伝説の賢者
俺は想定外の事態に頭を抱える。何故だか、チェルシー姫とヴァイオレットが、俺を『陰の勇者』に仕立て上げたらしい。
俺の知らない所での暗躍である。俺にはどうする事も出来なかったと思う……。
――いや、違うな……。
気付けるタイミングはあった。俺は魔王軍との戦いの中、ヴァイオレットと出会った。和平派の魔族であり、この戦争を終わらせたいと接触して来たのだ。
敵意が無いので話を聞いた。そして、夢魔族と和平派の存在を知らされた。その上で、俺は彼の計画に協力する事を決めたのだ。
平和を求める仲間として、俺が彼の言葉を信じた。そして、彼のシナリオ通りに動き、計画通りに戦争は終結した。彼の説明に嘘は無く騙したとは言い難い。
そういう意味では彼の言葉に問題は無い。ただ、俺を勇者に仕立て上げる事を、黙っていた一点を除いては……。
「ああ、それとソリッド。我が友への言い訳を許して欲しい……」
「……ん? 言い訳だと?」
ヴァイオレットは愁いを帯びた顔で、俺の事を見つめていた。黙っていた事に対して、彼なりに悪いと言う思いはあるらしい。
ならば、その話を聞こうと俺は姿勢を正す。ヴァイオレットはそんな俺に対して、嬉しそうに微笑みながら話し出した。
「この計画は両国の平和の為なのは確か。しかし、私個人としては姫様への忠義故なのです。それを説明するのに、まずは姫様の頭を見て頂けないでしょうか?」
「チェルシー姫の頭を……?」
チェルシー姫の頭に何かが付いている訳では無い。ピンク色のサラサラヘアーが揺れるだけだ。
そして、俺が頭を見つめていると、チェルシー姫が頬を染めて俯く。照れた様子で見上げる姿は、何となく胸にグッとくるものがある。
しかし、俺はその感情が何なのか良くわからない。そして、それ以上に背後で睨むパッフェルが怖い。まさか妹から、本物の殺意を向けられるとは思わなかった……。
「ピンクの髪を持つ悪魔族は、余り数が多くありません。更に魔王の一族の中では初めてとなります。――始祖である、賢者シェリル様を除いては、ですが」
「賢者シェリル……。伝説の勇者の話にあった女性か?」
俺の問いにヴァイオレットが頷く。そして、チェルシー姫は嬉しそうにはにかんだ。
「『ノアの書』の物語は魔族の中で高い人気を誇っています。その中でも、シェリル=ノア様の人気は断トツです。姫様はその子孫であり、更には闇の精霊に愛されし存在。全魔族にとって姫様は、救世主の再来として期待された存在なのです」
「救世主の再来だと……?」
俺はチェルシー姫を改めて観察する。可愛さと美しさが同居し、一種のカリスマ性を感じさせる。彼女を守りたいと思う者は多くいる事だろう。
しかし、俺が感じるのはそれだけだ。それ以外は普通の女性と変わりない。魔族の未来を背負う様な、そんな特別な存在だとは感じられなかった。
「そして、この戦争が起こった原因を御存じですか? パール王国の国王が、娘の誕生パーティーでこう言い放ったのです。――『同じ姫でもウチの娘の方が可愛いな。魔族の姫の何と品の無いことか』と」
「「――は……?」」
俺とパッフェルの声がハモる。説明の内容が余りに余りで、脳内の処理が追い付かない……。
この国の国王が、娘の誕生日パーティーで娘を自慢した。その引き合いとして、チェルシー姫を悪く言った。
――その結果、戦争が起きた?
「元々、魔族と人族の領域間では、小さな小競り合いはありました。しかし、戦争に成る程の険悪な仲ではありませんでした。パール王国の国王も、戦争を起こす気等は無かったのでしょう。けれど、貶した相手が悪すぎたのです。全魔族が敬愛し、未来を期待する救世主ですよ? ……当然の事ながら、多くの魔族がブチ切れた訳です」
「「…………」」
ちょっと待って欲しい。俺達の――いや、人族の認識では、魔族が唐突に戦争を仕掛けて来た事になっている。多くの人族にとって、悪いのは魔族側と言う認識なのだ。
しかし、魔族側には怒る理由があった? 自分達の敬愛する姫が貶されたから?
