12.さよならはいらない
在庫一掃セールその2です。
そこは、人の血と、そして『死』の匂いが立ちこめていた。
剣と剣がぶつかり合い、馬が立ち上がって嘶き、魔法の一撃がすべてを一掃する。
この世界には、必ず何処かにこんな場所がある。
むせぶような濃い血の臭いは、その場にいる者すべてを狂わせる。
男が矢を放つ。
それの描いた軌跡は、僅かなズレさえも見せずに遠くの敵の急所を射抜く。
男は確かにその手応えを感じていた。そして次の獲物を探す。
その時
(俺は今、何をしている・・・?)
それは神の残酷な悪戯なのか、それとも悪魔の優しい愛撫だろうか?
彼は傷だらけの仲間達の中、返り血だけで赤く染まった自分の体を見つけた。
彼を守るために、仲間達が流したものである。
そこは彼の良く知る緑豊かな森ではなかった。剣や槍といった物が数多く乱立する場所。
若葉の匂いは血の臭い、小鳥のさえずりは戦士達の雄叫びに取って代る。
服の汚れには土汚れの他に血の染みが加わる。
変わらない物は一つしかなかった。
それは彼と共にあり続けた。彼自身の証明とも言えた。
彼は手に持つ弓矢を打ち捨てると、この狂った『森』から逃げ出した・・・。
アルムトゥバルの空は今日も青く、どこまでも澄み渡っていた。
「いい朝ですわね」
金茶色した髪をボブにして、どちらかというと『お嬢さん』と言った可愛らしい雰囲気を持つ司祭、ルヴィナは、風邪で寝込んだ宿の女将さんの看病と、その宿の手伝いをする為に、大通りをのんびりと歩いていた。
「お、ルヴィナ。おはよう、今日もいい天気だねぇ」
「おはようございます、オットーさん」
「あら、ルヴィナ。今日はちょっと珍しい野菜が入ったから後でお寄り。少し分けてあげるから」
「ありがとうございますマーヤさん。それでは帰りに寄らせて貰いますね」
「おはようルヴィナお姉ちゃん!!」
「今日も元気ねランディ。余りイタズラばかりしちゃダメですよ」
この街でルヴィナの事を知らない者はいない。
『運命の年』に、『一つ』の剣の力により、壊滅寸前に追い込まれたアルムトゥバル。
誰もがもう、自分の事しか考えられずに日々を送っていたそんな時、ルヴィナと彼女の仲間達はこの街にやって来た。
旧時代の学校跡を利用して、彼らは『灯の家』という名の孤児院をつくった。
多くの子供達を相手にし、慣れない事に戸惑いながらも、彼らはいつも一生懸命だった。
そんな彼らの姿を何の気なしに見ていた人々も、いつしか彼らを応援するようになっていた。
そんな中でルヴィナは、日頃お世話になっている人々のために奉仕活動を行うようになった。
すなわち、困っている人の所に行って仕事などを手伝ったりするのである。
それは今日のように純粋に看病のためだけの場合もある。
『しっかり者』のルヴィナは、誰からも好かれるようになった。
ちなみにロファ・サーフェも、『うっかり者』としてその個性を愛されているが、これは余談。
「金が無いだとぉ!?」
ルヴィナが突然の大声に驚いていると、右手にある食堂から、突き飛ばされたかの様に、一人の若者が道端に倒れた。
その後に続いて店の親父らしき男が姿を見せた。
「大丈夫ですか?」
ルヴィナは倒れている男を抱え起こす。
「どうしたんですかウェイ・ロンさん?」
ウェイ・ロンと呼ばれた男は目の前にいるのがルヴィナだという事に気づくと、表情を少し緩めた。
「あんたか。いや何ね、この男がさんざんに食った挙げ句に『金が無い』って言い出しやがってね。それで今、こいつをとっちめてやろうと思っていた所なのさ」
「わかりました。お金は私が払います。だからもう、これ以上の乱暴はやめてくださいね」
そう言ってルヴィナはウェイ・ロンにお金を支払った。
ウェイ・ロンもお金を受け取ると、これ以上、若者を責めなかった。
「・・・悪い。助かったよ」
若者はぶっきらぼうに礼を言う。
「いいんですよ。困った時はお互い様ですものね」
ルヴィナは男の顔を見て微笑む。
若者はしっかりとした体つきをしていた。特に腕まわりは太く、普通の大人の倍近くあった。これでもう少し背が高く、顔が男らしければ、さぞかし多くの女性が彼の事をもてはやしたことだろう。
男は少年と言うよりもむしろ少女に近い顔つきをしていて、肩まで伸びた黒髪を後ろで一括り(ひとくくり)にしていた。瞳は深い緑色である。
