第5章 トムおじさん登場!
「はあ、とんだ災難だよ。まさか真っ先に連行されるなんて想定外だ。」
僕は保安官事務所の応接室で愚痴をこぼしていた。
「仕方ないわよ、貴方が一番ならず者みないな顔面をしてるじゃない。それに、誤認連行のお詫びに仮懲役の期間が減刑されたそうよ。ほら。」
レイカは再び僕の手配書を見せてくる。
WANTED ユージン=マクガヴァン
罪状 変質者
仮懲役 150年
お詫びの減刑 マイナス1年
「ちょと待って!減刑少ないよ!しかも、お詫びって…そんな気軽に罪を軽減しても良いのかな?」
「保安官が許可してるのだから、大丈夫よ。ここは自由の国よ♪」
何でもかんでも、自由の一言で片付けらるのか…まあ、冗談みたいな話だから深刻に受け止めないでおこう。
「お待たせしたね。ユージン、誤認連行をお詫びするよ。」
ジャクソン=スミス保安官は丁寧に頭を下げて、謝罪している。
「気にしないで下さい。縛られるのは嫌いじゃないです。」
「そういう問題では無いよ…」
ジャクソン=スミス保安官は呆れた表情で、書類を手渡してきた。
「これが今回の報酬だ。これで永住権獲得に一歩近づく事になる。」
「永住権?」
「今回の活躍に対して、点数が1点付与される。100点集まったら、永住権を獲得できるよ。この調子で依頼を引き受けて下さい。」
「やったわね、ユージン♪」
レイカは嬉しそうにニコニコしている。
「他の依頼は外の看板に貼り出してあるから、好きな時に確認してくれ。さあ、今日はもう遅いから帰ろう。この街には宿もあるから、利用すると良い。」
「ありがとう、ジャクソン保安官。さあ、出ようか、レイカ。」
僕らが保安官事務所から出ると、外は夕暮れで少し薄暗かった。
「これからどうする?もう、宿に行って休む?」
「ワタシは酒場に行ってみたいな。折角の新天地だし、お酒でも飲んで今夜は楽しみたいの♪」
「お酒?そういえばレイカって何歳なの?未成年はお酒飲めないしなあ。」
「何歳に見えるかな?正解したら、ご褒美をあげるわよ♪」
ご褒美…絶対に当てるぞ!
「えーと、君は若くて綺麗な女の子だから…100歳!」
「不正解よ…罰として放置プレイをプレゼントするわ。」
レイカは冷たい表情で僕の元から離れようとしている。
「やだなあ…軽いジョークさ。あれ…もしかして本当に怒った?待ってー、僕を置いてかないでー」
レイカは酒場に入って、カウンターでお酒を眺めているようだ。
「さて、ユージン?クイズの続きよ。ワタシは何歳でしょう?」
「今度は真面目に答えるよ。君は25歳位かな?」
「惜しいわね、でも凄く近いわ。次の解答で正解してね♪」
「分かった!23歳でしょ?」
「正解よ♪じゃあご褒美に素敵なお酒をプレゼントしてあげるわね。マスター、いつものお願い」
「かしこまりました、お嬢様。どうぞ、ワンショットグラスです。」
あれ?レイカはこのお店の常連なのかな?
「さあ、ユージン。飲んで、感想を聞かせて欲しいな。」
僕の目の前に一口サイズのグラスが置かれ、透明な液体が並々と注がれている。
何のお酒か分からないけど、とりあえず飲んでみようかな。僕は小さなグラスのお酒を一気に飲み干した。
「美味しい」
口の中に芳醇なフルーツの香りが広がり、突き抜けるアルコールの刺激が喉と意識を痺れさせる。まさに魅惑の美酒だ。
「どう?刺激的なお酒でしょ、ワタシのお気に入りなんだよ。」
なんて大人の世界なんだろう。暖炉の暖かさに包み込まれると、頭がクラクラしてくる。
「ねえ、ユージンは何歳なの?」
「僕は20歳だよ。レイカの方がお姉さんなんだね。」
「ねえ、貴方はどんな女の子が好みなの?」
「えっ…それは」
君が好きだ。
なんて言えれば良いのに…恥ずかしくて言えない。嫌われたらどうしよう。色々考え込んでしまい、暫く黙ってしまう。
「はい、お酒のおかわりよ。今日は私達の記念日にしましょうか、見知らぬ二人が新天地で運命的に出会うなんて素敵なお話と思わない?」
僕は黙ったまま、お酒を飲み干す。世界が反転し始めた、頭がグルグル回っている。
「レイカ…僕は、もう駄目かも」
「おやすみなさい、私の可愛い男の子♪」
そこで僕の意識は途切れてしまった。
目が覚めるとベッドの上だった。窓の外から朝日が射し込んで、部屋の中を照らしている。
「僕…いつの間にか寝てたのか」
昨日は確か、酒場でレイカと一緒にお酒を飲んで…それから記憶が残ってない。
「そうだ、レイカは何処に居るんだろう…」
僕がベッドから起き上がろうと、手を付いた時だった。
「もみもみ」
ん?何かシルクのような肌触りの柔らかな物に触れてしまった。それはシーツに包まれているようだ。僕がそっと、シーツをめくるとそこには…柔らかな布地で束縛されたレイカが眠っていた。
「何で?」
何が起きたか検討も付かない。というか、縛られるのはドMである僕の独占癖だったはずなのに…ってそんな事に思ってる場合じゃない!
