種005
四郎の鬼神は、森の鬼神から離れた所に立っていた。
だが、無傷ではない。
鬼神の右肩から下が喪失していた。
くすんだ布が、肩のつけ根からゆらゆらと垂れ下がっているだけで、右手は胴体からなくなっている。
右手は、かがり籠といっしょに爆散したのだ。
「ばかな。俺の技を避けただと」
森には、違和感があった。しかし、それ以上に驚愕した。
鬼神の胸を狙って打ち出した技で、若僧が乗った鬼神は打ち倒せるはずだった。しかし、若僧の鬼神は立っている。片手を失っているが、立っているのだ。
自信のあった技を外した。いや、技を避けられた。
これまで訓練で避けられたことがないほどの技だった。それを、避けられたことが信じられない。
今日、鬼神に乗ったばかりの若僧に、自信があった己の技が通用しない。
森は、呆然とするしかなかった。
一方、四郎は鬼神を立たせていることで精一杯である。
森の鬼神の槍が、鬼神の胸に当たると思った瞬間、槍の軌道が右にずれ、右腕一本をかがり籠ごと、吹き飛ばした。
自分の右腕が、砕け、弾け跳んだと思った。いまだ、腕の付け根には焼けるような痛みが走る。
右腕を動かすこともできず、右腕の感触も全く感じられなかった。
目の前の鬼神は、何を思ってか、二発目を出そうとしない。
四郎は、逃げることで頭が一杯であるが、背中を見せて逃げるのが怖かった。また、あの技を受けるのではと、背を見せる事ができない。
その二人を、動かす切っ掛けが起きる。
「森様、鬼神に火が」
鬼神館の入口にいる監督の叫びで、森の鬼神が館に振り返った。
その動作を見逃さず、四郎は鬼神を後方に跳ばせる。
森が向き直るが、遅い。
森の鬼神が躊躇する間に、四郎は、さらにもう一歩後方に鬼神を飛ばし、土塀を越えた。
土塀を越えて屈むと相手の鬼神が見えなくなる。
四郎の鬼神は、すかさず振り返り、闇に向かって溶けていった。
鬼神館から二体の鬼神や重要な書物を運び出した森が、鬼神から降りた。
天を焦がす勢いで、鬼神館が燃える。
鬼神から降りた森に、監督が寄り、声をかけた。
「森様、ご苦労様でした。賊相手に技を使うなど、寿命を縮めますぞ」
「うむ、それは、かまわん。それよりも、一鬼の鬼神は盗まれ、鬼神館は焼け落ちる。これでは、殿に首を差し出さねばならぬ」
「森様は、大丈夫でございましょう。森様は、尾張一の鬼神の使い手。殿も、そう簡単には」
「それは、わからん。殿は気性の激しい方ゆえ。お前はどうする、堺に戻るか」
「いえ、やっと踏ん切りがつきました。殿に提案したき事があります」
「提案?」
「はい、一鬼が盗まれ、織田家の鬼神は三鬼となりましたが、これを五鬼にします」
「何を言っておる」
「森様もご存知だと思いますが、鬼神の胴体には手足を動かすほどの分量の布が、積層に縫われて張り付けてあります」
「そう、聞いておるが」
「ずっと考えておりました。それは、何のためか。何のための積層の布なのか」
「鬼神を動かすためであろう。違うのか」
「はい、少し異なると考えております。鬼神を動かすためではないと」
「では、何だと言うのだ」
「わかりません。ですが、取り外しても問題ないと考えております。そして、その余った布を使って新たな鬼神を二鬼作ります。それで五鬼」
「なるほど」
「ですが、殿の許可が降りなければ、堺に戻ります。せっかく殿に請われて尾張に来ましたが、縁がなかったと思うだけの話。まさか、私の首までは求めないでしょう。たかが、堺の大工の首など」
「殿には俺からも口添えしよう。俺の首より、お前が尾張から去ることの方が、織田家には損だ」
轟々と音を上げて燃える館を、二人の男は黙り込んで睨む。
この炎は、清洲の城からも見える事だろう。夜は明けていないが、早速、織田の殿に報告せねばならない二人だ。
森が、何かを見つけたように歩き出した。
「どうされました。森様」
「何、俺の技が、外れた理由がわかっただけよ」
「そう言えば、珍しい事があるものです。森様の必殺の技が、外れるなどと」
森は屈み、落ちていた物を拾い上げる。
「どうやら、もう一人、賊がいたようだ」
森の手には、鬼神の槍の傷がついた、燃えていない薪が握られていた。
つづく