「あの・・・失礼ですけど、おいくつ?」
「悪かったな、童顔で!」
そんな彼の年齢は二十二歳であった。
「こんにちは。お体の具合はどうですかミハルさん?」
ルヴィナは枕元に置かれた椅子に座り、優しくその手を取った。
「ごめんねぇ、ルヴィナ。あたしとしたことが風邪なんかで寝込むなんて・・・」
ミハルは、いつもなら包み込むような包容力を感じさせる丸く大きな体を、今は心細げに震わせていた。
「ミハルさんは働き者ですから、神様が休むようにおっしゃったのですよ」
ルヴィナはいかにも司祭らしい一言を口にした。
トン、トン。
「どうぞ。入ってもかまいませんよ」
扉を開けて入って来たのは先程の若者、名をシャロム・ウィルハートという、であった。
「その人は?」
ミハルが小さくルヴィナに尋ねる。
「この人の事は私が保証します。ところで何か御用ですかシャロムさん?」
「・・・ここは宿以外に食堂もやっているようだが、店はどうする?」
「私が厨房に入ります。昼頃までには家族の者も手伝いに来ますし・・・」
「そんな、いいよルヴィナ。そこまでしてくれなくても・・・」
「お店はお客の信頼が一番でしょ? ミハルさん程に美味しい物を作る自信はないですけど、私、一生懸命やりますから・・・」
「けど・・・」
「話は決まったようだな。客が待っているから、俺は店に出る。あんたはその人の看病を頼む・・・」
『えっ!?』
女性二人の驚きを無視し、男は厨房へと向かった。
ルヴィナは慌てて部屋を出ると、シャロムを捕まえた。
「私も手伝います! それに、別にシャロムさんまで手伝って下さらなくても・・・」
「・・・シャロムでいい。そう呼んでくれルヴィナ」
「え!?」
ルヴィナは不意に、顔が熱くなるのを感じた。
「さっきの礼の代わりだ。それに寝込んだ時の一人はどんな人間でも気弱になる。側にいてやった方がいい。店の方はもうすでに一品サービスしてみたが、客も割と満足していた。大皿に盛りつけて、小皿に取って食べるようにすれば俺一人でも大勢捌ける。もっとも今日限りの有効手段だがな・・・」
「・・・本当に、大丈夫ですか?」
ルヴィナの顔は、まだ心配そうだった。
「あらゆる特技に精通していないと、傭兵としては食っていけないんだよ・・・」
その声はどこか悲しい響きを含んでいたが、ルヴィナはあえて何も聞かずに、ただ黙って頭を下げるのだった。
「さぁ急ごうよ! ルヴィナ一人で大変になっているかも知れない・・・」
「ああ。つい手間どっちまったからな」
「あ、ほら、宿が見えてきたわよ」
ロファ、ギルティス、ユウの三人は、ルヴィナの応援となる為にひたすら道を走っていた。
家を出る直前、子供が一人熱を出してしまった為、布団を用意し、氷枕を作り、薬を飲ませたりなどとしている内に、いつの間にか約束の時間を目前に迎えていたのだ。
幸いにして、熱を出したのが一人だった為、寝かせた後は予定通り、ベネティア達に後を任せてきたのだ。
エリザも少年についていてくれると言うから、夕方には熱も下がるだろう。
宿に着き、慌てて店に飛び込む。宿はもう人で一杯だった。
「ごめん、ルヴィナ! 遅くなって・・・」
ロファのその声は途中で切れる。
「ん?」
シャロムは調理の合間にその一言を耳にし、少し笑った。
「あんた達がルヴィナの言ってた『家族』か・・・。ルヴィナには部屋で看病をしてもらってる。誰か変わってやってくれ」
「お、お前は一体・・・?」
「自己紹介は後だ。この大皿を奥のテーブルの皿と交換してきてくれ。それからそこのあんた、芸人だろ? 忙しい時間で人手が入りようではあるんだが、何か芸を見せてやってくれないか。客が退屈して帰ったりしないようにさ・・・」
シャロムはテキパキと指示を出した。
ユウは奥に続く入り口から部屋に向かい、ギルティスは大皿を片手に持って奥のテーブルに向かい、ロファは備え付けの小さなステージの上で、得意の手品を披露した。
客達は争うように大皿から料理を取り分けては、きれいに平らげていく。
テーブル区分は無く、客は皆、自分の食べたい物を食べる分だけ取り分けて食べる。
何とも落ち着かないが、普段とは違う料理とこの状況を、客達は明らかに楽しんでいた。
料金は普通の昼食の約1.5倍。その代わり料理はいくら食べてもよい。