縛られるのは苦しいんだから、ほどいてあげなきゃ!
「レイカ!大丈夫か!?今すぐ解放してあげるよ。」
僕はまず、口に咥えさせられた、布地の猿轡をほどいて呼び掛けた。
「レイカ!しっかりして!大丈夫?」
彼女はゆっくりと目を開いて、ハッキリ透き通る、大きな声で叫んだ。
「助けてー、変質者よー」
「え?」
即座にドタドタと慌ただしい足音が聞こえて来て、ドアが勢いよく開かれる。数人の屈強なボディーガードが現れ、ゴツい声で警告してきた。
「今女性の叫び声が聞こえたぞ!あっ、お前!その娘に何をしてるんだ!」
「え?僕のせいなの?」
冷静に状況を分析してみよう。僕は寝起きで、何故かパンツ一枚の姿で、レイカもドロワーズ姿のままフェチ全開で束縛されている。
うん、どう見ても僕が犯人だね。
「この野郎!ボコボコにしてやる!」
「またこんな目にあうのー」
僕は屈強なボディーガード達から往年のプロレス技のフルコースを浴びる。
「喰らえ!アイアンクロー!パイルドライバー!トドメの…キャメル・クラッチ!」
僕の関節はバキバキに絞められ、逆さ吊りのような格好で地面に叩き落とされた。
「お嬢様大丈夫ですか?束縛をほどいて…はい、これで自由の身です。」
「ありがとう、私のボディーガードさん達。あとは私に任せて、帰ってもらって大丈夫よ。」
「はい!おいお前!お嬢様に免じて、許してやる。反省しろよ!またねー」
ボディーガード達は颯爽と部屋から出ていってしまった。
「いたずら?」
「そうよ、ドッキリを仕掛けて驚かせようと思ったの。」
レイカは昨日の夜に酔い潰れた僕を見て、イタズラしてやろうと思い付いたらしい。宿の店員さんに僕を部屋まで運んでもらって、自分で自分を縛って、朝まで寝てたらしい。
縛られたまま、眠れるのも凄いけど、イタズラの為にここまでやる行動力に驚かされる。
「それにしても、何の為にここまで手の込んだイタズラをやるの?」
「これは堕犬へのご褒美よ。ご主人の優しさと思って、ありがたく受け取ってね♪」
改めて思うことがある。僕も変人だけど、彼女もだいぶ変人だ。でも、一緒に居て凄く楽しいな。
キラキラと瞳を輝かせ、曇り一つ無い笑顔の彼女の裏に隠されたクレイジーな一面に惹かれる僕なのであった。
「じゃあ、朝ごはんを食べに行こうか。」
「そうね、外のレストランへ行きましょう。」
僕らは宿から出て、レストランへ向かった。
「今日はどんなメニューがあるのかしら、楽しみね♪」
僕らはメニューを開いてみた。
「パンが一斤?」
メニューには一つしかない、おかず無しの朝食だった。周りを見渡すと、港湾関係の労働者達も朝食をとっていて、パンを一斤丸々食べている。
「流石に体力仕事の人達は沢山食べるね。じゃないと身体が持たないもんな。僕らは程々にしようね、レイカ。」
「勿論よ、食べ過ぎに注意しなきゃね。」
注文してから暫く待つと、パンが運ばれてきた。
「じゃあ僕が切り分けるね。ナイフで切り取って…はい、どうぞお嬢様。」
「ありがとう、では食べましょう。」
一口食べて驚いた。焼きたてのパンは外がカリカリで中はモフモフの食感で、ほんのりバターと卵の風味があり、結構美味しい。これなら、パンだけでも十分に食べ進めて行けそうだ。
