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マリー=アマン

 俺は台所に立ち、父さんの手伝いを行っていた。それは幼き日を思い出させる、心が落ち着く時間であった。


 しかし、そんな穏やかな時間は長く続かなかった。我が家へと台風の目が帰還したからである。


「たっだいまー! 最愛の妻が帰って来ましたよー! ジェダ、お出迎えのキッスはー?」


「……お帰り、母さん」


 帰宅してすぐ台所へ駆け込んでくるのは、母さん――マリー=アマンであった。かつてと変わらぬその行動に、俺は懐かしさと、ほんの僅かな羞恥心を覚える。


 しかし、当の母さんは気にした様子もない。目をパチクリと瞬いた後、ニカッと明るい笑みを浮かべた。


「ああ、そういや今日が帰宅日か。お帰り、ソリッド! ちょっと身長伸びた?」


「いや、身長は伸びていないが……。母さんは相変わらずみたいだな」


 母さんはカラカラと笑うと、俺の傍まで歩いて来る。――いや、目的は俺では無く父さんであった。俺の存在など無視して、父さんの唇に口付けをしていた。


「か、母さん、ソリッドの前で……」


「なになに? 子供の前だからってテレちゃって。ジェダったら可愛いんだから! いつもみたいに、マリーって呼んだら?」


 父さんが顔を真っ赤にして、母さんにからかわれている。そして、どうやら俺達が不在の間は、互いに名前で呼び合っていたらしい。


 両親の中が良いのは良い事なのだろう。ただ、からかわれた父さんは困った表情で、母さんの背中を強引に押していた。


「ほらほら、夕食の準備はボクがやっとくから。二人はテーブルに着いて、準備が出来るまで待っててよ!」


「ほいほーい! それじゃあ、今日の夕飯も期待してるからねー!」


 父さんとのコミュニケーションに満足したらしく、母さんは大人しくダイニングへと向かう。俺も父さんに促され、大人しく母さんの後に付いて行く。


 俺と母さんは向かい合ってテーブルに着く。母さんは両肘をテーブルに付き、組んだ手の上に顎を載せる。


 ニコニコと笑みを浮かべ、俺を見つめる母さん。ショートカットのブロンドヘアーに、透き通るような青い瞳。年齢は今年で四十歳のはずだが、それを思わせない若々しさがある。


 母さんは見た目も中身も、変わり無いみたいだった。そして、かつてと同様に、エネルギッシュなオーラを放ちながら、俺に対して話しかけてくる。


「いやー、流石の私もビックリだよ。ソリッドとパッフェルがドラゴンに乗って、帰って来るって言うじゃない? ウチの子達も随分と出世したなーって、ジェダと話してんだから」


「うむ、アレには俺も驚かされた。パッフェルは本当に出世したからな」


 パッフェルの立場は宮廷魔術師。それも、魔術師達を取りまとめる、魔導士・・・という立場にある。地位だけで言うなら、上級管理職となる。


 勿論、パッフェルに人を管理出来るはずが無い。あくまでもその地位を与えられているのみに過ぎない。基本的には決められた職務がある訳でも無い。


 とはいえ王宮側にも、パッフェル自身にも、その地位に就かねばならない理由がある。人類最強の最終兵器(リーサルウェポン)であるパッフェルは、少なくとも表向きは、王宮の管理下に居なければ不味い存在だからだ。


 そして、本質的にパッフェルは制御不能な『歩く天災』。王宮側も余程の事が無い限り、彼女を腫物を扱う様に接している。その代わりとして、アレックスが平和の象徴として、人前で頑張っている……はず、なのだが……。


 俺はアレックスの問題を思い出し、再び気が重くなる。この件も含めて、母さんには確認が必要だな。


 しかし、母さんは止まる事無く、俺へと質問を続けて来た。


「二人とも暇してるんでしょ。このままこっちに住むの? 住むんだった、村長に家の手配をして貰うけど? ああ、ちなみに一緒に住むのは無しね。この家はもう、私とジェダの二人だけの愛の巣になりましたので!」


