5.風待ちの宵に(3)
「私の最初の記憶は・・・私の義母だと名乗る人が目の前に立っている所なんですけど、その時の私は、既に今の姿になっていました」
フェレルはじっと耳を傾けていた。フィリアは続ける。
「彼女は私に何一つ過去の事を話そうとはしませんでした。だから私も何も聞きませんでした。その内に私は家を出て、このサガラ=アズマにやって来ました。どこで覚えたのかはわかりませんが、法術を使う事ができたので、その力で人々を救いたいと思っていました」
「そして現在に至る、か・・・。やっぱりフィリアは自分の過去を知りたいと思う?」
「・・・わかりません。知りたいような、知りたくないような・・・そんな気持ちです」
「どうして?」
フェレルはさも不思議そうにフィリアに尋ねた。
「だってもしかしたら私は人じゃないのかもしれないし、自分が知らない所で誰かを傷つけたり殺したりしているのかも知れないんですよ!?」
「想像力が豊かだなぁフィリアは。私よりもずっともの書きらしいよ」
「・・・フェレル!!」
フィリアはきつくフェレルを睨んだが、フェレルは反省の色も見せずにこう言った。
「じゃあ仮にもしそうだったとして、今の君に何ができるの?」
フィリアが答えに戸惑う。
「それは・・・。でも何か出来るかもしれないじゃないですかっ!?」
「そうだね。でももし誰かを殺していたなら? その人には身寄りも無くて、詫びる事さえできないとしたら? 墓でも作って霊を慰めるのかい?」
「ほ、他にも何か出来るはずです!」
「そう、可能性は無限だ。・・・でも君は一人だし、力も有限だ。できる事にも自ずから限界がでてくる」
フェレルの言う事はあまりに現実的だったので、フィリアには嫌味を言われているとしか思えなかった。
「ど・・・どうしてそんなに意地悪ばかり言うんですか!? 他人事だと思って無責任な事ばかり言わないでください!!」
「あっちを立てればこっちが立たず。そうなれば無責任なのは君になるよフィリア。責任なんて口で言うほど簡単にはとれないものだよ」
フェレルは冷たくフィリアを突き放す。
言ってる事には一応納得できるのだが、それでもフィリアの心の中は収まらない。
「ねぇ、フィリア。ちょっと聞くけど・・・君は自分の過去についてどうだったらいいなと考えてるの?」
「えっ!?」
突然にそう言われたフィリアは答えに詰まった。
「例えば・・・優しい両親から深い愛情を注がれて育ち、仲の良い友達も多くて、密かに憧れを抱いていた人もいた。そんな人生だったら、君は満足?」
「そ、それは・・・」
「それとも・・・私のような過去を望む?」
「!! フェレル!」
「わかってるよ。・・・君は別に何も望んではいない。ただどうしようもなく不安になるだけなんだってね・・・」
「ならどうして!?」
「すべてにおいて満足できる人生なんて無い。犯してしまった過ちを、ただ償うだけなら意味はない。罪を犯した人間にしか、罪を犯す前の人間を救う事はできない・・・」
「・・・・・」
フィリアはフェレルの悲壮な表情に呑まれて何も言う事ができなかった。
「もし君の持っている過去が最悪のものだったとしても、そんなのはきっと他と大差無いのさ。心がけ一つで最悪の失敗だって覆す事ができるよ!」
フェレルはそこで、フィリアに優しく微笑んだ。
「それに・・・例え君が人間ではなくて人を苦しめるだけの存在だったとしても、私の知ってるフィリアは何も変わりはしない。君は君、フィリアその人なんだよ。みんなが君のしてきた事をその目で見て、知っている。その事実もまた、変わらない。
だから最良も最悪も無くなるよ。それじゃあ不満かい?」
「・・フェレル・・」
「・・・折角の『風待ちの宵』だから、フィリアに一族に古くから伝わるある物語を語ろうか?」
