1.紅の記憶・黒き恋人(2)
「ほんと~に、申し訳ない・・・」
フェレルはまだフィリアに謝っていた。
「もう・・・。いい加減気にしないで下さい。私が好きでした事なのですから・・・」
フィリアは呆れるように呟いた。
フェレルが先程からずっと謝っていたからだ。
その為、さすがのフィリアもだいぶ疲れてきていた。
「本当に、申し訳ない」
フェレルはしかし、結局はそれしか言えなかった。
(女性に支払わせるなんて・・・)
珍しくフェレルは落ち込んでいた。
いくら手持ちが無いからとはいえ、さんざんに食っておいてそれを女性に支払わせたという事実が、フェレルの心に、まるで罪の意識のように重くのしかかる。
フィリアは黙ってフェレルの横顔を見ていたが、ふと、何かを思いついたように顔を上げる。「わかりました。そんなに気になさるのでしたら、こうしましょう!」
フェレルがフィリアの顔を見る。
「今日ごちそうしたお礼として、以前に約束したとおり、私にまた、あの時の草笛を聞かせて下さい。それでいいですね?」
そう言って、フィリアはフェレルに優しく微笑んだ。
フェレルはその一言に救われる思いがした。
そして、心に持ち前の余裕が生まれてくると、自分は今まで何をしていたのかと深く反省した。
「わかった。そんな事なら喜んで!」
フェレルは明るい声と笑顔でそれを請け負った。
「約束ですよ」
フィリアも、フェレルが元の明るさを取り戻したことでホッとした。
そうして、二人は街並みをのんびりと眺めつつ、法術師会の建物へと歩いていった。
「チャース! みかん屋でぇーす!!」
建物に着くとフェレルは大きな声でそう言った。
「フェレルさんって、みかん屋さんでしたの?」
フィリアは驚き、小首を傾げつつ尋ねた。
「いや、冗談、冗談だってフィリアさん」
「あ、冗談だったんですかぁ? 私はてっきり本当にそうなのかと・・・」
フェレルは今更ながらにフィリアの天然ボケが真性のものであると知り、危険なジョークは彼女の前では使わないことを心に決めた。
「何か御用でしょうか?」
入り口正面の受付嬢が訓練された笑顔でにこやかに尋ねてくる。
「私はフェレル・リンクと言う者だけど、この間サイフを落としてしまって一文無しになってしまってね。そこでわずかばかりの援助を頼みに来たのだけど・・・」
「わかりました。確認しますので登録証を見せて下さい」
そう言われて、フェレルは内ポケットよりスッと差し出す。
彼女はそれを一瞥して、確認する。
「確かに。それでは900ガルスをフェレルさんにお渡ししますね」
「ありがとう、えっと・・・君の名は?」
さりげなく名前を聞き出すフェレル。
「アリーシャです」
今度こそ、彼女は本当に自然な笑みを浮かべると、フェレルの前に小袋を置く。
「ありがとうアリーシャ。ところで今夜は暇かな?」
すっかりフィリアの事を忘れて、フェレルはナンパを始める。
フィリアはその間無言であったが、さすがに機嫌は悪そうだった・・・。
「相変わらず、他の女の子には優しいのね、フェレル」
どこからともなくそんな声が聞こえてきたのは、フェレルが夕食の約束を取り付けようとした、まさにその時であった。
「・・・やだなぁ。いつからそこで見てたんだいミランダさん?」
フェレルがゆっくりと後ろを振り向くと、背が高く、均整のとれた体つきに亜麻色の髪をした、年の頃なら二十四、五歳の美しい女性と、十四、五歳の赤毛の少女の二人が、睨むように立っていた。
「別に覗いていたわけじゃないわ。ただ、あなたが私に気づかなかっただけよ」
ミランダと呼ばれたその年上の美女は、しかし厳しい目つきでフェレルとアリーシャを見ていた。
その視線を受けて、アリーシャは慌てて仕事に戻る。
「よしてくれミランダさん。アリーシャは悪くない。悪いのは私の女癖だけだ!」
「・・・あまりそういう事は大声で言わない方が・・・」
通り行く女性に白い目で見られるフェレルの耳元に、あえて否定をせず、フィリアがそっと囁く。
「ちょっと、そこのあなた!」
ミランダは突如、フィリアを指さして告げる。
「私のフェレルに近づかないでよ!」
「誰が『私の』だ、誰が!?」
しかしフェレルのその声は誰の耳にも入らない。いや一人だけ、赤毛の少女だけが同情的とも、『人生諦めが肝心』とも言うような顔をしていた。
ミランダはそそくさとフェレルの側に近寄り、腕を組む。
「この人は私が先に見つけたんだからね。あなたになんかあげない!」
「私は捨て猫か!」
フェレルは思わず叫んでいた。
「大体にしてフィリアさんは恋人じゃないぞ! もしこんな美人が恋人だったら、とっくの昔に安定職を見つけて結婚してるって!」
「そ、そんな! 結婚だなんて、まだ私・・・」
全身真っ赤になりながら言葉に詰まるフィリア。
「い、いや、だから例え話であって、実際にそうだとか、そうだったらいいなぁとか思ったりはするけどってそうじゃなくて・・・」
