。列に並ばない事を咎める者等、一人達ともいなかった。
実物を見れただけでも幸運だと、その笑みが物語っている。この国の国民にとって『勇者アレックス』とは、そういう存在なのである。
「ふっ、流石と言う所だな……」
俺はその姿に満足する自分に気付く。アレックスはそれだけの事をしたのだ。彼等の平和を守ったのは、間違いなく彼なのだから。
だからこそ、この歓声は彼に相応しい物。彼にはそれを受け取る権利があるのだ。
……そして、彼が通り過ぎた後、人々の反応がガラリと変わる。
「ねえ、あの人何なの……? 何で勇者様と一緒にいるの……?」
「黒目黒髪って不吉よね……。あれって魔族の特徴でしょ……?」
「チッ……。勇者様のおこぼれに預かって、何様だってんだ……」
アレックスを前にした者達は、皆が笑顔を浮かべている。そして、アレックスが通り過ぎた後は、人々の表情が憎々し気に歪む。
アレックスは勇者にして光。それに対して俺は、人々から避けられる闇の存在。
これがこの国の有り方。この反応こそが普通であり、今更気にする事でも無い。
俺は小さく息を吐き、アレックスの後を追いかける。だが、その直後に異変が起きた……。
――バコンッ……!!!
何か硬い物が叩きつけられる様な音だった。その大きな音を耳にして、列を成す人々のざわめきが消えた。
それと同時に、人々が徐々に距離を取り出す。その音を発生させた人物から、皆が恐る恐る離れ始めたのだ。
そして、その渦中の人物はギロリと周囲を睨みながら、彼等に対して大きな声で吠える。
「貴様等、死にたいのか! ソリッド様を侮辱する者は、このエリス=クリストフが容赦しない!」
「……何だと?」
血走った目で周囲を睨む従騎士エリス。その右手は一人の男性の頭を掴み、その頭を地面にめり込ませていた。
めり込んだ男は革の鎧を身に着けている。恐らくは冒険者なのだろうが、今はなすすべなく体をビクビク震わせるだけであった。
「何が、どうなっている……?」
城を立つ際は可愛らしい女性であった。未熟な騎士という佇まいで、守るべき対象と考えていた。
しかし、今の彼女は獣そのもの。周囲を威圧し、今にも襲い掛からんと睨みを聞かせている。
エリスのあまりの変わりように、俺が戸惑っているとスッと近づく気配があった。
「ソリッド様にはまだ、お伝えしておりませんでしたね」
「マッシュ……?」
馬車の所に居たマッシュが、いつの間にか傍に来ていた。そして、俺に対して笑顔でこう告げた。
「エリス様の立場は従騎士ですが、職業は違います。エリス様の本職は――狂戦士です」
「なに、狂戦士だと……?」
その職業は、風の噂で聞いた事がある。しかし、実物を見るのはこれが初めてだ。
確か通常の戦士に近い性能だが、一つだけ特徴となる違いがある。それが、その職業に就く為の資質でもある、狂気である。
自身が傷ついた時、仲間が傷付けられた時に、怒りで狂気が溜まる。そして、それが自身の身体強化に繋がるの職なのだ。
その力は戦士や騎士を超えるが、狂気が溜まり過ぎると制御不能となる。味方すら攻撃してしまうので、非常に扱いの難しい職らしいのだ。
何故だかエリスは、とても狂気が溜まっている様子だった。どうすべきかと悩んでいると、スッとアレックスが前に出た。
「よーし、よしよし! よくやった、エリス! 流石は僕のエリスだ!」
アレックスはエリスの頭を抱きかかえると、わしゃわしゃと撫でまわし始めた。それはまるで、愛犬を可愛がる飼い主のごとしだ。
「あ、そんな、アレックス様……。あうう、周りの目があるのに……」
途端に狂気が霧散するエリス。今では顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにモジモジしている。
事の成り行きを見守っていたが、俺はその結果に呆然となる。そんな俺に対して、隣のマッシュが良い笑みを向けていた。
「エリス様の事は、アレックス様が一番上手く扱えるのです」
「いや、扱えるって……。婚約者としてそれで良いのか……?」
色々とツッコミたい所はある。しかし、マッシュはそんな俺を無視して歩き出した。
彼はポーション瓶を取り出すと、中身を地面にめり込む男に振りかけた。気を失っている様だが、致命傷ではないのでアレで完治するのだろう。
――前言撤回である。
俺は義姉と上手くやって行ける自信が無くなった。この旅も、何事も無く終わる事を祈るばかりである。