アマン家
俺は一人で久々の実家へ戻って来た。幸いなことに、実家は変わった様子が無い。簡素で古めかしい木造の家屋である。
村のあちこちが変わっており、俺は最悪の事態も想定していたのだ。金ぴかな神殿にでもなってはいないかとな……。
俺は懐かしい気持ちでドアノブに触れる。こんな小さな村なので、扉に鍵は付いていない。俺はそっと扉を開いた。
「ただいま。母さんか父さんは居るか?」
「お帰りソリッド。ちょっと待ってね!」
奥から慌ててやって来る人物。それは、俺の育ての父――ジェダ=アマンであった。
くせっ気のある茶髪に優し気な瞳。五年前と変わらぬ姿だが、少し皺は増えただろうか?
そして、ピンク色のエプロンも五年前と同じ姿だ。父さんはタオルで手を拭いながら、俺に嬉しそうに微笑んだ。
「母さんは畑の方で仕事中だよ。父さんは夕ご飯の準備中。ソリッドはこっちで夕飯食べるよね?」
「ああ、用意して貰えると助かる。ただ、こっちでとは?」
ここが俺達の実家である。寝泊まりも実家のつもりだったし、夕食を食べるなら当然我が家であろう。
勿論、フェイカー村には大きな宿も有る。自立したのだから、そちらへ泊れというなら分かるが、父さんはそういう事を言う人ではない。
どういう意図かと疑問に思っていると、父さんは苦笑しながら教えてくれた。
「パッフェルは集会場で食べるみたいだよ。今日はディナーショーがあるから、お客さん達と食べるんだって」
「ディナーショー……」
妹が完全に有名人のムーブなのだが?
……いや、有名人なのはわかっていた。しかし、俺の認識はまだまだ甘かったという事なのだろう。
俺が小さなショックを受けていると、父さんが傍までやって来た。そして、俺の肩をそっと押しながら、優しく語り掛けてくれた。
「さあさあ、中に入って。少し父さんと話そうか」
父さんに促され、俺はダイニングへ向かう。そして、テーブルに着くと、父さんはホットミルクを用意してくれた。
五歳の時から十年間。ずっと父さんは気遣ってくれた。俺が疲れた時や悲しんだ時には、いつだってホットミルクを用意してくれた。
変わらぬ優しさに、俺の心まで温かくなる。暖かなカップに口を付けていると、父さんは向かいに座り、俺の事をマジマジと観察していた。
「五年ぶりだけど、随分と大人になったね。きっと、沢山の苦労をして来たんだろうね」
「そうかな? 自分ではわからないが、確かに苦労はして来たかもな……」
身長だけなら、それ程伸びてはいない。しかし、顔つきも変わったし、纏う空気も変わっているはずだ。
俺は村に居た時でも、三年程は冒険者として活動していた。しかし、あの頃は魔物や魔獣の相手をしていただけでしかない。
あの頃の俺は、人を殺した事が無かった。多くの人を殺した俺が、あの頃と同じであるはずが無かった……。
「――うん、だけどソリッドはソリッドだ! 不愛想な所はあっても、本当は誰より優しい、僕達の子供のままなんだろうね」
「父さん……」
ああ、きっと俺の悲しみを察したのだろう。いつだって父さんは、俺の気持ちに敏感だった。俺の欲しい言葉を掛け続けてくれた。
だから俺は、真っ直ぐに育つ事が出来た。家族と村長以外に疎まれようとも、それを気にせず過ごす事が出来たのである。
しかし、俺は父さんの言葉で、本来の目的を思い出した。『僕達の子供』と言ってくれた父さんに、俺は真っすぐ見つめて問い掛けた。
「俺が戻った理由だが、戸籍の件を確かめに来たのだ。俺はどうして、村長の息子として登録されている?」
「あ、ああ……。その件ね……。うん、その件は母さんが帰ってからにしようか……」
父さんはあからさまに動揺した様子で、すっと俺から目を背けた。オロオロと落ち着きない姿に、俺は思わず凝視してしまう。
いつだってニコニコと笑みを浮かべ、滅多に動揺を見せない父さん。こんな姿は見た記憶が無い。そこにはそれ程の、言いづらい理由があるのだろうか?
「ご、ごめんね、ソリッド? 父さんは、上手く伝えられる自信が無くって……」
「そ、そうか……。なら、その件は母さんが帰ってからにしよう」
俺の言葉で父さんはホッと胸を撫で下ろす。その様子を見て、俺もホッと胸を撫で下ろした。
俺としても父さんを困らせたい訳では無い。言いづらい話をズバッと話すのは、昔から母さんの役割だったしな。今回もそういう案件なのだろう。
一旦は納得した俺は、その話を脇に置く。代わりに、旅の間に気になっていた事を、父さんに問いかけた。
「そういえば、旅の中で気付いた事なのだが……。どうしてウチは、母さんが畑を耕し、父さんが家事をしているんだ?」
「え? どうしてって……」
俺の問い掛けに、父さんが目を丸くしていた。余りに予想外な問い掛けだったらしい。
ただ、俺からしたら不思議だったのだ。父さんが家事をしている事にではない。他所ではウチと違う理由についてだ。
どうもこれは、一般的では無いらしいのだ。不思議に思ったが、考えても答えは出なかった。しかし、父さんなら答えられると思い、いつか聞いてみようと考えていたのだ。
だが、父さんは不思議そうに首を傾げて、当然の様な口調で答えてくれた。
「だって、母さんは力持ちで、細かい事は苦手だろう? 逆に父さんは細かい事が得意で、力は強くないからね。そうするのが当然だと思うんだけど……」
「やはり、そうだよな。だが、他の家庭で違う理由が、俺にはまったく理解出来なくてな……」
父さんの答えに俺は満足する。やはり、ウチではそれが当然のことだと思う。しかし、他所がそうでない理由が俺にはわからなかった。
父さんはそんな俺に対して、更に不思議そうな顔をする。何やら困った様子で、俺に対して答えてくれた。
「えっと、一般的には男性の方が力持ちだからね。細かい事が得意なのは、女性の方が多いみたいだし……」
「いや、そんなはずはない。パッフェルは細かな事が苦手だ。仲間のローラもそうだったな。だが、冒険者や傭兵の男性には器用な者が多かった。野外であっても、手早く調理をする者ばかりだったぞ?」
そう、これが俺の見て来た真実。戦場では料理をする女性を見た事が無い。いつでも若手の男性陣が調理を行うのだ。
俺も父さん譲りの家事能力で、戦場では雑用全般で活躍した。戦場によっては若手騎士等と共に、皆の食事の準備をした事もある。しかし、女性が手伝う姿を見た事がないのだ。
それ以外では旅の宿等もそうだ。調理場には男性が立ち、女性陣は大量の料理を運んでいた。父さんの言う理論には、どこか無理があると思える。
父さんなら俺の気持ちを理解してくれるはず。そう思っていたのだが、何故か父さんはそっと目を瞑る。そして、ポツリと小さく呟いた。
「これも、戦争帰りの弊害なのかな? ……うん、ソリッドはそのままで良いと思うよ」
「……ん? それはどういう意味だ?」
父さんの口調から、肯定的な意見に思える。俺の考えを否定している訳では無さそうだった。だが、疑問に対する答えにはなっていない。
父さんの言う通り、適材適所なら話はわかる。だが、そうではない場合、どういった力が作用しているのだろうか?
俺の疑問は未解決のままである。しかし、父さんは俺を見つめ、ニコニコと微笑み続けるだけ。俺は答えが知れずにガッカリし、内心で大きく息を吐いた。