エウテュプロン
分かりづらいかと思いますがご容赦ください。自分でもまとめるのに苦労し、さらに物語にするうえで悩みそれなり時間をかけました。
また作品の都合上、宗教に関連する発言が出てきます。自分は無関心なほうなので気にしない派の人です。なので、嫌な表現等をしているかもしれません。
「よし、皆。ついに来たぞ。哲学部の第一回目の活動が!」
部長が席を立ち言う。他の部員たちはこの言葉に適当に返事を返す。やる気に満ち満ちた部長とは違い、他の部員はそこまでやる気がない様子。
「夏帆。それで、その記念すべき第一回目の活動は何をするつもりなの」部員の一人が声をあげる。部長はそれに眉を少しあげ答える。
「いいでしょう。でもその前に、ここでは夏帆じゃなくて部長って呼ぼ。おねがい」質問した部員はクスッと笑い、もう一度声を上げる。
「部長さん。記念すべき第一回目の活動は一体何をするんですか」
「うん。春奈さん、実にいい質問だ。記念すべき第一回目の活動は、ズバリ・・・・」
部長は意味もなく間をあけ、ある部員は優しく、ある部員はあくびを、またある部員は相変わらずだなといった様子で、部長の言葉を待った。
「ズバリ、『エウテュプロン』。これについて語ろうと思う。ほら、拍手」その言葉に拍手をしたのは部長のみ。他の部員はよく理解できていないようだ。
「部長、そのエウテュプロンって何。美味しい果物かなにかですか」と、ある部員が尋ねる。
「違うよ、秋華。きっと地名とか人の名前だよ。ほら、えーーっと、ギリシャの悲劇作家じゃなかったっけ」
「春奈先輩、それも違います。春奈先輩が言っているのはエウリピデスですよ。ギリシアの三大悲劇作家の一人。確かエウテュプロンは…プラトンの著作物の一つでしたよね。夏帆先輩」
「そう、冬美のいうとおり。『エウテュプロン』はプラトンが書いたものの一つだよ。これがかの有名な『ソクラテスの弁明』に繋がっていくのだよ。登場人物はソクラテスとエウテュプロン。敬虔について語り合う。我ら哲学部の第一回目の活動はこの『エウテュプロン』について語り合うこと。ただこれのみ。っていうわけで早速議論を始めようではないか!!」
このかけ声に答える者は誰もいなかった。部長と他の部員とはかなり温度差があるようだ。沈黙が続き耐えかねた夏帆が声を上げた。
「みんなノってよ。私一人恥ずかしいじゃん……。まぁ、でもとりあえず始めよっか」
夏帆は顔を赤らめていた。他の三人は気まずそうに顔を見合わせる。春奈がそーっと控えめに手を挙げる。
「ぶ、部長……。エウテュプロン呼んだことないんだけど」
「私も読んだことない」と、秋華が続いて手を挙げる。部長はあっと小さく呟いて、もしかしてといった表情を冬美に向けた。
「私は一度読んだことあります。だけど…記憶も曖昧なので、どうせならもう一度読みたいです」
「そうだよね。読まなきゃ議論できないよね。」夏帆が声を沈ませると、それを見た春奈が言った。
「気にしないで。とりあえず、各自で『エウテュプロン』を読んできて議論するってことでいいよね。うーんと、二週間後の月曜日の放課後、またこの部室に集合で大丈夫かな」
秋華は大丈夫、冬美は問題ないとそれぞれに返事をする。
「では、二週間後の月曜日に決まり。よし、記念すべき第一回目の活動は終わり。解散」夏帆は明るくそう言うと真っ先に部室から出て行った。
「逃げた」とそれぞれが小さく呟いた。
二週間後の月曜日。部室には春奈、秋華、冬美の三人が椅子に座って夏帆を待っていた。彼女たちは夏帆を既に三十分くらい待っている。
「夏帆先輩遅いですね。部活ってこと忘れて帰ったりしてないですかね」冬美が本を片手に少し苛立った様子で言った。
「今日の朝、一緒に登校したときは部活楽しみだねって言ってたから、忘れてないとは思うんだけど……。秋華は何か知ってる?」
「何にも知らない。でも夏帆さんのことだから、また先生に怒られてるとかじゃないの」
彼女たちがそんなことを話していると部室の扉が開いた。入ってきたのは部長ではなく、この部活の顧問である志木先生だった。
「今日は用事があって早めに帰らないといけないから、六時までには部室に鍵かけて、鍵を職員室に戻しといてくれ。六時十五分までに戻ってきてなかったら部室に行くから」志木先生はそう言うと扉を閉めた。
先生が来て数分すると、うるさい足音が聞えてきた。誰もが部長だと思っていると、扉が勢いよく開き、息を切らした夏帆が扉の先に立っていた。
