チェルシー、十五歳の記憶
あーしの人気は天井知らず。むっちゃんの仕掛けた芸能活動により、魔王国内では知らぬ者が居ない程に、名声を轟かせ続けた。
どこに行っても皆が笑顔。あーしも嬉しくなって、皆に笑顔を振りまき続ける。そんな好循環が続いていたんだ。
――なのに、その循環が逆転した。
「パパ、どうして! どうして人間の国と戦争なんてするの!」
「ちーちゃんは知らなくて良い。これは魔王として、果たさねばならぬ務めなのだ」
パパの仕事部屋に詰めかけたが、パパはあーしの相手をしてくれなかった。あーしを無視して、ライオンさんと戦争の話を続けるつもりらしい。
顔なじみの騎士さんが、あーしの肩に手を置く。あーしを部屋から追い出すつもりなのだろう。けれど、あーしの話はまだ終わっていない!
――バチンッ……!
「――なっ……?!」
騎士さんの体が弾き飛ばされた。あーしの感情に呼応して、あーしの友達が力を使ったのだ。その証拠として、あーしの周囲には濃厚な闇が渦巻いている。
勿論、あーしの友達はちゃんと手加減している。騎士さんは尻もちをついているが、怪我はしていない。ただ、驚いた表情で、あーしを見上げているだけだ。
騎士さんには悪いと思うけど、あーしは彼を無視してパパへと詰め寄る。
「あーしは知ってるよ! 皆が何で怒ってるのか! あーしの事を馬鹿にされたから何でしょ? でも、そんなことで戦争なんて間違ってるよ!」
「間違ってない。ちーちゃんを馬鹿にする奴は、パパが必ずぶっ飛ばす」
パパが真剣な顔でキッパリと告げる。発言はいつものパパだけど、まとう空気は仕事時の魔王モードだった。
魔王モードのパパは、あーしの言葉を聞いてくれない事が多い。魔王としての立場から、私情を挟めない時のモードだからだ。
だから、あーしもこの時のパパには、普段は我がままを言ったりしない。けれど、今日は引き下がる訳に行かない。そう思っていると、ライオンさんが一歩前に出た。
「姫様、勘違いなさらぬように。これは魔王様の私情ではありません。魔王国の誇りに関わる戦いなのです。誇りを汚されたまま引き下がれば、我らは魔族である誇りを失うのです」
「わかんないよ、ライオンさん! 魔王国の誇りって何なの? それはそんなに大切な物なの……?!」
あーしが馬鹿にされたから何なの? 怒ってくれるのは嬉しいけれど、それで皆に喧嘩なんかして欲しくない。
喧嘩をすれば、後にはお互いに悲しみしか残らない。戦争なんてすれば、怪我どころか死ぬ人だって出るんだよ?
あーしには理解出来ない。人の命より大切な物なんて、この世にあるとは思えないんだ。けれど、パパは怒りを湛えた眼差しで、静かな口調でこう告げた。
「ちーちゃんはこの国の希望。この国の未来なんだ。皆がそうなると信じてる。だからこそ私達は、魔族の未来――そして、希望を汚す者達を許す訳にはいかないんだ」
「あーしが、この国の未来……?」
それは、あーしがシェリル様に似た、ピンク色の髪を持つ悪魔だから? シェリル様みたいに、『黄金の時代』を作れるって期待されてるってこと?
あーしは皆の期待が嬉しかった。皆の期待に応えたかった。けれど、皆から期待されるのって、こんなにも辛くて大変な事だったの……?
「行こう、リオ将軍。続きは作戦会議室で行う。関係者も集めておいてくれ」
「……承知しました、魔王様。それでは、私は部下達に声を掛けて参ります」
パパとライオンさんは、あーしを残して部屋を出ていく。あーしが部屋から出ないから、自分達から出て行ったんだろう。
そして、あーしはその背中を見つめ続けた。追いかける事も出来ず、掛ける言葉も浮かんで来なかったんだ。
そして、皆が去った扉に、一人の自分物を発見した。悲しそうな表情を浮かべた、あーしの先生であるむっちゃんだった。
「姫様、この戦争は止められません……」
「むっちゃん……」
むっちゃんと二人で始め、皆で幸せな世界を作ろうと頑張って来た。それなのに、どうして戦争なんて始まってしまったんだろう?
