悪鬼羅刹
パッフェルはライザさんの迎えで、大統領邸へと向かって行った。明日にやって来る鬼人国の軍艦について、対策を検討する為である。
しかし、俺は修行を続けると言う名目で残る事にした。その指導役として、吹雪姫と小春殿の二人も残して貰う事となった。
正直、パッフェルは吹雪姫には、共に来て欲しかっただろう。彼女以上に敵国の情報を持つ者は、この国には居ないのだから。
けれど、パッフェルは俺の意を汲んでくれた。俺と吹雪姫にはまだ、話すべき課題があるのだと察して……。
「……共に残った意図は、察しているだろうか?」
「勿論で御座います。包み隠さずお話し致します」
俺の問いに対して、吹雪姫が深々と頭を下げる。それは恐らく、二人だけで話せる状況を作った事への感謝である。
ちなみに、小春殿とメロディーはこの場に居ない。空気を読んだ二人は、声の届かぬ場所で待機してくれている。
吹雪姫が顔を上げる。そして、決意を込めた眼差しで、俺に全てを打ち明け始めた。
「以前にも申し上げました通り、鬼人族は神に最も近き種族。それは伊達や酔狂で、そう名乗っているのでは御座いません。実際に一部の者は、神の領域に踏み込む事が可能なのです」
「神の領域? それはどういう意味だ?」
彼女が特殊な力を持つ事は知っている。『神眼』や『神通力』がそれに該当する。
しかし、雰囲気的にはその事では無いだろう。この状況で、皆を外して改めて話すのだから。
「実際にお見せしましょう。その方がご理解頂けると思われますので」
「……ふむ、そうか」
何を見せる気かはわからない。けれど、漂う緊張感が尋常ではない。
吹雪姫は深く息を吸う。そして、吐き出すと同時に、纏う空気が一気に変わった。
――ドン……!!!
「ぐっ……?!」
全身にかかるプレッシャー。それを感じた俺は、背中に嫌な汗が流れていた。
そして、俺はこの感覚に覚えがあった。かつて何度か経験している、死をイメージさせる力だ。
「これは、まさか……。領域守護者の力……?」
「正確には違いますが、それに類する力で御座います」
俺はポカンと口を開く。その力にでは無い。吹雪姫の変わり果てた姿に対してだ。
今の彼女は氷に覆われた、魔獣を彷彿とさせる姿だった。
一応は人型ではある。しかし、この姿を見て魔族と思う者はまずいまい……。
「醜い姿で御座いましょう? この姿を『氷鬼』と呼びます。鬼龍院家の当主と、その実子に受け継がれし奥義。『悪鬼羅刹』により変じた姿で御座います」
「『悪鬼羅刹』……?」
なるほどと思わせる名だった。悪しき鬼と言われれば、確かにと思わざるを得ない。
氷に覆われた吹雪姫は、殺意の塊としか言いようがない。近くにいるだけで、どうしても自らの死をイメージさせられてしまう。
見る者を畏怖させる氷の鬼。その仮面に覆われた彼女は、冷たい声で説明を続ける。
「多くの罪人を裁いて参りました……。多くの死を身に纏っているのです……。恐怖こそが鬼龍院家の証……。どうか、この醜き力をご覧になって下さいませ……」
吹雪姫の声からは悲しみが伝わって来る。この力も姿も、彼女が望んで得た物ではないのだろう。
本来ならば人に見せたい姿では無い。それでも今は、俺にこの力を伝えなければならなかった。
――サク……サク……。
吹雪姫の周囲は霜が降りている。大地は凍り付き、足の裏にもその感触が伝わって来る。
きっとこの力を使い、多くの人を殺して来た。それが、鬼龍院家の責務だと言われ……。
「ソリッド……様……?」
吹雪姫の周囲は肌を刺す程の冷気が漂っている。それはまるで、近付く者を拒絶するかの様だった。
あれ程にコロコロと笑う女性が、どうしてこんな力を身に付けねばならなかったのだろうか?
「――っ……?! 触れては、いけませんっ……! その手が凍てついてしまいます……!」
吹雪姫のすぐ目の前に立ち、俺はそっと右手を伸ばす。確かに彼女の纏う氷は、俺の腕なんて簡単に凍らせてしまうのだろう。
けれど、俺には彼女の気持ちがわかってしまう。その言葉の裏にある想い……。
――どうか、私に触れて下さい……。
そう願う彼女の心を、俺はどうしても無視する事が出来なかった。
「なん……で……?」
俺の右腕は霜に覆われる。震えてしまう程に、一気に体温を持って行かれる。
けれど、その氷は緩やかに解けていく。俺の事を受け入れるかの如く、俺の触れた場所だけが開かれて行った。
「……この氷は、貴女の心そのものなのだな。自らを醜いと思う、その想いが形になったのだろう?」
「――っ……?!」
俺は吹雪姫にして貰った様に、自らの気を彼女に流す。そっと優しく、彼女の心を包み込むように。
彼女の鼓動を確かに感じる。そして、氷の向こうに見える彼女は、驚きで大きく目を見開いていた。
「恐れられるのも、避けられるのも辛いものだ……。そして、自らの心を晒すのは、誰だって恐ろしい事だろう……」
「ソリッド、様……」
俺は気を通して、吹雪姫の心に触れる。彼女が本当に求めているものに気付く。
だから俺は、彼女の肩にそっと手を添える。そして、安心させる様に優しく頷いた。
「――だが、俺は決して貴女を恐れない。もう自らを醜い等と、口にしないで欲しい」
「わかり、ました……」
吹雪姫の纏う氷がボロボロと崩れて落ちる。そして、漂う冷気と共にスッと消え去ってしまった。
吹雪姫はハラハラと涙を流し、俺の胸へと倒れ込む。優しく抱き留めると、俺はその背をそっと撫でた。
「……沢山傷付いて来たのだろう。だが、一人で抱える事は無い。苦しい時は俺を呼べ。例え世界の全てが敵に回ろうとも、俺だけは貴女の味方でいよう」
「はい……はい……! 吹雪はもう、一人で抱えたり致しません!」
吹雪姫は抱きしめる腕に力を込める。その想いに応える様に、俺はその背をポンポンと叩く。
これで彼女の心が救われるならば、俺としても嬉しい限りだ。『勇者の影』の面目躍如と言えるだろう。
「――それにしても……」
吹雪姫の力に触れた事で、俺は『悪鬼羅刹』の本質を理解した。これは心を殺意で染め、その力を殺戮に特化させるものだ。
幸いに吹雪姫の殺意が、俺に向く事は無かった。そのお陰で、俺の手も無事で済んだのだ。
しかし、吹雪姫がこの力を開示したのは、明日に控える『鬼龍院 源蔵』との決戦の為である。
この力を知らねば倒す所では無い。対面直後に一方的に殺されている未来さえ有り得た。
更に言えば、俺と吹雪姫以外は対面させてはいけない。その殺意に飲まれて、誰もが一方的に惨殺されてしまうだろう。
そして、気になるのが『憤怒の厄災』との相性。多くの呪いを背負う『鬼龍院 源蔵』は、厄災の力を『悪鬼羅刹』に乗せて来ると予想される。
――俺と吹雪姫の二人だけで、どうにか出来るのか……?
俺はその不安だけは、どうしても拭い去る事が出来なかった……。