幼馴染(クーレッジ視点)
今日は本当に良い一日だった。憧れのパッフェル様に出会えて、魔導デバイスの番号交換まで出来た。田舎の村から出て、冒険者になって本当に良かったと思える一日だった。
あの根暗アサシンは信用出来ない。それでも、みーちゃんの師匠である事を認めて良いと思えた。私とパッフェル様を出会わせてくれたのである。これでようやく、あの不気味な空気もギリギリ許せるというものである。
私は気分が良くなり、鼻歌交じりに部屋へと戻る。冒険者ギルドから無料で借りた、小さな二人部屋である。
そこは二段ベッドと、小さな机があるだけの部屋。それでも無料というのは本当にありがたい。大したお金も持たず、田舎から出て来た私達には、都会の宿代は馬鹿にならないのだから。
「あ、くーちゃん! お帰りなさい!」
部屋の中にみーちゃんが立っていた。机には桶が置かれ、その中には水が満たされている。手には手ぬぐいを持ち、身を清める所だったのだろう。
私はみーちゃんに近付き、その手ぬぐいをそっと取る。そして、爽やかな笑みを浮かべ、彼女へと声を掛ける。
「汗をぬぐう所だよね? 私が背中を拭いてあげるね」
「ありがとう! それじゃあ、背中はお願いするね!」
みーちゃんは無警戒にジャケットを脱ぎ、シャツにも手を掛ける。そして、その白くて綺麗な肌が露になる。
私はその光景にそっと手を合わせる。内心で『眼福、眼福』と呟きながら、みーちゃんの背中を手ぬぐいで拭いて行く。
「今日は良かったね! くーちゃんの好きな人と出会えて!」
「うん、そうだね。まさか生パッフェル様とお話出来て、番号まで交換出来るなんてね」
この言葉に嘘は無い。本当に心から良かったと思っている。キレた姿すら、ご褒美と思えてしまう程に。
パッフェル様の魔法の威力を目に出来た。その上でパッフェル様も私の失言を、余り気にした様子が無かった。
ならば、あれはノーカウント。これからパッフェル様の前で、あの根暗アサシンへの発言に気を付ければ良いだけである。
私は何も問題無いと再確認する。そして、ソワソワした様子のみーちゃんへと声を掛けた。
「みーちゃん、落ち着きないね。どうかしたの?」
「あ、師匠の事を考えたんだ。明日は何を教えてくれるのかなって」
みーちゃんの横顔が目に飛び込んできた。それは満面の笑みで、本当に嬉しいのだと、その感情がこちらに伝わって来た。
私はみーちゃんの態度に、少しばかり心が荒れる。そしてつい、意地悪な言い方をしてしまう。
「みーちゃん、あの人の事を信用し過ぎじゃない? 何を考えてるのか、良くわからない人なのに」
「そんな事を言ったら悪いよ。親切に色々と教えてくれて、この部屋だって師匠のお陰なんだよ?」
本当は言われ無くてもわかっている。あの根暗アサシンは感情の起伏に乏しく、何を考えているかわかりにくいだけなのだと。
あれだけの実力があり、コネもあるのだ。私達を騙して、どうこうする必要なんてない。本当にたまたま私達を見かけ、親切にしてくれているだけなのだろう。
けれど、私の幼馴染で、大切な親友が、キラキラした眼差しを向けている。その感情は憧れなのだろうけど、みーちゃんの好意が向いているのが私には許せない。
幼い頃からずっと一緒に育ってきた。誰よりも大切で、誰よりも大好きなみーちゃん。私がその一番じゃなくなると思うと、私は不安で仕方が無いのだ。
私は自分が嫉妬深くて、執念深いと知っている。みーちゃんが太陽なら、私は月なのだ。みーちゃんが照らしてくれなければ、ただ暗闇にポツンと漂うだけの存在なのである……。
「く、くーちゃん……。もう良いよ。前は自分で出来るからね?」
「あ、そう? それじゃあ、手ぬぐいを返すね」
私は残念に思いながら、手ぬぐいをみーちゃんに手渡す。背中は丹念に拭き終わったからだ。そして、以前に胸を丹念に揉んでから、みーちゃんには警戒される様になってしまったのもある。
