闇夜の烏
俺はパッフェルと共に宿へと戻った。俺が王都で利用するいつもの宿。パッフェルが一緒なのは、キャリーケースを置いて帰る為である。
しかし、俺はドアノブに手を掛けて、その手を止める。中に人の気配を感じたからだ。ただし、それが俺の良く知る相手だとわかり、俺は溜息と共に扉を開けた。
「……何故、お前がここにいる?」
「はははっ、久々の挨拶がそれ?」
明りの灯っていない暗い部屋。そいつは窓辺に一人で立っていた。そして、月明かりによって、そのシルエットが浮かび上がる。
細身の体に黒のスーツとシャツ。さらりと流れた長髪が右目に掛かって微かに隠す。そして、薄暗くてわかりづらいが、彼の髪と瞳の色は紫。これも人族には少ない色である。
彼はここにいるはずの無い知人であった。薄い笑みで出迎える彼を前に、俺はどうしたものかと対応に困る。しかし、背後のパッフェルは、俺に時間を与えてはくれなかった。
「ソリッド、知り合い?」
「ああ、ちょっとな……」
チラリと背後に視線を送り、パッフェルの顔色を伺う。やはりと言うべきか、明らかに警戒の色を見せていた。この感じでは説明せずに、帰ってはくれないだろうな……。
そして、問題の人物は窓辺をそっと離れる。ドアの傍のスイッチに手を伸ばすと、部屋の明かりを付けながら俺達にウインクして見せた。
「そんな所で立ってないで入りなよ? 久々の再開なんだし、積もる話もあるだろう?」
「……入りなよ、ではない。ここれは俺の借りた部屋だ。お前が居る事が問題なのだ」
俺は諦めて部屋へと踏み込む。パッフェルもそれに続くが、俺の傍を離れようとはしない。相手の正体が不明なため、俺の影に隠れる位置取りを心がけていた。
まあ、ある意味ではその対応は正しいと言える。彼の職業を考えるなら、パッフェルは近寄るべき相手では無いのだから。
「はははっ、そんなに警戒しないでよ。こう見えて、私はソリッドの親友なんだしさ?」
「「――えっ……?」」
俺とパッフェルの声がハモる。俺達にとって想定外の、彼の言葉によってである。
俺は戸惑って反応に困る。そして、ゴトリという物音がして、俺は背後に視線を向けた。その音の正体は、パッフェルが倒したキャリーケースであった。
「う、嘘よ……。ソリッドに、友達なんて……。親友なんて居るはずがない!」
「パッフェル、ちょっと待ってくれ。その台詞は流石の俺でも傷付くのだが?」
俺は胸の痛みを抑え、パッフェルの方へと振り向いた。しかし、何故かパッフェルは裏切られたと言わんばかりの表情で、俺の事を睨みつけている。
……うん、これは俺が悪いのか? 流石に謝る場面では無いだろうが、俺には返す言葉が見つからなかった。
仕方が無いので、俺は親友を名乗る男に向き直る。すると彼は、自らの胸をそっと抑え、傷付いた仕草で俺へと問いかけて来る。
「なあ、ソリッド。私と君は背中を預け合った戦友だろ? 友と思っていたのは、私だけだったのかい?」
「い、いや、それは……。確かにお前の言い分も、間違いでは無いのだが……」
相手の言葉に俺は内心で激しく動揺する。確かに俺は彼に背中を預けた。いや、命を預けた事すらある。そういう意味では、彼の言葉通り戦友と言えなくはなかった。
ただ、俺を戦友と呼んだのは彼が初めてだった。だからこそ、俺は戸惑ってしまったのだ。内心では驚き半分、嬉しさ半分という状態で……。
「まあ、その辺りは後でゆっくり話し合うとして……。初めましてお嬢さん。状況から察するに、君がかの有名なパッフェル=アマンで相違ないかな?」
「……だとしたら何なの? 自分は名乗らない無礼者には、サインを書く気も起きないわよ?」
