約束
チェルシー姫とのデートから翌日。彼女はヴァイオレットと共に、魔族の国へと帰って行った。
お忍びだったらしく、長期の滞在は出来ないらしい。二人とも本当に泣く泣く帰って行った感じだった。
ただ、パッフェルとは魔導デバイスの番号交換を行っている。今後は頻繁に連絡が取られるのだろう。
なにせ、昨日は宿に帰った傍から、チェルシー姫と電話する妹の姿があったくらいだからな……。
「それはさて置き……」
俺は王城の壁をスルスルと昇り続ける。王城の守りは硬いが、この程度の潜入は俺にとってお手の物だ。
魔王軍の拠点に忍び込んだのも一度や二度では無い。この程度の警備体制では、俺の侵入を拒む事など出来なかった。
そして、俺は目的の部屋へと辿り着く。そっと窓を押し開けると、目的の人物を発見した。
「待たせたか? アレックス」
「いや、どうして窓から……?」
部屋の主であるアレックスは、戸惑った様子で問い返して来た。俺はその質問に当然の返答を返す。
「俺が正面から宮廷に入れる訳が無いだろ? 忍び込む以外に手段が無い」
「いや、ちゃんと門番には伝えてあるから。正面から普通に入れるからね?」
アレックスは困った表情だったが、楽しそうに笑みを浮かべる。そして、それ以上は何も言わずに、中央にあるテーブル席へと俺を案内した。
しかし、俺は席に付きながら内心で思う。アレックスの認識は甘い。予約を入れようとも俺が入れるはずがないのだ。
黒目黒髪が嫌われる国で、この宮廷ではその特色が顕著だ。何かと難癖を付けて、俺を牢屋に入れようとすることだろう。
俺はやれやれと内心で溜息を吐き、向かいに座るアレックスに視線を向けた。
「こうやって、面と向かって話すのは久々な気がするね」
「二十日ぶりと言った所か? 久々と言えば久々かもな」
魔王軍との戦いに日々では、互いに別行動も多かった。それでも、十日以上を離れた事は無かったはずだ。
しかし、アレックスは十歳から十五歳までの間、宮廷や教会で勇者としての修行の日々を送っている。
五年間も会わなかった期間があるので、俺にとっては長く離れたという感覚は無い。
「それで、今日は例の件について話し合うんだったね……」
「ああ、そうだ。何故、お前は『ホープレイ』解散を拒む?」
俺が王宮にある彼の部屋。アレックスの元を訪れた理由は一つだ。
戦争が終わったにも関わらず、彼が勇者パーティー『ホープレイ』解散を拒む理由。
そして、俺を『ホープレイ』から脱退させない様にした理由を知る為である。
「うん、僕も何て説明すべきか、本当に悩み続けたんだ……」
テーブルに両肘をつき、組んだ手の上に額を置く。そして、憂鬱そうに溜息を吐くアレックス。
彼は金髪碧眼で整った顔立ちであり、実に絵になる構図である。女性陣からは黄色い声援が飛びそうな光景だ。
しかも、今日の彼は白スーツ姿。細部にまで金の刺繍が入った、貴族が来そうな服装である。
俺と同じく農民の子のはずだが、彼が実は王子様では無いかと錯覚しそうになってしまう……。
「僕達は五年もの間、常に戦い続けて来たね。魔王軍を退けただけでなく、苦しむ人々を魔獣の脅威から救いもした」
「ああ、『勇者アレックス』の名に恥じぬ活躍だったな」
魔王軍との戦いでは常に勝利をもたらし、王国軍の中で『勇者アレックス』は戦神として扱われていた。
その上で、小さな村々で苦しむ人々も見捨てず、勇者パーティーとして個人的に人々を救う事にも尽力して来た。
――彼こそが真の勇者である。
彼に出会った全ての人々が、そう認めていたことを俺は知っている。
「けれど、僕は平和の為に戦っていた訳じゃない。いや、勇者になったのですら、この国の為ではないんだ」
「……何だと? それは、どういう意味だ?」
勇者とは神に認められた特別な存在。その国を救う平和の象徴として扱われている。
だからこそ、白神教でも聖人とされ、王侯貴族からも最上位の騎士――貴族待遇でもてなされている。
これまでの行動を見ても、彼はそんな『勇者』のお手本の様な存在だった。誰もが彼を勇者である事を疑わなかった。
それだというのに、彼はとんでもない事を口走りだした。
「僕が勇者になったのも、あの戦争に参加したのも……。全ては君の為だ! 君への不当な扱いを正すために、力が必要だから僕は『勇者』になったんだ!」
「俺の、為だと……?」
余りの発言に俺は戸惑う。何と言って良いかわからずいると、彼は勢い良く語りだした。
「ああ、そうだ! 僕の兄弟で、誰よりも優しいソリッド! 誰よりも努力家で、誰よりも強いソリッド! そんな君が冷遇されて良い訳がない! この間違いを正すには! 君の居場所を作り出す為には! 僕が勇者となって、世界を変えるしかないんだ!」
「え? ちょっと、待ってくれ……」
世界を変えるとか、間違いを正すとか、彼は何を言っているんだ?
何故だか嫌な予感が止まらない。俺は目の前の兄弟が、何やら不気味な存在に見えて仕方が無かった……。
「任せてくれ、ソリッド! もはや軍部は掌握した! 民衆の支持だって得られている! この国が君の存在を認めないと言うならば! そんな国はもはや不要! この僕が君に相応しい国を創ってみせる!」
「いやいや、本当に落ち着け。ここが王宮内だとわかっているのか……?」
周囲に人の気配は感じないが、流石にこの場でこの発言は不味い。誰かに聞かれては洒落にならない。
これは間違いなく、国家反逆罪で捕まる奴だ。紛れもなくテロリストの発想である。
誰かに洗脳でもされたのかと疑っていると、彼は立ち上がって俺の両肩をガシッと掴んだ。
「約束しただろ? 皆が敵になっても、僕だけはソリッドの味方だってさ。だから安心してくれ。君は何も心配せず、ずっと僕の隣に居てくれたら良いんだ」
「――っ……?!」
見慣れたはずの、彼の綺麗な青い瞳。その瞳に覗き込まれ、俺はゾワゾワと悪寒が走る。
俺の何かが警鐘を鳴らしている。彼が危険な存在だと、先程から俺の直感が告げているのだ。
「なあ、ソリッド。これからはパッフェルも含め、兄弟三人で仲良く暮らして行こう。誰にも邪魔はさせない。その為に僕達は戦って来たんだからさ」
「いや……。それは、その……」
……何かがおかしい。彼は本当に俺の知るアレックスなのだろうか?
その笑みも、その仕草も、間違いなく俺の知るアレックスのものだ。
それだと言うのに、その瞳の奥の輝きだけは、俺の知らない何かが宿って見えた。
「だから、僕から離れるなんて言わないで欲しい。そんな事を言われたら……。少しばかり、平静でいられなくなってしまうよ?」
これまでに、多くの猛者と相対して来た。どんなに巨大な魔物や魔獣だ相手だろうと、これまでに俺が怯むことなど無かった。
しかし、俺は生まれて初めて恐怖した。アレックスから放たれる、不気味なプレッシャーに気圧されてしまったのだ。
だから俺は、ただ必死に頷く事しか出来なかった。それが決して、正しい行動だとは思えなくても……。