1.紅の記憶・黒き恋人(1)
ここからは2人目の主人公、フェレル・リンクの物語です。
「ふぁ~あ! いい天気だな・・・」
その若者はサガラ=アズマの首都、ジョーフのにぎやかな街並みの中をのんびりと歩いていた。
肩よりも少し下まで伸びた黒髪は首の後ろで一つにまとめ、顔の造作は整っているのだが、そこには不敵な表情が浮かび、他の者をしてわずかに警戒させていた。
風体としては腰に横笛を差していて、片手に紙と筆を持つ以外には他の者と変わらなかった。
「お、あの子、かわいいなぁ~!」
通りですれ違った少女を振り返ってそんなことを言う辺り、根は軟派なようだ。
真っ直ぐに法術師会の事務所に向かって通りを歩いていく彼の前に、一匹の黒猫が現れた。
艶やかな毛並みはどこまでも美しく、瞳はエメラルドをはめ込んだような緑。その優美な体つきの下には、しなやかで強い筋肉が潜んでいる事だろう。
黒猫は彼の前に立つと、じっとその若者を見ていた。
甘えるでもなく、睨むでもなく、ただ冷静に、相手を見定めるかのように・・・。
その若者は、名をフェレル・リンクというが、『猫とはこんなにも美しい生き物だったか?』と心の中で自問し、その瞳に引き込まれるかのように、黒猫を見据えたままその場に立ち尽くしていた。
「フェレルさ~ん!」
遠くから呼びかけてくるその一言が、二人の間の時を動かした。黒猫はそのままどこかへと消えてしまった。
黒猫が消えるのと同時にフェレルもまた、声の聞こえた方へと振り向いた。すると声の主は、わずかに歩を速めつつ、こちらに向かってやってきていた。
「やはりフェレルさんでしたのね!」
彼女は呼吸を整えながらそう言った。
「こんにちは、フィリアさん」
フェレルはにっこりと愛想良く笑った。
彼女は白金の、ウェーブのかかった長い髪の持ち主で、白い肌にアメジストのような美しい瞳が印象的な女性だった。
ふんわりとした柔らかい雰囲気を持ち、貴族の子女らしく落ち着いた、と言うよりは、多少のんびりとした感じのする美女であった。
「お体の具合はどうですか?」
フィリアは少し心配そうに尋ねる。
「へ!?」
フェレルは思わぬ一言に面食らってしまう。
「この間、初めてお会いした時にお体がどうとか・・・」
「ああ!」
フェレルは彼女に何を言ったのかを思い出すと、彼女が未だ誤解したままであるということに気が付いた。
「おかげさまですっかり良くなったよ。ありがとうフィリアさん、心配してくれて・・・」
フェレルが優しく微笑む。
「そんな・・・。でも良かったですわね、お体が元に戻って・・・」
フィリアも嬉しそうに笑い返す。
「ところで、フィリアさんはこれからどこかへ?」
フェレルが何となく尋ねると、フィリアは首を微かに横に振る。
「いいえ。ただ、まだこの街に慣れていないものですから、こうして街を見て歩いているんです。フェレルさんは?」
「私は・・・これからちょっと法術師会へ・・・無心しに・・・」
フェレルは心底情けなそうにうなだれると、片手で腹を押さえる。
「どうもこの間サイフを落としてしまったみたいで、この二日間、何も食べてないんだ」
「まぁ、そうなんですか?」
フィリアは心底同情すると、フェレルの手を掴んで言った。
「もし失礼でなければ、お食事をご一緒しませんか? お金は私が出しますから・・・」
「いや、でも、そんなご迷惑は・・・」
断ろうとするフェレルの意志に、彼の腹は一斉にシュプレヒコールを唱える。
「・・・・・ありがたくお受けします」
フェレルは素直に御馳走になることにした。
「はい! 遠慮しないでしっかり食べてくださいね!」
男に限らずとも、誰をも魅了して止まない素敵な笑顔でフィリアは言った。
「それじゃあどこのお店にしましょうか・・・。フェレルさん、何か食べたい物はありますか?」
無邪気に彼の手を取るフィリアに、フェレルは彼らしくも無く照れていた・・・。
「ふぅー、食った、食った!」
フェレルは満足そうにそう言ってお茶を飲む。
「よっぽどお腹が空いていたんですね」
フィリアはクスクスと笑った。
フェレルはそこではっ、と気づいた。
テーブルの上にはゆうに四人前相当の料理皿があった。もちろんフィリアがそんなに食べるはずもなく、その殆どは・・・。
「す、すいません! こんなにがっついて食べてたなんて気が付かなくて・・・」
「いいんですよ。それよりも足りましたか?」
フィリアが楽しそうに聞いてくる。
「はい! あ、後でお金入ったらちゃんと払うから・・・」
「ここは私のおごりだと言ったでしょう? ここの支払いの事より、これからの生活の事を、ちゃんと考えてくださいね」
フェレルは今ほど、フィリアが女神に見えたことはなかった。
「へへー、仰せの通りに」 思わず手を叩いて拝んでしまうフェレルだった。
「フェ、フェレルさん・・・!」
フィリアは恥ずかしさの余り赤面していた。
「えっと、これで買い物は終わり、と」
大きな買い物袋を一つ持ち、片手に買い物リストを持って確認している少女が一人いた。
年の頃なら十四、五歳。赤毛の髪を肩のところで切り揃え、動きやすそうな服を着ている。
まだまだ発育途上ながら、体は女性らしい丸みを帯びていて、それが少女の快活さと相まって、まるでよく弾むゴムまりのような印象を受ける。
背は割と小柄な方で、今も手に持つ袋のせいで前がよく見えないでいる。
リストをポケットにしまうと、袋を両手で持ち直した。
と、その時・・・
「あ、あれって、もしかして・・・」
少女は自分の歩く少し先に、彼女もよく知る青年が、一際美しい女性と共に歩いているのを見つけた。
その行き先は・・・どうやら少女と一緒のようだ。
「ど、どうしよう?」
少女はその時、ひどく嫌な予感がしていた。もしこのまま行くと・・・。
しばしの逡巡の後、それが彼女にとって、今も頭を悩ませている原因の一つと知りながら、持ち前の忠誠心に勝つことはできず、結局、彼らよりも先回りをして彼女の主人に報告に走ることにした・・・。
第1話は3部構成になります。




