吹雪姫の嘆願
海に漂っていた女性――吹雪は、自らを鬼人国の姫だと言う。
俺とパッフェルの二人は、そんな吹雪姫の話に耳を傾け続けていた。
「――時にパッフェル様。ゴブリンと言う種族はご存じでしょうか?」
「ゴブリン? 聞いた事が無いわね……」
パッフェルが俺に視線を向ける。俺も聞き覚えが無く、静かに首を横に振った。
すると、吹雪姫は満足そうに頷く。そして、誇らしげに胸を張って話を続けた。
「千年前には数多く存在し、五百年前には滅びた種族です。魔族の中で最も弱く、最も虐げられていた種族の名がゴブリンと言います」
「五百年前に滅びた? それは弱かったから? それとも、五百年前の厄災によって?」
突然の話題転換にパッフェルが戸惑っている。訝し気に眉を顰め、吹雪姫へと問いかけた。
しかし、吹雪姫はゆっくりと首を振る。そして、穏やかな笑みと共にこう告げた。
「偉大な王の存在により、ゴブリン達は進化したのです。千年前より多くのゴブリンが、上位種のホブゴブリンに。そして、五百年後にはその全てが――鬼人族へと生まれ変わりました」
「――種の進化……」
パッフェルが目を見開いている。それ程までに驚きの事実を、吹雪姫は口にしたのだろう。
しかし、俺にはその意味が理解出来ていない。なのでただ、二人のやり取りを静かに見守る。
「最も弱かった種は、今や最も強き種へと生まれ変わりました。それまでは力は竜人族、知力と魔力は悪魔族。それが魔族の頂点とされていたのです。――しかし、今や鬼人族こそが、最も神に近き種と言われております」
「……聞いた事があるわ。鬼人族の一部に、『神眼』持ちが生まれるのよね?」
パッフェルの言葉に吹雪姫が頷く。そして、互いに笑みを浮かべているのに、二人の間には妙な緊張感が漂っている。
俺は完全に蚊帳の外だった。俺は『神眼』どころか、鬼人族がどういう種かも理解していないからだ。
すると、吹雪姫が俺に視線を向ける。穏やかな笑みを浮かべると、俺に対して説明してくれた。
「『神眼』とは黒き神より授かった瞳。全てを見通す『鑑定』が可能な力となります。かつてゴブリン王と呼ばれた者の血族にのみ、受け継がれる特殊な能力で御座います」
「全てを見通す? 白神教の神官が行う『鑑定』の、上位版と思えば良いのか?」
白神教の神官は、一定以上の修練を積むと『鑑定』スキルを覚える。それによって、相手の素性や犯罪歴等の、簡単な情報が見れるそうなのだ。
ただし、『加護』等の特別な能力や、詳細な情報までは確認出来ない。それを行うには、『鑑定の水晶』が必要になって来る。
「その通りで御座います。正しく言うならば『鑑定の水晶』よりも上。『神眼』の能力であれば、相手の知りたい情報の全てを得る事が可能となります」
それは凄まじいな。『鑑定の水晶』も全てがわかる訳では無い。そのせいでパッフェルも、『加護』の正しい効果がわからなかったしな。
ただ、そうなると気になる事がある。もしかすると、俺の知りたい真実が、彼女にはわかるのではないだろうか?
「……その『神眼』を使えば、俺の『生まれ』もわかるのか?」
「――っ……?!」
俺の問い掛けに、パッフェルが激しく動揺する。何故か顔が蒼白になっていた。
何かを恐れるパッフェルの態度に、俺は何となく不安を覚える。しかし、その空気を壊す様に、吹雪姫がのんびりと答えた。
「申し訳御座いません。ソリッド様の生まれを知る事は出来ません」
「む? そうなのか?」
全てを見通すと言うが、それは無理だったか。流石に全てと言うのは誇張だったのだろう。
チラリと見ると、パッフェルの安堵する様子が見えた。しかし、その態度を問い詰める前に、吹雪姫が言葉の続きを口にする。
「正しく言えば、ソリッド様には『神眼』が通じません。『神眼』でも何も見えないのです」
「「――はっ……?」」
何やら思っていたのと、まったく違う答えが返って来た。パッフェルですらポカンと口を開いている。
そんな俺達を見て、吹雪姫はくすりと笑う。そして、赤い瞳を真っ直ぐ俺に向け、探る様に俺へと問いかけて来た。
「この力は黒き神より授かった力で御座います。それを防ぐという事は、ソリッド様もお持ちなのではないでしょうか? 我らが神より授かりし、何らかの力を……」
「黒き神より授かりし力……?」
そんなものには心当たりがない。何を言っているのか、俺にはまったく理解出来なかった。
だが、パッフェルが隣で滝の様な汗を流している。この反応はもしかして、何かを知っているんじゃなかろうか……?
俺はパッフェルをジッと見つめるが、彼女はプイっと視線を逸らす。どうも何かを知っているが、話すつもりは無いみたいだった。
そんな態度に俺は息を吐く。そして、聞き出すのを諦めた所で、吹雪姫がコロコロと笑い出した。
「お二人は本当に仲が宜しいのですね。やはり、お二人を訪ねて正解だった様です」
「――ちょっと待った。私達を訪ねて来た? それって、どういう意味?」
パッフェルが慌てて問い掛ける。俺の追及を避ける意味もあるだろうが、それを口にする空気でも無いか……。
それに、吹雪姫の発言が気になるのも確かだ。彼女と俺達の出会いは、偶然では無いと言うのだろうか?
俺とパッフェルが吹雪姫を注視する。すると、吹雪姫は楽しそうに微笑みながら告げた。
「お二人のお噂は、配下よりかねがね伺っておりました。そして、この国の危機に駆け付けたと、緊急の知らせがつい先日……。これは運命と思い、私は配下と共に海へと飛び出したのです。――ただ、タイミング悪く戦闘が始まり、津波に飲み込まれる羽目に……」
「うぐっ……。津波の件は運が悪かったと思って……」
確かにそれは運が悪いとしか言えない。パッフェルとしても意図してやった訳では無いしな。
ただ、それでも悪いと思ってしまう。それが心優しいパッフェルと言う人物なのだ。
「ふふ、わかっております。確かにタイミングが悪かった――いえ、むしろ良かった? 目的であるソリッド様と、早々に接触出来たのですから」
「ふむ? それで俺と接触した目的とは?」
楽しそうにコロコロと笑う吹雪姫。出会ってからずっと、彼女は実に楽しそうである。
ただ、俺が目的を問うと初めて笑みが消えた。彼女は表情を消すと、目を伏せながら囁いた。
「この様な事を願うのは、実に心苦しいのですが……。頼れるのはソリッド様だけなのです……」
それは苦悩なのだろうか? その瞳からは苦しそうにも、悩んでいる様にも見える。
吹雪姫はグッと唇を噛む。しかし、すぐに顔を上げて、決意を込めて口を開いた。
「どうか……。どうかお願いします。我が父、『鬼龍院 源蔵』を――討って下さい!」
「「――なっ……?!」」
吹雪姫の口にした想定外の願い。それは自らの父を殺して欲しいと言うもの。
俺もパッフェルも戸惑い、互いにどうしたものかと見つめ合うのだった。