夢現
小説として完成していません。
話は一応完結しますが。
致命的な点は、読んでもSF的な設定を多分読者が解けないことです。
謎解きなしのサスペンスというか。
設定は考えてあるのですが、自分の力量では説明的にならずうまく開示する方法が見つからなかった。
一応、後書きに設定を貼っておきます。
それを読むかどうかはご自由にどうぞ。
私はけっして心地よいものとは言い難い半狂乱のまどろみの中にいたが、あまりにひどい頭痛、不快感、吐き気、尿意といったものが私の散乱した意識の海を無理矢理にたばね、私を現実の中に引きづり出した。
心身の気だるさに視界をぼやかされながら懸命に辺りを見渡そうとすると、どうやら自分が見慣れぬ西洋風の木造りの部屋にいることがわかった。古いコテージで、木で統一された家具の中、中央に配された白いベッドが際立っていた。
ベッドには若い女が裸で晴れ晴れとした表情をして横たわっており、その足元には今生まれたばかりのような赤ん坊が座っていた。赤子は口を結び、鋭くこちらを睨みつけているように見えた。私にはこの部屋にもこの母子にも全く見覚えがなく、なぜこのように静謐で個人的な喜びにあふれるシーンに自分が立ち会っているのか、さっぱりわからなかった。
記憶を必死に辿っていくと、昨晩飲み歩き、杯を重ね続けた記憶がおぼろげながら思い出されたが、その後どこに行き寝たかといったことは全く記憶になかった。
そうして、呆として考えていると、赤子が口を開いた。その目は赤子に到底不釣り合いな強固な意志を携えていた。それに影響されてか、吐き出された言葉はたいして意味も持たない荒唐無稽なもののはずが、私には「お前は誰だ。」と問うているように思えた。子は、同じ言葉をもう一度繰り返した。私はなんだか訳がわからなくなり、すまない、と言いながら、あわてて部屋を飛び出した。まだ朦朧としていた私は、自分の場違いさと、赤子の奇妙さに耐えられなくなったのだった。
外に出ると、家の周囲は森にかこまれていて、前には細い道が一本、まっすぐどこかへ伸びていた。私はぼんやりとしたまま道なりに歩き始めた。
始めはあまりに混乱していて、何も頭に入ってこなかったが、歩くに従ってあたりに広がる自然の素晴らしいさまに気づき始めた。清涼な空気が吹き、辺りには木々が茂っており、聞いたことのないような鳥の音が響き渡っていた。ここが東京であるとは、到底思えなかった。
果たして自分は一体どこまで来てしまったのだろうか。疑念も生じたが、同時に、都会でのデスクワークに浸かりきり、アウトドアーにもあまり縁のなかった私は、自然に触れられたことが嬉しかった。一片の雲もないすこやかな青空、みずみずしい風景、鳥たちののどかなさえずり、小さな花々とそこで戯れる虫たち、そこはまさしく桃源郷のような世界であった。
「酔っ払った自分が、このような地にたどり着いたのも、無意識に溜まっていた自然への渇望が爆発した結果であったのであるかもしれない。自分の記憶では今日は土曜日に当たるはずであるし、今日は少しばかり、ここで休日を満喫するのも悪くない。」、とすら私は思い始めた。
森林浴によって少し落ち着てきた私は一度状況を整理してみることにした。先ほどの体験は一体何なのか、最初はさっぱり意味が分からなかったが、よくよく考えてみると、先ほどのコテージは田舎ゆえにか玄関の鍵も空いていたし、酔っ払ったすえに電車などでこの森までやって来て、暖をとるため、あの家屋に侵入し、そのまま寝てしまったと考えれば一応はつじつまが合うように思えた。だいたい、酒に呑まれて意味不明な状態で目覚める経験自体はそう珍しいことでもなかった。
もう一つ気になることはあった。先ほどの家には、自分の出た戸以外に扉がないようだった。ゆえに、おそらくあの家屋にはトイレというものが存在しない、一体彼らはどこで用を足しているのだろうか。下世話な話、目覚めた時から自分はただならぬ尿意を自分は感じていた。そのためにそんなことにも思い当たってしまった。実のところその時最も私を脅かし、不安にさせていたのはこの尿意に他ならなかった。旅の恥はかき捨て、次に家に通りがかりでもしたら、今いる場所について聞くついでにその主人にトイレを借りようと自分は考えた。さすがにこの大自然の中とはいえ、この歳になって野の中でその欲求を解消するのはいささか気が引けた。
そうこう考えているうちに、先ほどのものより少しばかり大きい一軒のコテージが見えて来た。そのコテージからいくつかの道が伸びており、家の前には「Rain Lodge」と書かれた木の看板があり、どうやらここが一帯のコテージ群を管理しているのではないかと思われた。
