1.紅の記憶・黒き恋人(3)
目を覚ますと、そこはどこかの一室であった。
「・・・あれ?」
フェレルには、自分が何故こんな所で寝ているのかわからなかった。
どこか見慣れた感じのする、地肌むき出しの天井をぼーっと眺めている内に、ここが事務所の一室である事に気づいた。
(でも、何でこんな所で私は眠っていたのだろう? どうせ状況が掴めないなら美人の膝枕の上で目を覚ましたかった・・・)
何とも贅沢な事を考えていると、それが具体的なイメージとなって現れた。
(フィリアさんの膝枕・・・気持ち良さそうだなぁ・・・)
そこでふと気づく。
「そう言えば、フィリアさんは?」
その頃フィリアは事務所の待合室らしき一室で、ソファに座りながらじっと考えていた。
(さっきのフェレルさん、何であんな風になったのかしら・・・)
テーブルの上の、目の前に置かれたティー・カップから、気持ちを落ち着かせる作用のあるハーブ・ティーの香りが漂う。
現にフィリアは落ち着いて物事を考えようと頭を働かせていた。だがそれ故に、存在を失念されているハーブ・ティーは、もう大分ぬるくなっていた。
(フェレルさんが・・・あそこまで思い詰める相手の女性って一体・・・)
フィリアの思考は彼女の元に近づいてくる二つの足音により中断された。
「ちょっといいかしらフィリア?」
相手の返事も聞かずにミランダはフィリアの向かいのソファに腰掛ける。カリンも同じくその隣に座る。
「気になる事があったからさっきの、アリーシャにいくつか質問してきたんだけど、フェレルが何者なのか、ある推測が浮かんだからちょっと聞いてくれる?」
「人のことを詮索するのは良くないですよ」
フィリア自身、気にはなったがやはり罪悪感からミランダを咎める。
「これは詮索じゃなくて治療よ!」
ミランダはそう言い切った。
「治療?」 フィリアは思わず聞き返した。
「そうよ! 何が原因であんなになったのかは知らないけど、だからといってあのままにしておく訳にもいかないでしょう?」
「そ、それは・・・」 フィリアの顔にはまだ、戸惑いの色が見える。
「原因はまず間違いなく、あの子の過去にあるわ! もしもあたしの予想の通りだとしたら、あの子、十年近くもずっと一人だったはずよ・・・」
「え?」 フィリアはその言葉を意外な気持ちで聞いていた。
フィリアは心の中で勝手に、フェレルはさぞかし幸せに生きてきたのだろうと思っていたからだ。
ひどく人懐こくって子供じみてて、そのくせ女性の扱いに手慣れたあの若者は、確かにその部分だけを見て取ると、苦労知らずのお坊ちゃんといった感じであった。
身なりも顔立ちも整っている分、余計にそう思えるのだろう。
「あんなに明るい方がですか?」
フィリアにはわからない。
「笑っているからと言って、相手が本当に喜んでいるとは限らないわ」
ここら辺はやはり年上なだけに、言葉にも重みがある。
「あの子の言ってた事と、それにあの呪文・・・。正規に知られている風の魔法でないことは確かね。それでアリーシャにフェレルの出身地を調べてもらったら・・・」
「調べてもらったら?」 フィリアは黙って耳を傾ける。
「案の定、あの子、メイファーリア出身だったわ」
そう言ってミランダは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「フェレルさんがメイファーリア出身だと、何かおかしいのですか?」
フィリアには訳がわからず、ミランダに尋ねてみる。
「・・・あ、そうか。フィリアはどこの出身?」
「私はアゼリアですけれど、それが何か?」
その答えを聞くとミランダは、めんどくさそうに溜息をついた。
「今から十年前、メイファーリアである魔法師の一族が皆殺しにされた事件の事は、やっぱり知らないわよね・・・」
「そんな事が!?」
フィリアは初めて聞いたその話に非常に驚いた。
「その事件って言うのは、当時十五、六歳の少女がたった一人で大人の、しかも魔法師も含めたその一族を皆殺しにしたっていうおよそ信じられないものなんだけど、その一族というのが実はね、『風』の術しか使わないっていうちょっと変わったトコだったのよ」
