種002 鬼の棲む館
尾張、清洲の町外れ。
誰もが寝静まる丑三つ時。
その場所だけが、かがり火に照らされ浮かび上がっていた。
何もない田畑の中に、土塀に囲われた敷地がある。そして、敷地内には大小いくつかの館があった。
ここは、織田家が所有する場所。
尾張の大半を手中に収めた織田信長の所有する拠点の一つだ。
農民たちの噂では、その館には大きな鬼が棲んでいるという。
人では無い者、鬼。
人の背丈の数倍もある大鬼だ。
日が暮れると、その鬼たちは現れる。
喧嘩をするように鬼同士が争い、争いが終わると館に帰る。
ただ、それだけの鬼。
人に危害を加えることや、田畑を荒らすことはない。
館には、そのような鬼たちが棲んでいるという。
その館に、忍び込もうとしている者たちがいた。
四郎と楓の男女二人組だ。
「楓、準備はいいか」
「いつでも」
暗闇の中から、ぬっと、仮面の顔が、四郎の隣に現れた。
木製の汚れた表情のない仮面。目の箇所だけ穴がある。
しかし、その穴から直の瞳を確認することはできない。
仮面の顔。それが、楓だ。
楓は、いつも仮面を被っている。
雇い主に、醜い顔を見せるなと言われてから身につけている仮面だ。
四郎が、楓と出会った時には、既に仮面をつけており、素顔を見たことはなかった。
しかし、話す声や張りのある手を見るかぎり、楓は若い女だと思えた。
「本当に、ここから届くのか」
「問題ない」
楓はそう言うと、忍び装束の腕をめくった。
右手、右腕、そして右肩にかけて薄汚い布が巻かれている。
「お前も、使えるのだな」
「そう、だから問題ない。四郎、お前の方こそ、心構えはいいのか」
「ああ、俺は、いつでもいいぞ」
「では、二十数えてから始める」
四郎が、楓の言葉に頷く。
「私は、そのまま姿を消す。お前は、獲物と逃げろ。落ち合う場所は、いつもの岩場に。日が暮れてからだ」
「わかった」
「では、行け」
四郎は、楓の声とともに闇を走り出した。
虫たちの音が止まらぬように注意して駆け抜ける。
かがり火に照らされぬよう、館を守る兵たちに見つからないよう駆け抜け、土塀の手前の草むらに隠れた。
門からは死角となる場所で、楓が事を起こすのを待つ。
「……十八、十九、二十」
楓が、薪を持って立ち上がる。
「四郎、上手くやれよ」
そう呟くと、薪を門のかがり火目掛けて放り投げた。そして、結果を待たず闇の中に消える。
五十間(90メートル)以上離れたところからの薪の投擲だ。
女の腕力では無理と思われたが、薪は回転しながら弧を描いて飛び、見事、かがり籠に当たった。
火の粉と派手な音を散らしながら、かがり籠が倒れた。
どうした、なんだ、何が起こった、と館を守る兵たちが門に集まる。
館の周囲を守る兵が、門に行っていなくなった隙に、四郎は草むらから飛び出し、かぎ縄を土塀に投げつけた。そして、かぎ縄を引き寄せるようにして、一気に土塀を乗り越え、敷地内の影に潜む。
四郎は、影から館の敷地内を伺った。
敷地内にも所々にかがり火が燃えている。
狙いをつけていた大きな館には大小の入口があり、そこに警護の兵はいない。
門のかがり籠の騒ぎに駆けつけて、いないのだ。
四郎は、影を縫うように走り、見つからぬよう館の小入口から中へと忍び込んだ。
外のかがり火の明かりが、大入口の隙間から漏れて、館の中をおぼろ気に映し出す。
この館は、人の住むためのものではない。
館の中には、柱と土間があり、壁には踊り場とそこに上がる階段がある。
「まさか、本当にあったとはな。あの男の言った通りだ」
四郎は、見上げて呟いた。
目の前に像がある。
兜と思える頭と飾り気のない鎧を纏った大きな像だ。南蛮風の兜と鎧の巨人。
それが四体、左右の壁を背に立ち並んでいる。
鬼神。
それは、人を飲み込み、人の意志で動く鎧。
人が中に入って動かせる、高さ三間(5.4メートル)もある大きな鎧だ。
種子島に難破した船から発見された像が、年月を経て、鬼神と呼ばれるようになっていた。
そして、四郎がこの館に侵入し、盗めと命じられた目標物でもある。
十字の覗き穴が入った縦に長い菱形の頭部、日本の鎧とは異なりのっぺりとした黒色金の甲冑の胴体、そして、胴体と同じ作りの手と足。
種子島に漂着した船から発見された南蛮風の巨人と瓜二つである。
違いがあるとしたら、鬼神の表面は金属などではなく、外板を張り、滑らかにした後、漆塗りしたこと。
さらに、四体の鬼神の胸には大きな木瓜の紋が、朱に漆塗りされている。
木瓜は、織田家の紋。
全ての鬼神が、織田家の所有物だと表しているのだ。
「悪いが、頂戴させてもらうぜ」
四郎は、壁の階段を上がり踊り場に出た。
踊り場は、鬼神の背中から乗り込むのに丁度よい高さになっている。
さあ、鬼神に乗り込もうと入口を探したが、背中にあるという観音開きの扉が見当たらない。
どうやって鬼神の中に入るのだと思案していると、館の外が騒がしくなってきた。
(入口は、どこだ)
館の外で、もめている男たちの声が聞こえる。
(見つけた!)
鬼神への入口は、観音開きでなく、背板を跳ね上げる方法だった。
四郎は、急ぎ背板を上げて中に入り込み、背板を下ろす。
それと同時に、館の小入口の扉が勢いよく開らかれ、ガンドウの光が館の中を走った。
つづく
ガンドウとは、江戸生まれの携帯用ランプです。少し早く登場しました。