鬼龍院家の呪縛
俺は影の武装覇気を纏い、地を這うように『憤怒の厄災』へと迫った。
――はずなのだが……。
何故か俺は、影の世界に一人で立っていた。周りは真っ暗闇で何も存在しない世界である。
そして、足元に視線を向ける。そこには『憤怒の厄災』の姿が映し出されている。
感覚的には、あちらは鏡越しに見える世界。こちらとは別世界みたいだと感じている。
『――なっ……?! どこに消えた! これも影遁の術かっ……?!』
向こうの世界では『憤怒の厄災』が狼狽えていた。突然、俺が消えた様に見えたのだろう。
そして、その理由も恐らくは正解だ。どうも俺は影遁の術で、影の世界に入り込んでしまったらしい。
「まあ、結果的には問題あるまい……」
俺は地面に手をつく。『憤怒の厄災』の足裏に触れると、俺の気を流し込んでいく。
こうやって彼の中の魂へと触れるのだ。そうすれば、彼の隠している秘密を探れるはずだ。
そして、彼の中に存在する、熱い塊に気付く。俺の気がそこに触れた所で、俺自身にも変化が起きた。
――ずぷん……。
「――むっ……?」
それは不思議な感覚であった。俺の魂と源蔵殿の魂が、一つに繋がった感覚と言うのだろうか?
今ならば彼の魂に刻まれた、あらゆる記憶を確認出来る。俺は自らの直感に従い、彼の記憶を探り始めた。
『――良い。良いのだ。皆が幸せならば、我が人生に悔いは無い……』
唐突に聞こえた声。どうやら、これは源蔵殿の記憶では無い。『憤怒の厄災』の記憶みたいだ。
複数人の視点と感情が入り乱れ、俺の中へと流れ込んで来たのだ。
『どうして……。どうして、政宗様がこれ程の苦労を……!』
『我等に付き合う必要など無かった! 誰も殿を責めはしなかった!』
幾人の嘆きの声が上がる。彼等の心には怒りと悲しみが満ちていた。
そして、その記憶が明瞭になって行く。誰かが寝具に横たわり、それを囲む大勢の鬼人族の姿だ。
『皆、顔を上げなさい。そして、政宗様に笑顔を見せるのです。そして、大恩有る政宗様の最後を、笑顔で見送ってあげるのです』
横たわる人物の枕元に、一人の女性が座っていた。長い黒髪に赤い瞳。白い角を生やした、吹雪姫に良く似た人物。
けれど、その年齢は老齢の域に達している。恐らくは、吹雪姫の祖母辺りかもしれない。
『ルージュよ……。後の事は頼む……』
『政宗様、承知致しました。後はこのルージュにお任せ下さい』
互いに慈愛の眼差しを向け合い、互いに満足げに微笑む。しかし、横たわる政宗殿はそっと瞳を閉じ、そこで眠る様に動かなくなる。
その最後を見届けた女性――ルージュ殿の頬に一筋の涙が流れる。そして、口元に手を当て、顔を伏せると、堪える様に嗚咽を漏らす。
『何故……? 何故なんだっ……?! どうして、お二人がこれ程の苦労を……!』
『見捨てられし、我等を救った政宗様! その人生に寄り添ったルージュ様!』
『許せ無い! お二人の苦労を! その無念を、何倍にして返してやらねば!』
二人を囲む多数の者達。彼等の胸内に怒りが渦巻く。二人への愛が深いが故に、その怒りもどこまでも深かった。
彼等の中には直径の子孫も居る。国を興し、喜びを分かち合った臣下もいる。誰もが二人に深い感謝の気持ちを持っていた。
――それ故に、怒りの感情は増幅し続けた……。
場面が急に転換した。どうやら今度は、源蔵殿の記憶が映し出されているらしい。
『源蔵、わかっているな? 鬼龍院家の当主の役目を』
『父上、わかっております。私が後を継ぎましょう!』
二十歳程の若かりし青年。黒い瞳に、赤い瞳を持つ武者が、父親より刀を渡されていた。
『政宗様、ルージュ様の無念を晴らすのだ。我らが憤怒をお主へと託す』
『この命に変えましても、祖父母の無念を必ず晴らして見せましょう!』
真剣な眼差しで刀を受け取る源蔵殿。しかし、手にした刀から、怪しい力が流れ込む。その感覚に顔を歪めていると、父親が濁った眼差しで怨嗟の声を掛ける。
『鬼龍院家の怨念宿りし妖刀である。並みの武士が手にすれば発狂する。けれど、剣の天才たる源蔵であれば、必ずやその力を使いこなせるはずだ』
『……承知致しました。鬼龍院家の当主として、この力を使いこなしてみせましょう』
源蔵の父親は満足そうに頷く。そして、狂気の笑みを浮かべたまま、ボロボロとその身が崩れ去る。
父親の最後に目を見開く源蔵。衣服以外の何も残らぬ最後に、震える声でポツリと漏らす。
『これが鬼龍院家の呪い……。当主の最後だと言うのか……?』
源蔵殿はブルリと身を震わせ、刀へと視線を落とす。そして、一人目を閉じ、耐える様に身を震わせ続けていた。
――カン! カン、カカン!
