魔族の姫
楽しい時間はあっという間だった。空は茜色に染まり、デートの時間は終わりに近づいていた。
「……今日はこれで良かったのか?」
「うん、もちろん! 超楽しかったよ!」
王都の中央にある公園で、あーし達はベンチに並んで座る。別に疲れてる訳じゃないんだけどね。
けれど、楽しい時間の終わりが嫌で、少しでもこの時間を引き延ばしたかった。だから、あーしは彼を引き留め続けていた。
「……この街って、凄く平和なんだね。少し前まで戦争してた何て嘘みたい」
「戦地から離れているからな。この街の住人は、戦争を遠い世界の出来事と思っている」
戦争の切っ掛けとなったのは、パール王国の国王による発言。だけど、パール王国自体は魔王国と隣接してる訳じゃない。
戦地となったのは、魔族と人族の領地の境界線。獣人族の領土と、ガーネット王国の間だった。その両者は五年の戦争で、多くの死傷者を出してしまった。
「戦争なんて無い方が良いよ。世界中がここみたいに、平和だったら良いのにね?」
「その通りだな。戦争は互いに傷付け合い、悲しみを生み出すだけの愚かな行為だ」
ソリッドは静かに頷き肯定する。あーしはその横顔を、チラチラと横目で眺め続けた。
「……ん?」
しかし、あーしはふと気付く。ソリッドの視線が遠くに向いていることに。そちらに視線を向けると、一人の少女が手を振っていた。
ソリッドはその少女に手を振り返す。けれど、あーしの視線に気付いた少女は、慌てた様子で走り出してしまった。
「今の子って獣人族? 何で逃げ出したの?」
「逃げ出した理由はわからん。ただ、人間と獣人族のハーフで、最近出来た俺の弟子だ」
人間と獣人族のハーフ? そんな女の子が、普通に街を歩いて大丈夫なのかな?
魔王国の中――特に獣人族の領地では、人間は堂々と表を歩けない。戦争で怒りや憎しみをため込んだ人達が、無関係な人間にも感情をぶつけてしまうからだ。
「この国って本当に戦争から遠かったんだね。あんな子が平然と歩けてるなんてさ」
「いや、そうではない。あの子も被害に合っている。戦争帰りの傭兵に、暴行を受けている」
さらりと放たれた発言に、あーしはポカンと口を開く。結構ショッキングな出来事のはずなのに、淡々と話し過ぎじゃないかな?
あーしはマジマジとソリッドの顔を見つめる。すると、ソリッドはあーしに視線を返し、同じく淡々とした口調で語りだした。
「けれど、彼女は迫害と戦う道を選んだ。自らの猫耳を晒し、魔族が人族の敵では無いと、証明しようとしている。これからの時代に、少しでも被害にあう人を減らそうと考えているのだ」
「え……?」
あーしは感情を押し殺す。身勝手かもしれないけれど、あーしにとって彼女は、同じ志を持つ仲間なんじゃないかって思ってしまった。
けれど、今はそれを喜ぶ場面じゃないとも思う。そもそもが、あーしは彼女のことを何一つ知らないのだから。
「……それって、茨の道じゃないの?」
「そうかもしれん。しかし、過酷な運命は自らの手で切り開くしかない。俺は彼女の意思を尊重し、ただ見守り続けるだけだ。……無論、助力を請われれば、全力で手を貸すつもりだがな」
ソリッドの言葉は、どこまでも平坦だった。ただ当たり前の事を口にしてるだけって態度。
彼女を助けるのを当然みたいに言うけど、彼女は単なる弟子なのかな? それとも、それ以上の関係だったりするのかな?