ミハルに人望があった事もあって、全員、見舞金代わりといった気持ちできちんとお金を払っていった。
そうする内に忙しい昼間も過ぎ、午後も半ばにさしかかろうという頃になってやっと一息つける事になった。
「お疲れさま、みんな」
ルヴィナが冷たい果実酒を入れたグラスをみんなに配る。
「今日はもう店を閉めるそうですから、後はゆっくりできますよ」
「ミハルさんの具合はどうなのルヴィナ?」
ロファが心配そうに尋ねた。
実は、ルヴィナが何故店を手伝う事になったのかという一番の理由として、ロファの事が挙げられた。
『死の道化師殺人事件』の折り、疑いのかかったロファの事を匿ってくれたのが、この『昼の月』亭の女主人、ミハルであった。
それ以来『灯の家』では、この『昼の月』亭の場合においては特に力になる事が多くなったのである。
「大丈夫。以前、ランバートがくれたお薬がよく効いているから、明日には元気になりますよ」
「よかったぁ」
それを聞いたロファは心底安堵した。
「今日はどうもありがとうございました。特にシャロムには午前中からずっとお願いしてしまって・・・」
恐縮するルヴィナにシャロムは苦笑する。
「そう言えばあなたは? ルヴィナとはお知り合いみたいだけど・・・」
ユウがシャロムに尋ねる。
「俺はシャロム・ウィルハート。飯代を立て替えてもらったんでな。その謝礼として働いただけだ。俺達は働きに合わせて賃金を貰うからな」
「お前、傭兵なのか?」
ギルティスはすぐにそう思い当たった。
「・・・元・傭兵さ。戦場から逃げ出した傭兵を雇おうとする奴なんかいやしないからな」
さっき感じた悲しみはその事なのだろうかとルヴィナは思ったが、すぐにそれを否定した。
「ならおいらが雇うよ。給料は安いけどさ」
シャロムは驚いてロファの顔を見たが、ロファは楽しそうに笑っていた。
「少なくともおいらよりは腕が立つんだろう? 旅にでる時、ボディガードとして一緒に来てくれないか? 報酬は、一日のおいらの売り上げの中から、その三分の二でどうだい?」
しかしシャロムはすまなそうに顔を横に振る。
「・・・すまない。申し出はありがたいが、もう、傭兵はやめるつもりなんだ・・・」
「傭兵をやめる? それでその後どうするかはちゃんと考えてる?」
ユウの鋭い質問に、シャロムは答えられなかった。
「それじゃあ、うちに来ませんか?」
『ルヴィナ!』
ルヴィナの突然の一言に三人は驚いたが、シャロムは静かに、じっとルヴィナを見ていた。
「あ、でも、もし帰れる所があるのなら、そちらの方がいいですね・・・」
「・・・そんな所があれば、とっくに帰っているさ」
シャロムはわざと素っ気なく言った。
「あんた達の気持ちは嬉しいが、これ以上は迷惑をかける事になる。だから・・・」
「もちろん、タダでとは言いませんよ」
ルヴィナにしては珍しく、いたずらっぽく笑う。
「私達の家は孤児院なんです。ですから生活費のお支払いは是非とも労働でお願いします。それとも、また無銭飲食をなさいますか? 次こそは捕まりますわよ、きっと」
「・・・・・わかった」
困惑したシャロムのその表情は、つまみ食いを見つかった少女のようであった・・・。
シャロムが『灯の家』に来てから、一週間が過ぎようとしていた。
この家での生活は、今まで殺伐とした空気の中で暮らしてきたシャロムにとって戸惑いの連続であった。
だがシャロムは確かな安心感をこの『家』とここの『家族』とに感じていた。
ここにいれば、すべての『悪夢』を消してしまえるような気がした。
そんな事が、あるはずがないのに・・・。
「何をしてるんですシャロム?」
振り向くと、屋上に出る入り口の所にルヴィナが立っていた。
「風に当たっていたんだ。ロファの奴が『いい風が吹く』と言っていたからさ・・・」
「本当に、気持ちのいい風・・・」
シャロムの横に並ぶようにルヴィナが側に立つ。
二人は黙って風に当たっていた。
校庭では、『灯の家 野球大会』と称して、『灯の家』代表チーム対『商店街』チームの名勝負が繰り広げられていた。
現在七回表で13対12,『商店街』のリードで『灯の家』の攻撃。
お互いに守備が苦手な為、試合は打撃戦の様相を示していた。
応援合戦の方も負けてはいない。
みんなが一生懸命に投げて、打ち、走った!
