助ける理由
サファイア共和国は今日も朝から騒がしかった。各所に海軍が配置され、いざという時の備えをしているからだ。
無論、鬼人国の軍艦が来れば、こんな警備に意味は無い。一方的に蹂躙されてしまうだろうからだ。
とはいえ、国民を逃がす時間稼ぎにはなる。国を守る者として、何もせぬ訳にはいかぬのだろう。
「ソリッド、準備は大丈夫?」
場所は港の一角。今は無人だが、多くの漁船が止まっている場所である。
俺は問い掛けるパッフェルへと頷く。戦う準備なら、常日頃から出来ているからな。
「問題無い。すぐに戻るさ」
心配そうな表情のパッフェル。彼女はこの港で待機する予定となっている。
それは最悪の場合の備えでもある。だが、それ以上に連れて行けない理由があった。
恐らくこの先の決闘では、俺はパッフェルを守りながら戦う事が出来ないだろうからだ。
「パッフェル様、ご安心下さい。いざとなれば、この吹雪が命を懸けてお守り致します故」
「そうですよ、姐さん! 最悪は私が二人を抱えて、ここまで逃げ帰ってみせますんで!」
俺と並んで答えるのは、吹雪姫にメロディーだ。二人は俺と共に、決戦の地へと向かうからだ。
なお、吹雪姫は元々参戦予定であった。では、メロディーはと言うと、海を渡る為の護衛である。
決戦地の島に渡るのに、彼女の先導があるかないかで、魔獣からの脅威度が大きく変わるからな。
「ソリッド様、吹雪様、どうかご武運を! 私はパッフェル様の護衛に付きます!」
「ええ、小春も頼みますよ。ソリッド様が心置きなく戦うには必要な仕事ですから」
忍者の小春は居残り組だ。彼女もまた、鬼人国の武士が相手では心許ない戦力である為だ。
その代わりに、パッフェルの護衛を買って出てくれた。俺としても安心して決戦の地へ向かえる。
なお、パッフェルの護衛は小春だけでは無い。多数のハーフリンク族が背後に控えている。
彼等はパッフェル商会の従業員だ。使命感に燃える瞳で、何故か接待の準備を進めている。
まあ、それはさて置き。パッフェルは心配な気持ちを押し込め、笑顔で俺を送り出してくれた。
「じゃあ、頑張って来て。ただ、ソリッドの命が一番だから。勝てないと思ったら、無理せず逃げ帰ってね?」
「ああ、わかった。必ず帰ってくると約束しよう」
俺はそう告げると海へと視線を向ける。そして、すぐ側にある小舟に気付く。
俺と吹雪様の二人が乗れる程度の大きさ。海を渡るには心許ない船なのだが……。
「ささ、ソリッド様! 決戦の地へと参りましょう!」
今の吹雪様は動きにくそうな着物姿。それにも関わらず、スルリと小舟に乗り込み、俺へと手を差し出してくる。
そういうエスコートは、男の人がやるものではないか? そう思ったのだが、俺は何も告げずに手を取ると、小舟へと乗り込んだ。
「ん? このオールを使えば良いのか?」
俺は脇に置かれたオールを手に取る。波の無い湖ならともかく、これで海を渡って行けるのだろうか?
