ソリッド、十歳の記憶(前編)
その日、俺は懐かしい夢を見た。あの枯れ井戸での思い出が、記憶を開く切っ掛けになったのだろう。
俺達の国では十歳になると、花祭りに参加する義務がある。それは桜の花が咲く頃。白神教の司祭が取り仕切る、子どもの能力測定日である。
この世界には『鑑定の水晶』と呼ばれる、珍しい魔道具が存在している。関所や大企業等でも下位水晶なら利用されるが、白神教の司祭が使うのは上位水晶。詳細なステータスと、加護まで確認出来る代物である。
花祭りでの測定は、将来を占う重大な行事。各種ギルドは白神教へ多額の寄付を行い、その行事に参加する資格を得る。そして、将来有望な子供へと声を掛ける事が許されていた。
俺とアレックスも十歳になり、花祭りへと参加した。場所はフェイカー村に一番近い、ブートシティという名の町。その町に存在する教会内に十人程の子供が集まった。
「うわぁ、緊張して来た! 良い結果が出ると良いね!」
「アレックスなら大丈夫だよ。きっと良い結果になるね」
俺とアレックスは二人仲良く話し合う。他の子供たちは俺を恐れ、近くに寄って来なかった。ただ、この頃の俺はメンタルが鍛えられていた。そんな事はまったく気にならなかった。
むしろ、気になっていたのはアレックスの測定である。悪い結果になるとは思っていない。しかし、どれ程の結果が出るのかとドキドキしていたのだ。
アレックスは他の子よりも身体能力が高く、簡単な光魔術を使えたからだ。剣士にだってなれるし、魔術師にだってなれる。もしかしたら、騎士にスカウトされる事もあるかもしれない。
そして、アレックスの存在は噂になっていたのだろう。子ども達の中から、一番にその名が呼ばれた。
アレックスは司祭の前に歩み出る。そして、台に置かれた水晶に手を置き、司祭がその結果を確認する。
「――おぉ、素晴らしい! この子は加護を持っている! それも、最上級の加護! 『光の精霊に愛されし者』だ!』
加護とは、精霊や神獣、白の神様と言った超常の存在より与えられる能力。百人に一人の割合で所持する者が現れると言う。
更にその加護の中にもランクがある。下位の加護は『触れられし者』。中位の加護は『好まれし者』。そして、上位の加護が『愛されし者』となる。
加護を持つ者は、そのランクに応じて身体が強化される。更には加護を与えた対象に応じて、特定の魔術やスキルに効果補正が行われる。
光の精霊は光属性の魔術やスキルへの特大補正。身体能力の活性化や、回復魔術も多くが光属性。その汎用性は非常に高い属性である。
そして何より、パール王国は光の精霊王を信仰している。白の神の眷属であり、この地の管理を任された精霊王だからである。その加護を得た者は、代々『光の勇者』を襲名する事が定められていた。
「急いで教皇様へお知らせを! 王宮への知らせも急げ!」
「アレックス君、大切な話があるのでこちらに来てくれ!」
教会関係者が慌ただしく動き出す。アレックスは戸惑った様子だったが、俺と視線が合うとすぐに落ち着きを取り戻した。そして、余裕を見せてサムズアップすると、そのまま神官達に連れ去られてしまう。
その後、しばらくざわついたが、司祭が場を収める。すぐに残された者達だけで、花祭りが再開されることになった。
それから、他の子供たちが順次鑑定を受け、結果に応じてギルドの職員が声を掛ける。力が高い者、すばやさが高い者、魔力が高い者等が、それを必要とする職業に勧誘される感じである。
俺は一番最後に名前を呼ばれた。恐らくは、この黒目黒髪が原因なのだろう。ライバルである黒信教がシンボルとする色なので、その辺りは仕方が無いと割り切っている。
ただ、測定結果に関しては、誰もが予想していない結果であった。
「……マナが無い。そんな事があり得るのか?」
「え……?」
目の前の司祭は戸惑った表情であった。本当に珍しい結果だったらしく、水晶の示す結果を何度も確認していた。
しかし、表示される結果は変わらない。司祭は大きく溜息を吐き、そこに示された結果を会場内に読み上げていく。
ざわつく場内。皆が戸惑った様子であったが、俺はその後に更に驚かされる。どのギルドからも、俺に対する声掛けが無かったのである。
筋力やすばやさ、器用さ等は十分に高い。前に声を掛けられた子ども達とも、遜色が無いだけの数値があったはずなのだ。
何が起こっているかわからなかった俺に、目の前の司祭は痛ましそうな視線を向けていた。そして、何が起きているかを説明してくれた。
「……マナとは魔術やスキルを発動させる為のエネルギーです。それが無いと言う事は、どの職業についても、強い魔術やスキルが使えないという事になります。つまり、どの職に就こうとも、プロフェッショナルへと至れないという事なのです」
「プロフェッショナルに、至れない……?」
司祭の声や視線には、蔑み等の感情は含まれいなかった。ただ淡々と、事実を口にしているのだと理解出来た。
つまり、俺はどんな仕事をしても大成しない。将来の見込みが無いという事である。その事に思い至った俺に向かい、司祭は目を伏せて告げて来た。
「ご両親は農家でしたね。ギルドへの所属は諦め、親の仕事を継ぐ事をお勧めします……」
俺は農家が駄目だと思っている訳では無い。俺を育ててくれた両親に感謝し、その仕事に対して敬意も持っている。
しかし、俺は心に決めていたのだ。いずれ、アレックスの役に立つ存在になると。彼のすぐ傍で、力になり続けるのだと。
アレックスは勇者となる定めである。農家ではその従者にすらなれない。彼の力になれないのである。
「……嘘、ですよね? 俺にだって、出来る事はありますよね?」
俺は告げられた言葉が信じられず、司祭へと問いかける。しかし、司祭は口を閉ざし、ただ静かに首を振るだけであった。
その司祭は善人なのだろう。俺の縋る視線に対し、真っ直ぐに見つめ返して来た。決して目を逸らさず、誤魔化す言葉を口にしたりしなかった。
だから、俺はその言葉を受け入れるしかなかった。泣き叫んでも意味が無い。ただの子供に対し、誠実な対応を取る彼に、俺は不誠実な対応を取る気になれなかったのだ。
俺は司祭へと頭を下げる。そして、俺は一人で教会を後にした。村まで歩いて帰ったが、その時の事は何も覚えていなかった。