「ごめん、ごめん。田島先生に怒られてて遅くなっちゃった。それじゃ、哲学部の活動はじめよっか」部長はそう言いながら部室に入り、席に座った。
「夏帆。今日は、志木先生が用事あるから六時までだって、さっき言いに来た。」
「マジか。あの先生の用事って何だよ。もう四時過ぎちゃってるし、急いで始めよ」
「じゃあ、エウテピュロンを読んで、意見とか感想がある人はいるかな」春奈がそう言うと秋華が口を開く。
「ソクラテスは、エウテュプロンが自分の父親を殺人の罪で告訴していることに反対してるんだよね。それって、ソクラテスは、エウテュプロンの父親がしたことについて悪い、つまり不敬虔なことではないと思っていることだよね」
「それはどうでしょうか。エウテュプロンの父親がしたことが敬虔か否かは本題ではないですし、これは敬虔についての事例の一つにすぎないですからね。それに私の読んだ書籍の解説にはエウテュプロンが実在するかはどうか不明みたいですし、ソクラテスはエウテュプロンが父親を告訴したことを直接批判していません。ただ敬虔とは何か知っていないと告訴は出来ないだろうからと教えを請うているにすぎません。話を進めるうえでの構成のひとつではないでしょうか。何よりプラトンが書いたものですから、ソクラテスの言葉をどこまで再現できているか分からないです。だからソクラテスがどう思っていたにせよ、これについて議論する必要はないと思います。ここで重要なのは、やはり敬虔なら敬虔の、不敬虔なら不敬虔の全てに共通する何か『単一の相(本質的特性)』についてですよ」冬美は秋華に自論を述べた。
「それは分かっているんだけど、私はやっぱり引っかかる。エウテュプロンの父親は、奴隷を殺した者の処遇をどうするかを解釈官に問い合わせるために、人を送ってはいるけれど、その間、両手両足を縛って溝に投げ込んでおいて、たとえ死んでも人殺しだから問題ないと思ってほとんど無視して気にかけていなかったから、その人は飢えと寒さと縛られていたせいで死んじゃったんだよ。これって今でいう『未必の故意』、殺意にあたるんじゃないかな。ねぇ、春奈さんはどう思う」秋華に話を振られた春奈は少し考えると話し始めた。
「そう言われると確かに父親は罰せられるべきだけど……。時代が違うし、たとえ今の時代であっても『認識ある過失』とかも論じたりしなきゃいけなくなるんじゃないかな。私たちは法律の専門家じゃないからこれについては分からないよ」
「そうだね……。これに執着しちゃうと本題の敬虔とは何かについて話し合えなくなっちゃうもんね。後回しというか、時代も違うし、この『エウテュプロン』みたいに敬虔か不敬虔で判断することにするよ」秋華は納得はしていない様子ではあるが、これについて、これ以上議論するつもりはないようだ。
「ねぇ、ちょっと皆レベル高いよ…。『認識ある過失』って何。そんなの初めて聞いたよ。私なんて常識的に、普通に考えて、エウテュプロンの父親は悪いでしょ、ぐらいにしか思ってなかったよ」
黙って話を聞いていたのか、話についていけずに黙るしかなかったのかは分からないが、それまで無言だった夏帆は悔しそうに言った。
「でもすっごく楽しい。なんだろ。哲学してるって感じがする!!私も負けないぞーー。じゃ、まずエウテュプロンの第一案。敬虔とは不正なことをする人を告訴することで、不敬虔は告訴しないことって、やっぱり的外れな解答だよね。これは敬虔、不敬虔の一つの事例にすぎなくて、相についても答えてないもんね」夏帆は明るく楽しそうに言った。
「そうだね。ソクラテスも違うって言ってるし。問題は次の第二案だよ。敬虔とは神々に愛されるもので、不敬虔は神々に愛されないもの。ソクラテスはこれに意を唱えるというか、問を投げかけるよね。人の間で争いがあるように神々の間でも争いがある。そうすると同じものが、ある神には愛され、またある神には憎まれるといったことが起きて、同じものが敬虔なものでもあり、不敬虔なものでもあると言えてしまう……」秋華は頭を抱えながら言う。
「そうだね。でもこれって多神教だから起こる問題と言えるよね。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教みたいな一神教では問題にならないよ。だって神様って唯一なんだから」