「『風』の術しか使わない!?」
フィリアはそこでふと思い出す。
(確か・・・フェレルさんも『風』の術しか知らないって・・・)
そんなフィリアを気にせずに、ミランダは話をすすめる。
「結局、その一族は老若男女問わず、一人残さず殺されたらしいわ。噂ではね・・・」
「そんな!!」 あまりの事の悲惨さに、フィリアは思わず顔を覆う。
「でもね、噂ではそう言われているけど実際には男の子が一人、現場に居合わせながらも生き残って、一人で一族の意志を引き継いでいるという話もあるのよ」
「そ、それってまさか!?」
フィリアが顔を上げると、ミランダはさも自信ありげに頷く。
「一族の名字も『リンク』というの。そして事件が治まったのはちょうど夕暮れ、黄昏時だったことから、その少女、シャーリィ・エスメルダはその事件を期に『黄昏の魔女』と呼ばれているわ」
「黄昏の・・・魔女?」
「事を終えた直後の彼女の姿は、全身に返り血を浴びて、さらに夕日で赤く染め上げられて、何とも恐ろしくかつ美しい、まるで『戦乙女』のようだったそうよ」
「それを言うなら『緋色の天使』のようだったよ、シャーリィは」
突如割って入って来たその声に、三人は入り口の方を見た。
「フェレル様!」
「カリン。君の大切なお嬢様は令嬢と言うにはいささか声が大きいと思うよ」
そう言ってフェレルはミランダに優しく笑いかける。
「盗み聞きなんて趣味が悪いわよフェレル!」
「人のいない所でプライバシーを探ったり、それについて陰口を叩くことよりはましだと思うけど?」
「そんな事してないわよ! 大体悪口なんて相手に直接言わなきゃ面白くないじゃない!」
「面白いとかそういう事ではないと思いますけど・・・」
フィリアは呆気にとられつつもミランダにツッコむ。
フェレルもまた、ミランダの一言に苦笑する。
「でも今の一言・・・。やっぱりあなたは『風のリンク』一族の生き残り?」
ミランダは真剣な面持ちでフェレルを見た。
「一族は滅んだよ。生き残りなんて存在しない。シャーリィがその手で滅ぼしたから。自分を追放し、両親を死なせる原因を作った一族を、自らの手でね・・・」
「シャーリィさんも『風の一族』!?」
その事実に、フィリアは驚きを隠せない。
「ま、結局の所、彼女は私との約束を守れずに、わずか二十一歳でこの世を去ってしまったらしいけどね」
フェレルの顔に深い悲しみが生まれる。
「約束って?」 ミランダが尋ねる。
「・・・『もしいつか、再び会うことがあったなら、その時こそあなたも殺してあげる』・・・。彼女に見とれていた愚かな少年に、シャーリィはそう言ったんだ」
『!!』
淡々と答えるフェレルのセリフに、三人は声も出なかった。
「もういいかな?アリーシャと夕食を一緒にするから、今夜の宿を今の内に決めておかないといけないからさ。一応、迷惑をかけたみたいだからこうして一言、言いに来ただけだからさ」
そこでフィリアはハッ、と思い出す。
「フェレルさん! 私、あなたに呪文を・・・」
しかしフェレルは笑って手を横に振る。
「お互い様だよフィリアさん。止めてくれてありがとう。それに・・・微かだけど、フィリアさんに抱き締められて気持ち良かったっていう記憶が・・・」
「こぉの、浮気もん!」
フェレルの言葉はミランダが投げたクッションにより止められた。
「ぶわっ!」 間抜けた声を上げてフェレルは仰け反る。
「どうしてあんたはそんなに浮ついてるのよ! 私一人で落ち着きなさい!」
「だから私は・・・」
今度のフェレルの一言は、カリンがミランダに手渡した、一冊の分厚い本の顔面直撃により途切れてしまった。
図らずも、角の部分が直撃し、フェレルは鼻を押さえてしゃがみ込む。
「だ、大丈夫ですか・・・?」
フィリアがフェレルの側に駆け寄り、顔を上に向かせる。
幸い鼻血は出なかったが、あまりの痛みのためにフェレルは鼻の頭をさする。
そんなフェレルの前に立ち、右手の人差し指をグイ、とばかりに突きつける。
「今は年上を好きになれないんだとしても、そんなの、私が変えてみせるわ! シャーリィがどんなに美人だったか知らないけれど、絶対、ずえったいに、私の方がいいに決まっているわ!」 ミランダは、顔を真っ赤に染めながらも、はっきりと言い切った。
