6.風の後継者(5)
フィリアと青馬はやっとの事で決戦の場へとたどり着いた。
来る途中に感じたヴァートの異変が気にはなったが、とりあえずはフェレルの姿を探す事の方が肝心だった。
するとフィリアはすぐにボロボロな姿の二人組の男女が、折り重なって倒れている所を発見した。
「ま、まさか・・・!」
フィリアは最悪の予想を頭の中でうち消しつつ二人の元へと駆け寄り、診察した。
(こちらの女性は、大分衰弱はしているけど命に別状はなさそう。でもフェレルは・・・)
フェレルの命の炎は、かろうじて燃えているろうそくの火よりも頼りなく思えた。
この状況からするとどうやら、この女性が自ら、敵であったはずのフェレルの命を繋ぎ止めた様に思えた。
二人の間でどのような状況の変化が起こったのかはわからなかったが、今はそれどころではない事だけは確かだった。
「フェレル、今、助けます!!」
フィリアはマリーベルの体を一旦横にどかし、フェレルの体を仰向けにすると、全力でヴァートを注ぎ込んだ。
すると、段々とフェレルの顔に元々の赤みが戻り始め、胸の辺りが規則正しい上下運動を見せるようにもなった。
それからフィリアはフェレルの体中にあったありとあらゆる傷跡を癒し始めた。
こうしてフェレルの一命を取り留めて一安心したフィリアは、続いて今度はマリーベルの治療に当った。
フェレルの命が助かった今、フィリアの中にあった彼女を憎む気持ちはゆっくりと薄らいでいくのだった・・・。
フェレルが幸運にも、再びその目を開く事ができた時、彼が最初に見たものは涙を目に浮かべたフィリアの心配そうな顔であった。
「・・・まだ泣いてるの?」
フィリアは訳が分からず戸惑った。
フェレルは未だ、先程自分が見た物が幻であるとは気づいていなかった。
「泣かないで・・・。私が君を守るから・・・」
フィリアは胸を締め付けられるような切なさに、思わずフェレルの頭をギュッと抱きしめた。
いつもならとてつもなく嬉しい状況下にあったフェレルだったが、それに気づけるような状態ではなかった。
ひとしきり強く抱きしめた後、フィリアはフェレルの頭を離したが、その時フェレルは何かを思い出したかのように尋ねた。
「マリーは? マリーベルはどうなったの?」
その瞳は真っ直ぐにフィリアの瞳を見つめ、その声はまるで幼子のように不安を押し殺した声であった。
フィリアは安心させるように優しい声で囁いた。
「・・・大丈夫。安心して下さい・・・」
フィリアの指がフェレルの頭に軽く触れた。それだけでフェレルはすっかり安心してしまった。
「・・・そっか・・・」
フェレルは三度瞼を閉じると、健やかな寝息を立てて眠りについた。
「お疲れさま、フェレル」
眠るフェレルの額に軽く口づけると、フィリアは顔を上げて言う。
「帰りましょうフェレル。私達の街へ・・・」
しかしフィリアはそこで、思わぬ問題に頭を悩ませる事となった。
「ケガ人二人を運んで街へ戻るには、どんな幻獣がいいのかしら・・・」
こうして一連の事件は一応の幕を迎えた。
しかしこの事件がフェレルにもたらした後遺症は決して軽いものではなかった。
街に戻ったフィリアはすぐさま城に駆けつけると、無礼を承知でナミ姫に謁見を求めた。
事情を聞いたナミ姫は城の一室をフェレルの為に用意し、その一方で城の兵士達に二人を城まで至急連れて来るように命じた。
マリーベルの方は城に着くなりすぐに意識を取り戻した。が、フェレルの方は一向に目を覚まそうとはしなかった。
様々な人物の助けもあって、フェレルがやっと目を覚ましたのは実に一週間がたった後、しかも目を覚ましたフェレルは指一本動かす事もできず、記憶も無くしていた・・・。
その一週間の間にマリーベルはすっかり元通りに回復し、いくつかの問題をも乗り越えていた。
まずはフィリアとの間のわだかまりを最初に無くした。
フィリアは今回の事件が故人の意志によって引き起こされたことや、フェレルが彼女の『試練』を何とか乗り越えたこと等をただただ黙って聞いていた。
そして、マリーベルの話が終わると、フィリアはおもむろにマリーベルの頬を叩いた。「・・・事情はわかりました。だからこれで許してあげます。でも、もう二度と、今回の様なことを起こさないで下さい。いつまでも、亡くなった方に縛られたりしないで、自分の為に貴重な『人生』という名の時間を使って下さい。私達は今、生きているのですから。やらなくてはいけない事が山程あるはずです!」
その時マリーベルは、フィリアの胸の中で激しく泣いたと言われているが、その場には他に誰もいなかった事からそれを証明する事はできなかった。
だが、その二人だけの『会合』の後、複雑微妙な関係にあったフィリアとマリーベルがどちらとも無く声をかけるようになった事は、大きな進歩であったと言えた。
マリーベルは、フィリアの推薦もあって、ナミ姫付きの近衛騎士見習いとなった。
『覚醒者』にして一流の『舞踏剣士』でもあるマリーベルの力を惜しむ声は城内にあっても多く、『できればこの城で召し抱えられたい』とのマリーベルの一言はまさに渡りに船の申し出であった。
実力がありながらもマリーベルが騎士見習いなのは、『古参の騎士や騎士見習いの方々とは違い自分は新参者だから、彼らを差し置いて何の武勲もなく騎士になる事はできない』という彼女なりの他の者達をたてる配慮を尊重しての事であった。
その心配り故に彼女を妬む者はおろか、憎む者など一人もいなかった。
むしろその際だつ実力と美しさはたちまちの内に周りの者達の心を虜にしていった。
