トラウマ
一旦、俺達はダンジョンから出る事にした。臨時パーティーが解散となった以上、このままダンジョン攻略を続けるのが困難だからである。
俺を先頭にして、ミーティアとクーレッジがその後に続く。そして、俺の背に向けて、クーレッジの再三の確認が投げかけられる。
「ソリッドさん、本当に違うんですね? みーちゃんに手を出す気は無いんですね?」
「……ああ、そういう意図は無い。困っていたら助ける。それを伝えたかっただけだ」
このやり取りも何度目だろうか? クーレッジは中々に、俺の言葉を信じてくれなかった。
そして、ミーティアはミーティアで、背後でブツブツと呟いている。不満げな様子で、クーレッジへと苦情をぶつけていた。
「そんなに何度も確認しないでよ。別にそういう意図があっても良いじゃない」
「良い訳ないでしょ。私には悪い虫が付かない様に、守る義務があるんだから」
ミーティアの家族にでも頼まれたのだろうか? クーレッジは過保護とも言える程に、ミーティアの事を大切にしている理由は。
まあ、悪い事ではないのだろう。その悪い虫とやらに、俺が含まれているのは複雑な気分ではあるのだが……。
「――待て。何かがこちらに向かっている」
「「え……?」」
こちらに駆け寄る気配を感じ、俺は両手に短剣を構える。ここはダンジョン内なので、警戒するのは当然の処置と言える。
しかし、不可解なのは相手の位置である。ダンジョンの出入口の方から、こちらに向かっているのだ。道中の魔物は全て倒され、あちらに気配は無かったはずなのに……。
勿論、ダンジョンの魔物は、魔力によって定期的に生み出される。時間が経てば、来た道に生まれる事もあるだろう。
しかし、こんなに早く生み出されるとは思えない。ならば、こちらに駆け寄る存在は、魔物では無いという事だろうか?
警戒を続けながらも、俺は疑念を胸に抱く。そして、疑念はすぐに晴れる事となる。
「――ミーティア!」
「え? ハル……?」
その正体は赤毛の剣士ハルであった。彼は汗だくになりながら、息を切らせて駆け寄って来る。
それから少し遅れ、茶髪の弓士アシェイもやって来た。ハルよりも体力の劣る彼は、呼吸も困難な程に疲労している様子だった。
何のために戻って来たのだろうか? そう考える俺達に対して、ハルは唐突に頭を下げた。
「さっきはごめん! 俺は何もわかってなかった!」
「え? 何のこと?」
状況からして、ハルの謝罪対象はミーティアなのだろう。それを理解して、彼女は戸惑いながらハルへと問いかける。ハルは頭を下げたまま、ミーティアの問いに答えた。
「君が黙っていた理由。それがわかったんだ。盗賊ギルドで暴行を受けた女の子――それが、君なんだよね?」
「――っ……?!」
暴行を受けた? 穏やかではない言葉だな……。
俺は怪訝に思いつつ、背後のミーティアへと視線を向ける。すると、彼女は真っ青な顔で、身を震わせていた。
「その女の子は、酷い怪我を負ったって聞いた。だから、いつも明るいミーティアと、すぐに紐づける事が出来なかったんだ。けれど、その女の子は猫耳の魔族だって噂だった。今になって、その事を思い出したんだ……」
ハルは顔を上げ、泣きそうな表情をミーティアへ向ける。しかし、ミーティアは怯えた様子で、身を震わせるだけだった。
状況がわからない俺は、隣のクーレッジへと視線を向ける。すると、彼女は苦々し気な表情で、俺に対して話してくれた。
「私とみーちゃんが、それぞれギルド登録の為に別れた時の事よ。戦争帰りの傭兵団とすれ違って、その傭兵の一人がみーちゃんに殴り掛かって来たの。外傷は盗賊ギルドが神官を呼んで、完治したんだけどね」
「なん、だと……?」
俺はその話を聞かされていない。状況からすると、依頼主のギルドマスターは知っているはずである。どうして俺にその事を黙っていた?
