領域の奇跡
意識が覚醒すると、俺は地上へと戻っていた。周囲は闇の世界では無く、元の孤島の景色へと戻っている。
そして、俺の目の前で『憤怒の厄災』が、その巨体を霧散させる。恐るべき鬼の中から、鎧姿の武者が姿を現した。
「――ち、父上……?!」
崩れ落ちる源蔵殿に、吹雪姫が駆け寄る。そして、地面に倒れ落ちる直前に、その体を抱き留めた。
「吹雪、済まなかったね……」
源蔵殿は仮面を外す。その下からは穏やかな笑みが現れ、その事に吹雪姫は動揺する。
「元の、父上なのですか? 『憤怒の厄災』は消えたのでしょうか?」
「私の元からは去ったらしい……。今は彼の手中に収まっているよ……」
源蔵殿は震える手を上げ、その指を俺の左手に向ける。俺と吹雪姫はその視線を追い、そこにある物に目を見開く。
いつの間にか、俺の手中に一本の短剣が握られていた。真っ黒な刀身で出来た、凄まじい力を感じる短剣である。
「『厄災』は、彼に従うらしいね……。今では只、純粋な力の結晶となったよ……」
「そ、そうなのですか……? いえ、流石はソリッド様と言うべきでしょうか……」
源蔵殿の言葉に納得顔の吹雪姫。だが、そんなに簡単に信じられる話だろうか?
俺は手中の黒刀を見るが、これが『厄災』とは信じられない。元々が、凄まじい妖気を放つ妖刀だった訳だし……。
しかし、その事を問い掛ける時間は無いらしい。源蔵殿の腕が崩れ落ち、吹雪姫が驚愕に身を震わせた。
「ち、父上……?! これは、どういう事でしょうか!」
「済まない……。余り時間は残されていないらしい……」
ゆっくりとだが、徐々に崩壊の始まる体。そんな中でも源蔵殿は笑みを浮かべていた。
そして、これが最後の言葉となるのだろう。吹雪姫も覚悟の表情で、静かに耳を傾けた。
「私の魂は呪いに蝕まれ、この身は最早助からぬ……。だが、ソリッド殿のお陰で最良の形で終われた……。私は悔いを残さず、この世を去る事が出来る……」
最悪の事態は吹雪姫に『厄災』が移ること。その未来だけは避けようと、源蔵殿はサファイア共和国を滅ぼすつもりだった。
しかし、『憤怒の厄災』は何故か大人しくなった。鬼龍院家の恨みがまったく感じられない状態となった。
鬼人国がサファイア共和国を襲う理由は無い。かの国の人々に知られる事無く、戦争は回避されたのである。
「ああ、吹雪の見る目は確かだった……。彼ならば後を任せられる……。きっと我が国は、より良い未来を進むのだろう……」
「父上……」
パキパキとひび割れ、今にも崩れそうなその笑顔。吹雪姫は堪えられず、瞳の雫をポタポタと落す。
源蔵殿は満足げに頷く。そして、その視線をこちらへと向けた。
「父親としての、最後の願いだ……。ソリッド殿、どうか吹雪と、幸せな家庭……」
――ふぃっふぃ~! ふぃっふぃ~!
源蔵殿の言葉を遮る様に、馴染みのある音が耳に届く。音源は離れて控えていた、メロディーの元からだった。
彼女は気まずそうに魔導デバイスを取り出し、慌てて自身の耳に当てる。すると、驚いて眼を見開いた後、慌てて俺の元へと駆け寄って来た。
「ソリッド様! 姐さんから緊急の連絡です! スピーカーモードにしますね!」
「パッフェルからだと……?」
この状況で緊急の知らせだと? あちらで何か起きたのだろうか?
