水の大精霊ラ・メール
ネーレの修行を始めて三日目。今日も私は彼女と共に、訓練場へと集まっていた。
昨日もずっと付き合っていたが、ネーレの修行は順調である。大精霊との簡単なコミュニケーションが取れるまでになった。
まあ、言葉を話せる訳では無いので、光の輝き具合で、喜怒哀楽を感じられる程度のものではあるが……。
とはいえ、ここまで絆が結べていれば問題無い。今日は予定通り本契約まで進めるだろう。
「ふふふっ、実に楽しみですね」
「ええ、そうですね」
そして、諸々の手続きを終わらせ、今日はライザさんも参加している。かなり無理したらしく、今日の彼女は目の下隈が出来ている。
というのも、彼女は魔法オタクらしく、精霊魔法の知識を貪欲に求めているからだ。自分が使えなくても、知る事自体に意味があるのだとか……。
「さて、ネーレ。その子の名前は決まったかしら?」
「はい、師匠! しっかりと考えて来ました!」
ネーレはペンダントを握り締める。その手の隙間からは、眩いばかりの光が溢れていた。
彼女の大精霊も、名付けが待ち遠しいみたいだ。期待感がそのまま光として表れている。
「なら、問題無いわ。さあ、その子に名前を伝えてあげて!」
「はい、わかりました!」
ネーレはペンダントを両手で掲げる。天に向かって、真っ直ぐに手を伸ばす。
そして、青く、眩く輝くペンダントに向けて、彼女は自らの想いを真っ直ぐに語った。
「貴女は私のパートナー! 私の願いを叶える存在! だから、誰よりも深い愛で、この国を守る存在であって欲しい!」
ネーレの願いに応える様に、ペンダントが激しく点滅する。
「海に覆われたこの国において、貴女は恵みを齎す存在! 全ての人々を見守る、母なる海の様な存在であって欲しい!」
それは彼女自身の望み。彼女自身が成りたかった姿。その望みを大精霊へと託すのだろう。
「だから……。――貴女の名前は『ラ・メール』! 母なる海という意味よ!」
『――ゥヲォォォ……!』
ネーレの想いに応え、大精霊が姿を現す。大気中より水分が集まり、願いに応じた姿へと変わる。
「これが、私の大精霊……。ラ・メールの姿……?」
その姿は人型へと変わり行く。ネーレより頭一つ分高い、大人の女性の姿であった。
穏やかに微笑む母性を感じる顔立ち。それと同時に、どこかネーレに似た雰囲気の……。
「あの姿はまさか……。我が師、マリリン様……?」
すぐ傍でライザさんが呟いていた。大精霊の姿を見て、その瞳には微かな涙が浮かんでいる。
そして、ネーレ自身もその姿を呆然と見上げる。彼女の瞳からは、ポロポロと大粒の涙が零れ落ちた。
「そんな……。どうして、お母さんの姿なの……?」
『――ルォォォ……♪』
ネーレの大精霊――ラ・メールはスッと前に出る。そして、ネーレを優しく抱きしめた。
愛する我が子へ想いを伝える様に。愛おしそうに、優しくその頭を撫でていた。私は戸惑うネーレに声を掛ける。
「……それがネーレの望みだからよ。貴女がそうあって欲しいと、心の奥底で望んだんでしょ?」
「これが……。私の、望み……?」
どうやら、ネーレには自覚が無いらしい。どうして、ラ・メールがこの姿となったのか。
きっと、彼女自身もわかってなかったのだ。自分が望む理想の姿について。
「ネーレはお母さんに……。――ううん、お母さんの代わりに、この国の救世主になりたかったんでしょ?」
「――あっ……。そう、なんだ……。私は、お母さんみたいに、なりたかったんだ……」
ネーレは呆然と呟く。自分の本心に初めて気付いたみたいだった。
彼女はポロポロと涙を零しながら、嬉しそうに微笑んだ。ラ・メールを見つめて、嬉しそうに言葉をかける。
「お母さん、私達を守ってくれてありがとう……。今度は私が、この国を守ってみせるから……」
「――キュオォォォ……!」
ネーレの宣言に対し、ラ・メールは不満げに声を上げる。そして、抗議する様に抱擁する腕に力を込めた。
初めは驚きに目を見開くネーレ。しかし、その想いが伝わったのか、すぐに苦笑を浮かべた。
「うん、そうだね。私が、じゃなかった。――私達が、だね?」
「――キュオォォォ……♪」
今度はラ・メールも嬉しそうな声を上げる。喜びが溢れて、ネーレへと頬ずりまで始め出した。
その光景に私は安堵の息を漏らす。これでどうやら、私の計画は問題無く進める事が出来るだろう。
ラ・メールはきっと守りに強い力を発揮する。私との連携も、問題無くやれそうである。
――そう考える私に、ライザさんがポソッと囁いた。
「あれ? どうして、パッフェル様まで泣いて……」
「ば、バッカじゃないの……?! 私が泣く訳ないでしょ! ただ、埃が目に入っただけよ!」
私は慌てて目元を拭う。咄嗟に出た言い訳に、自分でも苦しいと理解しつつ……。
幸いな事に、ライザさんはそれ以上何も言う事が無かった。その辺りは出来た大人の対応と言える。
「ああ、もう……。本当に最悪……」
私の目標はただ一つ。ソリッドと私の二人が、安心して暮らせる環境を得る事である。
私はその為に私情を捨て、計算で行動して来た。余計な重荷は切り捨てて来たのだ。
ソリッドと違って、私だけは冷静であり続けないといけないのに……。
「だから他人には、深入りしたくなかったのに……」
ネーレのこんな姿を見せられて、私の心が重荷に感じる。これを切り捨てるのは、かなりの決意が必要となる。
今回だけのはずだったのに……。この一件が終われば、他人に戻るはずだったのに……。
「今回の案件は、マジ面倒過ぎる……」
私は目元を抑えながら、重く重く溜息を吐くのであった……。




