第9話 愛の法廷人 魔王アルマ
「では、一時の感情であったと」
そこは、教会のように厳かで、いや、君達の世界で言えば、正に教会にあたる。ここは懺悔室。違いがあるとすれば、罪の告白を受けるのは、神父ではなく、精霊である。
「そうなんです。今でも妻を愛しています。ただ魔が差しただけで――」
立つのは純白に身を包んだ女性。天使と見間違うかも。跪くのはごくごく一般的な男性。
「いいのですよ。後悔しているのですね?」
「はい、それはもちろん」
「ああ――。愛は永久に変わらないというのに、一時の衝動に負けてしまう。人間とはなんて弱い存在なのでしょう――。分かりました、貴方を許しましょう」
「本当ですか!?」
「はい。ただ――」
「?」
「意思の弱い貴方を導くのも、私の役目――」
「それは――?」
「ですから、二度と不貞の出来ないように、切ってしまいましょう!これでもう安心ですね!」
「切るッ!?」
「さあ、脱いでください。大丈夫、恥ずかしくないですよ。最初はちょっとだけ痛いかもしれませんけど、一緒に頑張りましょう!」
「あっ……?あっ……!?あっ……!!」
この後、悲鳴が轟いたのは言うまでもない。
こんな事をするが、彼女も心の中ではきっと辛いに違いない。
「ふう――。愛に奉仕し、世界を愛で満たす。なんて素晴らしいことでしょう」
まあ、そんなことはないかもしれないが――。
彼女の名はアルマ。魔王である。
女性はいつも恋愛事に興味を持つと言うが、彼女も例外ではない。周囲の色恋沙汰には敏感で、やたらと首を突っ込みたがる。そして浮気・不倫の類は許さず、そうした相談もよく受ける。人呼んで、『愛の法廷人』である。
ただし一部では、『処刑人』とも呼ばれている。なぜかは分からない。少なくとも本人は。
「アルマ様、ご報告しておきたいことが――」
『処置』の終わったアルマに、姿勢の美しい凛とした女性が声を掛けた。
「珍しいですね、かしこまって」
「フレア様とアビス様が、衝突されたようです」
「衝突?アビスが?」
「詳細はまだ確認中です」
「そうですか――」
アルマは少しだけ息を整えた。
「メモリ、この後の予定は全てキャンセルしなさい」
「では――」
「アビスに会いに行きます。ああ、私の最愛の人――」
数日後、丘の魔王の住まいにて――。
「こんな暑い日なのに、またスープなの?」
「君の胃腸はまだ弱っているからねえ。煮込み料理の方が良いと思うよ」
この家では珍しい光景、それも日常となりつつあったある日。
「最近は訓練も熱心じゃないか」
「上達はしてないけど……」
「単に成長が遅いのか、精霊相手に使うのが間違っているのか――。まあ、やり方が間違っていると判断するには、まだ早いかな」
アビスがぶつぶつと独り言のように考察しているのを尻目に、ヴィータはスープを口に運んだ。
「ねえ……何か入れた?」
ヴィータの表情がくもる。
「ん?牛肉に野菜、味付けは塩とハーブだけだよ」
「ふーん……」
ヴィータは不信そうにアビスを見た。
「塩……ね。それは普通の塩のことかしら?」
「まあ、そうだねえ。食塩と呼ばれるものだねえ」
「食塩?それは塩化ナトリウムってこと?」
塩化ナトリウム、世間一般に使われる塩のことである。
「……塩化カリウムだよ」
塩化カリウム、食塩の1つである。高血圧など、ナトリウムを摂取したくない場合に代替品として用いられたりする。欠点は塩化ナトリウムほど、美味しくないこと。特に苦みが強い。
「どうしてそうやって訳の分からないものを入れるの!?」
「どうして?どうしてだろうねえ。なぜ生き物は味覚だけで、自分に必要な元素を特定できてしまうのだろう。いや、でもカリウムも必須の栄養素な訳だし……」
またアビスはぶつぶつと考え出した。
栄養素なんてものが、まだ世間一般に認識されていなかったこの時代。科学者は、その効能を解き明かすのに明け暮れていた。
具体的には?
生活の貧しい者を見つけては、『1週間豆だけを食べて、体調の変化を報告して欲しい』とか提案するのさ。効果が出ないなら更に1週間。もっと長い期間かも。現代なら人体実験と呼ぶ人もいるのかな?