気にはなったけど、そんなことを聞けるはずがない。あーしはソリッドから目を逸らすと、別の話題を彼に振った。
「あーしはね、幸せな世界を作りたいんだ。魔族も人族も一つになって、みんなが笑顔でいられる世界。ずっと小さな頃からの夢なんだけど、ソリッドはそんな事は出来ないって思う?」
あーしはいつだって、自分の夢を口にして来た。周りの皆に話してきて、皆が口を揃えてこう言うんだ。
――出来たら良いね、って……。
誰もあーしの夢を否定したりはしない。けれど、本当に出来ると思ってる人には出会ったことがない。
みんなが他人事なんだ。応援してくれるけれど、心のどこかでは無理だって思ってる。唯一の例外はむっちゃんだね。
だから、あーしは口にしてから怖くなった。否定の言葉が返ったらどうしようって……。
恐る恐る視線を向けると、ソリッドの真剣な眼差しがあーしを捉えていた。
「出来るか、出来ないかは関係ない。それが叶えたい夢なのだろう? ならば、全身全霊で挑むべきだ」
「え……? 関係ないって……」
それは全力の肯定ってことで良いのかな? ただ、あーしは想定外の答えに、思わず戸惑ってしまったんだ。
「出来るかどうか何てのは、後にならければわからない。けれど、一つだけわかることもある。それは夢を半ばで諦めたなら、その後の人生は常に後悔が付き纏うという事だ」
「――っ……?!」
あーしにもわかる。ソリッドの言う事に間違いはない。きっと、ここで諦めたら、あーしはずっと後悔し続ける事になるって。
「だからこそ、挑め、戦え、決して諦めるな。必ず成し遂げると、自らの魂に誓うんだ」
「で、でも……。それでも、駄目だったら……?」
こんな弱気な発言は、あーしらしくない。いつもなら、絶対に言わない弱音だった。
けどね、むっちゃんはいつも、あーしにどうしたいか問うだけ。両親や友達も、無理をするなって言うばかり。
それなのに、ソリッドは戦えと言う。諦めるなと言う。そんな強い言葉を掛けられたのは、これまで初めてだったんだ。
そんな、あーしの初めての甘えに、ソリッド力強く宣言した。
「それでも駄目なら俺を呼べ。俺がお前の力になろう。夢は必ず叶うと証明してみせる」
「……う……うぐっ……」
あーしの瞳から、何故だか涙が溢れ出した。心と体が自分じゃないみたいに、わけがわからない状態になってしまう。
この気持ちは何なの? あーしはどうして泣いているの?
あーしは子供みたいに泣きじゃくる。ソリッドは固まってしまい、呆然とただ見つめるだけだった。
ただ、彼を見ていると、あーしの心がキュっとなる。それでいて、今までに感じた事の無い、安堵感に包まれていた。
「も、もし……。もしも、だけどね……? あーしが将来、魔王になったとしたら……」
――ずっと、隣に居てくれる?
喉まで出かけたその言葉が、どうしても発する事が出来なかった。彼に尋ねたいのに、あーしの体が従ってくれなかった。
けれど、心のどこかでは気付いていた。あーしは怖がっている。彼の返事が望む物で無かった時に、あーしの心が壊れてしまうんじゃないかって思ったんだ。
だから、あーしは本当に聞きたかった問いを封じ込めて、彼にこう問い掛ける事しか出来なかった。
「……皆が幸せに暮らせる世界。それを作るのに協力してくれないかな?」
「ああ、勿論だ。魔王で無かったとしても、いつだって俺を頼ってくれ」
今のあーしには、この問いが精一杯だった。けれど、ソリッドの返事を聞いて、心の中は幸せで一杯だった。
そして、あーしはむっちゃんの言葉を思い出す。むっちゃんが言った通り、ソリッドこそが本物。あーしにとっての、本当の『勇者』だったんだ。
「うぐっ……うぇ~ん……!」
「ちょっ、これは一体……?!」
あーしは気持ちが抑えきれず、大泣きを始めてしまう。人目を気にせず無くなんて、本当に小さな子供の時以来だと思う。
そして、隣に座るソリッドは、困った末にとんでもない行動に出た。あーしを胸に抱き寄せると、あーしの頭を優しく撫で始めたのだ。
「昔から無く子には弱いのだ……。頼むから泣き止んでくれ……」
先程までと打って変わり、ソリッドの口調はとっても弱々しかった。けれど、あーしはそんなソリッドにも、何故か胸がキュンキュンしていた。
あーしはソリッドの背中に腕を回す。その厚い胸板に顔を埋めて、彼のぬくもりを感じ続けた。
それは日がすっかり暮れて、むっちゃんが迎えに来るまでずっと続いたりした……。