フィリアはその一言に少し驚いた。
フェレルがこんなにも積極的に昔の事を語るのはひどく珍しい。
「リンク・・・一族の?」
「そう。特にこれから話す物語は一族の創始者、私達は『風伯』と呼んでいたけれど、その『風伯』にまつわる物語なのさ・・・」
「一族の・・・創始者?」
『風』を異常なまでに信仰していた『風の一族』。
何故そんな存在が生まれたのか、フェレルの持つ悲しい過去の元凶とも言えるその存在を作った人物について、フィリアはとても興味を抱いた。
「『魔人』と呼ばれ恐れられた彼の、彼の正体というのは実は、時代に合わずに生まれてしまった『覚醒者』だったんだ・・・」
「時代に合わずに?」
「つまり、彼が生まれた時代というのは・・・平和だったって事さ」
フェレルは淡々とそう語った。
「そんな時代に『トキシラズ』で生まれた彼は、元力使いとしても一流の実力を持っていた。だから人々は彼を『魔人』と呼んで恐れたらしいんだけどね・・・」
「・・・『魔人』・・・」
フィリアの心にその一言が重くのしかかる。
「確かに力では並ぶ者のない『魔人』だったけど、唯一の弱点もあった」
「弱点?」
「そう。・・・不幸にも彼は人間だったのさ・・・」
フェレルの一言はどこか虚しく響いた。
「人間である事がどうして『不幸』なのですか?」
自分の正体に確信を持てずにいるフィリアからすれば信じられない事だった。
「彼の心は・・・普通の人と同じく、傷つきやすかったんだ・・・」
フェレルは口許に小さく笑みを浮かべる。
「言われ無き言葉の暴力に耐えながらも彼は、もって生まれたその力を真に人々のために使っていた・・・。それでも、彼の持つその力は『強すぎた』のさ・・・」
「強すぎた・・・力?」
フィリアはしんみりとそう呟いた。
「どんなに尽くしても報われる事の無かった彼はその内に自分で自分を疑い始めた。『自分は本当に人間なのか? もしかしたら本当に『魔人』なのではないか?』とね・・・」
「そんな!」
「人の記憶なんて実にあやふやな物だよ。簡単に失いもすればあっても本当にそうなのかと疑ったりもする。彼もまたそうだった。今まで・・・人間として暮らしてきたという記憶は実は偽りなのではないか、そう疑ってしまう程に弱い心を持った、人間だったのさ・・・」
「可哀想・・・」
フィリアは『風伯』と呼ばれた男をひどく哀れに思った。
フェレルは何も言わなかった。黙って話を続けた。
「・・・そうして彼はあっさりと人としての自分を捨てて、『魔人』として生き始めた・・・」
「そんな事が・・・」
「案外できるもんだよフィリア。そして彼は、今まで受けてきた謂われのない言葉の暴力に対して謂われのある、純粋な暴力で報いたんだ。・・・彼の故郷はその時、焦土と化したよ・・・」
「・・・・・!!」
「彼は人として過ごした過去を否定した。本来あったものを無きものとした。それでも彼は救われなかった。忌々しい過去を捨てて、彼は本来あるべき自分の姿に戻ったはずなのに・・・。彼は相変わらず不幸のままだった」
火が少し弱くなってきたので彼は焚き火に枯れ枝をくべ、香炉には火を消した香木を入れた。
しばらくはこれで葉をくべる必要もない。そしてフェレルは話し続けた。
「彼は悩んだ。人としての過去を持つ自分と、過去を持たない『魔人』となった今の自分とでは、一体どちらが幸せだったかと・・・。でもすぐに答えが出た。『どっちも不幸だった』とね。・・・ところでフィリア、君は今、幸せかい?」
「えっ? えっ!?」
唐突に尋ねられたフィリアは、話を聞く事に集中していて思わず焦った。
「そ、そうですねぇ・・・」
少しの間、深く考えた後にフィリアはゆっくりと答えた。