「私も夏帆と同じこと思った。だけどこれが問題にならなくても、この案にはまだ問題があるんだよね。ソクラテスは譲歩して第二案を修正した第三案を提示することで、この問題を棚上げして考察を進めていく。それで、この第三案は、敬虔なものは何であれすべての神々が愛するもの、不敬虔は何であれすべての神々が憎むもの、なんだけど…これがエウテュプロンのジレンマって呼ばれるものにつながるんだよね」
「そうですね。春奈先輩のいうとおり、この第三案のあと、ソクラテスが問題とされる点について質問します。敬虔なものは敬虔であるから神々に愛されるのか、それとも敬虔なものは神々に愛されるのから敬虔なものであるのか。私も最初、エウテュプロン同様この質問の意味が分からなかったことを、改めて読んで思い出しました。ここで先輩方に聞きたいのですが、先輩方はどう思いました。敬虔ゆえに愛されるのか、愛されるゆえに敬虔なのか」
先輩たちは少し悩んだ様子であった。冬美が「敬虔ゆえに愛されると思う人」と聞くと春奈と秋華の二人が手をあげた。
「夏帆さんは愛されるゆえに敬虔と思うんだ。何だか意外だな。神様とか信じてなさそうなのに」秋華の言葉に困った様子で夏帆が反応する。
「えっと、よく分かんなくて。どっちがどう違うのか。もちろん本はしっかり読んだよ。で、も分からなくて。だから……正直どっちでもいいや」
「夏帆。私もよく分かんなかったけど、解説よんだら何となく理解できたよ。まさか本文だけで解説とか読まなかった」
「えっ、解説なんてあったの。私が読んだのにはなかったよ」
「私たちはまだまだ初心者だから、今度から解説あるの選んで借りようね」
「はーい。春奈さんのいうとおりにしまーす。で、春奈はどうして敬虔ゆえに愛されるだと思うの」
「うーんと……、簡単にいうと私は神様とか信じてないから、神様に愛される愛されない関係なしに敬虔なものは敬虔だと思うんだよね。秋華はどう?」
「私も似たようなもんだよ。神様っていう見えないものの、さらに見えない愛ゆえに敬虔って、不明確すぎるというか、腑に落ちないってだけで。この二択なら、敬虔ゆえに愛されるほうがしっくりくるからかな。冬美さんは愛されるゆえに敬虔だって思ってるの」
「そうですね。私は特定の宗教を信仰していませんが、漠然と神というものは信じています。いないことは証明されていませんし。道徳・倫理が神による恣意的なものになるというのはもっともなのですが、法律なんかも国民の多数派による恣意的なものと言えると思いますし、そうするとこれは目を瞑ってもいいのではと思いました」
「ちょちょちょっと待って。私を置いていかないで。えっと、何が何なの。恣意的とかよく分かんないんだけど」
「あ、ごめん。えっと上手く説明できるか分かんないけど……」春奈はそう言うと夏帆に説明するために、自分の頭のなかを整理しながら話をつづけた。
「エウテュプロンも最初はこの質問が分からなかったんだ。今の夏帆みたいに。だからソクラテスは例を出して説明するんだよ。つまり、そこであるものが生じたり、作用を受けるときは『生じるもの・作用を受けるもの』だから、生じたり、作用を受けるんじゃなくて、生じたり、作用するから『生じるもの・作用を受けるもの』ってこと。『~される』から『~されるもの』とも言えるね。こんな風に作用は状態に先行して起こっているの。例えば、夏帆は説明されている夏帆だから、説明されているのではなくて、説明されているから説明されている夏帆ってこと。そうだとすると、『愛されるもの』も愛されるから『愛されるもの』になるよね。夏帆、ここまで分かった?」夏帆は首を縦に振って答えた
「それじゃあ、続けるね。エウテュプロンは、一、『敬虔なもの』は敬虔なものだから愛されるもの。二、神々によって愛されるから愛されるものとしたの。でもそうすると、敬虔なものと神々に愛されるものは別々のものということになっちゃうわけ。もしこの二つが同じなら、一は『神に愛されるもの』は神に愛されるから愛されるとなって、二は神々によって愛されるから『敬虔なもの』になる」
「えっと、それのどこが問題なの。よく分からないんだけど」
