パッフェル、十六歳の記憶(後編)
私とソリッドは、その日も冒険者として活動していた。依頼内容は被災地調査。冒険者ギルドからの指名依頼である。
王国内のある街が壊滅したらしく、まずはその原因調査を行う必要がある。状況に応じて原因の排除。もしくは情報の持ち帰りを行う事になっている。
そして、今回の依頼にお兄ちゃんとローラは非参加である。別の軍事活動があるのと、勇者と聖女に万が一があってはという政治的な理由からだ。
……本当を言うと、私も参加を止められていた。しかし、私は王宮からの指示を無視し、ソリッドと行動を供にする事を決めた。この依頼は何故だか、とても嫌な予感がしたからである。
そして、とても残念な事だが、その予想は見事に的中した。
「グルルルァァァ……!!!」
「――くっ、馬鹿な! 何故、こんな場所に神竜がっ?!」
瓦礫と化した街の中、私達はそいつと遭遇する。漆黒の鱗で覆われた巨大なドラゴン。神竜と呼ばれる最悪の存在に……。
神竜はただのドラゴンでは無い。霊脈と呼ばれるマナ溜まりの土地があり、その一帯を支配する領域守護者なのである。
支配領域の周辺に住む人々は、土地神と呼んで崇めている。神にも等しい力を持ち、人類が手を出す事の出来ない生態系の頂点なのだ。
「……ちっ、何者かが領域を荒らしたか?」
ソリッドは私を抱えて全力で駆けている。しかし、神竜はこちらに気付き、その視線を向けている。どうも、私達の事を逃がしてくれる雰囲気では無かった。
私のその予想も正しかったらしい。新竜は巨大な翼を広げ、私達を目掛けて空を舞った。
「ソリッド、無理! 迎え撃つしかない!」
「くっ……。やれるか、パッフェル……?!」
やれるか、やれないかではない。殺るか、殺られるかである。殺られる前に、殺るしかないのだ。
正直、やれる自信なんて無い。あれは人類が倒せる存在では無い。長い歴史の中で、傷を負ったという記録すらない。そんな超常の存在なのである。
しかし、可能性はゼロでは無い。私には精霊魔法がある。それも、本家のエルフ達ですら使えない、特級という威力での行使が出来る。今はその可能性に賭けるしかなかった。
「ソリッド、気を逸らして!」
「わかった! 任せておけ!」
短い言葉で意思疎通は完了する。ソリッドは私から距離を取る。そして、腰のポーチから取り出したアイテムを、空に向かって投げ放った。
――カッ……!!!
空が眩い光で覆われる。ソリッドが良く使う閃光弾である。直視すればしばらくは盲目となる。視力を有する相手には、とても有効な目暗ましである。
事前に目を閉じていた私は、顔を上げて空を見上げる。神竜は光に目をやられたのか、先程よりも上空で身もだえしていた。
その隙に私は精霊へと願う。行使したい魔法をイメージとして伝えながら。
「水の精霊よ! 奴を穿て!」
――パキッ! パキキッ!!!
伝えたイメージは氷の刃。数多の刃で鱗を貫き、体内で冷気を解き放つ魔法だ。
魔獣であるドラゴンは冷気に弱い。変温動物が進化の元となるため、体温が下がると動きが鈍るのだ。例外としては水属性のドラゴンだが、空飛ぶドラゴンに水属性は滅多にいない。
「さあ、食らいなさい!」
神竜の周囲を無数の刃が覆っている。それらが一斉に神竜へと襲い掛かる。
――キン! キキン! ピキキ……パリン!
「……え?」
大半の刃が神竜の周囲で砕け散った。見えない障壁が存在するらしく、それが魔法を阻んでいるのだ。
しかし、私の魔法は何とか障壁を打ち破る。残りは一割程だと思うが、氷の刃が神竜の体に傷を付ける。そして、その一部が羽を貫き、神竜は錐揉みしながら墜落した。
「……やったか?」
近くへとやって来たソリッドが呟く。そのセリフは、やってない時のフラグなので止めて欲しい……。
実際の所、私の魔法は大したダメージを与えていない。皮膚を僅かに傷付けた程度だ。落下によるダメージはあるだろうが、それで死ぬ程に軟な存在ではないだろう。
私は落下地点に視線を向ける。舞い上がる土煙で視界が悪いが、何かが動くのは感じられた。私が身構えて様子を見ていると、唐突にソリッドが私を突き飛ばした。
――ゾン……
「かはっ……!」
何が起きたかわからなかった。ただ、ソリッドの短いうめき声だけが聞こえた。
私は顔を上げて周囲を見回す。すると、血だまりに沈む、ソリッドの姿を発見した。
「……え?」
わからない。何が起きたか。どういう状況なのか……。
ただ、ソリッドはピクリとも動かない。背中に大きな傷を負い、そこから血が流れている。私はその事実に、少し遅れて気が付いた。
「う、嘘だよね……?」
どうして倒れているの? いつも隣で、大丈夫と言ってくれたでしょ?
