水の勇者と大魔導士
大統領官邸へと戻った後、私とライザさんは訓練施設へと向かった。普段は海軍が使う広い運動場みたいな場所だ。
そして、事前に電話連絡を受け、待ち構える人物が一人。大統領の娘にして、水の勇者であるネーレ=ヴォーダーである。
プラチナの髪を持つ十五歳の少女。青色のローブに身を包み、腰に手を当て仁王立ちの姿。ネーレは不機嫌そうに顔を歪めると、私を睨んで声を荒げた。
「ちょっと何なのよ! 私を呼び出す何て、何様のつも……。――きゃひんっ!」
風を切る鋭い音と共に、ネーレは悲鳴を上げた。そして、自らのお尻を抑えて、その場で蹲ってしまう。
私は隣のライザさんへと視線を向ける。彼女は手に馬用の短鞭を構え、鬼の形相でネーレを睨みつけた。
「事前に伝えたでしょう? 大魔導士であらせられるパッフェル様が、わざわざ貴女に手解きをして下さると」
「ま、ままま、待ちなさいよ! その鞭は何なの……?!」
四つん這いの姿勢で顔を上げるネーレ。ライザさんの持つ鞭を見て、驚愕に目を見開いていた。
ライザさんはニコリと微笑む。そして、短鞭で空を打ちながら告げる。
「この国の未来が掛かっています。私は心を鬼にして、貴女をこの鞭で叩く所存です」
「ば、馬鹿じゃないの! いくらライザでも、やって良い事と……。――きゃひんっ!」
ライザさんはネーレの口答えを、許すつもりが無いらしい。とても良い笑みで、彼女のお尻を打った。
何という頼もしい援軍だろう。娘同然に育てた子に、鞭を振るえる何て普通じゃない。味方でいる限りは、私の好きなタイプである。
「それじゃあ、まずは講義から始めるわね。これはエルフ族の秘伝だから、他の人達には絶対に話しては駄目よ?」
「……エルフ族の秘伝?」
痛みで動けないのか、四つん這いのままのネーレ。彼女は顔を上げると、涙目ながらに首を捻る。
「これから私が伝えるのは精霊魔法。エルフ族だけが使えるとされる、強力な大魔法になるの」
「――精霊魔法ですって!」
隣に立つライザさんが、驚きの余り叫んでいた。恐らく、彼女は魔法と魔術の違いを知っているのだろう。
しかし、ネーレは首を傾げたままだ。理解していない彼女の為に、私はその違いを説明する。
「本来、人族は魔法を使えない。けれど、精霊の力を借りる事で、精霊の力に応じた魔法を使う事が出来る。エルフ族は精霊と友諠を結び、その絆に応じて強い魔法を使う事が出来るのよ」
「そ、それがエルフ族の精霊魔法……」
私の説明に興奮した様子のライザさん。とても熱心に私の話を聞いている。
ネーレは未だに理解が追い付いていないらしい。何を言っているんだと、怪訝な表情で私を見つめていた。
「そして、一般的に人間が使うのが魔術。これは下位の精霊を術で縛り、その力を絞り出すもの。誰にでも使える代わりに、精霊魔法みたいに大きな力を借りる事は出来ない」
「大きな力を借りられない……?」
ネーレはその言葉に、強いショックを受けたらしい。呆然とした様子で小さく呟いていた。
「ネーレは『水の精霊に愛されし者』という祝福持っているわね? これはエルフ族で言う所の、『精霊との友諠を結ぶ儀式』をスキップ出来る能力なの。貴女は生まれながらにして、水の大精霊と契約を結んだ状態にあるのよ」
「何ですって! それではネーレは、精霊魔法を使えるのですか……?!」
私の説明にライザさんが更なる興奮を見せる。グイグイと顔を寄せるので、私は手で押しのけながら説明を続ける。
「使う為の素養があるだけ。精霊魔法の理屈を知り、実践しないと使える様にはならない。だから私が、その訓練方法を教えてあげるってわけ」
「精霊魔法の理屈って言われてもね……」
未だに納得出来ない様子のネーレ。精霊魔法を知らず、魔術との違いが理解出来ないからだろう。
なので、私は二人から距離を取る。十分に離れた所で、そっと手を掲げて告げた。
「お願い、ウンディーネ。貴女の力を見せてあげたいの。私の為に踊ってくれる?」
『――キュルルルルゥゥゥ!』
私の願いに応え、ウンディーネが姿を現す。水で構成された体を持ち、二メートル程の大きな女性の姿を取っている。
そして、私のお願いが嬉しかったらしい。久しぶりに力を存分に振るえて、今日の彼女はご機嫌みたいだった。
――ドン! ドドン!