「お客さん、コーヒーもどうぞ。」
店員さんがマグカップを二つ渡してくれた。
「ありがとう、頂くわ。はあ、美味しい朝食ね。」
「アンタ達は昨日、門の前で変な事叫んでた人達でしょ?覚えてるよ。」
「あら、覚えてくれてありがとう。良かったわね、ちょっとした人気者になれそうよ。」
人気者…あんまり目立つのは好きじゃ無いんだけどなあ。
「そういえば聞いたかい?人喰いテディベアの噂を…」
「何ですかそれ?グリズリーじゃなくて、ぬいぐるみ?」
「今朝のローカル新聞で読んだんだけどね、チェルシー山の街道沿いを通る馬車が次々と謎の失踪をしているらしいんだ。現場には必ず、壊れた馬車と古びたテディベアが置かれてたから、人喰いテディベアの仕業だと吹聴してるんだよ。」
よくあるゴシップ記事のような気がするけど、どうなんだろう。
「まあテディベアは冗談としても、チェルシー山はグリズリーの生息地だから奴らの仕業じゃないかな。まあ今日の話題はこの位かな。」
「面白そうなお話をありがとう。ねえ、ユージン。人喰いテディベアについて調べてみない?何だか面白そうだわ♪」
「うーん、只のゴシップ記事のような気がするけど…」
「それは違うよ。」
「あら、ジャクソン=スミス保安官?どうしたんですか?」
「今朝、正式に政府から依頼が来てね。人喰いテディベア…チェルシー山の馬車失踪事件について真相を突き止めてほしいんだ。引き受けてくれないか?」
「報酬はあるんですか?」
「もちろん永住権点数が付与されるよ」
「分かりました。その依頼を引き受けます。」
「詳細はこの書類から確認して欲しい。では、宜しく頼むよ。」
「よーし、今日もお仕事頑張ろうね♪」
「うん、さあ、行こう。」
僕らは朝食を済ませると、チェルシー山へ向かい始めた。
「今日もテネシーウォークは元気そうだね。」
馬上からの素敵な眺めと、走り出した瞬間の風を全身で味わいながら、彼の頭を撫でる。
「そういえば、馬って歯茎を出して面白い顔する事があるよね。あれは、どういう意味なんだろう?」
「それはきっとユージンに微笑んでいるのよ。ブルドックみたいな顔面で可愛いわねって♪」
「ブルドック?それはこんな顔かな!?」
僕は思い切り顔をダルダルに歪ませて、変顔を決めて見せた。
「うーん、あんまり面白くないわ。」
しまった、女王様のご機嫌を損ねてしまったようだ…次こそ!
「それはフレーメン反応といって、臭いに反応して唇を引きあげ、鼻からフェロモンを取り込もうとする生理現象なんだよ。
主に異性の匂いを嗅いだ時やタバコの煙、アルコールみたいな刺激のあるニオイや未知のニオイを嗅いだ時とる行動みたいだね。」
「異性の匂い?あぁ、昨日ユージンが私のドロワーズ姿に鼻の下を伸ばしてた行動と一緒ね♪」
「えっ?僕そんな事してた?全く記憶に無いよ…」
「無意識に身体が反応してしまうのね、仕方ないわ。本能に逆らえない時もあるから。」
本能か…確かに僕ら人間は猿から進化したんだから、太古の原始脳の呪縛から逃れることは難しいのかもしれない。
「ワンワン♪ご主人、ボールで遊んでよ!」
今度は忠犬として、レイカの気を引こう!