戸をたたくと、中から感じの良さそうな老夫婦が出迎えてくれた。さっそく一体ここはどこなのか、どの道から帰ることができるのかを尋ねた。しかし、私が質問をすると彼らは怪訝な顔をした。そして、口を開くと奇怪な呪文のような言葉を話し始めた。その言葉回しは何か先の赤子のものと似通っていた。どうやらこれは方言のようで、じっくり聞き取ろうとしてみると、標準語に落とし込んで断片的に言わんとすることを理解できた。それらの言葉は実に美しく流れており耳に心地よかった。自分は随分と遠いところまで来てしまったのだろうか、あるいは、この場所のみが何か特殊な地域性を持っているのか。とりあえず我々はかろうじて意思の疎通が可能であるようであった。
私は、家に上がらせてもらい、じっくり話をさせてもらえることになった。
玄関には若い女ものの靴も置いてあり、この家には他に娘か誰かも住んでるのかも知れなかった。根気強くやりとりをつづけると、ここは都会での生活に嫌気が刺したり、あるいは好みが昂じて、機械から離れ、古風に暮らすことを求めた者たちの生活する場であることがわかった。しかし、この場所からどうやったら帰ることができるのかを聞き出すことはさらに時間がかかりそうだった。ここには、パソコンも、携帯も無いようで互いの間に言語の壁があるゆえに説明も困難なのかもしれなかった。
ともあれ、ひとまず人あたりのよい夫婦に会い、私は安堵した。そして、安堵とともに再び猛烈な尿意が蘇って来た。この部屋には、一つ扉がついており、先の建物と違いきちんと手洗いが付いているようだった。そこを使ってもいいかと尋ねると、夫婦は少し顔を曇らせたが、必死に懇願すると、渋々了承してくれた。
手洗いに開け入り、電気のスイッチを押すと、一瞬強い光がそそがれ、私はまぶしさに一瞬目を閉じた、同時に何か吐き気を催すような味わったことのない違和感を覚えた。しかし、目を開けると、自分の想像通りの、美しいわけでもないが、それなりな何の変哲もないトイレがそこにあった。トイレは家の中でも最も個人的な空間であり、あまり、人に見られることを考慮しない空間である。そして人並みな綺麗さを保っていてもなんとなく汚く感じてしまう。そのために他人に貸すのを渋ったのではないかと用を足しつつ私は考えた。
便所を出た後、私は老夫婦に再度帰り道を尋ねた、また長く辛抱強い双方の努力が必要となったが、最後にはそれを知ることができた。ここはXX県であるらしく、かなりの距離だが昨日飲んだ電車あたりからは電車一本で来ることが可能なようだった。言葉が通じない理由も知ることができた。老夫婦は、もともと遠い田舎の出身で、娘夫婦の切り盛りするこの家に越したばかりなのであった。そして娘夫婦は今不在らしい。老夫婦は親切に街までの地図を書いてくれた、その街に電車も通っているらしかった。この家に着いてからかれこれ2時間が経過していた。私は何度も礼を言い、彼らに別れを告げた。
森の小道を進むと、アスファルトの車道にぶつかり、次第に都会らしい風景が近づいてきた。街は人通りも多く賑やかだ。これまで何か幻じみていた世界が急激に自分のよく知る日常に近づき始めた。街は大きく、駅を見つけるには誰かに尋ねる必要がありそうだった。
誰に声をかけようかと、周りを見回すと、一人の女性に目が止まった。それは女の、なにか服装、表情等が醸す雰囲気が周囲の調和と均整が取れておらず浮き出ていたためであった。歳も大して離れていないようであったし、女に話しかけ、道を尋ねてみた。女は、まず驚いた風をし、戸惑ったあと、何故かゲラゲラと笑った。老夫婦のことを思い出し話が通じるのかと、心配になったが、女は私のよく知る言葉で話し始めた。案外道は複雑なようで、女はすらすらと説明したが、すべて覚えることは難しいように思えた。自分がまごついていると、女は予め承知していたのかすぐに、迷いなく、では、私が案内しましょう、と自ら申し出た、私は喜んでこの提案を受けた。女も暇をしていたところであるようだった。
道中、性分か、女は多くの質問をしてきた、普段何の職業をしているのか、何故ここに来たのか、先週はどう週末を過ごしたか、趣味は何か、最近の政治についてどう思うのか等々。そして、私が質問に答えるたびに声を立てて笑い、それに怪訝な顔を返すとそれを見てさらに笑うのだった。会話が噛み合わないこともたまにあり、私は彼女に道案内を頼んだことが心配になったが、他の受け答えからは、相当に頭の回転が早いのが感じられた。そうこうするうちに駅に無事着くことができた。道を教えてくれた礼を言うと女から、「あなたほど上手な役者はいない、おかげで楽しい時間が過ごせた」などと、いわれのない理解しがたい感謝をされた。またいずれ話がしたいと言うので、携帯の番号を教えた。そこで、女は再び大笑いをしたが、あなたの流儀に自分も従おうとって言って、それを手帳にメモした。