……理解はできるが納得は出来ない。この戦争でそれなりに多くの死傷者が出ている。俺達だって、命を懸けて戦った。
それだと言うのに、開戦の切っ掛けがそんな下らない理由だった何て……。余りの下らなさに、俺は眩暈すら感じ始めていた……。
「や、ほら……。魔族って感情に従う種族じゃん? 怒ると手が付けられなくなんのよ。あーしが止めてって言っても、誰も聞いてくれない位にさ……」
見るとチェルシー姫が涙目だった。肩身が狭そうな様子で、身を小さくしている。
……確かに、今の彼女の境遇を思うと居たたまれないな。望んでも居ないのに、自分が原因で大陸を巻き込む戦争が起きたのだから。
確かに思う所はある。しかし、その姿を彼女の前で見せるべきではないだろう。俺は気持ちを切り替えると、ヴァイオレットへと問いかけた。
「戦争の原因は理解した。しかし、それがどうして、チェルシー姫への忠義に繋がる?」
「良くぞ聞いてくれました! ああ、やはり私の見立てに狂いは無かった!」
俺の問いに対して、ヴァイオレットは感動した様子で叫び出した。俺とパッフェルは若干引いたが、チェルシー姫は苦笑いを浮かべている。
こういう反応に慣れているのだろうか? そう疑問に感じていると、ヴァイオレットが興奮気味に説明を始める。
「救世主と皆が姫様に期待しています! そして、姫様も皆の期待に応えたいとお考えです! しかし……しかしですよ! 戦争の原因となった姫様が、この先にその期待に応えられるでしょうか? かつての『伝説の賢者』、シェリル=ノア様のように!」
「む……? それは……」
ハッキリ言って難しいだろう。『ノアの書』に掛かれた物語では、人族と魔族が手を取り合い、平和に過ごす時代が記録されていると言うのだ。
終戦直後で互いに恨みもある。互いの理解を深めるならば、戦争の理由も話さなければならない。魔族が戦争を仕掛けた理由が、チェルシー姫を貶したからだと。
そんなチェルシー姫が動いた所で、人族が彼女の呼び掛けに応じるだろうか? 手を取り合って共存しようと言った所で、彼女に何かあれば戦争が起きると、人族は距離を置くだけだろう。
「そう、姫様だけでは難しい……。けれど、ソリッドが居れば話は変わります。姫様とソリッドの二人ならば、少なくとも魔族側は大人しくなるのです!」
「……何故、俺が一緒なら魔族が大人しくなる?」
これも『ノアの書』に絡むのだろうか? 俺が『伝説の勇者』の再来だとか?
恐らく、そういう理由もあったのだろう。けれど、ヴァイオレットの説明はそれとは違うものであった。
「ソリッドは戦場で多くの戦果を上げています。人族内での評価はアレですが、魔族側からは凄腕の暗殺者として知られているのです。更にはソリッドは暗殺者でありながら――驚く程に、魔族を殺していない」
「…………」
確かに俺は魔族の殆どを殺していない。戦闘不能に追い込んだりはしても、不要な殺しはしない様に心掛けていた。
それは俺の師が、魔族の人狼である事が一因なのだろう。彼等が敵だからと言って、どうしても殺しても良いとは思えなかったのだ。
戦場において、それは甘い考えだとわかっている。俺は自分が半端者の暗殺者だという自覚もある。だがそれが、ヴァイオレットには好都合らしかった。
「魔族は強者に敬意を払う。更には魔族を嫌悪せず、手心を加える善性の人物。ソリッドと戦った多くの者が、戦地から撤退した後にこう言うのです。『彼は本物の武人だった。人間ではあるが、敬意を払うに値する人物だった』とね」
「そういう、評価なのか……?」
戦場で人を殺さないのが武人なのか? 普通は多くの敵を殺した者が褒められるのでは?
どうして俺が敬意を払われているのか理解出来ない。俺が内心で首を捻っていると、ヴァイオレットは俺に対して微笑みを向ける。
「ソリッド、そういう所ですよ? 決して驕らず、誰に対しても敬意を払う。貴方のそういう所が、私は大好きなのです」
「………………そうか」
何だろう。物凄く恥ずかしいのだが……。
こんなストレートな言葉を初めて投げかけられた。大好きなんて言葉は、育ての親からしか言われた記憶が無い訳で……。
だが、俺は途中でハッと気付く。ヴァイオレットが何者であるのか思い出したの。
そう、彼の表の顔はホスト。そういうお店で働くインキュバスなのである。きっと、沢山の人に同じ言葉を投げ掛けているに違いない。
俺だけが特別だなんて思ってはいけない。俺は自分の心にそう言い聞かせる。
そして、気持ちを切り替えて、彼を見つめ返し――たが、無理だった。俺はそっと目を伏せ、彼と視線を交わさぬ様に、話の続きに耳を傾けた。