今までには感じたことのない気持ち
(シオン視点)
「どれにしようかなー」
クレープ屋の前に立っている黒板タイプのメニュー表を見ながら、ミーアは瞳を動かしている。
クレープの種類に迷っているようで、ころころと表情を変えている。
珍しくもないただのお祭りだというのに、ミーアにとっては楽しくて仕方がないものなのだろう。
今まで周りにいなかったので、彼女の存在はとても新鮮だ。
ミーアの右手は俺が繋ぎ、彼女がどこかに行ってしまわないように自分の傍に留めている。
彼女は、見た目は元気そのものだ。
だが、こうしている間にもミーアの魂はどんどん浸食され続けているため、早々に退魔士が祓わねばならないだろう。
東の覇者・ムーランアグア国は、別名『退魔士の国』と呼ばれている場所だ。
退魔士とはその名の通り、魔族を退治する者達のことをいう。
魔族は魔界から人間界へと降り立ち、残虐非道な行いをして人間へ被害をあたえているため、各国では魔族専門の騎士団も存在している。
ムーランアグアにいる退魔士は主に寄生型をメインとして戦っている。
寄生虫のトキソプラズマやハリガネムシに寄生された宿主は、本人の意志とは関係なく体を支配されていく。
ハリガネムシに寄生された昆虫は、自らの体を湖に飛び込ませ自らの命を絶つように操作されてしまう。
寄生型の魔族も似たようなもので、人間の魂に寄生し宿主を死に向かわせる。
やつらの目的は、人間の魂を捕食することだから。
清らかで純粋な魂であればあるほど美味で狙われやすい。
ムーランアグアの退魔士を統括しているのは、俺の師匠のアヴィオン。
退魔士協会の総帥と呼ばれ、退魔士達のトップに立っている人間だ。
そして、協会を管理しているのがゴルジュ公爵。
退魔士は各国からの依頼により、魔族から人間の魂を救うために魔を祓う。
それが俺やイザベラのような退魔士の仕事だ。
俺は数か月前の事を思い出していた――
「どう思う?」
執務机に皺っている漆黒の髪を刈り上げている男性・アヴィオンが言葉を投げかけてきた。
ソファに座り事前に渡された資料を読んでみたが、退魔士なら全員同じことを言うだろう。
「このままでしたら死にますね。この子。生きているのが不思議なレベルです。魔族に憑りつかれて、こんなに長く生きているなんて奇跡だ」
七歳の頃に突然魔力に目覚めたと記されていたが、おそらくこの時にパラサイトに憑りつかれたのだろう。
しかも、魔力は高魔力。
ヴァネッサ・アカデミーのSSクラスに首席で入学できるくらいの魔力だ。
これは確実に魔族の中でも高位の者が憑りついていると断言できる。
「とにかく、一刻も早く祓った方が賢明かと」
「だよなぁ。もう少し早く気づいてあげられれば良かったんだけど。なんせ、未来視の巫女として国のガードが固くてさ」
「未来視の巫女……?」
「あれ? アレス、知らないのか。なんでも未来に関する夢を視られるそうだ。力を使って人々を救ってきたため、生きき神様と崇められているんだよ。すごいよなぁ」
「人のことを救うよりも自分を救った方が良いんじゃないですか?」
「相変わらずクールだな、おい。でもまぁ、確かにお前の言うとおりだけど」
師匠は机の上に置かれている資料へと視線を向ける。
「魔族に憑りつかれたのは、七歳の頃で間違いない。ただ、気になるのが城で倒れたということなんだよな。犯人はまだ城内にいるのだろうか」
「誰かが強制的に魔族を召喚して彼女に憑りつかせたと? なんのためにですか」
「わからんから困っている。自分で召喚するなら珍しくもないが、七歳では考えにくい」
「もし師匠の考えている通りならば重罪ですよ。間接的に人を殺そうとしているんですから。魔族を他人に憑かせるなら、自分に憑かせた方が簡単だ。契約の鎖で縛らずに魔族が言うことを聞くわけがない。下手したら殺される」
「ミーアの魂が魔族好みの清らかな魂だからな。しかも、かなりの位が高い」
「……なるほど。餌が上物だったから殺さなかったということもありますね」
「念のために城の方も調査させる。祓いの儀はシオンに任せたいと思うんだが、構わないか?」
「えぇ」
高位の魔族は何度も払っているので、経験があるため頷く。
いつもの通りに仕事を終わらせればいいと思って返事をしたが、今日は違ったらしい。