「しつこいのは嫌いよ」
レイカは颯爽とテネシーウォークに加速の合図を出して、先に行ってしまう。
「待ってー、置いてかないでー」
情けない声を出して必死に彼女に追い付こうとする僕なのであった。
チェルシー山はブリーロッジ山脈最大の山で、人を寄せ付けない大自然が広がっている。
街道沿いには丘陵地帯や崖、小さな森林が広がっている。
周囲は野生動物の宝庫で空にはホワイトヘッドイーグル、コウライキジ、キャナダガンが群れで飛び、地上にはブロンクルホーン、ガレルコヨーテが餌を求めて移動している。
「凄いわ、こんなに沢山の動物達を見るのは初めてよ♪やっぱり移民してきて、良かったわね。」
「レイカは動物好きなの?」
「うん、好きだよ。近所を散歩しながら生き物を探したりするよ♪」
「まさか変な動物が好きだったりして…スカンクとかアマゾネスパイソンとかさ。」
「そんな事ないわよ、何でもかんでも変な趣味を持ってるなんて思わないでよね…」
「ごめん!そうだよね、レイカも普通の女の子だもんね。」
少し落ち込む姿なんて、普段見られないし、ギャップがあって一段と可愛く感じる。
「じゃあ、家で動物を飼うなら何を飼ってみたい?犬とか猫とかさ。」
「うーん、今は猫を飼ってみたいかなあ。猫って自由気ままで良いと思わない?路地裏で日向ぼっこしてる姿に癒されるわね。」
「そっか、じゃあ僕らも猫を飼って、一緒に旅出来たら良いね。」
「駄目よ、旅しながら猫を飼うことは出来ないわ。いつか家を建てて、落ち着いたら考えてみましょう。」
家を建てるか…素敵な将来設計だけど、それも移民だと叶わぬ夢だと思う。
何とかして永住権を獲得して、彼女に落ち着いた生活をプレゼントしたいな。
その夢を叶えるためにも、バウンティハンターの依頼を確実に達成して、信用を得よう。僕は一人静かに、確かめるように決意した。
「さて、そろそろ目的地のチェルシー山が見えるはずなんだけど…」
「あの大きな山かな?どれがチェルシー山なのかしら…」
「地図を見ると赤いバツ印が書いてあるんだけど、街道から少し外れた崖の付近で馬車が襲われてるみたいだね。」
「この辺りはグリズリーの生息地らしいけど、依頼内容は人喰いテディベアの調査って書いてあるんだよね。冗談なのかな?」
「テディベアって可愛いクマのぬいぐるみよね?人喰いだなんて、少し可哀想だわ。」
「まあゴシップ記事だから面白く、大げさに書いてるだけだよ。本当にテディベアが人を襲うわけ無いよ、きっとグリズリーの仕業さ。」
「そうよね、水兵さんの帽子を被った等身大のテディベアなんて歩いてる訳ないわよねー」
「助けてくれー」
あれ?遠くから助けを求める人の声が聞こえるな…
「ユージン!あれ!テディベアがハチミツを舐めるみたいに、生き血をペロペロしてるわ!」
「ウソつけ!って本当じゃん!」
遠くの方で一人のオジサンが頭から流血しながら、等身大のテディベアとじゃれあっている。
しかもレイカが言う通り、水兵の帽子を被ってる。
「どんな状況だよ…とにかくあのオジサンを助けなきゃ。」
「そうね!おーい!そこのクマちゃん!人間を襲うなら、ドMのユージンにしなさーい!」
「えー、嫌だなあ…」
僕らは急いで人喰いテディベアの元に駆け寄った。近づくと分かるが、どうみても生物ではなかった。
完全にぬいぐるみの生地に身を包んでる人間にしか見えない。僕らが近づくと、気配を察知したのかオジサンを放り出して、全速力で山の奥地へ逃げ込んでしまった。
「大丈夫ですかオジサン?頭から血が出てますよ!」
オジサンはテディベアに放り出された勢いで地面に転がっていたが、僕の呼び掛けに反応して勢いよく立ち上がった。
「ありがとう、おかげで助かったよ」
「良かったわ、頭の怪我は大丈夫?」
「こんな傷なんてすぐに治るから、安心してくれ。」
オジサンは頭をボリボリ掻いている。
「何があったんですか?それに…あのテディベアは何者何ですか?」
「分からん。我輩は農場を拓くために各地を旅している。この辺りの土地を開墾しようと調査していたら急に襲われたんだよ。」
「農場を開墾ですか?」
「そう!我輩はいつか大農場を営むのが夢なんだ。だがこの辺りの土地は既に所有者が居てね、仕方無いからこんな僻地を農場に出来ないか調べているんだよ。」
「なるほど、もしかするとあのテディベアは縄張りを主張したいんじゃないかな?」
「縄張り?この土地は自分の物って言いたいのかしら…ぬいぐるみなのに。」
「ぬいぐるみね…とにかく奴の後を追おう。」
「我輩も一緒に行って良いかな?珍しい事件は大好きなんだよ♪」
「良いわよ♪えーと、お名前は?」
「アンクルトム…トムおじさんと呼んでくれ。」
「宜しくね!トムおじさん。僕はユージンで彼女はレイカだよ。」
トムおじさんが旅の仲間に加わった♪
「見て、テディベアの毛が落ちてるわ。」
「毛というか綿かな?だいぶ土で汚れてるね」
「それに足跡があるわ、ちゃんとクマの足形なのね」
地面は少しぬかるんでいて、はっきりテディベアの足跡が残されている。足跡は山の上まで続いているようだ。
「なだらかな坂道で良かったね。これならテネシーウォークでも登れそうだよ。」