「いい街だなここは・・・」
ルヴィナはそれを聞いて嬉しそうに微笑んだ。
「みんなで築いた街ですもの。私は、この街が大好きです・・・」
シャロムはそっとルヴィナの横顔を見る。
普段はどこか子供っぽいのに、今のルヴィナは大人の女性特有の、深みのある微笑みを浮かべていた。
そんな一面を不意に覗き込んでしまう度に、シャロムの胸の鼓動は早まるのだった。
「・・・どうしたんです?」
「べ、別に何も・・・」
シャロムは慌てて顔を背けた。
「と、ところでさ、あの、ルヴィナにちょっと相談があるんだけど・・・」
「え!?」
ルヴィナの声はいつもと同じ感じだったが、彼女の心の中はドキドキしていた。
初めてシャロムに会ったあの日から、どうも様子が変なのだ。
シャロムの声や仕草の一つ一つに、時々胸が苦しくなるのだ。
「じ、実はさ・・・」
シャロムは深く息を吸い込むと、振り向いて言った。
「どうしたら俺も男らしくなれるか、ルヴィナに意見を聞きたいんだ!」
ルヴィナは思いっきり肩すかしを食らった気分だった。
そんなルヴィナの様子にも気づかずにシャロムは話し続ける。
「俺ってこんな顔だろ? 傭兵になる前、それこそ子供の時から顔のことでやたらとからかわれてきてさ。ここで暮らしていて、ギルはともかく、女装しているユウでさえも、とても男らしく見えたりする時があってさ。俺の場合、ユウよりも年上なのに全然男らしく見えないみたいでさ・・・。美形なんか嫌いだ! まだロファのような顔の方がよかった!」
ルヴィナは心の中でロファに深く同情していた。
「こんな事、笑わずに聞いてくれるのはルヴィナだけだからさ。それで・・・」
「シャロムは男らしいですよ」
その一言にシャロムは意外そうな顔をする。
「いざという時のあなたは、それこそとても凛々しい顔つきになる事を知りませんでしたか?」
「ほ、本当か?」
シャロムは嬉しそうに笑う。
「ええ。それに、せっかく御両親が授けて下さった御自分の体を嫌ったりしてはいけませんわ。男らしいかどうかは、その人の心のありようだと、私は思いますよ」
ルヴィナが優しい声でそう諭した。
「ありがとう! 頼りになるなルヴィナは・・・」
シャロムが一言そう言うと、しかしルヴィナは急に寂しそうな顔をする。
「どうしたルヴィナ?」
その様子に、シャロムが不安になって尋ねる。
それには答えず、ルヴィナは小さい声でこう洩らした。
「・・・私だって、たまには甘えてみたい・・・」
「え!?」
どういうこと?とシャロムが尋ねようとしたその時、
カキーン!
セレトの打った球が、大きく楕円を描いて屋上に飛んできた。
「ごめーん、ボールを落としてぇ!」
ロファは大声でシャロムに頼み込む。
「・・・ったく」
シャロムはボールを拾い上げると、
「ミット構えてろ、キャッチャー!」
屋上から一気にそれを投げた。
ズバァァァン!