しかし彼女は寄って来る男どもには見向きもせずに、ただひたすらにフェレルの看病に当たるのであった。そのかいがいしい姿は人々の心を感動させた。
もっとも、中には二人の関係を邪推し、フィリアによからぬ事を吹き込もうとする輩もいないでもなかったが、フィリアは決まってそう言った輩を一喝して追い払った。
フィリアはマリーベルのフェレルに対する献身の理由を知っていた。
正直に言うとそれは余り好ましい理由とは思えなかったが、今までの彼女の努力を今更なかった事にするというのもあまりに酷な話であったし、それにおそらくフェレルは彼女の期待に応えてしまうであろう事はわかっていたから、フィリアは内心複雑ながらもそれを認めていた。
つまり、『フェレルを長とする新しい「一族」の再興』をである。
彼女はフェレルを『長』として認め、認めるが故にかいがいしく看病を続けているのであった。
フィリアは眠り続けるフェレルに我知らずぼやいたものだ。
「ホントに、あなたという人は・・・」
目を覚ましてから二週間も経つ頃には、フェレルの中の記憶の混乱はなくなり、起きあがれないながらも腕を持ち上げる事ぐらいはできるようにはなっていた。
今、部屋には誰もいない。さっきまで彼の側に付いていたマリーベルは彼の代わりに仕事をこなす為に、今ではもうそう呼ぶ者もいなくなった、最貧民地区へと向かっていた。
開け放たれた窓から、心地よい風が吹き込んでくる。
フェレルは改めて、『風伯』となった自分自身に思いを馳せた。
(あの時、確かに私は初代『風伯』だった・・・。今となっては霞がかかった記憶の向こうではあるけれど・・・確かにあの時あの場に『あの方』はいたんだ!)
それはとても不思議な現象。あれこそが『奇跡』だったのか・・・。
コンコン。
「体の調子はどうですか、フェレル?」
扉を開けて入ってきたのは、食事を乗せたトレイを持ったフィリアであった。
「おかげさまですこぶる順調だよ。何故立てないのか不思議なくらいさ・・・」
「あなたの場合、限りなくヴァートを失いましたからね・・・。その回復には時間がかかるんですよ」
「それでもさ。肉体は確かに息づいてるのにまるで何かに押さえつけられたかの様に動かす事ができないんだ。 ・・・せめて体を起こす事さえできたなら、君の手を煩わせる事もなかったのに・・・」
フェレルは心底心苦しそうにつぶやく。
「あら、そんな事はありませんよ」
フィリアは本当にそう思っているようで、穏やかな笑みを浮かべながらそう言った。
「それに、『約束』ですからね。あなたを『助ける』というのは・・・。だから遠慮なく、何かして欲しい事があったら言って下さいね♪」
「それじゃあこの機会に是非胸の谷間で性教育を・・・」
「拳と拳の間で、ですか・・・?」
フィリアは問答無用で両拳の間にフェレルの頭を挟み込む。
「ご、ごめんなさい・・・・」
フェレルはあまりの痛みにあっけなくダウンした。
「もう!」
フィリアは拗ねたように顔を横に向けてしまった。
「じゃあ・・・笑ってくれないか?」
「えっ!?」
フィリアが振り向くと、フェレルは至極自然な顔をしていた。
「ダメかな・・・?」
「そ、そんな事はありませんけど・・・」
しかしフィリアは困っていた。急にそんな事を言われても、すぐに笑えるものではない。
「あの戦いの中で・・・半ば意識を失った時、私はフィリアの事を思い出していた・・・」
「私の・・・事を?」
フィリアははやる思いをフェレルに気づかれない様に必死になって押さえていた。
「でもね、何故だか浮かんできたのは、君の泣き顔だったんだ。他には何も、浮かばなかった・・・。いつだって、君の笑顔を見てきたはずなのにね・・・」
フィリアは自分の泣き顔の話よりもそれを語っているフェレル自身が、今にも泣き出しそうな顔をしている事の方が気になっていた。
「私は・・・君の何を見てきたんだろう・・・。君の不安も、君の喜びも、私はわかっていなかったんだ・・・」
「・・・本当に・・・そう思います?」
フェレルがフィリアの方を見ると、フィリアは不思議に自信ありげな顔をしていた。
「フェレルは・・・私の事をわかってくれてますよ」
「そんなことは・・・」
「当人がそう言っているのに、疑うんですか?」
そう言われるとフェレルには何も言えない。
「フェレルは・・・自分でそれと気づいていないだけですよ。いつだって、私が不安に思った時は側にいてくれましたし、本当に嬉しいと思った時はいつも、フェレルが私の為に何かをしてくれた時でしたよ」
「・・・本当に?」
その聞き方があまりに子供っぽかったので、フィリアは思わず笑ってしまう。
「本当ですよ、フェレル」
フィリアはフェレルのベッドに腰を掛けるとフェレルの前髪を掬うようにかき上げた。
「あなたが・・・こうして側にいてくれるだけで、私がどれだけ安心しているかなんて、・・・鈍感なあなたは気づいていないでしょう?」
「・・・フィリア・・・」
二人の間に沈黙のヴェールが幕を下ろす。視線はお互いを捕らえてはなさない。
「・・・困ったな・・・。気の利いたセリフの一つも言えやしないなんて・・・」
そう言ってフェレルは苦笑する。
するとフィリアは人差し指を立てて、それでフェレルの口を塞いだ。
「必要ありませんよ。だって私は・・・」
空はどこまでも高く、そして青く澄みきっていた。
風は遠く、遙かメイファーリアから吹いていた。
大地には果てがなく、今日もすべての命を育んでいた。
すべての物が祝福し、祝福されているかのようなそんな日だった。
二人はこの日、晴れて『恋人同士』となった・・・。