様々な思いが胸内で渦巻く。すると、黙り込んだ俺が、疑問に感じたと思ったのだろう。クーレッジが補足説明を続けた。
「その傭兵って、戦地で恋人を殺されたんだって。それで魔族を恨んでいて、みーちゃんの猫耳を見て、かっとなったって……」
「……それは、ミーティアとは関係の無い事だ」
わかっていても、俺はその言葉を口にする。その傭兵だって理解はしているだろう。それでも、自身の感情を制御出来なかったのだ。それ程までに、魔族への憎悪が深かったために。
それをクーレッジも理解しているのだろう。激しい憎悪を抑えて、淡々とした口調で話を続ける。
「そう、みーちゃんには関係ない。けれど、そんな人は他にもいるはず。その人だけじゃないって思った。だから、私達は二人で話して決めたのよ。知らない人には、みーちゃんの耳を見せない様にしようって」
俺はミーティアの頭に視線を向ける。今は迷彩のバンダナが巻かれ、猫耳を含めて頭部が隠されている。
そして、そのバンダナこそが、二人で話し合った結果なのだろう。今まで俺達に対しても話せず、ずっと二人で隠し続けていたのだ。
俺はその事実に胸を痛める。すると、同じくハルも悲痛な面持ちで、ミーティアに対して訴えかけた。
「俺は、ミーティアが魔族だって構わなかった! ただ、その事を話してくれなかったのが、悔しくて、許せなかったんだ!」
「え……?」
思い詰めたハルの表情に、ミーティアが目を丸くする。不思議そうに見つめる瞳に、ハルは居心地悪そうにな様子で話し続ける。
「だって、ミーティアはいつも明るくて、ソリッドさんの弟子で、戦闘時の指示も的確で……。凄い人だから、これからもパーティーを続けたいって思ってたんだ……」
「そんな、私は凄い人なんかじゃ……」
ミーティアは、ハルの言葉をやんわり否定する。褒められた事を嬉しく思うよりも、戸惑いの方が強いみたいだった。
そして、何故かクーレッジは、勝ち誇った表情を浮かべている。この子は何というか、空気を読まない子なんだなと思った……。
「けど、耳の事を隠してて、信用されてないんだって思った。仲間と認められて無いって思ったら、凄く悔しくなったんだ……」
「え、えっとね? 認めるとか認めないとか、私はそんな偉い立場なんかじゃないよ? 本当に凄いのは師匠なんだからね!」
何故だから俺の方に話の矛先が向いている。ただ、俺は特別な事をしたつもりは無い。全てはミーティアが頑張った結果だろう。
というか、彼女は本当に優秀なのだ。非常に素直で、教えた事を何でも覚える。出会った時に基礎を知らなかったが、それは不幸な事故があった結果なのだろう。
俺は何というべきか悩んでいたが、話は勝手に流れ始める。俺の話題はどこかに流され、ハルがミーティアに訴えかける。
「俺は、君の事情を考えてなかった。独りよがりな考えで行動してしまった。――だけど、許されるならやり直したい! また、ミーティア達と一緒に、パーティーを続けたいんだ!」
ハルの瞳には必死さがあった。その言葉に嘘は無いのだろう。それは恐らくミーティアにも伝わった。
そして、ミーティアは躊躇する様に身をよじる。色々な思いで悩んだ末に、ハルに対して問い掛けた。
「……本当に良いの? 私の耳のせいで、迷惑掛けるかもしれないよ?」
「迷惑なんかじゃない! 次に同じ事があれば、きっと俺が守るから!」
ハルは真っすぐミーティアを見つめる。その実力があるかは別だが、その想いは本物なのだろう。
ミーティアは困ったように――そして、嬉しそうに微笑んだ。
「うん、ありがとう。私もハル達と一緒に、また冒険出来ると嬉しいな」
「ほ、本当に? 俺の事を許してくれるの?」
ハルが顔色を伺う様に、ミーティアへと問いかける。その問いに、ミーティアは笑顔で頷く。
ハルはパッと笑顔となり、嬉しそうに手を握り締める。少し離れた場所に居たアシェイは、そんな二人のやり取りにホッと胸を撫で下ろしていた。
――良かった。決して最悪の結果では無かった。
俺のミスが消え去る訳では無い。だが、彼等にとって最悪でないなら、そんな事は些細な事だ。俺のミスは、別の形で償えば良いのだから。
新人冒険者である彼等が、良い再スタートを切る事が出来た。そう安堵していた俺は、すっと前に出るクーレッジの気配に気付く。
「……くーちゃん?」
ニコニコと笑みを浮かべるクーレッジ。ミーティアは不思議そうに問いかけるが、彼女はその問いに答えない。
そして、ミーティアではなく、ハルの手前で足を止める。彼の肩にポンと手を置き、彼女はこう宣言した。
「私達をダンジョン内に置き去りにしたこと。私は決して忘れないから」
「えっ……」
笑顔のままで、無慈悲に告げるクーレッジ。そのギャップが凄みを増し、ハルは顔面蒼白となる。
ハルは冷や汗を流し、ガクガクと身を震わせる。そして、蚊の鳴くようなか細い声で、何とかクーレッジに言葉を返す。
「信頼を得られるよう、必死に頑張ります……」
「うん、そう。期待しないで待っているわね?」
まあ、クーレッジの視点からすれば、そういう見え方にもなるのだろう。今回は俺が居たから良かったが、下手をすれば二人は危ない状況であったしな。
ならば、戒めとして覚えておくのは悪い事ではない。その戒めが厳しすぎて、ハルが悲壮な人生を歩まぬ事を祈るばかりである……。