吹雪姫達には申し訳ないが、こちらを無視も出来ない。俺は魔導デバイスへと耳を傾けた。
『ソリッド、母さんから緊急の連絡! 状況がわからないから、言われた事をそのまま伝えるね!』
「母さんから……? わかった、頼む」
育ての親のマリー=アマン。彼女の言葉を無視するなんてあり得ない。
彼女の言葉は予言者の如く的確。必要な時に、必要な言葉が届けられる事が多い。
本人の陽気な性格で誤解されがちだが、緊急時の知らせ程、無視してはいけないのである。
『ソリッドの居る場所は聖域! 領域守護者が守っていた霊脈なの! この世界――ポラリースと強く繋がる場所なのよ!』
「ポラリース……?」
この世界と言ったが、名前があるとは知らなかった。ただ、それと強く繋がるとはどういう意味なのだろうか?
『ポラリースはソリッドの活躍を見ていた! そして、最善の結果を出したソリッドに、報酬として願いを何でも一つ叶えると言ってるそうなの! 時間が無いって言ってるけど、今のソリッドに緊急の願いがあるって事なのよねっ?!』
「緊急の願い……?」
俺は視線を吹雪姫に向ける。その瞳には、もしやという期待が宿っていた。
俺は次に源蔵殿の姿を確認する。その身は半分砕けていたが、まだ辛うじて命を繋いでいた。
「もし、何でも願いが叶うと言うなら……」
ああ、なるほどと納得する。確かにそれは緊急の願いだろう。もう数分もすれば、叶う事が無くなる願いだ。
ポラリースが何なのかもわからない。どうして、このタイミングで連絡が来たのかも不明だ。
ただ、世界が俺に望んでいるのだろう。その奇跡を俺が望み、口にすることを……。
「全てを背負い、ただ娘を守ろうとした父親を……。娘の元に返して貰えないだろうか?」
どんな願いが叶うとしても、この瞬間に願う望みなんて、他にあるはずがない。
目の前の親子が悲しまずに済む。それこそが望みうる、最高の終わり方となるはずである。
そして、俺の願いが届いたのだろう。島全体が黄金色に輝き出して、源蔵殿の崩壊もピタリと止まった。
『――その願いを承認します……』
頭の中に響く声。それは俺だけでな無かったらしく、皆が驚きの表情を浮かべていた。
ただ、輝きが更に増して行き、目を開けているの辛くなる。眩い光の中で、その奇跡は行使された。
『――再誕……』
その声の直後、周囲の輝きが弾け飛んだ。先程の光が夢か幻であるかの様に、一瞬で消え去ってしまったのだ。
しかし、それは夢でも幻でも無かった。その証拠に、奇跡の証明がそこにはあった。
「私の体が……。元に、戻っている……?」
源蔵殿は吹雪姫の腕から離れ、自分の足で立ち上がる。そして、崩れたはずの腕が生えている事を、信じられないと眺めていた。
「父上……? ご無事なのですね、父上!」
その様子を見て、胸に飛び込む吹雪姫。源蔵殿は娘を抱き留めると、自信も瞳に涙を溜める。そして、互いに確かめ合う様に強く抱きしめ合った。
この奇跡が何なのかはわからない。けれど、俺は源蔵殿の魂が、正常な状態にある事を確信していた。
先程の奇跡の影響か、他に要因があるかは不明だ。けれど、今の俺には人の魂の状態を、知る事が出来るみたいだった。
「――いや、今はそんな事はどうでも良い……」
色々とわからない事が多い一件だった。けれど、無事に事件が解決したのは確かなのだ。
悲しい宿命を背負った親子が、今では幸せに抱き合っている。今はそれが見られただけで十分だろう。
――良かったね! ソリッドちゃん♪
不意に聞こえた声に、俺はポカンと口を開く。周囲を確認するが、誰もその声を聞こえていないらしい。
聞き覚えがある、懐かしい声に思えた。けれど、その声が何なのかはどうしても思い出せなかった。
まあ、他の人には聞こえていないしな。俺はそう考えて、先程のは空耳だったのだろうと判断した。