私は電車に乗って、自分のもといた街に戻り、元どおりの生活を再開した。
エピローグ1、現実主義者の幻視("私"が現実主義者だった場合)
その1日のことは、その一つ一つを取り出せば大したことはなくとも、数々の不思議の重なりから少々印象的に記憶に残った。しかし、私はそのときまだ若く、目の前の出来事を追うことに忙しかったために、以降それを深く思い返すことはあまりなかった。ただそれでも、その後も時たま私は、あの奇妙で耳に心地よい言葉遣いを耳にすることがある。しかし、その方言の出所がわかることは結局なかった。
あの女とはその後しばらくしてから一度会ったが、だんだん態度がおかしくなり、恐れるように私を見るのだった。あの笑いも乾いてしまった。最後には、「あなたのような人生こそが最も幸せなのかも知れない」などと、またこちらには理解できないことをのたまって、優しく悲しそうに微笑をした。それから2度と会うこともなかった。
最近自分の人生の意義についてよく考える。自分は、妻子に恵まれ、会社でも結構なポジションにつくことができた。若い時分には、このようなありきたりな人生に満足を感ずることができたか、わからない。ただ今は、あまり自分の生涯の業績についてあくせく思わなくなっていた。当時はあのコテージ群に住む人の気持ちなどさっぱり知れなかったが今ではわからなくもなかった。すべては結局相対的なものにしかならない。私は重みが年月とともに軽くなっていき、自らの飛翔していくのを感じた。すべてのものを優しく受け止められるようになっていた。そして、ある日私の意識、そして私を取り囲む世界はうっすらと白転していった。
エピローグ2、誇大妄想家の夢("私"の心が相応に若かった場合)
しかし思えば自分の人生、そして世界の歯車が妙な回転を始めたのはそれからだったように思う。私が温泉旅館に行けば殺人事件が起き、なんやかんやで、私に証拠が舞い込み、探偵役となったり、ワトソン役になったり、一国の王女の忍びの旅行をエスコートすることになったり、また、現在の科学で解明し難いような妙ちきりんな事件にでくわすこともしょっちゅうで、世界は幾度も危機に出くわした。事実の整合性は取れているし、事件に出くわしている間はその波に飲まれるがままとなるけれども、ふと自身の人生を振り返って見ると、その波乱万丈という言葉ですら言い尽くせい有様には驚くばかりだ。
電話番号を交換したあの女は度々遊びにやって来て、ともに事件、冒険を潜り抜けることも幾度かあった。女は終始ニコニコしていて、「あなたのような人生こそがきっと最も幸せなものなのでしょう」などと私をやたらに賞賛するのだった。ときたま、あの奇妙な方言を操るものどもに出くわすことがあった。そうした場合、なぜだか事件はさらにわけのわからない巨大な怪物と化していくのが通例だった。
そんな私ももう歳老いた。体は未だ頑健であったが、精神は落ち着きを求めるようになると、不思議と、おびただしい事件の群れもなりを潜めた。私は、決して大金持ちとは言えぬものの、様々な出来事の結果お金には不自由していなかった。私は、あのコテージ群を思い出し、ある美しい森の中慎ましいが趣味の良い邸宅を立て、そこでゆったりと余生を過ごすことにした。本を読んだり、たまに来る昔の友人との語らいが私の楽しみとなった。私の人生はどうであったろうかと度々振り返ることがある。それは並のものではなく、普通の価値観では計り知れぬものがあったが、私がそれをよく楽しんだということだけは事実であった。十全な満足とともに、ゆるやかに時は流れていく。
この話は、"なろう"に出会うより、1,2年前に考えたものですが、最近HDDを整理していたら見つけて懐かしく思ったのでこうして投稿させていただきました。
ただし、読んでいただいた方はわかると思いますが、この作品はある種未完成です。もし、この話を読んで、ちゃんと諸々の伏線(?)を自己で補完できる方がいたら尊敬します。
投稿目的でもなかったというのもあり、ちょっと筆者の自己完結が過ぎ、読者に優しくないように思われます。いずれリメイクできたらとは思いますが、現在は、この作品の世界観をまた頭の中に構築する気構えがないので、とりあえず設定紹介をして、もし、頭にしこりののこる読者様がいれば、これによってそれを埋めて置きたいと思います。