狙いは違わず、ボールはキャッチャーミットに収まった。
もっとも勢いを殺せず、キャッチャーは尻餅をついたが・・・。
レフトオーバーからのダイレクトな返球。しかも狙いは正確。
この意外な好プレーに、校庭はしきり盛り上がった。
気が付くと、ルヴィナの姿は屋上から消えていた。
その日、ルヴィナは朝から少し肌寒さを感じていた。
(疲れたのかしら・・・)
今日はあるお店の棚卸しを手伝ってきた。
朝、様子のおかしいルヴィナを見た『家族』が、次々に『自分が代わりに行くから』と行ってくれたのだが、ルヴィナは笑顔で『大丈夫です』と言うと、丁重にその申し出を断った。
(こんな事で・・・休むわけにはいかない・・・)
そう思ってルヴィナは手伝いに行き、危なっかしい手つきながらも無事に仕事を終え、帰宅する途中であった。
(・・・寒い。めまいもひどくなってきたみたい。そうね。帰ったら、みんなには申し訳ないけれど、少し休ませてもらおう・・・)
しかし
「あっ・・・」
ルヴィナはとうとう、道の真ん中で倒れてしまった。
その時ルヴィナは不思議と、シャロムの叫び声を聞いたような気がした・・・。
目を覚ますと、彼女は自分の部屋にいた。
「あ、気が付いたようね」
エリザが嬉しそうに声を掛ける。
「私・・・一体?」
「高熱をだして道で倒れたらしいわ。一時は本当に危なくて、どうなることかと思ったわ・・・」
エリザの声は、かすかに震えていた。
「シャロムのおかげね。あの人がルヴィナの事を迎えに行って、帰ってきた時はあなたを背中に背負ったまま、走って帰って来るんだもの。驚いちゃったわよ。・・・でも、シャロムって不思議よね。みんなが騒いでいる中で常に全体を見渡して、的確な指示を出したのよ。おかげで混乱することもなくきちんと対応できたわ」
「・・・・・」
(やはりあの時の声はシャロムの・・・)
朦朧とする意識の中でも、ルヴィナは確かに、シャロムの温もりを覚えていた。
「ちょっと水かえてくるわね。薬も持ってくるからそれ飲んで、もう一眠りした方がいいわ」
そう言ってエリザは出ていった。
少しして部屋に入ってきたのは、エリザではなくシャロムであった。
「シャロム・・・」
「熱は?」
シャロムは水を入れた洗面器をベッドの脇に置くと、右手でルヴィナの、左手で自分の額に手を当てる。
「・・・まだ少し高いな。薬を飲むといい・・・」
テーブルの上の水差しからコップに水をくむと、起きあがったルヴィナに薬と共に渡す。
ルヴィナは寝間着姿であったが、今はその事にも気づかないぐらい動揺していた。
助けてもらったお礼を言いたいのだが、なかなかタイミングがつかめず、リアクションに困っていたからだ。
苦い粉薬を一気に水で流し込み、ルヴィナは静かにシャロムの方を向いた。
「・・・助けて下さってどうもありがとう・・・。もう大丈夫です」
「眠るまで側にいるよ」
途端にルヴィナの顔が真っ赤になる。
「そ、そんな・・・。いいですわ、恥ずかしいですし・・・」
そう言うとルヴィナは布団に潜り込んでしまう。
「側に・・・いたいんだ」
消え入りそうに小さなシャロムの声に、ルヴィナも少しだけ顔を出して小さく頷いた。
「俺・・・昔は猟師だったんだ・・・」
シャロムは静かな声で、二人を包んでいた沈黙を破った。
「猟師?」
「そう」
それを聞いてルヴィナは、シャロムの体つきがしっかりしてる理由も、野球大会の時に見せた強肩と、遠くのミットに正確に投げ込んでみせたその目の良さについて納得した。
「狩りは、祖父に教わった。親父は魔物に襲われて、母親は物心つく前に病気で亡くなっていたから、残る身寄りはジィちゃんだけだったんだ・・・」
ルヴィナは黙ってシャロムの言葉に耳を傾けていた。
「ジィちゃんの口癖は『弓矢は殺すための物じゃない。食わなければ生きられない罪深い我々に対し、神が授けてくれた祭祀の道具だ。だからこそ、猟師はなるべく一発で仕留めて獲物を楽にしてやり、その魂がせめて、死して後の安息を得られるように願うのだ』って一言だった」
「素晴らしい方ですね。自分の罪からも逃げず、自然と神に感謝して生きる。とても強い方です」
ルヴィナは尊敬するかのようにつぶやいた。