「・・・今の私にはたくさんの仲間がいてくれますし、やりがいのある仕事も持っていますし・・・確かに、幸せなのかも知れませんね・・・」
それを聞くとフェレルは我が意を得たりといった表情でフィリアに言った。
「ならそれでいいじゃないか!!」
「ふぇ、フェレル・・・?」
フィリアの戸惑いにも構わずにフェレルは言う。
「もし『今』が幸せだったら、たとえ死んでも悔いはないと思う。それに人間は誰だって他人に迷惑を掛けているし、自分の知らない所で人を殺していたとしてもおかしくはないんだ。だって自分が食べなければ誰かが口にしたかもしれない食料を食べて生きているんだから! 大事なことは物事に対する『罪の意識』よりも、こうして自分が今も生きていられる事に対する『感謝の気持ち』だよ。誰だって『ゴメンナサイ』を聞くよりは『アリガトウ』という言葉を聞きたいものだろう?」
「・・・『アリガトウ』・・・?」
フェレルはニコッと笑った。
「そう!生きている人間は自分の為に死んだ者よりも強く明るく生きていく権利と義務を持っているんだ。でなきゃ、何の為に生かしてもらったのかわからないだろう?」
「!!」
「過去のある無しなんて関係ないよ! どんなにあがいたって今更過去は変えられないんだ。もっとも変わらないからこそ、未来には無い魅力が過去にもあるんだけれどね。でも、今を生きている私達には過ぎ去ったものにいちいち関わっていられる程の余裕は無いんだよ。生かしてもらった分、私達は必ず幸せにならなければいけないんだから!! だからフィリアも、いつまでもそんなに謎だらけの過去に怯えていないで、パッパとケリつけて動かなくちゃ!!」
フィリアはビックリしていた。それはあまりに突拍子もない考えに思えたのだ。
でもそれが彼の選んだ、選ばざるを得なかった生き方なんだと、フィリアははっきりと理解していた。
「・・・強いんですね、フェレルは」
「全部君のおかげさフィリア」
「私の!?」
フェレルは頷く。
「そうだよ。『一人だと心は泣いてしまうけれど、二人でいれば心から笑顔になれる』 この言葉は荒れ狂う魔人の心を身をもって静めた元・神殿巫女が言った言葉だとされてるけれど今ならその意味がよくわかる。悲しみに満ちあふれた私の過去でさえ、君と一緒なら笑って乗り越えられそうな気がするんだよ、今の私なら・・・」
「フェレル・・・」
フィリアの顔が赤いのは、果たして焚き火の照り返しによる物だろうか?
「初めて会った時に君に尋ねたあの問いかけは、実はとても大切な答えだったんだ・・・」
フィリアは初めて二人が出会った時の、あの問いかけの事を思い出した。
『君、今幸せかい?』
フェレルも思い出していたのか、二人は顔を見合わせるとクスクスと笑い始め、ついには大きく笑い出した。
ひとしきり笑った後で、フェレルはフィリアに向かって優しい声で告げた。
「もう一人で泣く事はないからねフィリア。もう大丈夫だから。いつでも私が、君のことを包んであげるよ・・・」
(もう一人で泣かなくてもいいんだよ・・・)
「たった一人で・・・。記憶が無いという恐怖と戦って・・・。よく頑張ったね」
(よく頑張ったね・・・)
フィリアはフェレルの胸に飛び込むと、大きな声で泣いた。
それはまるで、親とはぐれた迷い子が、頼れる者を見つけて訴えかける様でもあった。
フェレルはフィリアを安心させようと、まるで幼子にするかの様に、背中をポン、ポンと叩くのだった。
今はまだ、夜の帳が世界を覆っているけれど、もうすぐカーテンコールの朝日が昇る。
そして二人はまた一日、新しい人生を切り開いていくのだ。
泣き疲れて寝息を立てるフィリアの温もりをその腕に感じながら、フェレルは心の中である一つの『覚悟』を決めるであった・・・。
5話目終了です。このシリーズは次回が最終話です。




