旧第12話 ブレーキ・ブレイク
「シィッ!!」
『!?』
突如現れた少女にオーガは困惑した。
どう見ても自分よりも弱く、自分を操る者よりも遥かに弱い。そんな相手が向かってくることに自我というモノをほぼ失くしている状態であって……だからこそ困惑した。
「でやあああっ!!」
おそらく少女の全力に近い一撃だが、喰らったところでダメージを与えられるとは到底思えない。
だからと言ってわざわざ喰らう必要性も感じないので軽々と避けるが、その際に攻撃をすれば相手の身体はまるで枝のように折れてしまうだろう。
それなのになぜ?
「『アースウェーブ』!!」
『ウガッ!』
背中に手をやったかと思えば、今度は魔法を唱えた。
それと同時に足元がぐらつき、バランスが崩れるような錯覚を覚える。
所詮はまやかしだ。
掛け声代わりの声を上げて、ふらつく地面を踏み抜けば途端に揺れは収まる。
「『アースウェーブ』!!」
収まったと思ったら、今度は足に絡みついてきた。
踏み込んだせいで地面にめり込んでいたこともあり、今度は簡単には抜けない。
「セヤアアアアッ!!!」
初めて少女の攻撃が当たった。
腹に当たった拳はやはり痛くない。
次に、頬を軽く触り一旦距離を取る。
「でやっ!!」
今までよりも力のこもった一撃だ。――だが、それがどうした?
『ウオオオオッ!!』
「!?」
雄叫びを上げれば、少女の動きはまるで止まったかのようにゆっくりになる。痛くも痒くもない攻撃を浴びせられ続けるほど動きは不自由。
そんなことは関係ない。
実力は自分の方が遥かに上なのだ。
ならば負けることはない。負けることは許されない。
ただそれだけがわかっていればいい。
モンスターの本能か。それとも強者としての性か。
オーガはこれまでのように圧倒的な力を持って、目の前の少女を振り払おうとした。
「『ホール』」
振り抜いた拳の先が、少女にぶつかる瞬間――消失していた。
勢いは本物。事実、振り抜いた拳の風圧で少女の前髪は捲れ上がり、涙を流しつつ睨みつける表情が露わになっていた。
それでも止まったのは、拳が黒い穴に吸い込まれていたからだ。
突然現れた謎の穴、そこに手首から先が吸い込まれた。
無くなったわけではなく、攻撃を受けたわけでもないのは手首から先の感覚があることからわかるが奇妙な気分だった。
ダメージを与えられるようなモノではないとわかっているのに、それが攻撃を止めた。
わからない。弱者の手札は強者には理解できない。
だからこそ、オーガは笑った。
「――今です! 早く戻って来て下さい!!」
なんとか攻撃を防いだ一瞬の隙、それを見逃すことなくエボルはイシスを呼び戻す。
「でも……!」
イシスはまだ怒りが収まらず、握った拳に力を入れるが、エボルがそれを許さない。
「無駄死にをするのはイケスに対する侮辱でしょう!! あなたが生きなくてどうしますか!! あなたは生きて、生きて、イケスの分まで生き抜くと誓った。だからこそ、将来二人が一人になった時に名乗るイシスという名を名乗る……そう言ったじゃありませんか!!」
「ッ!!」
イケスが生まれた時からの片割れが命を懸けて生かしてくれたというのに、自分が死んだらそれが無意味になる。悔しいが、彼我の実力差は明白。
イシスはエボルに言われるがまま、二人に合流すべく走り出した。
『ガアアアアッ!!』
「マズイッ!」
ピキキッ、何かにヒビが入るような音が響く。
「穴が壊れます!! 急いでくださいっ!」
まさかこんなに早く壊れるとは……!