そう思った所で、急に海に飛沫が上がる。見ればメロディーが海に飛び込み、人化を解いて人魚の姿に戻っていた。
「それじゃあ、出発しますね~!」
そうメロディーが告げると、船が勝手に動き出す。先導する彼女を追う様に、すいすいと勝手に走り出した。
「メロディー様の水流操作で御座います。船の操作は全てメロディー様にお任せ下さい」
「……なるほど。それでこんな小舟なのか」
メロディーは護衛だけでなく、船頭でもあったらしい。彼女が操ると言うなら、変に大きな船よりも、小舟の方が扱いやすいのだろう。
俺は納得してオールを元の場所に戻す。そして、波の揺れさえ感じぬ船旅に、俺はただ地平線を睨み続けた。
ただ、少しして、陸が遠くに離れた頃。吹雪姫がそっと俺に問い掛けて来た。
「……今のソリッド様は、どの様なお心持でしょうか?」
「ん? どういう意味だ?」
俺は特に何も考えず、海を眺めていただけだ。この先の戦いに向けて、気負い過ぎない様にしていたとも言う。
しかし、問い掛けた吹雪姫の顔色が悪い。彼女の方が何やら思い悩んでいる様子に見えるが……。
「本来、この戦はソリッド様に関わり無きものです。それにも関わらず、危険を顧みずご助力頂いております……」
確かに俺は部外者だ。サファイア共和国の人間でも無く、鬼人国との因縁も持たない。
ただ、吹雪姫に助力を請われ、それに応じだだけの立場である。
「どうしてソリッド様は、私の願いを聞き入れて下さったのでしょうか? どうしてその様に、人々に手を差し伸べる事が出来るのでしょうか?」
思い詰めた吹雪姫の表情。彼女の心に触れた今なら、俺にもその考えが理解出来た。
修羅の世界に生きる彼女には、人の善意が信じられないのだ。それはある種、鬼龍院家の呪縛とも呼べるものだろう。
だから、俺は自らの想いを語る事にした。人間という存在を、少しでも理解して貰う為に。
「……俺は人よりも不遇な境遇にあったと思う。五歳にして捨て子となり、黒目黒髪で周囲から忌避される事も多くあった」
「――っ……?!」
唐突な独白に吹雪姫が目を見開く。ただ、話の内容を理解し、拳をギュッと握り締めていた。
「ただ、同時に恵まれてもいた。俺を拾って家族に迎えてくれた両親。家族として分け隔てなく接してくれた兄妹。他にも俺を気に掛け、助けてくれる人は少なからず居た」
両親にアレックスとパッフェル。この存在無くして、今の俺は有り得なかった。心の在り方は、家族から与えられたものであろう。
更には勉強を教えてくれた村長。戦い方を教えてくれた人狼の師匠。エルフの老人や、ギルドマスター等、他にも助けてくれた人達はいる。
「人の心は弱い。苦しい時に、周囲を傷付ける事もあるだろう……。だが、それと同時に優しさも持っているのだ。目の前で困っている人を、放って置けないのも人間なのだと思う」
「人間が……? そうなの、でしょうか……」
吹雪姫の呟きには戸惑いが含まれていた。やはり、人間という種族に、良い感情を持っていないらしいな。
ただ、彼女はそれと同時に、俺やパッフェルに触れても居る。そうなのかもと、判断が揺らぐ程度には人間を見直しているのだ。
「善い人間も、悪い人間もいる。そんな中で、自分がどちらの道を歩むのか? 俺は良縁に恵まれた結果、前者の道を選んだに過ぎない」
「それだけの、話なのでしょうか……?」
俺を見つめる吹雪姫。その眼差しには、未だに疑念の色が滲んでいた。
信じられないのも無理はない。他に凄い人間を、まだ彼女は見た事が無いのだから。
「パッフェルの説明は不要だな? それ以外にも凄い人間は居る。兄の『勇者アレックス』は凄いぞ。正義を体現した素晴らしい人徳者だぞ? 聖女ローラも信頼できる仲間だな。多くの人々から愛され、困っている人を見捨てない慈愛の人物でもある」
俺が仲間達の自慢を始めると、吹雪姫の表情が和らいでいく。先程までの思い詰めた表情は、立ちどころに消え去ってしまった。
ただ、何故か頬をほんのり染めると、そっと距離を詰めながらこう囁いてきた。
「ソリッド様の御心は、十分に理解致しました。けれど、吹雪が真にお慕い申し上げるのは、ソリッド様に御座います。どうか、その事をお忘れなきよう……」
「む? 何をする気だ……?」
押し倒す形で、俺に覆いかぶさる吹雪姫。瞳を見る限りでは、何故か興奮状態にあるみたいだ……。
何が起きたら理解出来ず、俺はただ混乱する。すると、そんな俺達へと海からの叫び声が届く。
「ちょっと、吹雪様! 私が居ますよ~! 忘れてないですか~!」
「……あら? すっかり忘れていましたわ。おほほほほ」
すっと身を引く吹雪姫。その表情もすました物へと瞬時に変わる。
吹雪姫の先程の行為は何だったのだろう? 俺は混乱しながら頭を捻る。
そして、吹雪姫には色々と困惑させられている。心臓に悪い御仁だと、心の中でそっと息を吐いた。