君達の世界が、今、栄養素の効能が知られているのも、そうした人体実験の許された時代と、科学者達の努力の賜物だがね。
ああ、ちなみに君達の世界、より具体的には海の向こう側の歴史通りにいけば、この後カロリーという栄養(正確には栄養素ではない)が発見される。カロリーは生命の活動において非常に重要なものである。カロリー=大正義となる。
そして、カロリーを多く摂取することが推奨されたり、うまい・安い・高カロリーなジャンクフードが生まれた。結果、デブが増えた。
実におかしな話さ。
さて、そうこう食事をしていた2人だが、またしても外から声が聞こえる。
「入らないんですか?」
「ちょっと……中の様子を探ってからでも良いでしょう」
「入らないなら、私が開けますよ」
「ま、待って、私が開けます!こういうのは強気でいかないと――」
ドーンと勢い良く扉を開けて、光の中から現れたのはアルマだった。後ろにはメモリもいる。
アビスは視線だけ向けて、自然体でいた。ヴィータは、また厄介な訪問者が来たと考えて、身構えた。
「アルマ?」
最初に口を開いたのはアビス。
「お久しぶりですねえ、アビス」
アルマは満面の笑みで返した。
「誰?」
ヴィータは恐る恐る聞く。
「妻です!」
グイっと寄って、テーブルについていたヴィータを覆いかぶさんばかり勢いで、アルマは言った。
「何か用か?」
アビスは至って変わらない。
「夫婦が会うのに理由が必要ですか?いいえ、ありません!だって私は、貴方を愛しているのだから!」
アルマはまるで劇のヒロインのようだ。または悪役の方。
「精霊に結婚なんて風習はない。誰かと結婚した記憶もない」
アビスは素っ気ない。
「実質的には夫婦なんです!そういうのが認められるって聞きました!」
アルマは頬を膨らませて、プイッとそっぽを向いた。
そんなアルマには目もくれず、アビスはその後ろに控える女性を見た。彼女もすぐにそれに気付いた。
「メモリです。私はただの付き人ですので、どうかお気になさらず」
「そうですね。食事中みたいですし、どうぞ続けてください」
「食べるか?」
「そんな女の手料理なんて、食べません!」
「ん?作ったのは私だが?」
「アビスの手料理?」
「ああ」
「……食べる」
そう呟いてちょこんと席に座るアルマ。当然正位置、アビスの横である。それを受けて、アビスは立ち上がり、白い皿にスープを盛り付け始める。
「メモリも座りなさい」
「いえ、私は――」
「私に遠慮しなくて良いのですよ。食事はみんなで食べるのが一番ですから」
そんなしている内に、アビスがスープとパンを並べる。スープと言っても、牛肉と野菜がゴロっと入っている。ちなみにアルマの皿は大盛りである。
「それでは――頂きます」
アルマもメモリも、手を合わせ、そう言った。それを見て、ヴィータも慌てて小さく、同じ言葉を口にした。
ヴィータは自分が礼儀も何も知らないと思ったのか、少し恥ずかしそうで、居づらそうだった。
「味付けが少し……変?……苦みでしょうか。何で味付けを?」
メモリがやや味付けに疑義を抱いた。
「苦い!?」
アルマは食い気味に言った。
「一体どんなプレイですか!?」
そう言い、アルマは目の前の皿にがっつき始めた。
この変態が何を思ったのか、何を妄想したのか、どこまで至ったのかは、誰にも分からない。
「それで、何の用だ?」
アルマが食事を終えるのを待って、アビスは一言差し込んだ。
アルマは最初、バツが悪そうに視線をずらした。それでも、黙っていては仕方ないと決意して、口を開いた。
「フレアと戦ったそうですね」
「ああ――」
とアビスは気が抜けた声を出した。あまりにアルマが真剣に言うものだとか、何の話か全く見当が付かなかった。
「子供の喧嘩さ」
「でも!30kmも離れた国境からでも炎がはっきり見えたって!」
その炎とやらは、多分アビスとの決闘中のではなく、その後の腹いせのものだろう。まあ、魔王制という世界の構造から、魔王の動向は、常に民衆の興味の的である。君達の世界では、アメリカの大統領やら、中国の国家主席の一挙一投息が、ニュースになるのと同じことだ。
「フレアが全力なら、視界のモノ全て灰になってる。知っているだろう?」
「それは、そうなんですけど……」
と言っても、アルマの心配はちょっと違う。
「フレアとは険悪なんですか?」
「いいや?いや、向こうがどう思っているかは知らないねえ」
アルマは深くため息をつく。
「魔王が全員、仲良くなれる日は来るのでしょうか――」
これが、アルマの目指すもの。世界を愛で包むため、魔王がですら、それは例外ではない。
「君も変わらないねえ。考え方もやり方も、目指すものも違う。だからバラバラになったのだろう」
「私はただ……こんな風に、みんなで食卓を囲えたら良いなって――」
アルマはうつむいた。
「あの――」
メモリが素朴な疑問を投げかけた。
「魔王が全員、揃っていた時期があるのですか?」
「それは、あるだろう。今の魔王制は、魔王全員が合意しているんだから」
「でも、全員が揃って食事したことはないんですよね」
アルマの声が重い。アビスは関心が無いようだ。
しばしの間、沈黙が流れる。
「まあ、それはそれとして――」
アルマがついには切り出した。
「そろそろ、その可愛らしいお嬢さんを、私に紹介してくれませんか?」