「じゃあ、早速ミーアに会いに行け。彼女と共にヴァネッサ・アカデミーに通え」
「……意味がわかりません」
俺は顔を顰めながら、師匠を見た。
祓うのは俺の仕事だから構わない。だが、どうして今更学校に通わねばならないのだろうか。
「この魔族を祓える退魔士は俺か――白銀の退魔士としての異名を持つお前くらいだ」
「でしょうね」
「その子さ、アカデミーに通いたいらしいんだよ。でも、金銭的に余裕がなくて通えなかったんだ。今の状態ならば、魔力数値的にアカデミーのSSクラスの合格ラインを越えている。だから、アカデミーに通えるんだ。レファに話したら、アカデミーに掛け合ってくれるそうだ」
「ゴルジュ公爵はアカデミーの創設者の一人でしたね」
「悔いの残らない人生にしてやりたいんだってさ。学びたい学生の気持ちがわかるんだろ。憑かれている歴が長いから、どうなるかわからないしな」
「死ぬ前に思い出作りですか」
きっと予想外の嬉しいプレゼントとしか彼女は思わないだろう。
ずっと憧れていたアカデミーに通えるのだから。
だが、本当は――
「アレス。お前は魔術で変装して偽名で通え。白銀の退魔士として名前が広まっているから面倒な事になる。敵に気づかれると悪いしな」
「了解しました」
「調査もあるから、祓いの儀などの日にちは後で通達する」
「祓いの義に組むパートナーには、部下のイザベラを指名しても? ミーアは女性なので同性の方が何かと役に立つことがありますし」
「構わない。頼むぞ。詳しいことは後で連絡をする」
「はい」
返事をして資料を手にかかえ師匠の執務室を出た時から、ミーアに出会うまではいつも通りだった。
ただ義務的に祓えばいいと。
だが、今は……
「シオン君っ?」
急に体を揺すられ、俺は我に返った。
どうやらぼーっとしていたようだ。
弾かれたように左側へと顔を向ければ、不安そうな顔をしているミーアの姿が。
手にはクレープを持っているようなので、注文が終わったのだろう。
「シオン君はいらないって言ったけど、クレープ少し食べてみる?」
ミーアはそう言うと、俺の口元にクレープを差し出している。
彼女は何も知らない。自分の魂に魔族がべったりと張り付いていることを。
くるくると表情を変えて見ていて飽きない彼女は、見返りを求めず予知夢の力で人を助けている。
俺には絶対に出来ないし、やりたいとも思わない。
大金が貰える仕事でもないのに、自ら危険な目にあう理由がわからないのだ。
でもミーアはそれをいとも簡単にやってしまう。
今まで周りに居なかったせいだと思うが、彼女の事が少し気になっていた。
珍しく情でも湧いてしまったのかもしれない。
「シオンも食べてみたらいかがですかー? すごくおいしいですよ。あっ、ごちそうさまです。経費で落として下さい」
「……お前」
イザベラはここぞとばかりにクレープを二個両手に持ち食べている。
「さっぱりした甘味で美味しいよ」
にこにこと微笑んでいるミーアはかわいいと思う。
「……さっぱりしているのか」
クレープは苺と生クリームの上にチョコスプレーがかかっているのが窺えるため、絶対に濃い甘さしか口内に広がらないと思うのだが。
さっぱりとした成分が見当たらないし。
じっとミーアの円らな瞳が俺を見詰めていたので、なんとなく逆らえなくなり俺はクレープへと食いつく。
すると、想像通り甘味が口内に広がっていった。
「ねぇ、美味しいでしょう?」
無邪気な笑顔に胸を締め付けられ、つい堪らず彼女へと手を伸ばしてしまう。
我に返ったがどうして良いのかわからなかったので、ちょうど彼女の口元にクリームがついていたのを見つけ拭った。
「クリーム」
指についたクリームを舐めれば、生クリームの甘味がまた広がっていく。
甘い。甘すぎる。イザベラは二個注文したが食えるのだろうか。
ミーアは長期間憑かれているため前例がないので、今後どのような事が起こるか不明。
ただ一つだけ言えることは、俺は彼女に生きて欲しいと願うことだけだ。
数えきれないほど仕事をしてきて、そんな風に思ったのはミーアが始めて。
不思議な気持ちに支配され、俺は自分がよくわからなくなってしまっている。
「シオン?」
俺の様子がおかしい事に気づいたらしく、イザベラが声をかけてきたため静かに首を左右に振った。