「つまり、『神に愛される』ものは神に愛されるから『愛される性質をもつもの』であるのに対して、『敬虔なもの』は『愛される性質をもつもの』だから、愛されるってことになってるの。状態が作用に先行して存在している。『~されるもの』だから『~される』と言えるってことになっちゃうわけ。さっき説明したことと矛盾しちゃうの。でも、この別々か別々でないか、敬虔だから神々に愛されるのか、神々に愛されるから敬虔なのか、この二つには両方問題があるわけ。別々、敬虔だから神に愛されるのほうを選ぶと、道徳・倫理といったものが神の存在の前に関係なく、独立して存在することになって、神をその源泉や根拠とすることは出来なくなる。逆に別々でない、神々に愛されるから敬虔のほうを選ぶと、神を道徳・倫理といったもの源泉や根拠に出来るけど、逆に道徳・倫理が、神の作為によって変わるものになってしまって、極論を言うと悪も神が愛すれば善になってしまう」
「なるほどーー。分かったような分からないような……。でも何となく分かったような気がする。春奈と秋華は、神様をあんまり信じていないから、神を道徳・倫理の根拠としない敬虔だから、神に愛されるほうを選んだわけだ。でも冬美は神様を信じていて、法律とか作為的・恣意的なものは現在の基本とされるルールにも見出されるわけだから、そこを気にしすぎる必要はない、だから神に愛されるから敬虔のほうを選んだわけだね」
夏帆の言葉に部員のそれぞれは首肯する。
「この問題があることによって、第三案も却下されてしまいます。つまり一神教のように神が唯一のものだとして、争いが起きないとしても答えにならないんですよ」冬美は頭を抱えて言う。
「でも結局、敬虔の、『すべての神から愛される』ってのは何なの」秋華が皆に聞いた。
「それはたぶん敬虔の属性ですよ。属性は本質ではないからソクラテスの求める解にたどり着けない。そういうことだと思います。属性と本質の区別がなされている点が特徴だとか何とか書いてありました」
「第三案もダメになった後、ソクラテスはまた新しい質問するよね。敬虔なものはすべて正しいのかどうか、みたいな」夏帆は議論を進めるために、これ以上、エウテュプロンのジレンマについて議論することを止めた。
「そうですね。これにエウテュプロンは敬虔なものはすべて正しいと返して、ソクラテスのその後の質問には、敬虔なものは正しいものの部分であるから、正しいもののすべてが敬虔なものではないと返してますね」
「その答えに、ソクラテスは、正しいもののどのような部分が敬虔なものであるかを聞いて、エウテュプロンはこれに神々の世話に関わる部分が敬虔であり、人間たちの世話に関わる部分が正しいものの残りの部分って答えるよね。」冬美の言葉に続けるように秋華が言う。
「今度はその神々の世話とは何かをソクラテスがまたエウテュプロンに聞いて、神々の世話とは神々をより善くするものではなく、一種の奉仕術ということになって、敬虔は神々への要求と贈与についての知識であるってことになるんだよね。そう考えると敬虔とは神々と人間たちの間の一種の取引であるから、取引ならば互いに利益になる何かを得ていると考えるので一般的であって、ソクラテスは神々が贈り物を受け取ることで得る神々の利益が何であるのかを聞く」今度は春奈が秋華の言葉に続けるように言った。
「エウテュプロンは、神々は受け取る贈り物によって利益を得ているわけではないとしたうえで、神々が受け取る利益を名誉・栄冠・人間が行う神に喜ばれる言行としました」
「はい。質問。私は名誉・栄冠も利益に入ると思うんだけど…」冬美の言葉に夏帆が質問を投げかけた。
「そう、だよね。言われてみれば確かに……。でもここではソクラテスの次の言葉で言うように贈り物と受け取るものはこう区別されているんじゃないかな。嬉しいもの喜ばれるものは利益になりうる贈り物ではあるけれど、受け取ったものが必ずしも利益になるわけではない。つまり、喜ばれるもののような心にプラスになるものと、お金のような実用的なもので実質的にプラスになるものとを区別しているんだと私は思うよ」春奈がそう答えた。
「そのソクラテスの言葉って、敬虔なものは喜ばれるものであるけれど、利益になるものでも神々に愛されるものでもないってところ?」秋華の問いに春奈は首肯する。
「でも目に見えない神の受け取る利益がお金のような実用的、実質的なものって、かみ合わないというか変じゃないかな」秋華の言葉に議論は足止めを食らう。
「このソクラテスの言葉にエウテュプロンはどう返したの」夏帆はみんなに聞いた。