「この子達も少し休ませないとね、この件が解決したら近くの河で休憩しましょう。」
「あっ、居たぞ!人喰いテディベアだ!」
トムおじさんが指差した方向に、大きな木があり、その上にテディベアが仁王立ちして僕らを見下している。
「来るなー!ここは俺のテリトリーだぞ!」
「ユージン!テディベアが喋ったわ!」
「たぶん人だろうと思ってたよ。おーい!僕らは話を聞きに来たんだ!ここで何をしてるのー?」
「俺は世の中に絶望したんだー。だから山奥で自由に暮らす。邪魔するなら容赦しないからなー。」
「そうか、お前も大変なんだなー。ところで街道沿いの馬車が次々と襲われてるんだ、心当たりは無いかー?」
「知らないなー、壊した馬車から缶詰や飲み水を奪って必ずテディベアを置く男なんて知らないなー」
「全部白状してるわ…まあ、納得出来る理由だわ。こんな山奥じゃ食べ物なんて手に入らないだろうから…」
「そうだな…おーい!最後の質問だけど、何でテディベアのぬいぐるみを被ってるんだ?」
「ぬいぐるみじゃないぞ!俺は強いグリズリーだぞ!もっと怖がれ!」
そうか、あれはグリズリーの真似をしていたのか。なるほど謎は全て解決したみたいだ。
「分かったよー、僕らはもう二度と来ないから。」
「さっさと帰れー!ここは俺のテリトリーだ!」
「行こうか、もうこの依頼は解決したみたいだから。」
「あれ?あの人を捕まえなくて良いの?」
「依頼内容はチェルシー山の馬車失踪事件の調査だよ。戦闘や捕縛に関しては契約外だ、奴の居場所を保安官に知らせるだけで大丈夫だよ。」
「そうね、じゃあ彼を怒らせないように帰りましょうか。」
「我輩も事件の真相を知れて楽しかったよ。さあ、山を下ろう。」
彼は一見、社会から孤立して不便な生活を強いられている弱者に見えるだろう。
だけど、真の自由とは彼のような生き方なのかもしれない。当然豊かな生活とは無縁になるだろうけどね。
僕は密かに羨ましいと思いながら、山を下り始めた。
「さて、後は街に帰るだけだよ。だけどその前にテネシーウォークを休ませないとね。」
「ほら、彼処に小さな河があるから、水を飲ませてあげましょう。ついでにランチタイムにしない?トムおじさんにもご馳走してあげるわよ♪」
「本当かい?楽しみだね。お嬢さんは可愛いから、料理も得意なんだろうね。」
「私に任せて♪さあ、キャンプの始まりよ!」
あれ?そういえば、レイカが料理をするなんて初めてじゃないかな。少しワクワクするなあ。
「まずはお鍋でお湯を沸かします。次にお芋をゴロゴロ茹でます。ホクホクのポテトに缶詰のインゲン豆を載せたら出来上がり♪」
「待ってくれ…これを料理と呼ぶのか?我輩はカルチャーショックを受けてるぞ…」
「でもこの料理はレストランでも食べましたよ。この国ではメジャーな一品では無いですか?」
「そんな事はないぞ。移民の出身地によって様々な料理があるからな。よし特別にトムおじさん特製の一品をご馳走してやるぞ♪」
「本当?わーい♪楽しみだよー」
レイカは既に自分で作った料理を食べてしまっている。
「やっぱり、お芋の女王様だ…」
「何か言った?」
「ワンワン♪ご主人遊んでよー」
僕は誤魔化すために犬になりきって、彼女の足元を回り始めた。
「しかし材料が足りないね。なあユージン、我輩と一緒に狩りをしないか?」
「狩り?野生動物を捕まえるって事ですか?」
「そうだよ、この辺りは獲物の宝庫だからね。新鮮でジューシーな肉料理を作りたいんだ。」
「お肉!ユージン!頑張ろうね♪」
レイカのテンションが上がっている…これは格好良い所をアピールするチャンスだ!
「待っててね、極上のお肉を狩ってくるよ!」
「じゃあ皆で出発しよう♪ちなみに銃を使うのは禁止だよ。」
「えっ、そうなんですか?銃なら直ぐにハンティング出来るんですけど…」
「銃で仕留めてしまうと、硝煙の臭いが肉に移ってしまうからね。食材にこだわるなら、弓矢で狩るべきなんだよ。」
「なるほど…慣れて無いけど、弓矢を使ってみますか。」
僕はテネシーウォークの道具袋から木製の弓矢を取り出して、装備した。
「あっ!アーチェリーならレイカも得意なんだよ♪」
「そうなんだ、じゃあ使ってみなよ。レイカの腕前が見たいな。」
「じゃあ、借りるわね。的は…あのウサギにしましょう。」
少し離れた木の根元に小さな野ウサギがいる。
「狙いを定めて…えい!あれ?外れちゃった…」
レイカの矢は検討外れな方向に飛んで行き、ウサギどころか真っ直ぐ飛んでいない。
「ハハハ、全然上手じゃないね♪やっぱり可愛い女の子に武器は似合わないよ!」
「エヘヘ、失敗しちゃった♪練習したいから、ユージンが的になってくれる?」
ん?僕が的…嫌な予感がするけど…まあ、大丈夫かな。
「ワンワン♪僕に当ててみなよ!まあ、無理だろうけどねー!」
僕は全速力で彼女の元から離れ、200メートル先まで来た。
「ウフフ…さあ、ハンティングの開始よ…」
突然レイカの瞳が怪しく輝き、完全にハンターの目付きに変わった。
「なんだ…このオーラは、我輩も長く旅してるがこんなプレッシャーは初めて感じるぞ…」
ヤバい…逃げないと!
