種008 (閑話)司祭の日記 一章
私は、枢機卿の指示により遠く地の果てと言われている東アジアに旅立つことになった。
これも、神が与えた試練。
神は、我らの敬虔なる信仰を求めておられるのだ。それに応えることこそ、忠実な僕たる我らの使命。
悪魔に唆され正しい道を踏み外し、あまつさえ真教徒などと名乗りを上げて、神の僕たる我らを虐殺せんと企む者たちに、必ずや鉄槌をくださねばならない。
また、この混乱を契機に神の祝福を受けた我らの地を、侵略せんと虎視眈々と狙っている異教徒どもも同じである。
この戦いは、一世紀にもわたる英仏戦争に匹敵するほどの長き戦いとなることは、簡単に想像できる。
神の教えがローマ帝国の国教となるほどの長い苦難の道が待っていることであろう。
しかし、その道の先にあるものは、我らの勝利と栄光のみ、我らの神の勝利と栄光である。
まことに残念であるが、遥か東の地での巻き返し準備は、長期となることが予想される。
私は、長き準備のために、生きて故郷の地に戻り、我らの勝利と栄光に浸ることは、おそらく叶わないであろう。
よって、私を継ぐ者たちへ事後を託し、少しでも私の行いが神の勝利と栄光に繋がるよう、これまでの歴史と私が知りえる全てのことを書き残すことにした。
神よ、我らに祝福を。
一章 「絹と鉄砲」
初めに、絹と鉄砲について記そう。
この二つは、戦いの歴史を変えた二大要素であるからだ。
さて、この二つの物は、ともに東の地よりもたらされた物である。
絹は、遥か古代より絹の道を通じて、我らの住む地にもたらされていたが、その生産方法を知ることができたのは、六世紀頃であると伝わっている。
さらに、十二世紀終り頃には、温暖なイタリアを中心に絹生産を行っていたと教会の古い資料にあった。
製法が知られてから生産が軌道に乗るまで、数世紀との長い時間がかかっているが、無理のない話である。知識があっても試行錯誤の道だったと容易に想像できるのだ。
餌となる樹木の栽培管理
蚕の孵化から繭作りまでの育成管理
そして、絹糸となるまでの製造管理
一つ一つに知識にはない経験則を必要としたはずである。
知識だけでは、実践できない。
実践を通して、知識は知恵へと昇華する。
さて、もう一方の鉄砲であるが、十五世紀に製法が伝わり、ほどなく生産も開始された。
この鉄砲の出現は、貴族や騎士たちの戦いのあり方を大きく変えた。
これまでの騎士たちは、全身を守るプレートアーマーに身を固め、戦場での花形であった馬上の槍試合、そして、剣と盾での戦いを行っていた。
ところが、騎士たちの戦いは、たった一発の銃弾によって終るようになってしまった。
銃弾が、プレートアーマーの装甲を貫通してしまい、騎士たちが華々しく活躍する前に、倒れることが多くなった。戦いが変わったのだ。
このことは、プレートアーマーを筆頭とする甲冑の衰退を意味した。そして、貴族や騎士を相手に甲冑で儲けていた甲冑製作所組合の職人たちは、仕事がなくなるのではと危機を感じることになる。
そこから、甲冑製作所組合の職人たちの戦いが始まる。銃弾に負けない防御力の鎧や盾を作るために。
装甲全体の厚みを増やす。
銃弾は通さないが、人が身に着けて動けるような重量の代物ではなかった。
手足の装甲を諦める。
厚みを増やした装甲を、胸板と頭部だけの半装甲とすることで、身に着けて動ける物となった。しかし、依然として、これまでの弓、槍や剣といった武器での戦いも残っており、貴族や騎士には不評であった。
職人たちは、防具構成に金属に代わる素材を求めることにした。
真っ先に目を付けたのは布である。
布を積層に織り込んだ服には、矢の貫通力が弱まることは、以前から知られていた。
そこで、職人たちはより軽く丈夫な絹を利用する。
絹は、他の素材に比べ弾性に優れており、引っ張ると約三割も伸びるという特性がある。
この特性により、銃弾を防ぐことを期待され、そして、見事に成功した。
この防具開発こそが騎士布に繋がったのだ。
二章 「騎士布」につづく
次回、京の鬼たち