場面が再び切り替わる。三十過ぎの源蔵殿と、八歳程の吹雪姫が稽古をしていた。
稽古用の薙刀を振るう吹雪姫に対し、源蔵殿は木剣で軽くいなして見せる。
『益々腕を上げたな、吹雪』
『まだまだです! 父上!』
子供とは思えぬ動きを見せる吹雪姫。それは最早神童と呼ばれても過言ではない程である。
そして、周囲の武士達もその姿を眺めていた。彼等は口々に吹雪姫を褒め続けていた。
『流石は源蔵殿の一粒種。見事に才能を引き継ぎましたな』
『いや、親をも超える才覚。鬼人国の未来も安泰ですな!』
『その容姿もまるで……。ルージュ様の生まれ代わりでは?』
周囲の絶賛に反して、源蔵殿の表情が曇る。そして、程々の所で稽古を切り上げた。
『今日の所はここまでだ。今後も修練に励みなさい』
『はい、父上! 吹雪も立派な武士を目指します!』
無邪気な笑みを見せる吹雪姫。その瞳には、父親への強い憧れが滲み出ていた。
源蔵殿は優しく微笑むと、踵を返して背を向ける。辛そうな表情を見せぬ様にと、足早にその場から離れて行く。
そして、自室へと戻ると、奥に飾られた刀を手に取る。その掴んだ刀を睨みながら、ギリッと歯ぎしりをする。
『妖刀よ、吹雪を求めるか……。貴様を吹雪に近付けはさせぬ……』
源蔵殿の言葉に反発する様に、妖刀から怪しいオーラが解き放たれる。しかし、源蔵殿は自らの気を高め、そのオーラを抑え込んで行く。
全てのオーラを刀へと収束させられ、妖刀は諦めたのか大人しくなる。源蔵殿は安堵の息を吐きながらも、苦々しく表情を歪めた。
『だが、妖気は益々増しておる……。余り長くは抑えておけぬか……』
刀を見つめる源蔵殿。すっと目を閉じ、呼吸を整える。そして、開いた瞳には覚悟が宿っていた。
『やむを得まい……。サファイア共和国の人間達には、共に地獄へ落ちて貰おう……』
源蔵殿は妖刀を掴んだまま部屋を出る。そして、彼の家臣の武士達の元へと向かった。
――そして、世界が闇に墜ちる。
「やはり貴殿か。ソリッド殿……」
真っ暗な闇中に、一人の武者が立っていた。真っ赤な鎧を身に纏った鬼龍院 源蔵殿だ。
ただ、今の彼は仮面を付けていない。穏やか表情で、こちらをじっと見つめていた。
どうやら彼は記憶では無い。彼自身の自我であり、俺との魂の繋がりも認識しているみたいだった。
「すまない、源蔵殿。記憶を探らせて貰った」
俺はまず謝罪を行う。彼の記憶を勝手に覗き見たのだ。それが失礼に辺る事は自覚している。
しかし、源蔵殿は楽しそうに笑い出した。
「はははっ、構わないとも。わかって好きにさせていた。というよりも、貴殿には鬼龍院の呪いを知って欲しかったのだ」
意外な言葉に俺は驚く。何故だか源蔵殿は、わざと俺に記憶を見せていたらしい。
彼は穏やか表情で語りかけて来る。そこには俺に対する敵意が感じられなかった。
「そうだね。魂の世界は現実よりも、時の流れが遅いみたいだ。少し私と話をしないかな?」
「ふむ……?」
源蔵殿からの提案。それは俺との対話であった。
穏便に話が済むならそれに越した事は無い。俺はその提案を受けるべく、コクリと小さく頷いた。