僕は真剣に恐怖を覚えて、ジグザグに走りだした!
「獲物の動きをしっかり把握して…今よ♪」
レイカは僕の動きをしっかり観察した上で、僕の頭上に矢を放つ!矢は弧を描きながら、僕の頭スレスレを掠めた。
「ドンドン射つわよ♪そーれ♪」
レイカは正確無比な動作で矢を途切れ無く放ってくる!回避が…間に合わないよー。
「えー!レイカって実はアマゾネスの狩人だったのー」
「そんな事ないわ…か弱い女の子なのよ。ユージンなら分かってくれるわよね…」
と言いながら目線はしっかりと獲物を捉えている。まさに生まれながらのハンターだ。
「そこまで!さあ、遊んでないで、鹿でも狩りに行こう。お肉を食べたいだろう?」
「ワタシ…好きな人なら食べれるわ…」
あれ?今凄く怖い事を言った気がしたけど…気にしないようにしよう…
僕は現実から目を背けて、レイカとトムおじさんの元に戻った。
「ほら、あそこにブロンクルホーンのメスが居るよ。あの子をハンティングしない?」
ブロンクルホーンはこの辺りで良く見かける鹿で、群れで移動して草を食んでいる。
「よし…足音を立てないで、そっと近づいて…今だ!」
僕が放った矢はブロンクルホーンの頭部に命中して、彼女はその場に倒れた。まだ息があるのか、苦しそうにビクビク跳ねている。
「直ぐに止めをさそう。近づいて、首の付け根を断ち切る。これで血が抜けるから、少し待とう。」
意外にもトムおじさんが手際よく、獲物を処理している。血がある程度抜けたら、ナイフで革を剥いでいる。革はコツを掴めば、シールを剥がすようにベリベリと剥ぐ事が出来る。
革を剥ぐと、白い脂質層が現れ、綺麗に筋や膜を取り除くと、ベニソン肉が手に入った。
「わーい♪お肉だー♪早速戻って、料理しよう!」
「待って、あと香辛料が必要なんだよね。自生している植物の中にタイムとオレガノがあるから探してみよう。」
「香辛料?何よそれ?」
「えっ?レイカちゃんは香辛料を知らないの?それは作りがいがあるなあ。我輩もヤル気が出てくるよ♪」
トムおじさんによると、タイムは小さな紫の釣り鐘型の花が目印で、オレガノは放射状に咲く紫の花の葉を乾燥させて使うらしい。
「えーと、紫の花…どこかなあ」
「ユージン!紫の花があったよ♪」
「見つけるの早いね…ってそれ紫のキノコじゃん!どう見ても毒キノコだよ!」
レイカは冗談みたいに濃い紫色のキノコを両手一杯に抱えている。
「一体どこから見付けたんだろう…とにかく捨てないと危ないよ。」
「はーい…バイバイ、きのこ派の皆…」
「あれ?その紫色のキノコは強い幻覚作用がある珍しい品種だね。珍しいなあ、我輩が少し貰おうかな…」
「幻覚作用ですって…ワタシも少し貰うわ。」
「どうしたのレイカ?幻覚作用なんて危ないよ。」
「何でもないのよ…ウフフ」
何故だろう?嫌な予感がするけど、気にしないで香辛料探しに戻ろうかな。
「あっ!紫色の花畑があるよ!凄く綺麗だわ♪」
開けた草原に突然、広大なタイムとオレガノの群生地が現れた。
遥か遠くにそびえる蒼白い山脈を背景に紫色の花畑が僕らを幻想的な世界に誘ってくれる。
「さあ、自然の恵みを収穫しようか。」
トムおじさんは自然の精霊に感謝しつつ、野生のタイムとオレガノを摘み始めた。
「ユージン、一緒にお花を摘みましょう。」
「うん、木の籠を持ってきたから、これに入れて持ち帰ろうか。」
青い空に綺麗な花畑、そして可愛い女の子と一緒に過ごせるなんて、僕はこの一時の為に移民してきたのかもしれない。ありがとうございます…神様。
「ユージン…ニヤニヤして気持ちが悪いわ。離れて。」
レイカは僕に背を向けて、トムおじさんの側に行ってしまった。
「しまった…またしてもカッコ悪い所をみられてしまったよ。」
「ごろにゃーん」
あれ?今可愛い猫ちゃんの鳴き声が聞こえたなあ…僕を慰めに来てくれたのかな?