内心で信じられないモノを見つつ、逃げる準備を始める。
「『ブラック・カーテン』」
『グッオオオオ!!』
咄嗟にオーガの視界を塞いでみたが、あまり意味はなかった。
オーガの力任せな一撃は、逃げていたイシスの背後から襲いかかる衝撃波となって、延長線上にいたエボルたちにまでしっかりと届いていた。
「ッゥアア!」
それでもなんとかなったのは、イシスが普段から得意の土魔法で地面を操る移動術を使用していから。
背後からの衝撃で身体が浮き上がった瞬間、地面を僅かに隆起させ着地。これにより吹き飛ぶ範囲を狭くしてダメージを軽減させ、勢いだけはそのままにエボルとナナ二人の抱えてダメージを最小限に抑えることに成功した。
衝撃波に加えてイシスの土魔法の効果が重なり、激しい土煙が立ち込めたこともエボルたちを逃がす要因となった。
◇◆◇◆◇
「ハァ、ハァ……!」
「……ふっ、ふぃ~」
「…………二人とも、回復、要ります……?」
「い、いや。僕は大丈夫。まだ、何があるかわからないから取っておいて」
「私も。ちょっと背中がヒリヒリするけど、動けないほどじゃないから。ほとんどが砂利が当たっただけだし……」
オーガから、一時的にとは言え逃げおおせたものの、油断は出来ない。
それは三人全員が共有していた。
ただ、それでも今は命が助かったのを喜んでもいい場面だった。
「……でも、ごめんね。私が我儘を言ったから二人を巻きこんじゃって」
「何を言ってるんですか」
たしかに、どうしてもオーガに一撃を加えたい。
イケスの無念を晴らしたいと申し出たのはイシスで、エボルとナナはそれに付きあった形にはなる。
「そんなのは、さっき助けてもらったのでチャラですよ。それに、イシスに付き合うと決めたのは僕たちなんですから。……おあいこです」
どの道、オーガと遭遇した時点で生存率は限りなく低くなっている。
それならば一人でも頭数がいる方が選択肢が増えて取れる手段も増える。
「オーガの移動速度を考えると、ただ逃げるだけではすぐに捕まります」
この話題はどうしてもイケスの死、それに繋がった出来事を連想させてしまうが生き残るためにはそうも言ってられない。
「だからこそ、倒せないまでもせめて機動力を削げるだけのダメージは与えておきたいところです……」
ただ、それは難しいのもわかっている。
オーガはギルドの定めたランクでいうところのBランク。奇跡が万に近い数重なったとしても駆け出しで半人前のGランク冒険者が倒せる相手ではない。
「逃げるだけならともかく、このまま逃げたら対策を取る前にモンヒャーに連れ帰る形になってしまう」
「……問題はそこです」
モンヒャーに帰れば、エルジィだけでなくマティサやレイフォンティアもいるからなんとかはなる。まあ、これについてはエボルしか知らないが、イシスやナナだってギルド長をはじめとした頼れる先達がいることぐらいは知っている。
しかし、彼らが出て来るまでに冒険者でもない民間人が多く犠牲になるのは間違いない。
少なくとも被害者を皆無に抑えることは不可能。
だからこそ、最低限の役割として相手の行動を制限させる必要があると感じていた。
エボルにすれば過保護なマティサたちのことだからエルジィの眼を上手く誤魔化して近くにいる可能性は高いと思っているが、その場合他の二人がいる状況では出てき難いだろうとも考えていた。
エルジィから釘を刺されていたのに、手を貸したとあればエボルの試験の邪魔になる……そう考える可能性を考慮すると、囮になってオーガを引き付けるしか方法が思いつかない。
それをすると、オーガは始末できても確実にお説教を受ける。
それはオーガと対峙するよりも危険な賭けになる。
できれば、今いる三人でなんとかオーガの動きを封じ込めたいと考えるのも無理はなかった。
「とりあえず、作戦を考えてみた」
起死回生の一手となるかもしれない発言をしたのは、意外なことにナナだった。
◇◆◇◆◇
「ふぅ……、《始めよう》」
後半は、離れたところにいるイシスにも聞こえるように【念話】を使った合図。
これにより、新人冒険者VSオーガ。その最終決戦の火蓋は切って落とされた。
《まずは、イシス。攪乱とオーガをその場に押さえつける役目は任せたよ。釘付けになったところで合図を出すから上手く離れてね》
イシスからの返事はなかった。
いや、前方で上がった土煙こそが返事だった。
「……失敗したら、ちょっと怨むかも」
「構いませんよ」
ナナが考えた作戦は作戦というのもおこがましい運任せで力任せなモノだった。
まずは、イシスが先程と同じようにオーガに攻撃を仕掛ける。
「せいやっ!!」
今度はイケスの敵討ちにこだわらないように言い聞かせてあるが、どこまで理解しているか。頭で理解していても、心がそれに従うかどうかはわからない。
それほど失った悲しみや怒りは深いものだから。
ある程度攻撃すればオーガも目の前の獲物に集中し始める。
そうなったら、エボルの出番だ。
「……そろそろかな」
一定範囲から動かないのなら、どんなに強靭な存在でもいい的である。
魔法を放ってもすぐに追いつかれる心配のない位置から魔法を放ち続ける。
あまり距離が離れていると効果は薄いが、それでも本来のレベルよりも高い威力の魔法を撃てるエボルならば……!
「魔力のことは気にしないでください。すべて差し上げます」
そして、最後にナナだが……彼女の役割はサポートだ。
ただサポートするというよりはエボルを砲台と例えるとすると、砲台を支える脚といったところか。
治癒術師であるがゆえに、戦闘に参加できないナナだが、彼女だからこそ出来る方法――魔力の供給という形で貢献していた。
一見すると、危険なのはイシスだけに思えるが危険なのは皆同じ。
イシスは近くにいる分攻撃が当たる確率が高く、エボルは攻撃し続けることで標的になりやすい。エボルが標的になるということは近くで魔力を供給しているナナもまた標的になるということでそうなれば確実に命を落とすだろう。
それでも、仲間を一人離れた戦場に置き、戦うことにエボルは納得できない思いだった。
例え、イシス本人が納得していようとも……。
だからこそ飛び出た恨み言だったが、ナナはそれを受け入れるという。
この段階でようやく気付いた。覚悟が足りないのはむしろ自分の方だと。
エボルは燃えていた。
「『ファイアボール』!!」
絶対に生きて帰ると。
――パキッ!