シャロムはそんなルヴィナに苦笑を洩らした。
「そんなジィちゃんが亡くなると、俺は自分の腕に慢心するようになった。狩る事にのみ楽しみを見出すようになり、いつしか獲物に人間までも求めるようになっていった・・・」
きれいだと、ルヴィナは思った。
これが懺悔である事には気づいていた。彼女の元に神の許しを求めてくる人は、みんな、同じ空気を持っていたからだ。
何故急に懺悔する気になったのかはわからなかったが、この人は今、背負った苦しみを必死に乗り越えようとしている。その事だけはルヴィナにもわかった。
だが、もう乗り越えているのかも知れない。
他人に語ると言うことで、自分の中の苦しみを乗り越えたのかも知れなかった。
「そして気が付くと、俺は戦場に立っていた。すべてが変わっていたはずなのに、手にした弓矢だけが変わらずにいたんだ。その事に気が付いた時、俺は弓矢が怖くなった。弓矢を通して、神の持つ存在の大きさを知った気がして、急に怖くなって、俺はそこから逃げ出したんだ・・・」
「怖くなんかありませんわ」
ルヴィナはシャロムの目を見ながら言った。
「なぜなら神は不変ですもの。あなたが怖いと思ったのは、あなた自身のことについてですわ。変わり果てた自分の姿に気がついた時、初めてあなたは、自分を怖いと思ったのでしょう。でも、もう怖くはないはずですよ。だってあなたはもう、傭兵ではなくて猟師なんですから・・・」
「じゃあ、ルヴィナは神を通して見た自分の事をどう思う?」
唐突に発せられた質問に、ルヴィナは答えに窮した。
「私は・・・、残念ながらわかりません。いつの日か、わかるようになる日が来るといいのですけどね」
「そうか・・・」
二人はまた、口ごもる。再び二人の間に沈黙が降りる。
「ところで、子供達は大丈夫ですか? 誰か咳き込んでたりする子はいませんか?」
ルヴィナは自分のひいた風邪が子供達にうつってはいないか気になり、シャロムに尋ねた。
「ああ、大丈夫だよ」
それを聞くとルヴィナは、安心したように肩の力を抜いた。
その様子を見てシャロムは優しい声でそっと言った。
「あんたはまず、自分の事よりも他人の事を考えるんだな」
「そんな事は・・・」
シャロムは一人、悔しそうな顔をして呟いた。
「今の俺じゃあ、まだまだ役不足なんだな・・・」
「え!?」
ルヴィナの戸惑いに、シャロムは微笑み返す。
「病気の時ぐらい、わがまま言って他人に迷惑を掛けてもいいって事さ」
ルヴィナの頭を冷やしていた手ぬぐいを、シャロムは水につけて冷やし、絞ってからまた彼女の額に乗せた。
「気配り上手なのは悪い事じゃあない。でも、どこかで息抜きをしなけりゃ息も詰まるだろ? 今まで、ずっとルヴィナの事を見ていたけれど・・・、あんたはもう少しわがままを言うべきだ。司祭や子供達の母親であると同時に、ルヴィナもまた、一人の『女』なんだからさ」
「シャロム・・・」
「『たとえ自分が苦しくても、他人を幸せにすることはできる』って言うけどさ、自分も幸せで、
その上で他人も幸せならならさ、そっちの方がずっと良いはずだよな・・・」
その一言に、ルヴィナがクスッと笑う。
「みんながルヴィナに甘えちまうのは、決してルヴィナが司祭だからとか母親だからじゃないぜ。・・・ルヴィナが『いい女』だから甘えちまうんだ!」
「そ、そんな・・・私」
ルヴィナの熱が一時的に高くなる。
「だからさルヴィナ・・・。あんたはあんたで『思った事』や『願い事』を口にしてもいいんだ。わがままが言えるのは、『いい女』の特権なんだからさ!」
ルヴィナは初めての言葉に戸惑いながら、もしや病気が重くなったのかと思った。
(だって、心までもが熱くて、そして、きゅうと締め付けられるように苦しい・・・)
「悪かったな、長話をさせて・・・。ぐっすり眠って、はやく元気になってくれよな」
そう言ってシャロムはイスから立ち上がった。
その時シャロムは顔に微笑みを浮かべていて、とても優しそうに見えたのだが、当のルヴィナ自身は涙で目が曇って、それをはっきりと見ることはできなかった・・・。
そして次の日には、ルヴィナは今まで通り元気になっていた。
(シャロム・・・!)