TRPGとかご存知の方がいらっしゃれば、
本作はまあなんというか、TRPGの謎の解決しないリプレイみたいな話でございます。
なので、そのシナリオを公開するからそれで補完してくださいということです。
という訳で、一応裏設定の開示的なものを以下に貼っておきますが、文学的面白みはないので読むかどうかはご自由に。
主人公は、泥酔した末、なんらかのきっかけでタイムスリップした。きっかけはなんでも良いが彼はそれを覚えていない。例えば、転んだ拍子にワームホールに吸い込まれたでも、変なものを食べてしまったでも、未来から来たタイムスリッパーの道楽に付き合わされたでも好きに想像すれば良い。
ともかく目覚めた場所は故に未来世界の家である。相当な時間が経っており、社会、言語は様々に変化している。主人公の到着した地は老夫婦の語るように、肥大化したテクノロジーから逃れ自然と共に暮らす人々のための土地である。とはいえ、彼らの暮らしもその時代の文明の影響を受けていて、その暮らし方は現代とは全く異なる。彼らの人体構造も現代から大きく"文明的に進化"しており、例えばその顕著な例として、尿、排泄という機能がもはや存在しない。(これは下記に示すヴァーチャル接続を快適に行うためでもある。)
胎児は腹の中でネットに繋がり高速で高度な学習を受けるため、実際に産まれる時には、高い知性と教養を持っている。また、出産の危険も人体構造を変えることで、回避している。(しかし、自然を愛する、RainLodge周辺に住む女性たちは、薬によって擬似的に出産の苦痛を体験する。)
RainLodge周辺の人々は基本的に幼児教育の際をのぞいて、ネットの使用を避けている。この時代の人々は脳がどこでもネットに接続可能であり、第二の視野から情報の検索等の行動が行える。しかし、さらに深くネットに接続するためには専用のデバイスを設置した部屋を各家1つは用意するのが慣例である。(さながらトイレのごとく)
しかし、このrainlodge周辺の人々は、基本その部屋を持っていない。
それでも必要な場合があるため、オーナーである老夫婦の家の1つの部屋のみがデバイスを備えている。
部屋とデバイスを用いた接続の場合、シームレスにヴァーチャルリアリティ空間への侵入が可能であり、その中で、さらに各人がただ望むだけで、その世界のあらゆることを簡単に操作できる。ヴァーチャルリアリティ空間は1台の高等コンピュータによって制御されており、そのサーバに接続された各人の望みが矛盾なく叶うように制御されている。
この時代の人間の多くはもはや現実に生きることをやめ、その電脳空間で、各人が理想とする生活を送っている。
脳内デバイスを保持した人間であれば、所謂"メニュー"を開いて、サーバーの移動をしたり、他の人間と通信したり、デバイスとの接続を終了して現実に戻ったりといった高次の操作が可能である。しかし、そのような脳内構造をもたない"私"のような人間が接続すると、そういった操作はできず、単に、予測、望みや期待が概ね実現する世界となる。
ヴァーチャル世界の人々の多くは高等コンピュータに仮想された"モブ/NPC"であるが、世界が矛盾を起こさない限りは、他の端末から来た人間が介在することも可能である。
すなわち、老夫婦の家のトイレと思われた部屋に入ってからの全ては仮想空間の出来事である。
主人公は、はじめトイレに行きたいと思い描いたため、トイレの仮想空間に辿りついた。そして、その後現れた老夫婦は無論本物ではなく、NPCである。
そして、彼のこじつけた、なんとか整合性がとれた、彼の住んでいた元の街に戻る方法が、高等コンピュータに汲み取られ、それに沿って彼は仮想された元の街に帰った。途中出会う"彼女"は、このヴァーチャル空間の旅を楽しむ一人であり、たまたま、"現代(21世紀ごろ)"の社会を見たいと思っていたため、すれ違うことになった。実在の人間同士は、それと直感的にわかるような仕様がなされている。彼女はLodgeの人間と違い、脳内デバイスを使うことにためらいはない。彼が21世紀の日本語を話すのを察すると彼女はデバイスの翻訳機能を利用し、彼の"やり方"に合わせた。彼女にとって、主人公は、あまりにこの時代の設定に忠実すぎる人間だったために、その役者ぶりを面白くおもった。(例えば携帯番号などもはや存在しないものだ。通信には違う手法を用いる。)
ちなみに彼は仮想空間ではそれなりに生を謳歌しているかもしれないが、他の同時代人とはことなり、彼には排泄機能が存在するため、彼の現実での姿は想像を絶する。