「エウテュプロンは敬虔なものは神々に愛されるものだって反論して議論は後戻りだよ。だからそこでソクラテスがもう一度初めから敬虔とは何かを考察しようとするけど、エウテュプロンは用事があるからってその場をあとにしちゃって、この話はおしまい」春奈が夏帆に言うと、夏帆は腕を組み考える様子で言った。
「ソクラテスは神々が受け取る利益って何だと考えていたのかな。あとソクラテスは敬虔は何であるか、敬虔の本質を知っていたのかな」
「私は、ソクラテスは敬虔とは何かを知らなかったと思います。もしソクラテスはエウテュプロンが本当に敬虔とは何か、また反対に不敬虔とは何かを知っているならと教えを請います。これはエウテュプロンの『無知の知』を自覚させるためというのが一般的でしょうが、ソクラテスはもし敬虔が何であるのかを知ることが出来たのならば、メレトス、つまり自分を告訴している相手に対して訴訟を取り下げさせることが可能だと考えていることが読み取れます。しかしソクラテスはそのあと訴訟を取り下げさせることはできずに『ソクラテスの弁明』『クリトン』と話が進んでいきます。もし知っていたならばこうは訴訟を取り下げさせることが出来て『ソクラテスの弁明』は起きなかった私は思います」冬美はそう静かに言った。
「なるほど。でもソクラテスが敬虔を知ったうえで、より多くの人と敬虔とは何かを対話するために弁明をわざとしたとも考えられるし、敬虔を知っていても訴訟を取り下げさせることは出来なかったと考えることもできるよ。私はまだ『ソクラテスの弁明』を読んでいないから断言はできないけど。これは説の違い、意見の違いだよね」春奈は冬美にそう言った。
「じゃあ、私たち哲学部なりの敬虔の本質を結論づけて今日の議論を終わるとしよう!」
夏帆が席を立ち、右手の拳を天井に突き上げるのと同時に部室の扉が開いた。そこには志木先生が立っていて部室の時計を指差している。時計が示している時刻は六時十七分。彼女たちは時間も忘れて『エウテュプロン』について語らっていた。
「ほら、もう部室の鍵締めるから早く帰る用意してくれ」
志木先生がそう言うと夏帆除く三人は素直に席を立って鞄を肩にかけた。
「待って。まだ敬虔の本質を結論づけてないよ。まだ終われないよ」
「夏帆先輩。敬虔の本質を結論づけるのは簡単じゃないと思います。今日一日。いや中学校生活の全てをかけても結論づけられないかもしれません。なので、私は帰ります」
「ごめんね、夏帆さん。今日はいっぱい考えてお腹も空いたし私も帰るよ。このまま議論したって頭回らないと思うし。バイバイ」
冬美、秋華と部室を出て行った。夏帆の突き上げた右手はいつの間にか床に向いていた。夏帆はチラッと春奈のほうを見た。
「二人で議論しても仕方ないし、今日は帰ろう」
春奈はそういって夏帆の背中を押して部室から出る。廊下にはまだ冬美と秋華の姿が見えた。二人は何かを話しているわけではないが、並んで歩いている。記念すべき第一回目が初めての顔合わせだったから、二人が仲良く話していなくても可笑しいことはない。夏帆は大きな声で二人を呼びながら後を追いかけた。春奈も慌てて夏帆を追いかける。
「おーーい。冬美、秋華。今度は『ソクラテスの弁明』についてするから読んできてよ」
「谷岡、上谷。廊下は走るなよ。あと四人とも気をつけて帰れよ」
「ごめんなさーい。先生、またねー」夏帆は振り返ることなく、片手を上げながら返事をした。他の三人はそれぞれに返事をして帰っていった。志木先生はため息交じりに小さく呟き、部室の鍵を閉めた。
今回は、京都大学学術出版会の2017年8月15日初版の『プラトン エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン』朴一功・西尾浩二訳 西洋古典叢書 を参考にしました。
エウテュプロン・西尾浩二訳p3~53(本文)、p180~202(解説)にあたる部分です。何十倍も参考になると思うので、分からなかった方や興味を持った方は読んでみるといいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。次は予定では『ソクラテスの弁明』→『クリトン』→『パイドン』→ソクラテスについてのまとめ といった感じで進める予定です(あくまで予定)また次の更新は未定ですぅ…。ほんとに後書きの最後の最後までありがとうございます。ではまた