聖女ローラの報告
勇者パーティー『ホープレイ』の一員。聖女ローラとの約束の日がやって来た。
俺の泊る宿に、夜分遅くに停まる馬車。現れたのは、白いフードを被ったローラ。その護衛と思わしき二人の神官である。その光景を、俺は二階の窓から見下ろしていた。
そして、しばらくすると部屋の外からノックの音が聞こえる。扉を開くと護衛の二人を外に残し、ローラが一人室内へと入って来た。
「外の二人は大丈夫。信用出来る者達です」
「ふむ、そうか。その辺りは信頼している」
白神教は絶大な権力を持つ組織。人族の住まう東大陸に遍く影響力を持ち、教皇に至っては各国の王よりも地位が高いとされている。
しかし、巨大組織であるが故に一枚岩とはいかない。ローラは穏健派に所属するが、その他にも保守派、革新派等が存在する。
その勢力争いも激しいらしく、聖女であるローラはその行動を常に監視されている。今日のこの訪問にしても、かなりの調整を行い、周囲にバレない様に徹底されてのものだろう。
ローラはフードを下ろし、美しいブロンドヘアーを照明の元に晒す。そして、備え付けのテーブルに向かうと、椅子に腰かけ低い声で告げた。
「時間がありません。手短に報告します」
「ああ、わかった。それでは、早速頼む」
俺はローラの向かいに腰かける。するとローラは眉間に皺を寄せ、難しそうな表情を浮かべる。何やら話し辛そうな雰囲気だったが、逡巡の末に口を開いた。
「まず確認よ。貴方は五歳の時にアマン夫妻に拾われた。そして、養子となり、ソリッド=アマンとなった。この認識で正しいかしら?」
「ああ、正しい認識だ」
何故、そんな当たり前の事を聞くのだろう? その事は五年前――俺達が勇者パーティー『ホープレイ』を結成する際に伝えているはずだが……。
疑問には思うが、一先ずは様子を見る事にする。すると、ローラは小さく頷き、想定外の説明を続けた。
「調査を進める中で発覚したのだけれど……。貴方は戸籍上、ソリッド=フェイカーとなっていたわ」
「……フェイカー?」
フェイカーという名には聞き覚えがある。それは俺の生まれ育った村の、村長の家名である。彼の名前がパイオン=フェイカーなのだ。
そして、その妻の名はリア=フェイカー。三十年前に村を開拓した夫婦であり、残念ながら子には恵まれなかった。そんな老夫婦の名が、どうしてこの場で出て来たのだろうか?
「正直、私も意味がわからなかった……。でも、戸籍の管理は教会で行われています。そして、貴方の戸籍はパイオン氏が届け出を行い、彼の息子として受理されていたわ」
「なん、だと……?」
ローラの顔を見ると、困惑した様子が伺えた。話している彼女自身も、この報告に対して半信半疑なのだろう。
しかし、教会の登録がそうなっている以上、戸籍上の俺の父親は村長となる。まったくもって意味がわからん状況だが……。
「それを踏まえて、貴方から頼まれた調査の件ね。まず、パッフェルに関しては、貴方と結婚が可能よ。それを知った上の話であれば、お母様がパッフェルに話した内容に辻褄が合うわね」
「むぅ……」
ローラに調べて貰ったのは、パッフェルが語った内容。『他の人と結婚しないなら、ソリッドにずっと付いて行きなさい』と母さんが話したという件である。
そして、パッフェル自身もその事を受け入れ、俺に付いて行くと語った件でもある。俺が大陸中央のグレイシティへ向かうのに、彼女も同行するの気なのだとか……。
「そして、アレックスの件は、直接本人と会話したわ。王宮内での公務中に、彼と二人で話す機会があったの」
「それでアレックスは、どういうつもりだと?」
こちらは『ホープレイ』解散の件だ。アレックスが解散を拒否し、決して解散しないと神の名の下に誓ったのだ。
その上で、冒険者ギルドにも手を回し、『勇者アレックス』の名で解散を禁止した。それを無視した場合、冒険者ギルドは勇者と教会を敵に回す事になってしまう。
何故、アレックスがその様な奇行に走ったのか。その理由が知れると思い、俺はごくりと喉を鳴らした。
「貴方を手放したくない。ずっと傍に居て欲しいそうよ」
「……ちょっと待ってくれ。それは本当に彼の言葉か?」
どうしてそんな、男女の別れ話みたいな言葉が出てくる? 俺の中のアレックスは正義の体現者。そんな言葉を発するイメージが無いのだが……。
しかし、ローラは静かに頷いた。どういう感情かわからないが、彼女の顔は見た事もない複雑なものであった。
更にローラは顔を伏せ、肩をプルプルと震えさせた。そして、何やら苦しそうな声色で、淡々と語りだした。
「……貴方達が仲の良い兄弟だって知ってるわ。五年間も一緒に旅をしたんだもの。けれど、彼は人族の救世主。戦争を終わらせた英雄なのよ? その彼が、貴方と離れるのが寂しい。そんな事は認められないと、まるで駄々っ子みたいな事を言うのよ?」
「そ、そうなのか……?」
何故だろうか? ローラが今にも爆発しそうな、危険な気配を放っている……。
共に過ごした五年間でも、こんな彼女を見た覚えはない。俺は内心ハラハラしながら、彼女の言葉に耳を傾け続けた。