あーしはこんな世界を望んでいない。皆が喧嘩なんかせず、幸せに暮らせる世界が欲しかったはずなのに……。
「あーしが……。あーしが本物のシェリル様じゃないから……。あーしが馬鹿だから、ダメだったのかな……?」
皆はあーしの事を、シェリル様の再来として期待している。けれど、あーしは頭が良くない。大賢者って呼ばれる、シェリル様の代わりなんて無理だったんだ。
「きっと、シェリル様なら戦争なんて止められた……。ううん、そもそも戦争が起こらない様に出来たんだろうね……」
あーしの瞳から、ポロポロと涙が零れる。あーしが馬鹿だから。無力だから戦争なんて起きてしまった。
皆が期待してくれていたのに。あーしではシェリル様の代わりにはなれない。そう思うと、あーしは悔しくて涙が止まらなかった……。
「……それは違いますよ、姫様。シェリル様は皆が思うような、完璧なお方では無かった」
「――えっ……?」
むっちゃんが部屋に踏み込んで来る。ゆっくりとした足取りで、微笑みながら近づいて来る。
「あの方はいつも、私の母に泣きついていました。『また失敗した』『困った事になった』『どうしよう』と、母の助力を借りに来るのです」
「もしかして……。むっちゃんって、シェリル様と……?」
長生きしているとは知っていた。けれど、会ったことがあるとは、一度も聞いた事が無い。
相手は物語の中の人物。伝説として語られる存在なのだ。その生き証人が傍にいるなんて、あーしは一度も考えた事が無かった。
「あの頃の私はまだ幼く、直接関わった事はありません。けれど、我が母のシェリル様への評価はこうでした。『あの子は普通の女の子。けれど、いつも最後まで諦めない、頑張り屋な子なのよ』とのことです」
「え、うそ……。シェリル様が、普通の女の子……?」
シェリル様と言えば、『黄金の時代』を作った大賢者。魔族の皆が誇りに思う、最高の頭脳を持つ悪魔族のはずだ。
普通に考えれば、誰もが信じない話だと思う。けれど、それを話すのがむっちゃんなら、少なくともあーしは本当のことだって思えた。
「そんなシェリル様だからこそ、皆が力を貸してくれました。人間の勇者が話を聞いて、妻に娶るまでの関係になったのです。あの方はどんなに失敗しても、最後まで諦めなかった。だからこそ、最後には『黄金の時代』を築くに至ったのです」
「……最後まで諦めなかったから?」
最高の頭脳があったからじゃないの? 失敗をしなかったからでもないの?
本当の理由が諦めなかったから。もしそうだとするなら、あーしにだって同じ事が出来るのだろうか?
「私は人間では無いし、勇者にもなれません。けれど、姫様が諦めないと言うなら、最後までお付き合いするつもりです」
「むっちゃん……」
そうだ、あーしは本当に馬鹿だ。ここまで来れたのは、あーしの力じゃない。むっちゃんが頑張ってくれたからじゃないか。
なのに、あーしが無力だからって、馬鹿だからって……。それを理由するなんて、むっちゃんや仲間の皆に失礼じゃないか!
「どうしますか、姫様? ここで諦めますか? 皆が幸せに暮らす、姫様が望む世界を……」
「――諦める訳ないじゃん! あーしがそんなに、諦めの早い女に見えるの?」
今のあーしは十五歳の小娘。魔王ですらなく、世界に影響を与える立場でもない。
あーしの夢は、これから叶える物なんだ。まだまだ、走り始めたばかりの夢なんだ!
「……だから、お願い。むっちゃん、これからも――あーしの事を助けてよ!」
「……承知しました。愛しの我が姫君」
あーしはむっちゃんに手を差し伸べる。そして、むっちゃんはその手を取ると、手の甲へと口づけをした。
これはあの日の再現。バラの咲き誇る庭園で、幼いあーしが交わした約束。その約束を忘れていないと言う証明である。
あーしはまだ諦めていない。失敗して、状況が最悪だったとしても。それでも夢に向かって走り続けるって、新たに心に誓ったんだ。