「ありがとうね…可愛い猫ちゃん」
僕は鳴き声がした方向に振り返った。
そこには僕の腕ほど巨大な牙を持つ、アイスエイジクーガーが前傾姿勢で忍び寄り、獲物の喉元に食い付こうとしていた。
「ジーザス!」
僕は全速力でレイカ達が居る場所とは逆の方角に駆け出した!
アイスエイジクーガーも同時に走り出す。ダッシュ開始三秒で最高時速100キロメートルまで到達すると、僕の背後にピッタリと寄せてくる。
「助けてー!」
「ん?今ユージン君の声が聞こえたような…」
「知らないわ…あんなドMのワンちゃん。さあトムおじさん、早くタイムとオレガノを乾燥させましょう。」
聞こえてないし!もう…駄目だー!
僕は背後に獣の気配を感じつつ、何度目か分からない死の宣告を受け入れようとしていた。
その時、崖の上から風車のような口笛が聞こえてくる。風のように清々しいメロディに意識が向くと、何故かアイスエイジクーガーがハンティングを止めて森の奥に帰ってしまう。
「何が起きたんだ…」
「そこのブルドック!大丈夫か!?」
「ブルドックじゃないし!人間だし!」
「うわ!西洋人…侵略者だ!助けなきゃ良かった…」
「あっ…待って!助けてくれて、ありがとう!助かったよー!」
その人は長く艶やかな三つ編みが印象的で、身なりの整った伝統衣装を身に纏っている。彼は僕から逃げ出すようにその場から立ち去ってしまった。
「死ぬかと思った…それしてもあの人は誰なんだろう?明らかに都会の住人では無いようだけど。」
「ユージン君!何処に居るんだー!」
遠くの方からトムおじさんの呼び声が聞こえてくる。
「こっちですよ!長いブロンディマダムがトムおじさんの事をデートに誘ってます!」
「何!?ユージン君!マダムを紹介してくれー!あれ?マダムは何処に居るの?」
「マダムは恥ずかしがりやなので、お尻を巻くって、モグラの巣穴から帰ったみたいですよ。」
「恥ずかしがりやさんだなあ…まあ、それは置いておいて、怪我は無いかい?」
「はい、大丈夫です。クーガーに襲われたんですけど、長い三つ編みの男性に助けて貰いました。」
「長い三つ編み?それは先住民の人だね。」
「先住民?この新大陸には先住民が居たんですか?」
「そう、彼等こそFIRST NATIONS…遥か古来よりこの土地で生き抜いてきた人々だ。」
「FIRST NATIONS」
逆光から彼のシルエットしか見えなかったが、不思議と僕の心を掴んで離さない魅力を感じた。どんな人々なんだろう…気になってしまう。
「さあ、戻ろう。レイカちゃんも待ってるよ。」
僕はトムおじさんに連れられ、レイカが待つ花畑へ戻った。
「レイカ…三つ編みにしてみない?今ならユルふわウェーブパーマもかけてあげるよ。」
「え?ユージンってカリスマ美容師だったの?その割には全然お洒落じゃないわね。不衛生よ。」
酷い言われようだ…あの蔑んだ目付き、悲しいよね。
「トムおじさん、タイムとオレガノの乾燥が終わったわ。これで料理の材料が揃ったわね♪」
「じゃあ、キャンプ場に戻ろうか。テネシーウォークも十分に休めただろうしね。」
日が傾き始め、もうすぐ夕暮れ時だった。僕らは夕焼けに照らされる花畑を背にして、その場を後にした。
「今日のメニューはポトフです。」
「わーい♪本物のポトフだー!」
トムおじさん特性のポトフはこだわりの一品だった。塩とタイム、オレガノで下味を染み込ませたベンソン肉をたっぷりの雪解け水で煮込む。
ポテトや缶詰のインゲン豆、自生のオニオンを入れたので、素材の旨味がスープに溶け込んでいる。しかも固く、獣臭いベンソン肉はハーブの効能により柔らかでジューシーな煮込み料理となっていた。
「じゃあ、鍋からお皿に取り分けて…はい、召し上がれ。」
まずはレディファースト、レイカのお皿にポトフが盛り付けられる。次に僕とトムおじさんのお皿にポトフが盛り付けられた。
「じゃあ、まずはお肉から食べようかな♪凄ーい、スプーンだけでホロホロと崩れる位に柔らかく煮込んであるわ♪」
「しかも、具材が大きめにカットしてあるから、食べ応えも十分だよ。」