「いや、愛の巣は良いのだが……。それよりも、パッフェルの件で確認がある」


 母さんの好きにさせると、いつまでも話が進まない。ずるずると先延ばしになる前に、俺は本題を切り出す事にした。


 そして、母さんも俺の意思を理解したらしい。ニマニマと笑いながら、俺に話せと目で訴えて来る。


「つい最近知ったのだが……。俺は戸籍上、村長の息子らしいな。パッフェルの件にも絡むと思うのだが、事情を説明して貰えないか?」


「おっと、自分で気づいちゃったかー! まあ、あんたが帰ってきたら、そのことは話すつもりで居たんだけどさ!」


 あっけらかんとした様子で、楽しそうに笑う母さん。何が楽しいのかは、俺にはわからない。ただ、母さんはいつも楽しそうなので、基本的に気にしても仕方が無いだろう。


 そして、母さんは口にした通り、その説明をする気だったのだろう。大きな胸の前で腕を組み、ウンウンと頷きながら説明を始める。


「事の始まりは十五年前。母さんが畑を耕していたら、誰かに呼ばれた気がしてね。仕事を放り出して森へと駆けて行った訳よ」


「……誰かに呼ばれた気がして?」


 それがどういう状況かは理解出来ない。しかし、母さんは理解出来ない行動を良く行う。本人も余り深く考えておらず、理解していない事が多い。


 今回もそういう状況なのか、俺の疑問を母さんは無視する。そして、気にすることなく話を続ける。


「夏の終わりで、グレートモスが出る時期な訳よ。それなりに危険な場所なのに、小さな子供がポツンと立ってたの。それが当時のあんた。五歳の時のソリッドだったのよ」


「そうなのか……」


 五歳の時の記憶は既にない。ただ、グレートモスと聞いて眉を顰める。それはグリーンキャタピラーの進化系。初心者殺しの魔物だからである。


 討伐推奨はLv10以上のパーティー。幻覚の鱗粉対策は必須で、可能なら風魔法対策も行うべき。そんな魔物が出る森に置かれ、小さな子供が無事で居られるとは思えなかったのだ。


 ちなみに母さんは、過去に冒険者だったそうだ。当時はグレートモスでもタイマンなら、素手でもイケると言っていた。


「幸いな事に襲われた形跡は無かったけど、話しかけて見たら困った状況になった訳よ。あんたはソリッドって名前以外、何も覚えていないって言うじゃない? 何故森に居るのかも、家や親の事もわからない。そりゃあ、当時の私も頭を抱えちゃったわ」


「なるほど……」


 俺が記憶喪失なのは知っている。拾われる以前の事は何も覚えていないし、俺自身が記憶喪失と自覚して育っているからな。


 ただ改めて思うと、母さんは本当に困ったのだろう。森の中で記憶喪失の子供なんて発見してしまったのだから……。


「ただ、話していると気付いたのよね。この子、凄く頭良いなって。泣きもせず、パニックにもならず、冷静に自分の状況を把握してるの。そんでもって、『このままだと死んでしまうので、助けて下さい』って訴えてくる訳よ」


「そうだったのか……?」


 そこは流石に覚えていないな。俺自身の事ではあるが、五歳でそれを言えるのは普通じゃない。


 母さんは頭が良いと表現したが、人によっては気味が悪いと思うだろう。特に俺は黒目黒髪で、魔族みたいな様子だった訳だしな……。


「その言葉を聞いて、私はピーンと来たね。この子は、パッフェルの婿に相応しいって」


「ちょっと待ってくれ。どうして、そうなった?」


 母さんが破天荒とは知っている。とはいえ、その発想は流石におかしいだろ?


 しかし、母さんはカラカラと笑うだけ。そして、俺のツッコミを無視して、話をどんどんと進めてしまう。


「パッフェルの婿として育てたい。けど、ウチの養子にしたら、将来結婚が出来なくなる……。そして、私は閃いたわ。――戸籍上は村長の息子にしてしまおうって」


「いやいや、まったく意味がわからないのだが?」


 俺を婿にしようと思った理由が説明されていない。その解決策が、村長の息子になる事も理解出来ない。


 俺は話を聞いた事で、余計に混乱してしまう。そんな俺に対して、母さんは楽しそうに笑い話を続けていた。


「ただ、村長とは揉めてねー。あっちは子供が居ないから、あんたを養子にするのは問題ない。ただ、自分の家で育てたいって言いだしてねー。私としてもパッフェルと一緒に育てたかった訳だしね。そこは本気で言い争いになった訳よ」


「……どちらかと言えば、村長の意見がまっとうに思えるが?」


 養子にするなら、普通は自分の手で育てるものだろう。育てられない理由があるなら別だが、村長宅は広さも、経済面でも問題ない。


 むしろ、戸籍だけ貸してと言う、母さんの方が非常識である。俺が内心で引いていると、母さんは更なる真実をぶっこんでくる。


「話し合いは平行線でねー。仕方が無いから、最後は腕力で話を付けたわ。そのお陰で、ソリッドは我が家で育てられる事になったのよ」


「待ってくれ。それは世間的に、話を付けたと言わないだろ?」


 腕力で話を付けるって何だ? それって、力ずくで言う事を聞かせたって事じゃないのか?


 型破りだとは思っていたが、ここまでとは想定外だった。混乱やらショックやらで頭が一杯の俺に対して、母さんはトドメの一撃をお見舞いして来た。


「まあ、色々と言ったけど、一言でいうとアレよね。今の状況は、母さんが直感に従った結果よ!」


「直感かー……」


 これが正しいと決めた母さんは、誰の話も聞いたりしない。その当時も、そうする事が正しいと決めたのだろう。


 そして、その決め手が『直感』という訳だ。俺自身の人生もそうだが、周囲も相当に振り回された事だろう……。


「ちなみに、本当は十五歳の誕生日に言う予定だったのよ? ただ、十五歳の誕生日に、あんた達揃って魔王を倒しに行くって言い出してさ。流石に母さんもマジかーってなって、説明って空気じゃなくなってさー」


「な、なるほど……」


 確かに俺達三人は、十五歳の誕生日に母さんに告げたのだ。俺達はこれから勇者パーティーとして、魔王退治の旅に出ると。十五歳となり成人したので、旅に出る事を許して欲しいと。


 ……うん、俺達も十分に破天荒だな。大人になったから魔王退治の旅って、普通の子供は言わないだろうし。


 俺は人の事を言えない立場だと理解した。そして、母さんからの理不尽な説明を、ただ黙って飲み込む事に決めたのだった。

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