どうして動かないの? どうして今日は、大丈夫って言ってくれないの?
「い、いや……」
心がざわめく。どうして良いかわからなくなる。体は震えて言う事を聞かなかった。
いつもの自信が打ち砕かれる。私なら何でも出来るっていう、いつもの全能感が消えていた。
「い、いやぁぁぁ……!!!」
恐怖で体が動かない。それでも私はソリッドへと手を伸ばす。彼なら必ず助けてくれるって信じて。
けれど、ソリッドは動かない。私を庇って傷付いた。ソリッドの死を意識して、私の心は砕ける寸前だった。
「う、うぅぅぅ……。ソリッド! 起きてよ、ソリッド!」
ボロボロと涙が零れる。足は動かない。必死で這い出すが、ソリッドまでの距離が遠い。
そして、そこで私は目が合った。高い位置から私を見下ろす、巨大な神竜の瞳と……。
「う、うぅぅ……うわぁぁぁん! ソリッド……ソリッドォォォ……!」
私は小さな子供みたいに、ただ震えて泣き続けた。死の恐怖を前にして、私は何も出来ずにいた。
私はソリッドが居なければ何も出来ない。ちっぽけな存在でしかないのだと、この時程に痛感した事はなかった。
――ピシッ……パキッ……パリン……
何かがひび割れ、砕ける音がした。それが何なのかは、私にはわからなかった。
ただ、急に空気が変わったのは感じられた。息をするもの苦しい程に、周囲の空気が重たくなったのだ。
「――誰だ……? パッフェルを泣かせたのは……?」
気付くとソリッドが立ち上がっていた。そして、私は生まれて初めて、憤怒に燃えるその表情を見た。
――ギロリ……
ソリッドが神竜を睨みつける。すると、有り得ないことだが、神竜が怯えたみたいに一歩下がった。
「……お前か? お前がパッフェルを泣かせたのか?」
空気が振動している。ソリッドの怒りが波動となって伝わって来る。私は先程とは違った恐怖で、息も殺して固まっていた。
そして、それは神竜も同じに見えた。ソリッドはそんな神竜に対して、力任せに腕を振りかぶった。
――ザンッ……!!!
ソリッドが何をしたのかわからない。けれど、見えない刃で切り裂かれたみたいに、神竜の体がバラバラになった。
ドスンドスンと重い音を響かせながら、神竜の体が大地に転がる。私が唖然としていると、ソリッドはこちらに振り向き、小さな笑みを浮かべて見せた。
「――心配するな。俺が、何とかする……。パッフェルの悲しみは、全て俺が……」
ソリッドはそのセリフを言い切る事が無かった。途中でぐにゃりと体が折れて、その場に倒れてしまったのだ。
私は足に力が入らず、土にまみれながらソリッドの元まで這った。そして、彼の元に辿り着いた私は、彼の姿に驚かされる。
「傷が、無い……? ううん、服まで元に戻ってる……」
確かにソリッドは攻撃を受け、その背中に傷を負っていた。しかし、今の彼には傷どころか、服に裂けた跡も無かった。
私は幻を見たのだろうか? そう自分の目を疑うが、すぐ近くに神竜の遺体が転がっている。全てが幻なんてことはあり得ない……。
「……ソリッドが、やったの?」
何が起きたか、私には最後まで分からなかった。私では軽く傷を付けるのが精一杯。倒す事なんて到底無理な存在であった。
それをソリッドは一撃で倒した。生態系の頂点と言われる存在を、腕の一振りで葬ってしまったのだ。
――ソリッドは何者なのだろうか?
それは今でもわからない。知らない人には根暗なアサシン。良く知る人には凄腕の冒険者と知られている。
けれど、それだけの存在では無い。もしかするとソリッドは、私達とは根本的に違う存在なのかもしれない……。
なお、余談ではあるが、私達はこの依頼を切っ掛けに昇格する。人類史上初の領域守護者を討伐したパーティーとして、S級冒険者と認められたのだ。
大陸全ての人達が、その偉業を私が成したと考えている。真実を話しても、誰も信じる者は居ないだろう。更にはソリッド自身も、その事を覚えていなかったしね……。
だから、真実は私の胸の内に秘める事にした。この偉業を私の物とする代わりに、私の全てをソリッドに捧げようと決めたのだ。
そう、この世界の人達は真実を知らない。ソリッドが何者なのか。本当に最強と呼ばれるべき存在が誰なのかを。
ただ、私だけが知っている……。
――本当はソリッドが、人間を超越した存在なのだと。