「王族も貴族も勝利に浮かれて好き放題言って……。教会内だって派閥争いで酷いものよ……。それでも、それでもよ? 王侯貴族の相手はアレックスが引き受けてくれる。そう思って、これまで必死にやって来たわ。私達がやって来た事が、決して無駄にならない様にって……」
「そう、か……。俺の知らない所で、相当な苦労をしていたのだろうな……」
実際、苦労しているだろうと予想は出来ていた。聖女ともてはやされても、彼女はトップの権力者ではない。教皇の孫の一人であり、教会に都合の良い人材であるだけだ。
それを理解し、自らの立場を利用して、彼女は保守派や革新派を牽制していた。彼らが不当な大義名分を掲げて、良からぬ活動を始めない様にと。
そして、アレックスは王国がスポンサーであり、多くの貴族ともコネを作っている。彼等が市民や敵国に対して手荒な真似をしない様に、正義の名の下に睨みを効かせていたと思ったが……。
「それなのに、あの馬鹿勇者は! ソリッドの為なら、王族だって相手にする! 戦争も辞さないとか言い出したのよ! 彼が何を考えてるか何て、私にだってわからないわよ!」
「わ、わかった……。わかったから、まずは落ち着こうか?」
テーブルに突っ伏して、シクシクと泣き出すローラ。俺は彼女の背中を優しく撫でて、彼女が落ち着くまで静かに待つ。
『大丈夫、ローラは良くやっている』『俺は知っている。お前は誰より頑張っていると』そう声を掛けながら、彼女が落ち着くまで慰め続けた。
それから、それ程の時間を掛けず、ローラは再び顔を上げた。目は真っ赤に腫れていたが、どこかスッキリした顔で彼女は微笑んだ。
「こんなに感情を出したのは久しぶりよ。あの頃の方が、私は自由だったと思うわ」
「そうか? あの頃でも十分に、周囲の目はあったと思うが……」
ローラは教皇の孫にして、勇者を補佐する聖女に認定された存在。戦地では王国兵から一目置かれ、支援の神官兵達からも崇拝の眼差しを向けられていた。
その為、ローラはいつだって『聖女』を演じ続けた。聖人君子であるかの様に振舞い、決して自らの感情を見せたりはしなかったはずである。
しかし、ローラはクスリと笑った。懐かしそうな眼差しで、俺に対して呟いた。
「良く、愚痴を言い合ったわね。あの頃は、支え合う仲間が居たんだもの」
「そうだな。確かにあの頃は、皆で愚痴を言い合っていたな」
一番愚痴の多かったのはパッフェルである。むしろ、愚痴の大半が彼女だと言っても良い。
その次に多かったのがローラだ。アレックスは自ら愚痴ったりはしなかったが、二人の愚痴には同意した。俺は聞き役に回り、皆を宥める場面が多かったが……。
「……今は支え合える仲間が居ないのか?」
「うん、ソリッド達とは違うもの。仲間は居ても、彼等にとって私は『聖女』だから……」
ローラの言いたい事はわかる。俺達にとってローラは、初めから聖女だった訳では無い。戦地を駆け巡る中で聖女と成った。元々はどこにでも居る、普通の少女だったのだ。
しかし、その時代を共にしていない者からすれば、ローラは出会った時から『聖女』なのだ。崇拝し、敬うべき存在であり、対等に語り合える存在では無いのだろう。
ローラは急に自らの頬を叩く。ペチペチと弱いものだが、彼女にとっては気合を入れる意味あいがあったのだろう。
「さて、本当にそろそろ時間が無いわね。私の家は門限が厳しいんだからね」
「ああ、時間を作ってくれて助かった。問題解決とはいかなかったがな……」
ローラは静かに席を立つ。その表情は『聖女』のものに戻り、一切の感情を裏側に隠していた。
外まで見送ろうと俺も席を立つ。すると、ローラはこちらに視線を向けて、済まなそうに口を開く。
「今のアレックスは何を考えてるかわからない。下手な行動はとらない方が良いわ」
「ああ、そうだな……」
こっそり国を出ようものなら、王国軍を使う事も考えられる。『勇者アレックス』の名は、それほどまでに力を持っているのだ。
そう思えば下手な行動は取れない。行動を疑われるだけでも、監視体制を築かれる可能性すらあるだろう……。
「それと、故郷に戻ってみたら? 貴方のお母様と、一度話をするべきだと思うわ」
「うむ、確かにその通りだな」
パッフェルの件もある。戸籍の件を知っているなら、そうなった経緯を聞く必要がある。
それに、アレックスの事も何かわかるかもしれない。彼の母親として、思い当たる節があるかもしれんからな。
ローラからの的確なアドバイスに、俺は内心で感謝しながら頷いた。そして、ドアノブに手を伸ばした彼女は、それに触れる寸前に手を止めた。
「……また、会いに来ても良いかしら?」
「無論だ。そちらの都合に合わせよう」
ローラの立場を考えれば、簡単に来れるものではない。それでも彼女は来たいと言う。それ程までに、教会は息の詰まる場所なのだろう。
ならば、たまの息抜き程度には付き合うべきだ。その程度で役立てるなら、俺の時間なんていくらでも調整しよう。
ローラは俺の返答に微笑みを浮かべる。そして、そっとドアを開いて部屋を出ていく。
彼女が廊下を歩いて行くと、待ち構えていた従者も付き従う。ローラはそのまま、振り替える事無く去って行った。
「……余り無理をするなよ?」
窓へと移動した俺は、出発する馬車をじっと見つめる。闇の中に消え去る仲間を、俺は静かに見守り続けた。