アルムトゥバルの街道を、ルヴィナは今、ただひたすらに走っていた。
次の日には元気になったルヴィナだったが、『ルヴィナは働き過ぎだから風邪をひいたんだ!』と言うロファの意見に全員が賛成した為、その日一日をルヴィナは自由に過ごした。
シャロムがルヴィナの部屋を訪れたりもしたので、二人は、昨日とはうって代わり、明るい声で話をした。
それでも最初は固くなりがちのルヴィナであったが、話している内に自然に笑うようになっていた。
それは、仲間達の目から見てもどこか清々しく思える、そんな素直な笑顔であった。
ルヴィナはいつしか、シャロムに心を寄せる自分に気づいていた。
だがそのあくる日、彼は一通の手紙を残して『灯の家』を出ていった。
誰とも顔を会わさぬままに・・・。
それに気が付いたのは妙な胸騒ぎで目を覚ましたルヴィナであった。
ルヴィナが部屋を出シャロムの部屋の前を通った時、そのあまりにも自然な静けさから少しだけ扉を開けてみると、彼の姿はそこになかった。
時刻はまだ夜明け前。
ルヴィナは急いで着替えると、街道を北に走った。
日が昇り始めた頃、シャロムは街の郊外まで来ていた。
彼はそこで一旦振り返り、遠くに見える『灯の家』で過ごしたここ数日の日々を思い出す。
子供達の元気な姿、仲間達との気さくなつき合い、そして・・・ルヴィナの笑顔。
彼は今、晴れやかな顔をしていた。
戦場で荒んだ心も、今ではすっかり癒された気がしていた。
そう思った時、彼は森へ帰らなければならないと思った。
楽しかった日々の思い出と、今のこの気持ちだけを胸に秘め、猟師として一から出直さなければと思ったのだ。
そしていつかきっと、一人前の猟師として森に認められる事を、彼は望んでいた。
「・・・・・!」
するとその時、誰かが駆けてくるのが見えた。それは・・・
「ルヴィナ!」
シャロムはそう気が付くと、慌てて駆け寄っていった。
二人はお互いを目の前にすると息を正し、呼吸を整えた。
「・・・行ってしまうのですか?」
「ごめん・・・。見送られると、決心が鈍りそうだったから・・・」
シャロムはすまなそうにそう言った。
「バカ!!」
ルヴィナは大きな声でそう言うと、シャロムの腕の中に飛び込んだ。
「・・・バカ。私にまで黙って行くなんて・・・」
「ごめん・・・」
シャロムはすっかり涙声になっているルヴィナを、その腕で優しく抱きしめた。
「俺・・・はやく一人前の猟師になりたいんだ。はやく一人前になって、一人前の男になって、君を・・・支えたいんだ・・・」
「あなたはもう、私を支えてくれています。だから、・・・一緒にいてください・・・」
ルヴィナは、ともすれば消えてしまいそうになる胸の『思い』を、必死に振り絞ってシャロムに告げた。
「君の『わがまま』を聞けて、俺も嬉しいよ」
シャロムはにっこりと笑った。
「なら!」
「でも今はダメだ。弓矢を持たない猟師はいないし、俺ももっと『いい男』にならなくちゃいけない。・・・君と共に、歩むためにもね・・・」
その時、二人の間を流れいった時間は、朝日の祝福と風の洗礼を受けた、生まれたての時間。
それはあらゆるものに束縛されない、二人だけで過ごす自由な時、『恋人達の時間』であった。
ルヴィナが静かに顔を上げた。
「・・・待っています。いつまでも待っていますから・・・」
「ルヴィナ・・・」
シャロムがルヴィナの体を強く抱きしめる。
その抱擁は、ルヴィナにとっては痛いくらいであったが、今はそれが嬉しかった。
「いつの日か必ず、君の元に返るから・・・」
「はい。・・・でも、たまには顔を見せに来てくださいね。子供達も喜びますから・・・」
ルヴィナは微笑んで、そう言った。
「君は?」
シャロムがいたずらっぽく尋ねる。
「さぁ、どうでしょう?」
二人はクスクスと笑いあうと、互いの唇を優しく重ね合わせた・・・。
二人の別れに『さよなら』はいらなかった。
『家』に帰ったら、それこそ大騒ぎになるであろうが・・・。
しかしルヴィナはとても楽しそうだった。
昔なら大変に思うような場面なのに、今のルヴィナには不思議と余裕があった。
「今日もいい天気になりそうですね!」
今ではもう、完全にその姿を現した朝日に目を細めつつ、ルヴィナは『母親』としての笑顔を浮かべていた・・・。
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