僕らはお腹が空いていたので、ドンドン食べ進め、結局鍋一杯のポトフを完食してしまった。
「美味しかったよ♪トムおじさんって凄いコックさんなのね♪何処かで修行してたの?」
「昔は宮廷のキッチンで働いてたんだよ。」
「凄いわ!華やかな貴族の暮らし…憧れるわね。」
「貴族ね…」
「どうしたのユージン?不機嫌そうだわ。」
「別に…ただ王族には苦手意識があるだけさ。僕らは庶民だからね。」
「そう…まあワタシも似たような立場だから、気持ちは伝わるよ。」
「ユージン君。ここは新天地で王族は居ないよ。我輩も自由で平等な世界を夢見て、移民してきたんだ。希望を持って、明るく過ごそうじゃないか!」
トムおじさんはそう言うと、急に立ち上がり歌いながら、踊りだした。
「さあ、ユージンとレイカも一緒に歌って、踊ろう♪楽しいよ!」
「我輩愛用のギターを取り出して…歌います!」
トムおじさんは陽気なメロディを奏でると気持ち良さそうに歌い始めた。
「ドブ空 ゲロゲロ ファッキンガール 恋したマダムはデスマスク ゴツいお乳でローキック 意識ぶっ飛び マザーズファッカー!!」
「変な歌」
僕らは息をピッタリ合わせて、感想を述べる。
「あぁ…疎外感が溜まらんぜ!お構い無しにぶちまけるぜ!」
トムおじさんは完全に覚醒して、デスボイスを虚空の夜空に轟かせている。
「これが…自由なのね」
「レイカ大丈夫?」
「ユージン!私達もメチャクチャになるよ!」
「もちろんさ♪さあ、野外ライブのハジマリだー!」
僕らは満点の星空の下で、焚き火を囲み、狂喜のダンスを踊り続ける。遠くの木の影からシマリスやサンリンオオカミが不思議そうに見つめているのであった。
一夜明けた早朝。僕は地面に倒れていた。
「え?」
昨日の記憶が全く無い。異常なテンションで踊り続けたせいで、途中から訳が分からなくなった。目線の先にウィスキーの空ビンが転がっている。
きっと、途中からお酒を飲んでしまったせいで、頭が痛いんだろうな。
「レイカ…彼女は何処に居るの?」
「私はここよ、隣に居るわ。」
なんて事だ、レイカまで地面に転がっているじゃないか…早く起こしてあげよう。
「大丈夫?僕の手を掴んで…よし起き上がったね。」
「ユージン、ワタシ昨日の記憶を無くしてるみたいなの?貴方はどう?」
「僕も記憶が無いよ。唯一覚えてるのはレイカが山賊刀でジャグリングしてた事位かな…」
「あら、良く覚えてるわね。ユージンもリンボーダンスしながら、大股開きでチンチロリンしてたわ。情けない男の割にはギャンブルが好きなのね。」
「お二人さん…何を訳の分からない事を言っているの?全く…真面目で誠実な男は我輩だけみたいだね。」
振り返ると、半袖半ズボンのサンタクロースがワイングラス片手にゴツい葉巻を吹かしていた。
「お前が言うな」
クックドゥードゥルー!野生の七面鳥が鳴き声が早朝の青空に響き渡るのであった。
「さあ、後片付けをしようか。」
僕らはテントや焚き火跡、空き缶や空き瓶を片付けてテネシーウォークの道具袋にしまった。
「僕らはチェルシー山の馬車失踪事件についての報告をするために、街へ戻ります。トムおじさんも一緒に帰りますか?」
「止めとくよ。我輩は都会が苦手でね、また農場になりそうな土地を求めて、田舎を旅するよ。」
「そうなの?じゃあ、お別れね。バイバイ…トムおじさん。」
「また会えるさ…レイカちゃん達の事は忘れないよ。じゃあ、バイバイ♪」
トムおじさんは陸上競技の選手並みの速さで走り去ってしまった。
「何か…嵐のような人だったね」
「そうね、でも楽しかったわ。また会えると良いわね♪」
「そうだね、じゃあ街に戻ろうか。」
僕らはテネシーウォークに乗って、街道沿いを進み始めた。
登場人物
トムおじさん
大農場を営む夢を持つオジサン。合衆国各地を旅しながら、自分の農地を求めている。何故かユージンとレイカを気に入っている。45歳。ラ=ブランシェ系。元宮廷料理人。
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