何故だかパッフェルが、ケンカ腰で相手を睨んでいる。警戒しているとはいえ、ここまで嫌悪感を見せるのは珍しいな。
ただ、睨まれた方は涼しい顔である。彼は優雅な仕草で一礼すると、パッフェルに対してようやく自らの名を告げた。
「これは失礼しました。私の名前はクロウと申します。普段は夢の国にて、ホストを生業にしている者です」
「夢の国の、ホスト……?」
クロウの踏み込んだ自己紹介に、俺は思わず固まってしまう。パッフェルを相手に、そこまで話すとは思っていなかったのだ。
そして、パッフェルも今の説明で答えに思い合ったらしい。ハッとした表情を浮かべていると、クロウは楽し気にこう告げた。
「そう、私はブルームシティからやって来ました。魔王国の領地の一つ。そして、夢魔族が治める『快楽の街』からです」
「魔王国ですって? なら、貴方はまさか……」
パッフェルの表情が険しくなる。それは当然の反応だと言える。相手は魔王国の住人。これまで戦争をしていた、敵国側の魔族なのだから。
しかし、クロウはそんなパッフェルの反応すら楽しそうであった。魅力的な笑みを浮かべると、パチンとウインクしながらこう続けた。
「私は夢魔族――いえ、インキュバスと言う方が伝わりますかね? 人族と魔族の両方を相手に、友好関係を貫く魔族です」
「――えっ? 両方と、友好関係……?」
クロウの説明にパッフェルが目を白黒させている。理解が追い付かず俺に視線を送って来たので、俺は彼の言葉を肯定する様に頷いて見せた。
余り知られていないが、魔族にも色々な種族が存在する。夢魔族は魔族の一種族だが、人族にも魔族にもフレンドリーな種族なのだ。
彼等は他種族の夢に入り込み、その生命力を僅かに頂く。その代わりとして、相手には望む楽しい夢を届ける。互いにとってWin-Winな関係を築く種族なのである。
――ただし、夢魔族は秘匿された種族でもある。
その理由は、彼等の領地は『快楽の街』と呼ばれ、大人向けの遊び場とされているからだったりする。
三大欲求である食欲、睡眠欲、性欲を全て満たす場所。その中でも、公然と『性欲』を解消出来る店がある。特定の根強いリピーターに支えられる領地でもあるのだ。
そういった太い客への配慮から、夢魔族は自分達の存在を公にはしない。自らの領地に引き籠り、一部の顧客だけに知られる種族なのである。
……そして、俺は出来る事なら、その存在をパッフェルに秘匿し続けたいと考えていた。
「はははっ、まあそういう訳ですから。そんなに警戒しないで良いですよ。私がお嬢さんに危害を加える事はありませんから」
「まあ、ソリッドが大丈夫って言うなら信じるけど……?」
パッフェルがチラチラと伺いの視線を向けてくる。俺は平静を装いながら、パッフェルに大丈夫だと力強く頷いて見せる。
ここで詳細を語るのは控えたい。何とかこれで、この場は納得して貰わねば困る。
そして、俺の名誉の為に、これだけは言わせて貰おう。俺は『快楽の街』へ行った事が無いし、そういったお店を利用した事も無い。
クロウとの関係も、戦場だけのものである。あくまでもビジネスライクな付き合い。決して俺は彼等の種族の顧客では無いと明言しておく。
「……? ねえ、ソリッド。どうして、やり切った雰囲気出してるの?」
「……いや、何でもない。これは、俺の心の問題なのだから気にするな」
パッフェルは腑に落ちない表情で納得してくれた。彼女には理解出来ない領域なのだと理解したのだろう。
だがそれで充分。それで互いの心が平穏でいられるのだ。それ以上を望む必要等無いのだから……。
とまあ、こんな感じでパッフェルとクロウの自己紹介が完了する。そして、ここから俺達の長い夜が始まるのであった。