「マズイッ!?」
限界が来た。
魔力のではなく、エボルの身体の限界が。
『万が一にも試験中にレベルが上がると厄介だ。君にはこれをあげよう』
モンヒャーの町を出る前、エルジィから渡された指輪。その効果によって、エボルはレベルアップを抑えていた。そんなことが可能なのかと思わないでもなかったが、彼女の固有スキル【不具合】によって本来だったらマイナスの要素にしかならないような特殊な力が宿ったアイテムが生まれることがあるらしく、マティサもそれについては認めていた。
本来の試験内容通り、オークだったならば実力もそれほどかけ離れていないので指輪の許容量を超えることはなかった。
だが、実際に対峙しているのはオークよりも遥かに強いオーガ。
倒し切れていないからレベルは上がらないと思っていたが、強者に弱者が挑むことで経験値は予想以上に入っていたらしい。
指輪が壊れる……それが意味するのはエボルのレベルが上がること。つまり、エボルの姿が赤ん坊に戻るということ。
今はダメだ。
すぐ傍にナナがいて、離れたところにはイシスもいる。何より、まだオーガから逃げ切れるほど離れていない。せめて、オーガの足止めだけは成功させなければ……!
「ナナ! 本気を出します! 少しの間、僕の身を守ってくださいっ!」
「っ!?」
返事も聞かずに、エボルはナナから供給された分も含めて魔力を使い切るつもりで最大の魔法を準備する。
「何っ!?」
イシスは突如として高まって行く魔力にハッとした。
発生源はおそらくエボル――!
自分と同じ新人のはずなのに、魔力の総量は明らかに自分の数倍以上。
何故このタイミングなのかはわからないが、練り込まれた魔力から決着をつけようとしていると悟った。
「こうなったら、一か八かよっ!」
ヤケクソ気味だった。
だからか、イシスがこの時取った行動はイケスがいた時の必殺。追い込まれた末に自分たちのすべてを出し切るための一撃だった。
「ハアアアアアッ!!」
これまでのように手当たり次第に動きを止めるのではなく、動き回りまた魔法を使って地面に模様を描いていく。
二人でいた時はイケスが敵の注意を引きつつ、マシスがその傍らで魔法陣を描く。細かい所はイケスが補うスタイルだったが、それを一人でこなしていた。
イシスは無我夢中だったが、それこそが成人したカガミ族の戦い方。
二人で一つだったものを一人で二つに昇華させる動き。
まさにイシスは以心伝心ならぬ同体一心。二人でいた時よりも強く、二人でいた時よりもお互いのことがわかる状態だった。
そうなると託された力の使い方もわかってくる。
「喰らえっ、私とイケス……二人の奥義!!」
地面に描き終わった巨大な魔法陣に魔力を込めた拳を叩き込む。そうすることで大きくひび割れた魔法陣は眩い光を放ちつつ、地面を変化させオーガの足元を陥没させた。
イシスの魔法があってこそ、発動するこの技を彼女は後に『ドリケース』と名付けた。
『グォォ……!』
「今ですっ『ファイアストーム』!」
落下するオーガの頭上に黒い穴が開き、そこから炎の渦がオーガを呑み込んでいく。
『グギャアアア!!』
エボルの全魔力を注ぎ込んだ一撃を受け、元より動転していたオーガは為す術もなく、穴底へと落ちて行く。
「……やっ、た」
その様子を見ていたイシスは安心と魔力切れでその場で倒れ、エボルはというと……。
「これで動きは封じましたよ」
疲労と充足感を覚えながらも聞こえる甲高い音、それにレベルアップを告げる音声を聞きながら視界が下がって行くのを感じていた。
「……すみ、ません」
声に出せていたのかどうかはわからない。
謝ったのは、気を失うことよりも自分の姿を見せることへの謝罪だった気がする。
「――大丈夫ですよ、エボル様」
しかし、小さくなっていく中でエボルの身体を支えた声は聞いた覚えのある声だった。
「…………あぅ?」
「さあ、イシスを回収してから帰りましょう」
エボルを支えていたのはデミだった。
先程までいたナナの姿はどこにもない。
「事情は後で。ひとまず、この場から離れます。……あっ、もちろん彼女も一緒にですよね」
デミの言う通り、今は逃げることを優先しなければ。
疑問は尽きなかったが、エボルもそれは理解していた。
猛烈な眠気に襲われながらも、デミがイシスを回収するまで意識を保ち、回収したら寝息を立てていた。
この時、デミに対する不信感はなくなっており、安心感と信頼を覚えていたのだが、そのことにエボルが気付くのはもう少し後になってからだった。