フェレルはそんなミランダを不思議そうに見ていたが、急に可笑しくなって笑いだした。
「な、何よ!? 何が可笑しいのよ?」
笑いを堪えつつ、フェレルは怒るミランダを片手で宥める。
そしてひとしきり笑い終えると、フェレルは一言、こう言った。
「いやぁ、愛されてるんだなぁ、てね」
それにはミランダ一人のみならず、フィリアやカリンも顔が赤くなった。
「ありがとう、ミランダ」
その一瞬の隙をつき、フェレルはミランダの唇を奪った。
「・・・!!」
口元を押さえつつ恨めしそうにフェレルを睨むミランダは、もうこれ以上は無理という位に赤くなってしまった。
「じゃあね!」
フェレルは立ち上がると、右手をひらひらさせながら部屋を出ていった。
「・・・またやられちゃいましたねお嬢様」
カリンはミランダにそっと言った。
「また?」 フィリアがカリンの方を見ると、カリンは小さく笑っていた。
「お嬢様がフェレル様にこだわるのは、フェレル様にファースト・キスを奪われたからなんですよ」
「カリン!!」
ミランダは恥ずかしさのあまりカリンを叱る。
「あ~あ、これでまたしばらくは旅暮らしですぅ」
そう言うカリンの顔は、しかし言う程にはがっかりしているように見えなかった。
むしろ楽しそうですらあった。
「さぁお嬢様。そうならない為にも今の内にフェレル様をつなぎ止めなくては!」
微笑みを浮かべて囁くカリンに、ミランダも明るい声を出す。
「そうね。その通りだわカリン! ・・・でもその前に、フィリア」
ミランダがフィリアの方に振り向く。
「何ですかミランダさん?」
もはやフィリアの心からはミランダに対する怒りは消えていた。その事はミランダにしても同じ事であった。
二人の間には不思議な友情が芽生え始めていた。
「あなたも気をつけなさい。あの子、それこそ不意を突くのが得意なんだから!」
呆気にとられているフィリアに微笑んでみせると、ミランダはカリンと共に部屋を出ていった。
一人残されたフィリアは今日一日の出来事を振り返ってみた。
(・・・なんて忙しい一日だったのかしら・・・)
終わってみればフィリアは今日一日をフェレルに振り回された形となっていた。
しかし疲れてはいても、何故か心は興奮冷めやらなかった。
(疲れたけれど・・・でも、楽しかった)
フィリアはそこで、何故カリンがあの時がっかりするというよりむしろ楽しそうにしていたのか、そしてミランダが何故、ああもフェレルを追いかけ回すのかも、わかったような気がした・・・。
一方、夕暮れの街の中で、フェレルは再びあの猫に出会っていた。
一人と一匹は互いを牽制しつつ対峙していたが、不意にフェレルはしゃがみ込み、そして猫の目を真っ直ぐに見つめた。
(ああ・・・、やはりこの猫は美しい)
見る見る内にフェレルの体から力が抜け、殺気が薄れていった。
そしてフェレルは静かにそっと右手を差し出した。
「初めまして、黒き毛皮を持つ君よ。私の名前はフェレル・リンク。ずっと・・・君に会いたかった」
その黒猫は、未だ警戒を解きはしなかったが、ゆっくりとフェレルの元へ来ると、その小さな舌先で、そっとフェレルの指先を舐めるのだった。その様子にフェレルは少し苦笑した。
「さすがに気位が高いね麗しの君。君こそまさしく貴婦人の名にふさわしい・・・」
黒猫は逃げるでもなく、しかし媚びる事も無く、ただ真っ直ぐにフェレルの瞳を覗き込んでいた。
そしてフェレルも触れようとはせず、相手が自分にしているように、じっと相手を見定めていた。
「あ!お嬢様、見つけましたぁ~!」
後ろを振り向くと、カリンがどこかに向かって大声で叫び、手招きをしていた。
「やべっ!」
フェレルが慌てて立ち上がり、走りだそうとしたその時、
「ミャアオ」 黒猫が彼の事を呼んだ。
少なくともフェレルにはそう思った。だからフェレルも
「行こう、リリス!」
彼女・黒猫リリスの名を呼んだ。
今この瞬間に、フェレルの魂は永きにわたる孤独から解放され、彼が名付けた『黒き貴婦人』と共に、黄昏に沈むジョーフの街を駆け出して行くのだった。
第1話目終了です。続いて第2話目も3部構成です