「結婚ですって!? ひどいわフェレル! こんなに素敵な私という女性がいながら、そんな乳臭い小娘と結婚だなんて・・・絶対に許さないわ!!」
「・・・誰が何ですってオ・バ・サ・マ?」
言いがかりをつけられた上に下品な言葉で侮辱され、温厚な性格のフィリアもさすがにキレ始めていた。
「オ、オバサンですってぇ!? 失礼ね、私はまだ二十五歳よ! 大人の恋路を邪魔する前に少しはその空っぽの頭の中に目上に対する礼儀作法を叩き込みなさい!」
「それは失礼しましたわ! でも四捨五入なさると三十ですし、そろそろお肌も曲がり角ではございません? 化粧がすこぉし濃いですわよ!」
『フッフッフッ・・・』
二人とも、笑ってはいるがすでに周りの空気は臨戦状態。一触即発。たばこの火でも爆発しそうである。
「ちょ、ちょっと二人とも、止めなさいって! フィリアさんも落ち着いて・・・」
「そうですよお嬢様。ほらほら、眉間にしわが寄ってますよ!」
フェレルと少女は必死に二人を止めようとする。
「こうなったら・・・私自らあなたのフワフワした頭に礼儀というものを叩き込んであげます」
「まぁ、怖い! 眉間のしわが取れなくなりますわよ。もうお若くないのですから・・・」
ゴゴゴゴゴ・・・。
二人は静かに呪文を唱え始める。
チリィィィン。
「や、やばい!」
フェレルは慌てて右手の人差し指と中指を立てて、それによって印を切り、集中力を一気に戦闘レベルにまで高める。
フェレルの周りに小さな渦が巻き、そして・・・
「風牢!」
フェレルの声が鋭く響く。
するとフィリアとミランダの動きが突然、ピタッと止まる。
「な、何よこれぇ!?」
ミランダはもがこうとするが全くムダ。
「フェレルさん、これは・・・」
フィリアは術の強硬さを目の当たりにしたことがあるので、騒いだりはしない。
「無礼は承知。少しは頭が冷えたかい?」
フェレルは大きく深呼吸をし、深く息を吐くと術の集中を解く。
「二人とも・・・。ここは法術師会事務所だよ。二人して脱会したいのかい?」
二人はすぐにハッと気づき、恥ずかしそうに目を伏せる。
「で、でも、悪いのはフェレル様です!」
その突然のフェレルへの糾弾は、あの赤毛の少女から飛んできた。
「私が? カリン、どうしてだい?」
フェレルは優しい声で尋ねる。
「だって、フェレル様はお嬢様があなたを好きな事を知っているくせに、やたらに美しい女性とばかり親しくされているんですもの。しかも次に会う時にはいつも違う女性ですし・・・」
「まぁ!」
フィリアが改めて驚きの目でフェレルを見た。
「私は蝶。美しい花々を飛んでまわり甘い蜜を吸っては去って行く・・・」
「そんなの最低です! あなたなんかにお嬢様は渡しません!!」
「カリン・・・」
ミランダは自分を庇うようにして目の前に立っている少女を優しく見つめる。
「・・・弁解は、しないよ・・・」
フェレルは何かに耐えるようにして立ち尽くすと、微かに苦笑した。
「フェレルさん」
フィリアはそんなフェレルの姿をじっと見ていた。
「心配はいらないよカリン。私はもう、年上の女性を好きになったりはしないと、そう決めているから・・・」
「どういう事ですか?」
カリンはまだ、納得しない。
「私の心は、今は亡きあの美しい女性が持って行ってしまったから・・・」
「!!」
カリンはその一言よりも、その一言を紡ぎ出す時のフェレルの表情に、驚愕した。
寂しさと悲しさを入り混ぜたような微笑みに、瞳はまるで、亡くなった恋人の姿を探すかのように虚ろであった。
「多くの女性と時を同じくしたよ。本当に多くの人とね。しかし・・・彼女にかなう人は何処にもいなかった。中にはミランダのように本当の愛情もあったと思う。でも、それに応える事は、私にはできなかった・・・」
「あなた・・・何者?」
ミランダはそう問わずにはいられなかった。
「夕暮れになると、私の中で眠っている『紅』の記憶が頭をよぎり、どんな『愛』も、私の心を満たす事はできないのだと思い知らされる。無くした心を探し求め、美しかったあの女性の姿を追い求め、ずっと旅をして来たけれど、彼女は永遠に私の心を、墓の下へと持っていってしまった・・・」
フェレルの瞳は虚空を見つめていたが、実際に何を見ているのかは誰にもわからなかった。
「もう、もういいですフェレルさん! もうやめて下さい!!」
フィリアはフェレルを抱き締めると、何とか話を止めさせようとする。
「逃れえぬ孤独、永遠の愛。彼女が私に残した物は、重く、苦しく、そして悲しい・・・」
「フェレルさん!!」 フィリアは絶叫する。
「・・・赤い、赤いよ! なんて綺麗なんだろう。それになんて・・・美しい女性なんだろう・・・」
「・・・魂壊・・・」
フィリアは一言、小さく唱える。
フェレルはビクッ、と大きく仰け反った後、フィリアにしなだれかかるようにして気絶した。