巨大な水柱が運動場のあらゆる場所で立ち上がる。しかし、打ち上げられた水は落ちる事無く、施設全体を覆う水の膜として空を覆い尽くす。
そして、水の膜からは水竜や魚を模した、魔物型の水塊が生まれ出る。だが、すぐさまそれらを水の槍、氷の槍が貫き、上空で爆散する。
自らの力をわかりやすく示す為に、彼女なりに演劇を行っているのだろう。どんな魔獣が相手だろうと、彼女が倒してやると伝えたいのだ。
「す、凄い……。こんな莫大な水量を、これ程精密に扱えるなんて……」
「これが精霊魔法なの……? 私達の魔術と、まるで別物じゃない……」
二人の驚く姿が嬉しかったらしい。ウンディーネは私の体に手を回し、背中から抱き着いて来た。
そして、スッと頭を出して来たので、私は優しく撫でてお礼を告げる。
「ありがとう、ウンディーネ。いつも私を守ってくれて」
『キュルルルルゥゥゥ♪』
もう十分だと言う、私の気持ちが伝わったらしい。彼女はそっと私の頬にキスをする。そして、上空の水と共に姿を消した。
空を見つめたまま、呆然とする二人。私は彼女達に向かって、更なる説明を続ける。
「ちなみに、私の兄は『光の勇者』だけど、魔術を使う事がないわね。スキルという形で、剣術や身体能力の強化を、光の精霊にお願いしているの」
「え……?」
ハッとした表情で、ネーレが慌てて振り向く。自らと同じ勇者の話に、これまでで一番食いついて来た。
「会った事はないけど、『火の勇者』も同じタイプらしいね。『風の勇者』はエルフ族で、精霊魔法を使う。『土の勇者』はドワーフ族で、こちらはスキルを使うタイプ。勇者の中で魔術師って、実はネーレだけなのよ」
「そう、なのですか……?」
人族では魔法と魔術の区別が付かない者が多い。そんな環境なので、勇者達の力を正しく識別出来る者は限られて来るだろう。
一般的にはそれぞれの属性に応じた魔術を使う。そう認識されているみたいだけど……。
「そのせいで、ネーレだけは祝福の恩恵を受けられていないの。基本的に魔術って、精霊が最も嫌がる、奴隷化みたいな術だからね……」
「せ、精霊の奴隷化……?」
ネーレは狼狽えた表情を見せる。そして、空を見上げて、先程の光景を思い出していた。
ネーレに自覚は無かっただろうし、自覚ある魔術師の方がレアである。私はその事を責めはしない。
その代わりに、アクアマリンのネックレスを彼女の首に掛けた。
「これは、何なの……?」
「水の精霊が宿りやすい宝石よ。貴女の契約した精霊の、お家と思えば良いわ」
ネーレは首の宝石にそっと手を触れる。今はまだ何の反応も返っては来ない。
しかし、ネーレ次第ではすぐだ。すぐに精霊が応えてくれる様になるだろう。
「常にそこに居ると意識しなさい。そして、友達になって貰える様に、常に語り掛けるのよ」
「……今まで魔術を使ってたのに、今更友達になれるの?」
先程の奴隷化という言葉が、ネーレにはかなり効いたらしい。後悔した様な、震える声で問い掛けて来た。
そこで私はハッキリと理解した。この子は意地っ張りだけど、決して悪い子では無いのだと。
「貴女、自分の祝福を忘れたの? 貴女は生まれながらに愛されてるの。だから、私も愛してるって伝えれば、きっとその想いに応えてくれるわ」
「……うん、わかった。やってみる……」
ネーレは涙を零し、小さく頷いた。普段からこんな風に素直にしてれば、私だって無下に扱ったりしないんだけど……。
というか、本来の私はこんな事をする柄では無い。こういう役目は、いつだってソリッドのはずなんだけどね?
「けれど、まあ……」
今回ばかりは私が適任だったのだろう。過去の私にそっくりな、この子の面倒を見てあげるのは。
……それにしても、ソリッドや私の師匠達は、どんな気持ちだったのだろう?
幼かった私は手が掛かったはずだ。それなのに見捨てず、最後まで面倒を見てくれた。
私は今更だけど、感謝の気持ちが湧き上がって来た。それを不思議に思いつつ、悪くないなと思うのだった。