余りしつこくし過ぎて、距離を置かれては元も子もない。私がみーちゃんの一番である為には、節度というものも必要なのである。
そして、私はみーちゃんの背中を凝視する。自分で体を拭き、無防備な背中を見せる彼女を、静かに見守り続ける。
「……あの、くーちゃん? どうかしたの?」
「――へ? あ、頭はどするのかなって……」
勘の鋭いみーちゃんは、私の視線に気付いていたのだろう。そして、私はとっさに言い訳を口にする。くーちゃんの頭に巻かれた、迷彩色のバンダナへと視線を向けながら。
しかし、次の瞬間に私は失言に気付く。みーちゃんはビクッと肩を震わせると、小刻みに肩を震わせながら答えたからだ。
「あ、頭はまだ良いかな……。誰の目があるか、わからないしね……」
いつもとは違い、みーちゃんの声が沈んでいた。その苦しそうな声に、私の心が締め付けられる。
この街に来た初めての日。冒険者ギルドでの出来事が、未だにみーちゃんの心を苦しめているのだ。
「そ、そうだね。うん、私もまだ大丈夫だと思うよ」
「あはは……。もし匂いが気になったら教えてね?」
無理な作り笑いを浮かべるみーちゃん。似合わないその表情に、私は居ても立っても居られなくなる。
私はぎこちなく笑みを浮かべると、扉に向かいながらみーちゃんへと告げる。
「ちょっと、外の空気を吸ってくるね。すぐに戻るから」
「うん、行ってらっしゃい。外は暗いから気を付けてね」
私は無言で部屋を出る。今、口を開くと何を言ってしまうかわからない。激しい憎悪が飛び出してしまう気がしたのだ。
私はむかつく気分を抑えながら、宿舎の外までやって来た。人気は無いが、それでも王都のギルド付近。比較的治安も良い場所なので、ここなら誰かに襲われる心配も無いだろう。
私は夜空をそっと見上げる。街には明かりがちらほら見られるが、それでも月や星はその輝きを示し続けていた。
「あの、根暗アサシン……」
私達は小さな農村で生まれ育った。みーちゃんは誰からも愛され、誰に対しても好意を返した。
常に明るく、どんな人に暖かな光を届ける存在。それが、私の知っているミーティア=サマーだった。
そんなミーティアを傷付けた。その心に深い傷を負わせ、みーちゃんは、私の知るみーちゃんでは無くなってしまった。
「絶対に、許さない……。私は貴方に、絶対に心を許さない……」
黒目黒髪でみーちゃんの憧れる師匠。彼がその当人で無い事はわかっている。
けれど、私から見たら、彼も同じく陰険なアサシンにしか思えない。私がしっかり目を光らせておかないと、またみーちゃんを傷付けるのではと思ってしまうのだ。
だから、私は決して心を許していないと、それを態度で示し続ける。彼に警戒される位で丁度良いと思うのだ。
みーちゃんの事は必ず守る。私は輝く月に誓いを立てた。そして、余り遅くなると心配を掛けるので、そのまま部屋へと引き返した。
「はあ、失敗したな……」
みーちゃんに嫌な思いをさせてしまった。そして、私自身も嫌な気分となっていまった。
パッフェル様との出会いで、今日は嬉しい気分で終われたはずなのに。私が失言したばかりに、一日が嫌な気分で終わろうとしている。
「……こうなれば、やはりアレね」
みーちゃんは基本的に早寝早起きである。今日もベッドで横になれば、すぐにぐっすり眠りに付くだろう。
ならばその後に、私はみーちゃんのベッドに潜り込む。今日は彼女を抱き枕にして、安らかな気持ちで眠りにつくのである。
なぁに、夜にトイレに行った時に、寝ぼけたのだと言えば良い。みーちゃんならそれで、私の言葉を信用してくれるのだから。
「うん、今日もこれで、良い一日で終われそうだ」
少しだけ気持ちが楽になった。私は気持ちを切り替えると、部屋へと戻って、いつも通りにみーちゃんへ声を掛けるのであった。